※全文をPDFファイルでダウンロードしてご覧いただけます。 [PDFファイルについて] 『著作集28』PDFダウンロード (13MB) 更新日:2026年6月30日
私は、一九一三(平成二五)年三月をもって神戸大学を定年退職し、それまで春夏の休暇を楽しむためにつくっていた小さな山の家に移り住み、晩年の執筆活動に入りました。在職中の私の研究は、日英デザインの近現代史に関するもので、とりわけ一九世紀英国のデザイナーのウィリアム・モリスと二〇世紀日本の陶工の富本憲吉に焦点をあてて研究していました。しかし、終の棲家を求めて阿蘇南郷谷に移住するに当たり、私の脳裏に蘇ったのは、従来からの研究に加えて、この肥後国に関連する偉人たちについても積極的に関心を寄せ、その人生や人となりに寄り添ってみたいというものでした。
私が生まれ育った生地は、ここ火の国熊本です。ゆかりの人として、詩人で女性史学者の高群逸枝、俳人の中村汀女、そして、作家で環境保護活動家でもあった石牟礼道子がいます。そこでまず書いたのが、著作集14『外輪山春雷秋月』に所収しています「火の国の女たち――高群逸枝、中村汀女、石牟礼道子が織りなす青鞜の女たちとの友愛」でした。しかし、そこで私は大きな衝撃を受けることになりました。といいますのも、既往研究を調べるなかにあって、逸枝にとっては夫であり、道子にとっては自身の「最後の人」である橋本憲三が、小説家や女性史研究者たちに不当にも悪者扱いされ、いわれなき罵詈雑言が並べ立てられている幾つもの現場に遭遇したからです。なぜこうも、証拠も根拠も示すことなく、しかも、いまに残る一次資料さえも全く無視してまで、かかる人たちは、存命中からさらに続く死後にあって、憲三の人格を否定し名誉を傷つけなければならないのか、このとき、素朴な疑問とふつふつとした怒りとが、私の体内を駆け巡りました。
このときまでに私は、富本憲吉の妻の富本一枝を研究する人たちの著した書のなかにあって、真実を曲げてあらぬ罪を憲吉に覆い被せている事例を読み知っていましたので、今回がはじめての体験というわけではありませんでしたが、それでも、実証を重視する学術の世界にあって、女性が男性を差別し蔑視する行為の許しがたい一部事例を改めてここに見出し、憲三とその周囲の人たちの無念さを無念さとして自身の胸にしっかりと抱いたのでした。
憲三を敵視する姿勢は、間接的ではありますが、その妻たる逸枝のみならず、その崇敬者たる道子さえも苦界に陥れることを意味します。そこで、いまや黄泉の客となり人びとの関心から幾分遠ざかっているとはいうものの、疑いもなく生前の憲三、逸枝、道子の三者の人生が強靭なきずなで結ばれていたことを前作の執筆から知っていた私は、その様相を「三つの巴」に見立て、その実際の姿を伝記として表わしてみようと意を決しました。この作品は、人権侵害や名誉棄損に強く抗う私の気持ちが、まさしく自身の背中を押すことによって産み落とされたもので、いうなれば、死者たちへの鎮魂の書というのが、私の位置づけでした。しかし、私は、女性史や文学史の専門家ではありません。実情は、憤懣が余って素人の手慰みに書かれた駄作であり、したがいまして、いまなお、非力と蛮勇のそしりは免れないことを十分承知しています。それでも擱筆した原稿は、著作集18『三つの巴――高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子』として公開しました。
この間私は、義憤の発露として、伝記書法論を書きました。著作集9『デザイン史学再構築の現場』の第六部「伝記書法を問う――ウィリアム・モリス、富本一枝、高群逸枝を事例として」や著作集11『研究余録――富本一枝の人間像』の第三編「伝記書法私論――批判と偏見を越えて」、さらには著作集22『残思余考――わがデザイン史論(上)』の第四部「『三つの巴』私論集」などがそれに相当します。収められているいずれの論も、恣意や偏見を排した、実証主義と科学主義を重んじる立場から書かれています。そしてまた、ジェンダー平等の観点に立ち、一方の性が他の一方の性を理由なく強権的に抑圧したり嫌悪したりする行為を憎む視点から考察されています。
いま私は、著作集14『外輪山春雷秋月』の「火の国の女たち――高群逸枝、中村汀女、石牟礼道子が織りなす青鞜の女たちとの友愛」と著作集18『三つの巴――高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子』から得られた内容をさらに磨き上げ、各人個別の伝記を書いてみようという思いに立ち至りました。集団史から漏れてしまった一片一箇の数々の事実を蘇生させ、個別史のなかに適切に再配置したいという衝動があったからです。その一方で、幾つかの巻に分散されていた、伝記執筆にかかわる自身が考える要諦を、一箇所にまとめてみたいという衝動もまた、新たに生まれてきました。それというのも、私見によれば、家族史であれ個人史であれ、伝記の誕生と、伝記記述の論理とは、切っても切り離せない関係にあり、そこで、これまでに私が継起的に論じてきた伝記書法にかかわる原理論を一巻に集成することにより、私の一貫した考えの全体像が再構築されてゆくものと判断したからです。
このように、いずれの巻も、旧稿にその起源をもちます。各巻のタイトルに「余滴を集めて」を冠したのも、ここに由来します。その意味で、この名辞のもとにこれから公開する、著作集27『余滴を集めて――高群逸枝研究』、著作集28『余滴を集めて――橋本憲三研究』、著作集29『余滴を集めて――石牟礼道子研究』、および著作集30『余滴を集めて――伝記書法研究』は、すでに完結している「中山修一著作集」(全二六巻)の屋根の上にさらに余分な屋を架すものになります。それでもこの四巻は、紛れもなく、自身の「余滴一考」であり、同時に、自身への「余滴一献」となって、残された自身の時空を飾ります。
それとは別に、退職後この地に隠遁していなければ、私は、高群逸枝にも、橋本憲三にも、そして石牟礼道子にも、巡り合うことはなかったと思います。この四部作をもって、「中山修一著作集」の「最終編」とみなし、自分が火の国をこよなく愛した肥後人であったことの、そしてまた、阿蘇南郷谷に隠れて晩年を生きた研究者であったことの、そのあかしとしたいと思います。これもまた、屋上屋を架すゆえんです。ご理解いただければ幸いです。
なお、著作集27『余滴を集めて――高群逸枝研究』の巻末に、著作集28『余滴を集めて――橋本憲三研究』と著作集29『余滴を集めて――石牟礼道子研究』をあわせた、三巻に共通する「写真集」を置きました。画像は文字以上に雄弁です。古い資料からの複製ですので画質は必ずしも鮮明ではありませんが、当時の臨場感が伝わってきます。必要に応じてお楽しみください。
さてここに、著作集28『余滴を集めて――橋本憲三研究』を開示します。この巻は、「橋本憲三の生涯――ひとりの『フェミニスト男子』の誕生経緯」の全一編によって構成されています。これにより、いかにして憲三が、自分自身の筆を折る一方で、逸枝のパトロンとなり、編集者として妻の執筆を支えたのかを明らかにします。「フェミニスト橋本憲三」の誕生の経緯が、先行愚作にまして、より稠密に造形されることを願いたいと思います。
二〇二六年三月一五日 肥後「火の国」に生まれ阿蘇南郷谷にいまや隠棲するさすらい人、わが名は 中山修一