地下水を汲み上げる水中ポンプが故障したのは二〇二一(令和三)年二月のことでした。三箇月間、給水が止まり、近くの湧水トンネル公園まで水汲みに通いました。あれからちょうど二年が立ちました。あのときの苦労が蘇ります。
水が使えなくなるのは、ポンプの故障だけではありません。停電によってもポンプは止まります。水が止まれば、たちどころに生活は麻痺します。まさしく水はいのちなのです。
この二年間、毎日温泉に行くため使用することのない浴槽に、常に水を入れておくように心がけてきました。非常時のトイレの水に使うためです。また、五リットルのペットボトル六本には、湧水トンネル公園の湧き水を一箇月ごとに入れ替え、断水時の飲料水として備えてきました。
最近では、二リットルのペットボトル四本にも湧水トンネル公園の湧き水を入れ、毎日小さなペットボトルに移し替えながら、車のなかや室内で飲むための水として使っています。何といっても、ここの水はおいしいのです。
このトンネルは、旧国鉄時代に高森と高千穂を結ぶ鉄道トンネルとして掘削された遺跡で、いまは公園として整備されています。何でも掘削の途中で出水事故に見舞われ、そのことが要因となって工事を中断へと向かわせたようです。毎年七月には「七夕まつり」が、一二月には「クリスマスファンタジー」が催され、高森町の観光スポットになっています。
その一方で、このトンネルは、潤沢な湧き水を放出する、貴重な水供給の場となっています。日々おいしい水を求めて、町民はもとより、県外ナンバーの車も見かけます。平時、災害時にかかわらず、いうまでもなく水源は、人の暮らしに欠かせない、なくてはならないありがたいものなのです。
(二〇二三年二月)
この土地に暮らしはじめて、一〇年になろうとしていますが、この間感じたことは、「いただき物を分け合う」という、習慣といいますか、住民感情が残っていることでした。私のような他の土地から移住してきた者に対しても、日ごろ接して話をする間柄になると、ときとして「おすそ分け」にあずかることになります。これまでに、新たに知り合った土地の人たちから、庭で採れた野菜、手づくりのお惣菜、それに、お茶やしょうゆやお菓子などの周りから贈答された物、そうした品々を数えきれないくらい、分け与えてもらいました。
先日のことです。最近温泉でよく話すようになった、私よりひとつ年配の方から、「ちょっとうちに寄りませんか。もらい物のイチゴがあるので」と、声がかかりました。温泉を出ると、彼の車の後ろにつけて、すぐ近くの自宅に到着しました。なかに上がって部屋を見せてもらい、外に出て、畑や工作納屋などを案内してもらいました。イチゴは、お隣りのイチゴ園からいただいた品だったようです。
ちょうど私のところに、知り合いからお礼の品としてたくさんのミカンが届いていましたので、明日、それを何個か持って行こうと思いました。
(二〇二三年三月)
知り合いからつくね芋をいただきました。山芋はときどきスーパーで買って、すりおろしたり、お好み焼きに入れたりして食べていましたが、その仲間であるつくね芋は、私にとって珍しい食材でした。その形に、驚かされました。ラグビー・ボールに似た楕円形で、長さが二〇センチくらいある、巨大な芋でした。三個もらったので、二個はそれぞれ、いつも物をやり取りする友人の所に持って行きました。
さあ、どう料理をするか、山芋と同じではなく、何か別の料理法はないか、ネットで調べてみました。するとそこに、つくね芋の天ぷらが紹介されていました。ボールを用意し、食べたい量のつくね芋をすりおろし、そこに適量の小麦粉と卵と調味料(赤酒、白だし、お醤油)を加えて、よく混ぜます。フライパンの油が適温になったところで、適当な量(この日は、食べやすい形の四個)に分けて、投入します。色がつき、ちょうど小さ目のコロッケのような感じになります。器に盛り、さっそく食しました。「おいしい」という言葉が、つい口から漏れ出てきました。中のまろやかなやわらかさ加減と、外の適度の歯ごたえがあるシャキシャキ感とが、絶妙のマッチングで口のなかで溶け合い、うれしい悲鳴になったのでした。
ほぼこれと同じ時期のことです。別の知り合いから、「一文字のぐるぐる」をいただきました。この料理は、熊本地方独自の郷土料理です。小さいころに母親がつくってくれた記憶が残っていました。しかし、高校を卒業すると同時に県外に出たので、それ以降これまで、一度も食すことはありませんでした。そのようなわけで、何と六〇年以上ぶりに、この日「一文字のぐるぐる」と対面したのでした。
一文字(ひともじ)とは、ねぎの一種であるわけぎの別称です。「一文字のぐるぐる」は、一文字をゆがいて、上の緑色の葉を、そのまま根本の白い部分にぐるぐると巻き付けるだけの、いたって簡単な一品です。お酒にも合い、酢味噌でいただきます。白と緑の色合いがよく、ゆで加減にもよりますが、比較的やわらかく、やさしい食感があり、とろりとした汁のほどよい甘みが、酢味噌と絡み合いながら口のなかで広がります。一文字は、冬を越したいまが旬で、春の到来を感じさせるこの季節の食材なのです。
この日は、いただいた一口大の七、八個の「一文字のぐるぐる」と、別につけられていた、同じくお手製の酢味噌が、主役として私のテーブルに並びました。かつての母親の料理を思い出し、あわせて、幼いころの自分に再会したひとときでした。
ある日のこと、ちらし寿司と高菜の和え物と大根の煮物をいただきました。製作者は、そろそろ八〇歳になろうかという「お母さん」です。私の年齢からすれば、数歳離れた「お姉さん」といったところでしょうか。一度もお会いしたことはなく、別の方が、いつも手渡してくださいます。話を聞くと、この高齢の女性は料理が好きで、周りの人に分け与え、おいしく食べてもらうことが何よりの喜びとなっているようです。
この日は、いただいた三品にあわせて、私独自の茶わん蒸しをつくりました。以下は、そのレシピです。五分もあればできる男料理です。 (1)私の場合は、ラーメンやチャンポンに使うどんぶりを用意します。 (2)たまごを割って、よくかき混ぜます。そのなかに、適量のだし、赤酒、醤油、砂糖を入れ、どんぶりの六、七分目くらいになるまで水を加えて、再び全体をよく混ぜ合わせます。 (3)その上に、具を載せます。私は、茹でたほうれん草、えのきやしいたけ、あげやちくわなどをよく使います。 (4)ラップをして、左右に少し隙間をつくって、電子レンジでチンします。
これででき上がりです。さっそく、ちらし寿司、高菜の和え物、大根の煮物、そして、茶わん蒸しをテーブルに並べました。豪華な和の勢揃いです。格別のおいしさでした。
あいだに入って手渡してくださる方にお礼のメールを差し上げました。その返信には、「春の御膳ができたのですね」という言葉が添えてありました。旬の食材を使った季節感あふれる手料理を食べられるのも、田舎生活のおかげでしょうか――しみじみとそのありがたさに触れた、三月ある日の夕べでした。