中山修一著作集

著作集22 残思余考――わがデザイン史論(上)

第三部 高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子論

序に代えて

この、著作集22『残思余考――わがデザイン史論(上)』の第三部「高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子論」は、現在、「目次」にもありますように、以下の二話から構成されています。

 第一話 高群逸枝にとってのウィリアム・モリス
 第二話 高群逸枝の「母系制の研究」に思う

第一部におきまして、世紀と地域を越えるも同じデザイナーであるウィリアム・モリスと富本憲吉に関しての比較研究を行ない、第二部におきまして、富本憲吉と富本一枝という夫婦のなかに発生する事象を巡る男女間の反応の差などに着目して比較考量しました。この第三部「高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子論」は、モリス、憲吉、一枝から幾分離れた所に居場所をもつ火の国肥後人に焦点をあてて論じるものです。しかし、全く無縁とはいえません。女性史学の祖である高群逸枝はモリスの思想に影響を受けていました。高群の全集を編集したのは夫の橋本憲三ですが、モリスの著作集を編集したのは、娘のメイ・モリスです。一方で、モリス没後、伝記を書くことになるのが、モリスの親友のエドワード・バーン=ジョウンズの娘婿のジョン・ウィリアム・マッケイルだったことに比して、逸枝没後に「最後の人」と題された独自の伝記文を執筆するのが、憲三を師と仰ぐ石牟礼道子でした。また、モリスは「ジョン・ボールの夢」を、石牟礼は「春の城」を書きますが、それはともに、歴史上の農民反乱を主題としたものです。そのようなわけで、火の国の人たちを論じることは、モリスを別の角度から間接的に考察することにつながるのです。モリス論からだけでは見えてこない、また、憲吉や一枝を論じることからだけでは見落としてしまいそうな、相対化された異次元の風景が可視化できるかもしれません。こうした微細な空気のもつ同質性なり異質性なりが、うまく成功して実際に浮かび上がってくることになれば、読者のみなさまと一緒に、立体感あるその差異を楽しみたいと思います。

最後に、読み手のみなさまに申し添えます。一話一話はそれぞれに独立完結したものであり、連続したものではありません。そこで、まず目次をご覧になり、興味を引く題目を選び取り、気の向くままに、一話、そしてまた別の一話を読み進められることをお勧めいたします。その結果、全体として、ウィリアム・モリスと、火の国の女である高群逸枝および石牟礼道子とのあいだに存する空気感が、どのようなものであったのかを、わずかなりとも感じ取っていただけるにちがいありません。そうなれば、書き手としての私の大きな喜びにつながり、先立って、ここにお礼を申し上げたいと思います。

(二〇二四年初秋)