本稿「火の国の女たち――高群逸枝、中村汀女、石牟礼道子が織りなす青鞜の女たちとの友愛」の本文をいま書き上げて、ここでそのまとめの文を書きたいと思います。高群逸枝、中村汀女、石牟礼道子のこの三人の火の国の女に何か共通点はあったでしょうか。あったようでもあり、それを明確に断定するには、こころもとない気もします。そこで、それについて高群が鮮明に発言していますので、それを以下に引用します。
火の国女性は野性的で強い。それが表面化してくると、どんな力にたいしてもびくともしない。世俗的なきはんなど物の数でもありえない。一顧にも値しない。十歳を越えたころから、私にもそうした稟性が、内部にはげしく燃え出したらしく、いろいろな妙な思い出をつくり出しているのでもそれはわかるのである1。
逸枝がいうように、「野性的で強い」――これが火の国の女の特徴かもしれません。中村汀女にも石牟礼道子にも、当てはまるような気がします。汀女は、俳句は「第二藝術」とさげすまれ、女のつくる句は「台所俳句」とやゆされるも、決して動じることはありませんでした。まさしく二重の差別と闘ったのです。道子は、自分の苦しみを自分の体内から吐き出すかのようにして文をつくり、他方、水俣病で、西南役で、島原・天草の乱で、倒れた人びとが叫ぶ苦しみの内なる声を拾い集めました。
そうした女たちは、この「肥後の国」に、それぞれにどのような思いを重ねていたのでしょう。逸枝の思いのなかには、「五木の子守歌」も含まれていました。
この歌は五木のみでなく、肥後一円で歌われた。私は熊本南部の水田地帯に育ったが、一〇人、二〇人とうち群れて、肥後の大平野をあかあかと染めている夕焼けのなかで、この歌を声高く合唱する子守たちのなかに私もよくまじっていた2。
熊本市内で生まれ育った汀女は、やはり阿蘇と熊本城、そして城内の一角に位置する自身の学び舎にも目がゆくようです。
西南役に焼けたままのお城が、先頃復元された。構成の美しい、雄大な石垣の上に、そびゆるお天守は見飽きない。城頭に立てば、東方真向きに阿蘇山が煙噴く。心をそそるものがある。…… その城内のよき場所に、私の昔の女学校、今の第一高校がある3。
そして道子の、自身の生国に抱く思いは――。おそらくそれは、不知火海の自然を犯す水俣病と切っても切り離すことのできないものでした。次の文言が、自伝「葭の渚」の最後の言葉です。ここに、道子の魂の基底をなす深き思いがあるように思量されます。
近代合理主義という言葉があるが、そういう言葉で人間を大量にゆるゆると殺されてはたまらない。そういうことがゆるされていけば、次の世代へ行くほどに、人柱は「合理化」という言葉で美化されていくだろう4。
以上が、三人三様の、生まれし故郷「肥後の国」に寄せる思いです。そしていまや、みな黄泉の客となりました。
さて、稚拙な筆ではありましたが、何とかここに、三人の女の生きた足取りを書き残すことができました。これをもって、西に不知火海、東に大阿蘇に囲まれた火の国の中心部を占める熊本市の寺原町にて生を受け、近所の田端で「五木の子守歌」を聞いて育ち、熊本城を目の前に抱く信愛幼稚園に通い、多感な高校生のときに水俣病の惨劇を知り、出国後再び晩年に阿蘇の山野に隠棲し、文筆にいそしむひとりの男の務めとしての作業を完了します。
最後に、本稿「火の国の女たち――高群逸枝、中村汀女、石牟礼道子が織りなす青鞜の女たちとの友愛」の執筆の途中で、この主題に関連するふたつの論文に出会いましたので、以下に紹介しておきます。
西川祐子「一つの系譜――平塚らいてう、高群逸枝、石牟礼道子」、脇田晴子編『母性を問う(下)――歴性的変遷』人文書店、1985年。 河野信子「『火の国』から『近代』を問い直す――高群逸枝と石牟礼道子」、加納実紀代編『リブという〈革命〉――近代の闇をひらく 文学史を読みかえる⑦』インパクト出版会、2003年。
西川祐子は「一つの系譜――平塚らいてう、高群逸枝、石牟礼道子」を主題に、河野信子は「『火の国』から『近代』を問い直す――高群逸枝と石牟礼道子」を主題に「火の国の女たちの系譜」を書きましたが、私が本稿を書くなかで出会ったのが、橋本藤野と橋本静子のふたりの女でした。もしこのふたりがいなかったならば、いま私たちが知る高群逸枝の学問も石牟礼道子の文学も存在しない可能性さえあります。私は、彼女たちこそが、真に「野性的で強い」火の国の近代の女であったと確信します。そして、藤野と静子の両人が果たした歴史的役割に対しまして衷心より讃辞を献上したいと思います。
私は、本稿を書くに際しまして、熊本県立図書館、熊本市立図書館、鹿児島県立図書館、日本近代文学館、および国立国会図書館が所蔵する資料を利用させていただきました。おかげをもちまして、何とか脱稿するに至りました。末筆ながら、深甚なるお礼の言葉を、ここに申し添えます。
それではこれで、すべてを閉じさせていただきます。長々しい駄文となってしまいました。それでも根気強く最後までお付き合いいただきましたことに、こころからの謝意を捧げます。ありがとうございました。
(1)『高群逸枝全集』第一〇巻/火の国の女の日記、理論社、1976年(第8刷)、61頁。
(2)高群逸枝『女性の歴史』(中巻)、大日本雄弁会講談社、1955年、319-320頁。
(3)中村汀女『汀女自画像』日本図書センター、1974年、188頁。
(4)『石牟礼道子全集・不知火』別巻/自伝、藤原書店、2014年、303頁。