中山修一著作集

著作集9 デザイン史学再構築の現場

第三部 デザイン史学を日本へ

第一話 〈海外報告〉英国におけるデザイン史研究の現状

学会事務局よりイギリスのデザイン研究の事情について話すようにとのご依頼がありましたので、本日は、したがいまして、そのへんのことについて少しお話したいと思います。

私がイギリスに滞在していましたのは、昨年の一〇月一日から今年の三月三一日までの半年間で、その後一箇月あまりヨーロッパ大陸を旅行して、四月三〇日に帰国いたしました。この留学はブリティッシュ・カウンシルの留学助成金によるものでした。したがいまして英国での私の研究は、すでにブリティッシュ・カウンシルに提出しておりました研究計画書に基づいたものでした。研究の目的は三つありました。ひとつは、一九世紀から現在に至る英国のデザインの幾つかの歴史的側面を調査することでした。二番目の目的は、英国のデザイン教育ならびにデザイン活動を見聞することでした。三つ目は、共訳も含めて現在進めている三冊の翻訳の仕事に関連して、その著者や関係者に会って、意見を交換することでした。

このような目的を達成するために、どのような大学や研究機関、あるいは専門家を訪ね、何について意見を交換したのかを、次にごく簡単にご紹介します。

まず、大学は王立美術大学(Royal College of Art = RCA)、レイヴェンズボーン・デザイン大学(Ravensbourne College of Design and Communication)、それにブライトン・ポリテクニック(Brighton Polytechnic)を訪問しました。RCAでは、文化史学科(Department of Cultural History)のクリストファー・フレイリング教授、シニア・チューターのジリアン・ネイラーさん、同じくシニア・チューターのペニー・スパークさんに個別に会い、デザイン史研究の現況について聞きました。また、インダストリアル・デザイン学科のスタッフの方やブルース・アーチャー教授とも面会し、デザイン教育の現状などにつきまして話を聞きました。レイヴェンズボーン・デザイン大学では、Industrial Design の著者であるジョン・ヘスケットさんとデザイン史研究の歴史などについて意見を交換しましたし、ブライトン・ポリテクニックでは、美術・デザイン史学科の先生たちと主としてデザインの歴史研究のあり方を巡って討論しました。

次に、デザインに関する美術館や研究機関に関しましては、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(Victoria and Albert Museum = V&A)、その付属施設でハマスミスにある美術・デザイン資料館(Archive of Art and Design)、デザイン・カウンシル(Design Council)、クラフツ・カウンシル(Crafts Council)、それにウィリアム・モリス・ギャラリー(William Morris Gallery)へしばしば足を運び、所蔵されている歴史的作品や文書記録を見るとともに、スタッフの方々からそれぞれの機関の歴史や機能について話を聞くことができました。

一方、デザインの学術団体や、デザインの振興団体や、デザインの職能団体とも接触する機会をもちました。デザインの学術団体としては、デザイン史学会(Design History Society)や全国美術・デザイン教育学会(National Society for Education in Art and Design)、それにウィリアム・モリス協会(William Morris Society)と接触をもちました。デザインの振興団体としては、デザイン・産業協会(Design and Industries Association = DIA)、ボイラーハウス・プロジェクト(Boilerhouse Project)、王立芸術協会(Royal Society of Arts = RSA)を訪ねましたし、デザイナーの職能団体としては、王立デザイナー協会(Chartered Society of Designers)を訪問しました。また、デザイン事務所はデザイン・リサーチ・ユニット(Design Research Unit)、建築事務所は、シェパード・ロブスン(Sheppard Robson, Architects)の事務所をそれぞれ見学しました。

最後に、翻訳の関係で個人的にお会いした人を列挙しますと、The Black Papers on Design の著者サー・ミッシャ・ブラックの未亡人である、レイディー・ブラック(ジョアン・ブラック)さん、The History and Philosophy of Art Education の著者、ステュアート・マクドナルドさん、Jane and May Morris の著者であるジャン・マーシュさんなどの方々でした。

以上述べましたことが、英国滞在六箇月間の私の大まかな足どりです。

それでは今日は、このような経験を踏まえまして、とくに、英国におけるデザイン史研究の現状に限りましてこれからご報告したいと思います。

英国においてデザイン史研究が本格的に進められるようになったのは一九七〇年代になってからのことであり、極めて新しい学問分野であるということができます。そして今日まで、デザイン史は、主としてポリテクニックや美術・デザイン系のカレッジにおいて、デザイナーになる学生を対象として教授される歴史的、理論的教育の一分野として機能してきました。もっとも、RCAはユニヴァーシティー・ステイタスをもつ大学院大学でありまして、ここの文化史学科では、実技系の学生に対してももちろんデザイン史の授業を開講していますが、独自の課程によるデザイン史家の養成が主たる目的となっています。このように独自にデザイン史家を養成する人材と設備をもっているところはRCA以外では、ブライトンをはじめとする二、三の有力なポリテクニックくらいでありまして、一般には、デザイン史の授業は、先に述べましたように、デザイナーを志す学生に用意されたものであります。したがいましてその内容は、学生たちが将来デザイナーになったときに直接役に立つことに配慮して、過去一〇〇年くらいの歴史に限られることが多いようです。端的にいえば、それはインダストリアル・デザインの歴史なのです。

それではなぜ七〇年代に入ってデザイン史の研究が急速に発展したのでしょうか。それについては、次のような二つの大きな要因が考えられると思います。そのひとつは、六〇年代に進められた美術・デザインの教育制度の変革という外的要因です。ウィリアム・コウルドストリームを議長とする美術教育国家諮問委員会はこの時期に一連の報告書を提出しますが、これにより英国では、美術・デザインの教育制度が大きく刷新されることになります。その特徴のひとつは、一言でいえば、デザイン分野の教育課程の大幅な導入とその確立にありました。背後には、質の高いデザイナー養成に対する社会的要求があったようです。いうまでもなく質の高いデザイナーを養成するためには、高度な技能だけではなく、幅広い知識や見識を学生たちに教授しなければなりません。このような理由から、順次、ポリテクニックやカレッジにデザイン史の専門家が職を得るようになり、一段とその研究も専門化し、急速に発展していくことになるのです。

デザイン史の学問的確立が七〇年代に要請されたもうひとつの要因は、内的な要因でありました。少なくともこの時期までは、社会で活躍しているデザイナーも、大学で学生にデザインを教える教師も、大筋では、近代デザインの教義を揺るぎないものとして確信していました。しかし、大学紛争は、デザインは一体誰のためのものかを再考させる契機を学生たちに与えました。また、ポップ・デザインの登場は、デザインにかかわる多くの人たちに、機能主義デザインに対して少なからぬ疑念を抱かせるようになりました。このような社会的状況にあって、デザインについてこれまで保持されていた確信があらゆる意味で揺らぎはじめ、デザイナーや教師や学生のあいだに、確かなものを求める機運が高まっていくのです。つまりこの時期において、自己の存在理由を再発見するうえから、デザインの歴史のとらえ直しは、不可避のものとなっていったのであります。

以上が、デザイン史研究が英国で注目を浴びるようになった大まかな理由なのであります。

ところで、デザイン史研究の場合、その歴史がいま述べましたように十数年と極めて短いために、現在デザイン史家として活躍している専門家のそれまでの経歴もさまざまであります。美術やデザインの実践や、建築や工芸の歴史をバックグラウンドにもつ人もいますし、経済学や社会学をもともと専門にしていた人もいます。またなかには、科学や技術の分野からデザイン史に転向した人もいます。日本でその名前がよく知られている歴史家を例に挙げますと、Bauhaus(邦訳題『バウハウス』)の著者のジリアン・ネイラーさんは雑誌 Design の編集に携わったことのあるジャーナリスト出身です。また、ジョン・ヘスケットさんは、大学では経済学を勉強し、都市計画、編集出版、中学校教師などを経験したのち、デザイン史を専攻しています。このように四〇代の後半から五〇代の歴史家の多くは、それぞれにさまざまなバックグラウンドをもってデザイン史の研究に進んできた人たちなのです。それに対して、四〇歳前後の若手の歴史家は、デザイン史研究の歴史とともに歩んできた世代の人たちで、デザイン史研究のまさに申し子ともいえる存在です。このグループのなかで最も活躍している研究者には、Design in Context をはじめとしてすでに多数の著作を発表しているペニー・スパークさんや、その旺盛な執筆活動だけではなく、ボイラーハウス・プロジェクトのディレクターとしても盛んに注目を集めているスティーヴン・ベイリーさんなどがいます。

さてそれでは、この十数年のあいだに、デザイン史研究はどのように発展してきたのかを改めて振り返ってみたいと思います。

一般的にいって、ひとつの学問分野が自立し、組織的な研究が進むためには、関係する文献の整備が常に必要となります。デザイン史の場合も例外ではありません。このような学問的要請を受けて、一九七九年に、A Bibliography of Design in Britain 1851-1970 がデザイン・カウンシルより出版され、続いて、一九八四年に、The Penguin Dictionary of Design and Designers が世に出ました。前者は、大博覧会が開催された一八五一年をひとつの目安として、それから現代までの範囲内で、運動、理論、教育はいうに及ばず、色彩や装飾の問題から技術的、社会的、経済的要因に至るまで、デザインに関するすべての文献を整理したものです。一方後者は、デザインの意味を一九世紀以降のいわゆるインダストリアル・デザインに限定せず、ルネサンスにさかのぼってデザインの事象とデザイナーを収録した画期的な事典です。このふたつの本の出版により、デザイン史家は多大な恩恵を受け、デザイン史研究は一層本格化することになりました。その後に出版されたデザイン史関係の本を見ると、たいていの場合その巻末の参考文献案内において、この二冊の本の重要性が明記され、紹介されているほどです。

ところで、いまご紹介しました二冊はどちらかといえば専門家向けの文献案内の図書に属しますが、最近、初学者としての学生向けのものも出版されるに至りました。それは昨年刊行された、ヘイゼル・コンウェイ編のDesign History - a Students’ Handbook という本です。ここではデザイン史が八つの分野に細かく分かれています。ちなみにそれらの分野を挙げてみますと、「デザイン史基礎」「服飾とテキスタイルの研究」「セラミック史」「家具史」「室内デザイン」「インダストリアル・デザイン」「グラフィック・デザイン」「環境デザイン」の八つです。そして、それぞれの分野について個々の専門家が、研究上の問題の所在、研究の方法、文献の紹介にあたっています。学生がデザイン史をはじめて学ぶ場合や卒業論文を書く場合、この本は極めて有効な役割を果たすものと思われます。

さて、デザイン史が発展する過程においてどのように文献が整備されてきたかを簡単に述べてきましたが、次にデザイン史の学術団体であるデザイン史学会のこれまでの活動について少し触れてみたいと思います。

ひとつの研究分野が開拓され、共通の学問的興味をもつ専門家が増えてくると、自然発生的に研究グループができるのは、当然の成り行きであるといえます。英国では、「デザイン史学会」という名称のもとにひとつの学会が正式に創設されました。それは、ほぼ一〇年前の一九七七年のことでした。その母体となったものは、「デザイン史研究グループ」(Design History Research Group)という小さなグループだったそうです。ところで、デザイン史学会のパトロンのひとりに、亡くなるつい最近まで、『第一機械時代の理論とデザイン』の著者であるレイナー・バナムが名を連ねていました。もっとも彼は、一九七六年にアメリカに渡っていますので、学会の間接的な生みの親ということになります。これまでこの学会は年次大会の開催と年に四回の会報(Newsletter)を刊行してきました。年次大会では、ひとつのテーマのもとに論文が提出され、討論がなされてきました。そして、提出された論文は、デザイン・カウンシルからひとつの冊子にまとめられ、市販されています。テーマだけでも、幾つかここにご紹介しますと、一九七九年の第二回年次大会のテーマは、「デザインと工業――工業化と技術的変化がデザインに及ぼした影響」というものでした。また一九八四年には、「スピットファイアからマイクロチップまで――一九四五年以降のデザイン史研究」というテーマで年次大会が開かれています。「スピットファイア」とは、第二次世界大戦中に英国空軍が使用していた単座戦闘機のことです。一方、会報には、学会の動き、デザイン一般に関する今後のイヴェントの案内、書評、文献の紹介などが掲載され、会員に便宜を図っています。会員の多くは、イギリスで活躍している歴史家ですが、アメリカ、イタリア、オーストラリア、カナダ、ハンガリーなどの海外の研究者も含まれています。自国にいまだデザインの歴史に関する学会が整備されていないことが理由のひとつなのかもしれませんが、デザイン史の学問的性格からして、この学会自体が、インターナショナルなものになることを目指しているのも確かです。ところで、創設以来一一年目を迎える今年は、この学会にとって大きな記念すべき年になりました。といいますのも、念願の学会誌をオクスフォード大学出版局から創刊することができたからです。この創刊号の巻頭で、編集委員会を代表して、ウルヴァハンプトン・ポリテクニックのクリストファー・ベイリー氏が次のように述べています。「学会誌の目的は、ひとつの新しい学問を高らかと要求することではなく、学問領域を成立させんがための努力を行なうことである。討論の場が用意でき、……論議のための中心となる土壌を育ててゆくことは、私たちの喜びとなろう」。こう述べて、学会誌の創刊を祝福しています。これによって、デザイン史学会も、やっと大人の学会に仲間入りしたといえるのではないでしょうか。また、これまでに至る一〇年間の学会活動は、デザインの歴史的研究の充実へ向けて少なからぬ貢献をなしてきたものと想像されます。

次に、ボイラーハウス・プロジェクトの展覧会活動を取り上げ、それがデザイン史研究の推移にあたってひとつの大きな役割を演じてきたことを見てみたいとと思います。

ボイラーハウス・プロジェクトとは、コンラン財団の理念を具体的に執行してゆく実行機関です。それではまず、コンラン財団から少し説明します。それは、産業とデザインの関係をより一層活性化させる目的で、一九八一年にテランス・コンラン氏によって創設されたものであります。コンラン氏自身、ロンドンの中央美術・デザイン学校でテキスタイル・デザインを学び、デザイナーとして活躍した経験をもち、現在では、世界の主要国でチェーン店を展開する家具の店「ハビタ」をはじめ、幾つもの企業のオーナーの地位にある、英国では立志伝中の人物です。ところで、コンラン財団が創設されるや、そのディレクターの職に、それまでケント大学でデザイン史を教えていたステーヴン・ベイリー氏が就くことになりました。一九五一年生まれの彼は、したがって、三〇歳になるかならないかの若さで、ディレクターに就任したことになります。しかしそのときまでに、彼は、デザイン・カウンシルから、In good Shape という、まさに二〇世紀の工業製品の基本台帳と呼ぶにふさわしい本を出版しており、デザイン史家としてのその能力は高く評価されていたのでした。

さて、ボイラーハウス・プロジェクトの活動は主としてこれまで、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館を拠点とした展覧会活動でした。幾つかの展覧会のタイトルとして、「メンフィス」「売るためのイメージ」「コーク」「テイスト」「イッセイ・ミヤケ」「ソニー」などを挙げることができます。これの展覧会に共通している特徴は、私たちを取り巻いている文化状況を、産業と商業と大衆の三者が生み出した結果としてとらえることによって、そのような文化構造のなかでのデザインのもつ役割の重要性を、ひとつの教育的価値として展示したことでした。同時に、それぞれの展覧会に応じて刊行された、ステーヴン・ベイリー氏自身の執筆による詳細なカタログも、大変注目を集めました。その理由はひとつには、単にものを扱った図録ではなく、デザインが生まれるまでの詳しいプロセスをその間に影響を与えた社会的、経済的、技術的要因に照らして解説し、例証していたからです。ボイラーハウス・プロジェクトが企画した展覧会は、テーマの選定のうえからも、またカタログの編集のうえからも、旧来の展覧会にみられない斬新なものでした。それはまさしく、デザイン史の方法論にのっとった、視覚的な展開だったわけです。デザイン史研究の場合、実際のものに直接触れることに勝る勉強はありません。そのような意味で、ボイラーハウス・プロジェクトはデザイン史研究の発展に大きな貢献をなしえたといえるのではないでしょうか。来年の春には、ボイラーハウス・プロジェクトの本拠地ともいえる「デザイン・ミュージアム」(The Design Museum)がいよいよ完成します。さらなる活動が、デザインにかかわる多くの人たちから、期待が寄せられているところです。

これまでに見てきましたように、文献が整備され、学会活動や展覧会活動が活発になってゆきますと、当然その研究成果が具体的に現われてきます。八〇年代に入るやいなや英国では、デザイン史に関する図書がまるで洪水のように出版されてきたといっても過言ではありません。そこで、一九世紀から現在に至るデザインの歴史の全体的な構図を見るうえで最も参考になると考えられる数冊を出版年代順にここに紹介したいと思います。

John Heskett, Industrial Design, Thames and Hudson, 1980
Stephen Bayley, et al., Twentieth Century - Style & Design, Thames and Hudson, 1986
Adrian Forty, Objects of Desire - Design and Society 1750-1980, Thames and Hudson, 1986
Penny Sparke, An Introduction to Design & Culture in the Twentieth Century, Allen & Unwin, 1986
Penny Sparke, Design in Context, Bloomsbury, 1987

代表的なデザインの通史を紹介しましたが、もちろんモノグラフによる詳細な研究も進められてきています。また同時に、英国の歴史家は、自国の歴史だけではなく、海外の歴史にも積極的に目を向けています。主として、アメリカ、ドイツ、イタリア、スカンジナヴィア諸国、日本などがその対象となっています。デザイン史の全体像をよりよく理解するためには、これらの国々のデザインの発展過程を無視することはできないからです。とにかくこのようにして、デザイン史の研究成果が、この数年になって明確なかたちをなして現われてきたのでした。

さてそれでは、このようなデザイン史家にほぼ共通に理解されているデザイン史研究における方法論とはどのようなものなのでしょうか。次にそのことについて少しお話をしたいと思います。

それは、一言で大雑把にいってしまえば、ニコラウス・ペブスナー流儀の歴史叙述の否定といいますか、少なくとも、それからの脱却を意味します。すでにご承知のように、ペブスナーは『モダン・デザインの展開』のなかで、近代運動を、アーツ・アンド・クラフツ運動、アール・ヌーヴォー、および工学技術の三つの源泉から説明しています。また、『美術・建築・デザインの研究(Ⅱ)』という本の「二〇世紀研究」の部分では、わずかにフランク・ピック、ゴードン・ラッセル、それとDIAについて触れられているにしかすぎません。デザイン史研究が胎動するまでは、近代デザインを信じる多くの人たちが、ペブスナーに影響を受けてデザインの歴史をイメージしていました。それはおおよそ次のようなものでした。一九世紀中葉にコウル・サークルのデザイン改革と並行してウィリアム・モリスを中心としたアーツ・アンド・クラフツ運動が英国で起こり、その成果がアール・ヌーヴォーを開花させるとともにドイツ工作連盟に影響を与え、最終的にバウハウスにおいて近代デザインが成立するに至った。一方、ドイツの業績は英国に移入され、DIA、それに続くインダストリアル・デザイン協議会(Council of Industrial Design = COID、現在のデザイン・カウンシル)による啓蒙運動によって近代運動は定着していった。おそらくこれが、つい最近まで多くの人が描いていた、近代デザインの図式だったのではないでしょうか。しかし、この図式には幾つかの欠陥があることがわかってきました。つまりこの図式は、近代デザインの思想の歴史、ないしはその啓蒙運動の歴史の一部にすぎず、デザインそのもの、すなわち工業製品が現実的に姿を現わすうえでのさまざまな要因から歴史を見る視点が欠落していたのです。ペブスナー流儀の歴史叙述には、実際にデザインに影響を及ぼしている経済的、社会的、技術的、政治的側面からデザインを検証するアプローチに欠けていたのでした。その欠落していた視点を補う意味で、一九八〇年に出版されたジョン・ヘスケットの Industrial Design(邦訳題『インダストリアル・デザインの歴史』)は画期的なものでした。というのも、いちはやくペブスナーにみられる美術史的な記述から脱却し、先に述べたさまざまな側面から工業製品の進化の過程を実証していたからです。そしてそれ以降、経済的、社会的、技術的、政治的観点からデザインに接近する方法論が、さらに一般化することになったのであります。

ところで、その明快な証左を、RCAの文化史学科の三つの課程のなかのひとつである、「V&Aとのジョイント・コース」の教育方針に求めることができます。この課程は、V&Aの協力のもとに開設されている、デザイン史家を養成する二年間の修士課程です。その課程内容を記した「概要」には、三つ教育目標が掲げられています。ひとつは、「デザインの理論」(Theories of Design)です。理論やイデオロギーがデザインの実践にどうかかわったかを理解するためのものです。次は、「社会的および経済的文脈」(Social and Economic Contexts)です。デザインが生み出されるにあたっての政治的、社会的、経済的要因を検証することが目的になっています。最後の三番目の目標が、「製品――技術と形態」(The Objects: Technology and Form)です。ここではV&Aに所蔵されている歴史的な作品を通して、素材や構造や加工技術がものの形とどのようにかかわっているかを実地に学ぶ機会になっています。極めて簡単に述べましたが、以上がこの「ジョイント・コース」の教育上の指針となるものでありまして、これに基づき、デザイン史家が養成されているのです。したがいまして、RCAの文化史学科では、デザインの歴史を見る視点として、政治、経済、社会、技術などのさまざまな文脈からのアプローチが不可欠になっていることが、ご理解いただけるものと思います。最近のデザイン史研究の代表的な成果として、先にご紹介しました数冊の本も、もちろんこうした方法論にのっとって、デザインの歴史が叙述されているのです。

以上が、今日私が用意してきました報告です。デザイン史の学問的確立を要請した要因、デザイン史研究のこの一〇年間の歩みと成果、デザイン史家のあいだで現在一般に承認されているデザイン史研究の方法論、この三つの観点から英国におけるデザイン史研究の現状についてお話しました。ご清聴ありがとうございました。

(一九八八年)

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図1 ウィリアム・モリス・ギャラリーの正門(1987年)。

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図2 正面から見たウィリアム・モリス・ギャラリー(1987年)。

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図3 裏庭から見たウィリアム・モリス・ギャラリー(1988年)。

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図4 ウィリアム・モリス・ギャラリーの展示室(1)(1987年)。

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図5 ウィリアム・モリス・ギャラリーの展示室(2)(1987年)。

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図6 ウィリアム・モリス・ギャラリーの図書室(3階)。ドアの奥が作品収蔵室(1987年)。

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図7 ウィリアム・モリス・ギャラリーの作品収蔵室(1987年)。

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図8 1988年3月24日のウィリアム・モリスの誕生日会。ケーキに入刀している中央の男性(地元のメイヤー)の右(女性)がウィリアム・モリス・ギャラリーの館長のノーラ・ジロウで、左(男性)がウィリアム・モリス協会の会長のレイ・ワトキンスン。

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図9 デザイン・リサーチ・ユニット(ミッシャ・ブラックとミルナー・グレイによって創設されたデザイン事務所)の1988年当時のオフィス内部の様子(1)。

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図10 デザイン・リサーチ・ユニット(ミッシャ・ブラックとミルナー・グレイによって創設されたデザイン事務所)の1988年当時のオフィス内部の様子(2)。

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図11 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(1988年)。

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図12 王立美術大学の本館(ダーウィン・ビルディング)(1988年)。

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図13 王立美術大学の本館入口(1988年)。

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図14 王立美術大学の階段教室(1987年)。

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図15 王立美術大学インダストリアル・デザイン学科の製作室(1)(1988年)。

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図16 王立美術大学インダストリアル・デザイン学科の製作室(2)(1988年)。

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図17 王立美術大学文化史学科の建物(1988年)。

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図18 王立美術大学文化史学科の講義室(1)(1988年)。

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図19 王立美術大学文化史学科の講義室(2)(1988年)。

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図20 デザイン・カウンシル1階のデザイン・センター(リニューアル工事中)(1988年)。

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図21 デザイン・カウンシルの受付ロビーの一角(1988年)。

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図22 デザイン・カウンシルのピクチャー・ライブラリーの入口(1988年)。

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図23 ピクチャー・ライブラリーのスタッフたち(1988年)。

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図24 ピクチャー・ライブラリーの資料閲覧用テーブル(1987年)。

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図25 美術・デザイン資料館(Archive of Art and Design)(1988年)。

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図26 美術・デザイン資料館に所蔵されているミッシャ・ブラックに関する資料の一部(1988年)。

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図27 建設中のデザイン・ミュージアムの仮事務所の壁面(右上が完成予想図)(1987年)。

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図28 デザイン・ミュージアムの建設現場(1987年)。

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図29 クラフツ・カウンシルの入口上部のディスプレイ(1987年)。

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図30 クラフツ・カウンシル内部の作品展示(1)(1987年)。

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図31 クラフツ・カウンシル内部の作品展示(2)(1987年)。

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図32 王立デザイナー協会(Chartered Society of Designers)とデザイン・産業協会(Design and Industries Association)の本部がある建物(1988年)。

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図33 自宅でインタビューに応じるライリー卿(ポール・ライリー)(1987年)。

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図34 自宅でインタビューに応じるジャン・マーシュと夫のハリー・マーシュ(1988年)。