中山修一著作集

著作集13 南阿蘇白雲夢想

第四部 日々好々万物流転(随筆集)

第三話 南阿蘇に魅せられて

阿蘇南郷谷の東端に位置する高森町を私がはじめて訪れたのは、高校二年の終わりの春休みだった。友だち数人とのお別れ遠足といった感じで、鍋の平キャンプ場に行った。そこで遭遇したのが、眼前に迫りくる阿蘇五岳のひとつ、根子岳であった。一瞬にしてその凛とした力強さに魅了されてしまった。月日が流れ、一九九二(平成四)年の暮れに、色見の奥の牧野道を上ったところの一区画に小さな山荘をつくった。それ以降、春や夏になると、この地でしばしの休暇を楽しみ、ふたりの幼い子どもたちは虫や花を求めて庭先を駆け巡った。

二〇一三(平成二五)年の三月、私は三九年間勤務した神戸大学を定年により退職した。一年目は四季を通じてのお試し山荘暮らしにあてた。二月の豪雪には確かに閉口した。それでも意を決して少しばかりの増築を行ない、二年目の暮れに神戸を離れこの高森町に引っ越してきた。すると今度は降灰である。夢に見た新生活はどんどん遠のいていく感じがした。やっと一息つけたのは昨年の秋ころからであろうか。しかしそれもつかのま、今年(二〇一六年)の四月一四日と一六日、突如として熊本を大きな地震が襲い、普段の生活が一変した。そうしたなか、同じ新聞部だった廣島正さん(昭和四二年卒業同期三年一〇室)から電話があり、震災の体験を寄稿してほしいという依頼であった。聞くと彼は、宮崎眞由美さん(同期三年一一室)の取材の協力を得て、季刊の総合文化誌『KUMAMOTO』の編集責任者をしているという。いまだ厳しい生活環境のなかにあったものの、自分自身の記録として文字で残しておきたいという気持ちもあり、阪神・淡路大震災と熊本地震の経験を内容とした「二度の震災に遭って思う」と題する原稿を書き上げ、送付した。

それから一週間くらいが立った五月一一日の未明、今度は激しい胸痛が私を襲い、済生会熊本病院に緊急入院した。心筋梗塞だった。冠動脈の一箇所にステントを留置し、幸い一命はとりとめた。退院後は、体力や気力にかかわる活動能力がこれまでの六、七割程度にまで低減した超低速生活を強いられることになった。四級の身体障害者手帳が交付された理由もそこにあった。かつて現役最後の年(二〇一二年)の八月に神戸大学の付属病院でガンにより前立腺を全摘出していたこともあり、それに続く今回の疾病は、あってはほしくないが、何か今後さらに過酷な病の発症を予感させるに十分な出来事となった。

地震から四箇月が過ぎたある日、隣の南阿蘇村に住む村上建徳さん(同期三年一室)から電話があった。内容は、高森町在住の私中山修一(同期三年二室)と堤泰宏さん(同期三年八室)、高森町に実家のある菅原州一さん(同期三年七室)、最近南阿蘇村に引っ越してきた橋本正博さん(同期三年六室)と、それに自分を加えた同期の五人で一杯飲もうという話であった。阿蘇南部江原会の会長で南阿蘇村在住の牧野雄二先輩(昭和三五年卒業、熊大名誉教授)もゲストとして出席され、計六名が、八月二一日に南阿蘇村久石の蕎麦茶屋「山さくら」に参集した。橋本さんは、四月一三日に関西からこちらに引っ越してきて、翌日地震に見舞われていた。ほかの五人は、地震の四日前の四月一〇日に、南阿蘇村中松の藤本康子先生(昭和四四年卒業、藤本医院院長)の病院のお庭を借りて和気あいあいと阿蘇南部江原会の恒例の「春の宴」を楽しんでおり、地震後最初の再会となった。

私は、定年の数年くらい前から、退職後は、栄華の巷を低く見て、阿蘇の山中に隠遁、蟄居をし、ウィリアム・モリスと富本憲吉にかかわる論考を引き続き執筆する学究生活に憧れを抱いていた。しかし、いまだそれが遮断されたままとなっている。現在執筆中のテーマは「富本憲吉と一枝の近代の家族」である。周知のとおり、富本憲吉は、一九世紀英国のデザイナーで、詩人で、政治活動家でもあったウィリアム・モリスの思想に影響を受けた近代日本を代表する陶芸家のひとりであり、その妻の一枝は青鞜社の一員として出発した日本の女性運動の先駆けとなった人物である。現役の期間中に、「緒言」以下「第一章 富本憲吉と尾竹一枝の出会い」「第二章 一枝の進路選択と青鞜社時代」「第三章 憲吉の工芸思想と模索的実践」「第四章 憲吉と一枝の結婚へ向かう道」の四章については脱稿し、私のホームページ「中山修一著作集」にも掲載している。残りは「第五章 安堵村での新しい生活」「第六章 千歳村での生活の再生」「第七章 離別とそれぞれの晩期」の三章である。完成することを密かに待ち望んでいる人がいる。その最初の読者に届けるために、たとえいかなる超低速生活のなかにあっても、着実に筆を進めなければならない。研究者としての残された命を、あたかも阿蘇の火柱のごとくに、真っ赤に燃やし続けながら――。


【初出:「南阿蘇に魅せられて」『卒業50周年記念誌』(熊本県立熊本高等学校 昭和42年[高19回]発行)2017年5月、58頁。】