図1 七歳のときの尾竹一枝(中央)。左右は妹と弟。
図2 マント姿の尾竹紅吉(一枝)。
図3 画室のなかの尾竹一枝。
図4 『青鞜』創刊者の平塚らいてう。
図5 1911年7月に情死したふたりの令嬢。
図6 エリスの抄訳「女性間の同性の戀愛」を所収した『青鞜』(1914年4月号)に掲載された『番紅花』(第1巻第2号)の広告。
図7 1923年ころの富本憲吉と一枝。
図8 1925年秋の富本一枝とふたりの娘(右が長女の陽、中央が次女の陶)。
図9 1929年7月号の『女人藝術』の口絵となった富本一枝と長男の壮吉。
図10 1935年に『讀賣新聞』が「女の立場から」のコラムを創設したときの社告。
図11 1935年ころの富本一枝の直筆署名。
図12 ピンポンを楽しむ佐藤(田村)俊子(右)と富本一枝。
図13 第一線をゆく女性 青鞜社。右端から左回りで、生田花世、長谷川時雨、富本一枝、岡田八千代、平塚らいてう、神近市子。
図14 晩年の富本一枝。
【図1】『淑女畫報』第3巻第13号、1914年12月、37頁。
【図2】『淑女畫報』第3巻第13号、1914年12月、35頁。
【図3】『婦人畫報』第86号、1913年9月、ノンブルなし。
【図4】『婦人畫報』第86号、1913年9月、ノンブルなし。
【図5】『新婦人』第1年第6号、1911年9月、48頁。
【図6】『青鞜』第4巻第4号、1914年4月、ノンブルなし。
【図7】『アサヒグラフ』第1巻第2号、1923年、6頁。
【図8】『讀賣新聞』1925年9月29日、7頁。
【図9】『女人藝術』第2巻第7号、1929年7月号、ノンブルなし。
【図10】『讀賣新聞』1935年8月28日、2頁。
【図11】『讀賣新聞』1935年9月5日、9頁。
【図12】『婦人公論』第22巻第2号、1937年2月号、8-9頁。
【図13】『婦人公論』第24巻第1号、1939年1月号、10-11頁。
【図14】『新婦人しんぶん』新日本婦人の会発行、1987年9月24日、2頁。