欧米においてデザイン史がひとつの新しい学問領域として誕生して以来、すでに四半世紀が立とうとしている。そうした世界的情況に呼応して、研究者、歴史家、大学院生、デザイナー、工芸家、キュレイター、プロモーター、コレクター、ジャーナリストによる会員相互のネットワークを構築し、学術交流を深めるとともに、日本におけるデザイン史研究のさらなる発展を目的として、二〇〇二年の秋、デザイン史学研究会は産声を上げた。昨年度は、英国のデザイン史学会の会長を務められたブライトン大学のジョナサン・ウッダム教授を招待し、「二一世紀のデザイン史研究」をテーマに第一回シンポジウムを埼玉大学で開催すると同時に、会誌『デザイン史学』を創刊するに至った。
そして本年度は、利光功先生、日野永一先生、小関利紀也先生、曽根靖史先生をパネリストにお招きし、学術、教育、振興および実践の視点から「いかにして『日本』はつくられたか――戦後復興期における日本デザインを語る」をテーマに、七月三日(土)に津田塾大学AVセンターにおいて第二回シンポジウムを開催することができた。以下は、そのシンポジウムの簡単な報告である。
シンポジウムは、まず第一部において四人のパネリストによる基調講演が行なわれ、次に四人のパネリストにデザイン史学研究会代表の中山修一がコーディネーターとして加わり、第二部のパネル・ディスカッションへと引き継がれていった。
基調講演では、これまで『バウハウス――歴史と理念』の著作や一連のバウハウス叢書の翻訳を手掛けてこられた、大分県立芸術文化短期大学学長の利光功先生が、ご自身のバウハウス研究の経緯を回想として語られ、次に、とくに工芸に関する多くの著書がある実践女子大学の日野永一教授から、長年にわたるデザインと工芸の教育に携わってこられた経験を踏まえて戦後復興期のデザインの高等機関の動向についてのお話があった。休憩をはさみ、国立高岡短期大学名誉教授の小関紀也先生は、通産省産業工芸試験場および通産省検査デザイン課にご勤務になった時代を振り返り、当時の国のデザイン振興や政策の実態を明らかにされた。最後に、近畿大学九州工学部の学部長をかつて務められた曽根靖史先生が壇上に立たれ、東京芸術大学在学中の小池岩太郎先生を中心とした研究グループの様子やその後のGKインダストリアルデザイン研究所の設立経緯について語られた。
そのあと第二部のパネル・ディスカッションに移り、会場からの活発な質問に対してパネリストの先生方がそれに答えるといった形式で、予定時間を超えて熱気あふれる討論が繰り広げられた。とくに印象に残ったのが、戦後日本のデザインの歴史をどのような観点から区分するのがふさわしいかというテーマについてのディスカッションで、デザイン史研究者にとつても、デザイナーにとっても、大きな関心事になっていた。
残念なことに、デザインの戦後史を扱った研究はまだほとんどない。戦後日本の物質文化および視覚文化の形成にかかわって、デザイナーは何を考え、どのようなものを生み出してきたのだろうか。また大衆は、それをどのように受け止め、いかなる生活様式をつくり出してきたのだろうか。そうした文化の構造に介在するデザインの政治的、経済的、社会的、技術的意味と役割は、果たして何であったのだろうか。こうした問いに答えることがデザイン史研究者の今後の大きな課題として残されていることが、このシンポジウムをとおして明らかになったといえるだろう。
なお、各パネリストの講演内容の詳細は、『デザイン史学』(第三号、デザイン史学研究会、二〇〇五年、一〇九―一六一頁)に掲載されている。
(二〇〇四年)
図1 デザイン史学研究会主催の第2回シンポジウム「戦後復興期の日本デザインを語る」(2004年7月3日)のためのポスター。デザインは岸本留美子。
図2 シンポジウム風景。