富本一枝(一八九三―一九六六年)のセクシュアリティーにかかわって、これまで研究者は、どのように対峙してきたのであろうか。一枝の最初の本格的評伝である、高井陽・折井美耶子『薊の花――富本一枝小伝』が世に出たのは、一九八五(昭和六〇)年であった。高井陽は、富本憲吉・一枝夫妻の長女で、実際にこの本が出版されたときは、陽が亡くなってすでに三年が過ぎていた。そのなかで、一枝のセクシュアリティーについては、このように言及されている。
一枝がまわりの人にできる限りの援助の手をさしのべるという生き方に徹するのはこの頃[『婦人公論』に「共同炊事に就いて」を寄稿した一九三〇年ころ]からである。それは、人に尽くすことは最高の美徳と教えた母の訓えでもあり、一枝自身の困っている人を見すごすことができないヒューマニズムでもあった。しかしその底には、天賦の素質をもちながら自己の芸術を完成させることのできない己に代って、他に尽くすことによる間接的な自己表現、あるいは代償行為といった心持が、無自覚的にひそんでいた。それは広い意味でいえば母の心ともいえる。しかし一枝は純粋なあまり、夢中になりすぎたし、若くて、美しくて、有能な女性には、理屈抜きで好意をもった。こうして、一枝の一生のうちで誤解されやすい同性への熱中が何度か繰り返される1。
本書の成り立ちからして、遺族への配慮が働いた可能性を否定することはできないかと思われるが、この時期の一枝の同性へ向かう性的指向については、あくまでもこのように、「他に尽くすことによる間接的な自己表現、あるいは代償行為」であり、「誤解されやすい同性への熱中」として描かれている。
他方、比較的新しい研究である「『青鞜』同人をめぐるセクシュアリティー言説――一九一〇年代を中心に――」では、著者の呉佩珍は、ジュディス・バトラーの言説に全面的に依拠しながら、青鞜社時代の平塚らいてうと尾竹紅吉の関係を「少年同性愛」とみなしたうえで、次のような指摘をしている。
ジェンダーを、男性が女性性を過剰に演じる異性装にたとえることによって、バトラーは、ジェンダーは本質的な存在というより、むしろ模倣を通じて行為遂行的に構築されるものだといっている。つまり、本質的な性がまずあるのではなく、集合的に構築されたジェンダーの幻想があり、その幻想を模倣する形で現実のジェンダーが形成されるのである。
バトラーのこの観点は、まさに、平塚らいてうと尾竹紅吉のジェンダー・パフォーマンスにあてはまる。彼女たちのジェンダー・パフォーマンスは、〈模倣〉に基づいて築き上げられていたもので、現実の異性愛中心的なジェンダー・ロールをパロディ化して脱構築するような側面を持っている2。
いうまでもなく、「尾竹」は富本一枝の旧姓である。そして、「紅吉」は青鞜時代の一枝の筆名で、本人が自分のことを呼ぶ場合には、「こうきち」と呼んでいたことを後年らいてうは明かしている3。
さて、そこで問題になるのは、次の点である。果たして、呉が指摘する、一九一〇年代の「現実の異性愛中心的なジェンダー・ロールをパロディ化して脱構築するような側面」から、高井陽・折井美耶子が描く、一九三〇年代の「誤解されやすい同性への熱中」へと続く、一枝のセクシュアリティーには、どのような内的連続性があったのであろうか、あるいは別個の不連続的現象だったのであろうか。それとも、このふたつの見解に、何か適切さを幾分欠くような断定的な表現が介入している可能性はないであろうか。本稿は、一枝本人と友人たちが書き残した言説を主として援用しながら、可能な限り、そうした疑問の実態を解明し、ひいては、一枝自身の生涯にわたるセクシュアリティーの全体像を明確にすることによって、一枝というひとりの人間の生き方に現われた複雑性の一端を探る試みといえる。
一枝のセクシュアリティーにかかわる歴史を記述するに先立って、本稿が前提とするのは、一枝のトランスジェンダーとしてのセクシュアリティーの可能性である。これは、著作集3「富本憲吉と一枝の近代の家族(上)」および著作集4「富本憲吉と一枝の近代の家族(下)」(ウェブサイト「中山修一著作集」にて公開)の執筆を通じて得るに至った知見であり、本稿では、そうした前提をひとつの主題として実証的なアプローチがなされることになる。しかしながら、一枝自身は、自分のことを「トランスジェンダー」として明確に「カミング・アウト(coming out)」しているわけではない。したがって、最初から一枝をトランスジェンダーとして決めつけることはできない。かといって、歴史のなかに残された一枝本人の言説や、他人による一枝についての描写からして、その可能性を完全に排除することもまた、同様にできないであろう。もっとも、「トランスジェンダー」も「カミング・アウト」も、あくまでも今日的概念であり、そして用語法であるため、存命中に一枝自身が自分のセクシュアリティーを「トランスジェンダー」という概念のもとに認識することも、「カミング・アクト」という用語を使って告白することも、当然ながら、それはなかった。そうしたことを踏まえるならば、可能性として一枝をトランスジェンダーとしてみなす本稿にとっての前提は、あくまでもひとつの仮説的な前置きということになる。
今日的には、典型的で規範的とみなされる全体的な性のあり方から逸脱した少数の人たちを指して性的少数者(Sexual Minority)という用語が使われる。そのなかには、主にレズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、両性愛(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)が含まれ、その頭文字をとって、LGBTと呼ばれることもある4。レズビアンは女性間の同性愛者を、ゲイは男性間の同性愛者を、そしてバイセクシャルは、異性、同性のどちらにも性愛の関心を示す人たちを指し、他方トランスジェンダーは、肉体的(生物学的)な自分の性別に違和感をもち、社会的(文化的)には、それとは反対の性別において生きることを求める人たちを指す。そして、身体的には女性でありながら、性自認(Gender Identity)においては男性である人をFTM(Female to Male)、逆に、身体的には男性でありながら、性自認においては女性である人をMTF(Male to Female)と呼ぶ。もっとも、心の性の自己認識は、人によっては、しばしばあいまいで、はっきりと区別立てができない場合も多いといわれている。
その一方、性的欲望や恋愛感情の対象が、異性なのか、同性なのか、その指向を示す呼称として、性的指向(Sexual Orientation)という用語が使用される。たとえば、レズビアンの場合は、当事者双方は、身体的に「女」であり、性自認も「女」であるものの、性的欲望や恋愛感情の対象である性的指向が、異性ではなく、同性である「女」へと向かう。そこで問題なのが、FTMのトランスジェンダーの性的指向が「女」だった場合である。外見上は、女性間の同性愛者(レズビアン)のように見えるものの、実際には、「男」を性自認する者が「女」を愛することからして、したがってこの場合は、「同性愛」ではなく、「異性愛」とみなされる。このことに照らし合わせるならば、仮に一枝がFTMのトランスジェンダーだったとして、「女」への性的指向が認められたとすれば、それは明らかに、「異性愛」という実質を示すことになる。
四月に一枝が一八歳になり、そしてまた、九月に『青鞜』が創刊されることになる、一九一一(明治四四)年当時の「不可思議な」あるいは「病的な」と形容された女性たちのセクシュアリティーには、どのような実態が介在していたのであろうか。そして、新聞や雑誌は、あるいは有識者と呼ばれる人たちは、それをどのように受け止めたのであろうか。それでは本稿の導入として、そうしたセクシュアリティーを巡る、その時期の社会文化的な背景の記述から、まずはじめたいと思う。
(1)高井陽・折井美那子『薊の花――富本一枝小伝』ドメス出版、1985年、168頁。
(2)呉佩珍「『青鞜』同人をめぐるセクシュアリティー言説――一九一〇年代を中心に――」『立命館言語文化研究』28巻2号、2016年、56頁。
(3)平塚らいてう自伝『元始、女性は太陽であった②』大月書店、1992年、27頁を参照。また、「ヨミダス歴史館」(読売新聞社のオンライン・記事データベース)で「尾竹紅吉」を検索語として入力すると、現在、該当する記事は18件あり、そのなかで「紅吉」にルビがつけられている記事は14件。ルビはいずれも「こうきち」となっている。ちなみに、最も古い記事は、紅吉が青鞜社に在籍していたころの、1912(明治45)年7月10日の「卒業後(十一)結婚と就職 女子美術學校」という見出しがつけられた記事で、「又自ら少年と稱し『らいてう』の美少年と云はれ、頻りと鴻の巣の洋酒に浮れて可愛らしい氣焔をあげる紅吉も一時、此校の寄宿舎にゐたが、窮屈さに我慢が出來ず遂に逃出したものださうだ」のくだりがあり、そのなかの「紅吉」にも、「こうきち」とルビがふられている。
(4)近年、性的少数者(LGBT)に関して、社会文化論的に、また教育実践論的に、そして医学的に関心が高まり、その適切な理解が進んでいる。それに伴い、多種多様な関連する書籍が出版されてきた。以下は、あくまでもその一部にすぎないが、ある程度の全体的な傾向は概観できるものと思われるので、参考までに、列挙しておくことにする。 一般的な概説書ないしは入門書としては、『同性愛・多様なセクシュアリティ』(“人間と性”教育研究所編、子ども未来社、2002年初版)、『セクシュアルマイノリティ』(セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク編著、明石書店、2003年初版)、『トランスジェンダー宣言』(米沢泉美編著、社会批評社、2003年初版)、『性同一性障害って何?』(野宮亜紀ほか著、緑風出版、2011年初版)、『LGBTQを知っていますか?』(星野慎二ほか著、少年写真新聞、2015年初版)、『セクシュアルマイノリティ Q & A』(LGBT支援法律家ネットワーク出版プロジェクト編著、弘文堂、2016年初版)などがあり、また、歴史書を幾つか挙げるとすれば、『レスビアンの歴史』(リリアン・フェダマン著、富岡明美・原美奈子訳、筑摩書房、1996年初版)、『性と権力関係の歴史』(歴史学研究会編、青木書店、2004年初版)、『同性愛の歴史』(ロバート・オールドリッチ編、田中英史・田口孝夫訳、東洋書林、2009年初版)、『同性愛をめぐる歴史と法』(三成三保編著、明石書店、2015年初版)などがあり、さらには、博士論文をベースに書籍化されたものについては、『近代日本における女同士の親密な関係』(赤枝香奈子著、角川学芸出版、2011年初版)や『カムアウトする親子――同性愛と家族の社会学』(三部倫子、お茶の水書房、2014年初版)などが認められる。一方、特殊なものとして、同性愛や異性装を禁じる聖書を巡っての解説書として、『教会と同性愛』(アラン・A・ブラッシュ著、岸本和世訳、新教出版社、2001年初版)を挙げることができる。 なお、トランスジェンダーに限っていえば、日本におけるそれへの関心は、一九八〇年代ころから萌芽した足跡があり、医学書としては、小此木啓吾・及川卓「性別同一性障害」『現代精神医学大系 第8巻《人格異常、性的異常》』(中山書店、1981年初版)が、社会文化論としては、『トランス・ジェンダーの文化』(渡辺恒夫著、勁草書房、1989年初版)が出版されている。また、自分がトランスジェンダーであることをカミング・アウトした主な書物として、『私はトランスジェンダー』(宮崎留美子著、ねおらいふ、2000年初版)と『ダブルハッピネス』(杉山文野著、講談社、2006年初版)を挙げることができる。前者の著者は、男性から女性へのトランスジェンダー(MTF)で、後者の著者は、女性から男性へのトランスジェンダー(FTM)である。そして、日本で最初の公式な性別適合手術(性別再判定手術)は、1998(平成10)年に埼玉医科大学で行なわれた。