中山修一著作集

著作集22 残思余考――わがデザイン史論(上) 【執筆継続中】

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『著作集22』PDFダウンロード (6.6MB)  更新日:2025年2月11日

はじめに――著作集22の公開に際して

ここに公開する著作集22『残思余考――わがデザイン史論(上)』は、次の三つのパートによって構成されています。

 第一部 ウィリアム・モリス論
 第二部 富本憲吉・富本一枝論
 第三部 高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子論

これまで私は、主として日英デザインの歴史研究に従事し、個人のデザイナーとしては、そこに登場する、とりわけウィリアム・モリスと富本憲吉を研究の対象としてきました。そして、富本憲吉研究を進めるにつれて、富本の妻である富本一枝(旧姓尾竹)という女性の生き方についても興味を抱くようになり、さらに加えて、定年退職後、生まれ故郷の肥後火の国に暮らすようになってからは、郷土ゆかりの偉人たち、とりわけ高群逸枝と石牟礼道子にも、関心を向けるようになりました。研究成果の一端は、以下のとおり、ウェブサイト「中山修一著作集」において公開しています。

 著作集6『ウィリアム・モリスの家族史』
 著作集3『富本憲吉と一枝の近代の家族(上)』
 著作集4『富本憲吉と一枝の近代の家族(下)』
 著作集14『外輪山春雷秋月』に所収の「火の国の女たち」
 

こうした自身の研究史の流れを受けて、時間軸に沿って描かれた家族史や集団史の形式を一度解体し、それに取って代わり、さまざまな主題による接近、いわゆる英国の歴史家たちがしばしば使うところの用語である thematic approach という手法が自分にもできないか、そのように近年考えるようになりました。

一般に伝記は、ひとりの人間の生涯を扱う通史として成り立ちます。その意味で伝記は、時の流れに沿いながらその人の全体的な人間像を理解するうえでの、優れて堅実な手法ということがいえます。しかしながら、限られた紙幅のなかにあって記述総体のバランスを考慮に入れようとしますと、抽象的表現を多く用いたり、細部の記述を省略したりせざるを得ない場面に、どうしても出くわすことになります。そのことは、その結果において、学術上の貴重性を有しながらも、具体的に描かれるべき細部がしばしば抜け落ちてしまう、そうした問題性を示唆します。その地平に、それを補う手法として、主題による接近、つまりは thematic approach が注目されてよい理由が潜むのです。

「主題による接近(thematic approach)」は、しばしば「比較による分析(comparative analysis)」を招来します。たとえば、ある人に特徴的な「母と娘の葛藤」を主題に選ぶとした場合には、前後の時代に生きた人のそれと比べたり、他の階級に生きた人のそれと比較したりすることが考えられます。そうすることにより、その人のみに限定された「母と娘の葛藤」の内実が明らかにされるだけでなく、時代による違いや階級よる違いが見出されることになります。それは明らかに、得られる知見の広がりを意味するのです。

そこで私は、「第一部 ウィリアム・モリス論」において、同じデザイナーであっても、活躍した地域と時代が異なるウィリアム・モリスと富本憲吉を、可能な限りひとつのセットとして取り上げ、ふたりの言動の異同や影響関係について考察したいと思います。結果として、日英双方のデザインとその思想に関連して類縁性なり異種性なりが浮かび上がってくるにちがいありません。うまく成功することを期待しながら待ちたいと思います。

次に「第二部 富本憲吉・富本一枝論」において、一組の夫婦でありながらも、男女という性差や生い立ちの違いによって、当然ながら異なる考えを身につけていたであろうと思われる、富本憲吉と富本一枝に焦点をあてて、ふたりのあいだにあって、共感する力と反発する力のようなものがあったとすれば、それがどういうものだったのかを見定めてみたいと考えます。他方、妻が性的少数者であった夫婦の家族内力学についても、論点に加えます。

最後の「第三部 高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子論」では、私は、女性史学の祖と位置づけられる高群逸枝のウィリアム・モリスからの影響を紹介し、夫で専属の編集者であった橋本憲三との関係を論じ、あわせて高群亡きあと、橋本憲三と、作家たる石牟礼道子とがいかにして人間関係を構築させてゆくのか、その道程に着目したいと思います。モリスは、ワット・タイラーの乱をもとに「ジョン・ボールの夢」を描き、石牟礼は、島原・天草の乱をもとに「春の城」を書いています。結果的に、モリスと高群の、モリスと石牟礼の、思想的位置の異同や、学者と編集者、あるいは作家と編集者のあいだに横たわる信頼性の一端が明らかになり、郷土人の生きる力の根源のようなものが鮮明になれば幸いです。

果たして、このような手法が、ウィリアム・モリス、富本憲吉と富本一枝、そして、高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子にかかわって、いまだ現像されることのなかった新しい風景を招き寄せる手掛かりとなるのでしょうか。何か未知の領地の発見へとつながることを自ら期待したいと思います。それではこれよりのち、私にとってのひとつの新しい試みとして、ゆっくりと時間をかけながら、一片一個の主題を選び取り、書き進めることにいたします。

最後に、この巻のタイトルに用いました「残思余考」という用語につきまして書き記します。著作集1から著作集15までを「中山修一著作集」の正編とするならば、著作集16以降の各巻は、その続編に相当します。つまりこれらの巻は、正編を受けての「残余の思考」という連続する流れに沿った副産物として成り立っているのです。こうした事情を背景として、「残余」と「思考」のふたつの単語が合成され、「残思余考」という独自の複合的造語が新たにここに誕生したのでした。この用語を第22巻から第26巻までの著作集最後の五つの巻に適用いたします。




二〇二四年一二月二日
師走に入ったいま、南阿蘇の森のなかの寓居にて
中山修一

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