中山修一著作集

著作集9 デザイン史学再構築の現場

第三部 デザイン史学を日本へ

第七話 表現文化研究の地平

表現文化という名称は、すでに確定された学術用語ではないが、美術、デザイン、工芸、建築、ファッション、メディア、映画、音楽、演劇、ダンスといった人間の表現的、生産的諸活動を媒介とする、所与の時代と社会で展開された文化の総体として一般に理解することができるであろう。そこで本稿では、そのなかでも、美術、デザイン、工芸を対象とする歴史研究の一九七〇年代以降の刷新の過程とそれに関連して出現してきた物質文化および視覚文化に関する研究の新たな発展についてイギリスを事例として考えてみたい。

戦後復興期の六〇年代までに、イギリスは経済復興を成し遂げ、若者の可処分所得が増大する一方で、多くの大学が新設され、高等教育機関の拡大と大衆化が促進された。こうして新たに高等教育が享受可能となった階層の若者たちは、そこで得られた知識をもとに、広く世界と社会の諸現象を知るようになり、これまで当然のこととしてみなされていた国家や教師、親などに対する忠誠心を葬り捨て、権力や権威、そして体制に対して激しく異議を申し立てるようになった。このことは、伝統的で支配的だった文化に抗して新しい形式の若者文化を形成する一方で、大学にあっては、古い保守的な知の制度を刷新する力となって顕在化していった。

美術やデザインや工芸に関する歴史研究の刷新も、六〇年代のそうした社会的文化的変化のなかから胎動していった。美術史の場合、早くも一九七一年にリンダ・ノックリンは「なぜ偉大な女性芸術家は存在しないのか」という論文のなかで、「偉大な芸術」と「女性芸術家」を問題にし、伝統的な様式研究やイコノグラフィー研究から離れ、その後に続くフェミニスト美術史の端緒を築くことになった。さらにそうした挑戦は、八〇年代に入ると、A・L・リーズとフラーンセス・ボーゼロの『新しい美術史学』やハンス・ベルティングの『美術史の終焉?』などの刊行を促し、社会的文脈からの美術史の読み替え作業を積極的に推進していった。

一方、デザイン史の場合は、六〇年代のモダニズムからポップ・デザインへ向かう表現形式の刷新と軌を一にして、デザイン史家たちは、モダニズム・デザインの正統性を主張して一九三六年に出版され、それまで支配的影響力をもっていたニコラウス・ペヴスナーの『近代運動の先駆者たち――ウィリアム・モリスからヴァルター・グロピウスまで』を批判の対象とし、モダニストの傑作とその思想についての一元的歴史記述からデザイン史を解放していった。そうした偶像破壊行為は、一九七七年のデザイン史学会の設立を導き、一九八六年のエイドリアン・フォーティーの『欲望のオブジェクト』に結実することとなった。

さらに、近代運動の終焉は、その間周縁化されていた工芸の領域にも光をもたらした。一九七一年にイギリス政府がクラフツ・カウンシルを設立し、工芸家や装飾芸術家の支援に乗り出すと、工芸の歴史家たちもその動きに呼応した。それ以降、積極的に展覧会が組織され、女性や家庭、さらには環境問題という新たな視点からの工芸史研究も積み重ねられた。そして一九九九年にはこの分野の記念碑的成果物としてターニャ・ハロッドの『二〇世紀の英国の工芸』が出版され、二〇〇八年からは、この分野の学術雑誌が定期刊行されるに至っている。

総じてこうした研究は、その「芸術作品」はいつ、誰によって、どうつくられたのかという偉大な個人の問題に還元する視点を相対化し、ある特定の時代の共同体において、その「製作品/生産物」はいかなる政治的、経済的、社会的、文化的、技術的文脈から生み出され、利用されたか、という問題を現前化させてきた。一方そうした関心は、九〇年代をとおして、物質文化研究や視覚文化研究と呼ばれるさらに新しい文化分析の場を形成していった。そこでは、多様なディシプリンが複合され、普通の人びとが日常生活で体験する物質・視覚世界に刻み込まれたアイデンティティー、ナショナリティー、モダニティー、ジェンダー、コロニアリズム、グローバリズムといった事象が読み解かれ、今に生きる私たちに新鮮な問いを投げかけているのである。

以下は、七〇年代以降に創刊されたこの分野の新しい学問的潮流に呼応する国際学術雑誌である。

1.Art History, Oxford University Press, Oxford, 1978-.
2.Journal of Design History, Oxford University Press, Oxford, 1988-. 【図一】【図二】
3.Journal of Material Culture, Sage Publications, London, 1996-. 【図三】
4.Journal of Visual Culture, Sage Publications, London, 2002-. 【図四】
5.The Journal of Modern Craft, Berg Publishers, Oxford, 2008-. 【図五】【図六】

また、以下は、近年刊行されたこの分野の新しい方法論について詳述されている入門書(翻訳書)である。

1.John A. Walker, Design History and the History of Design, Pluto Press, London, 1989.[ジョン・A・ウォーカー『デザイン史とは何か』栄久庵祥二訳、技法堂出版、一九九八年]
 七〇年代以降開拓されてきた新しいデザイン史研究のパラダイムを示す好書。
2.Paul du Gay et al., Doing Cultural Studies: The Story of the Sony Walkman, Sage Publications, London, 1997.[ポール・ドゥ・ゲイほか『実践カルチュラル・スタディーズ――ソニー・ウォークマンの戦略』暮沢剛巳訳、大修館書店、二〇〇〇年]
 英国のオープン・ユニヴァーシティー「文化・メディア・アイデンティティー」コースの教科書。
3.John A. Walker and Sarah Chaplin, Visual Culture: An Introduction, Manchester University Press, Manchester, 1997.[ジョン・A・ウォーカーとサラ・チャップリン『ヴィジュアル・カルチャー入門――美術史を超えるための方法論』岸文和ほか訳、晃洋書房、二〇〇一年]
 私たちの視覚世界と視覚文化を読み解くための方法論を示した入門書。
 

一方、日本に目を向けると、身近なところでは、二〇〇一年に神戸大学表現文化研究会編『表現文化研究』(年二回刊行)【図七】が、二〇〇三年にデザイン史学研究会編『デザイン史学』(年一回刊行)【図八】が創刊されている。

(二〇〇五年)

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図1 Journal of Design History の創刊(1988年)を紹介するフライヤー(部分)。

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図2 Journal of Design History, vol. 1, no. 1, 1988 の表紙。

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図3 Journal of Material Culture, vol. 3, no. 1, 1998 の表紙。

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図4 Journal of Visual Culture, vol. 1, no. 2, 2002 の表紙。

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図5 The Journal of Modern Craft の創刊(2008年)を紹介するフライヤー(部分)。

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図6 The Journal of Modern Craft, vol. 1, no. 1, 2008 の表紙。

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図7 『表現文化研究』(第1巻第1号、神戸大学表現文化研究会、2001年)の表紙。

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図8 『デザイン史学』(第1号、デザイン史学研究会、2003年)の表紙。

(1)A. L. Rees and F. Borzello (eds.), The New Art History, Humanities Press International, Atlantic Highlands, NJ, 1988. (The original version was published in 1986.)

(2)Hans Belting, The End of the History of Art?, translated by Christopher S. Wood, University of Chicago Press, Chicago, 1987.[ベルティング『美術史の終焉?』元木幸一訳、勁草書房、1991年]

(3)Nikolaus Pevsner, Pioneers of Modern Design (first published by Faber & Faber in 1936 as Pioneers of the Modern Movement), The Museum of Modern Art, New York, 1949.[ペヴスナー『モダン・デザインの展開』白石博三訳、みすず書房、1957年]

(4)Adrian Forty, Objects of Desire: Design and Society 1750-1980, Thames and Hudson, London, 1986.[フォーティ『欲望のオブジェ』高島平吾訳、鹿島出版会、1992年]

(5)Tanya Harrod, The Crafts in Britain in the 20th Century, published for The Bard Graduate Center for Studies in the Decorative Arts by Yale University Press, 1999.