私は大学に入学するまで熊本市で生まれ育った。そして、奉職した神戸大学を定年退職すると、阿蘇郡高森町の山奥の庵に蟄居し、いま自然回帰の生活を楽しみながら執筆活動に専念している。この間、小さいときは両親に連れられて、成人してからは家族と一緒に、よく阿蘇の温泉に出かけた。地獄や垂玉などの古くからの温泉旅館へ行くと、よく母親が自分の子どものころに来たときの様子をなつかしく話していた。そうした記憶をたどるように、高森に住むようになって以降は、近くの温泉施設でゆっくり朝風呂に入るのが、ほぼ日課となった。心も体も生き返る。さらにそのうえに、稚拙な詩歌の片々も口をつく。
小雨が降る降る 湯舟をたたく
阿蘇の五岳に わが身をゆだね
流れた月日を 愛しむように
いつか夢見た 御神火の里
およそ二七万年前から今日に至るまで永久の火山活動を続ける阿蘇火山。この火山活動とともに暮らしてきた地域の人びとにとって、温泉は、自然からの大きな贈り物であった。現在の南阿蘇村は、長陽村、久木野村、そして白水村の三村合併によって二〇〇五(平成一七)年に誕生した。旧長陽村が前年に発行した『長陽村史』のなかでは、「火山の恵み」という表題のもと、温泉にかかわって、こう記述されている。「長陽村には湯の谷、地獄・垂玉・栃木など多くの温泉が古くから自噴していたが、その熱源は一様ではないようである。また、一つの温泉でも、掘削深度によって泉質や温度にも違いがあり、複雑である。この付近の温泉は、中央火口丘から地下に浸透した雨水が、地下深部の高温の岩体を通って上昇してくる熱とガスによって加熱され、同時に周囲の岩体の中に一つの温泉水の貯留槽ができているらしい。さらにこの貯留槽からの蒸気やガスによって、地表近くの地下水が温められ、いくつかの成分を持った温泉水が形成されているようである」。
寝湯に身を伸ばす
湯煙が風に舞い上がり
色づいた山の葉と戯れながら
灰色の雲に吸い込まれていく
さらに各温泉の特徴について、『長陽村史』は、次のように紹介する。湯の谷温泉は「中央火口丘群西麓の中腹にあって、古くから開かれた温泉である。湯の谷の、温泉としての歴史は十四世紀ころから始まる。……泉質は単純硫化水素泉で、中岳の活動との関係性が指摘されていることから、熱源は中岳のマグマとの関係が大きいと考えられる」。一方、地獄温泉は「標高約七百メートル、夜峰山の爆烈火口内にある。発見時期は明らかではないが、江戸時代ごろから湯治場として栄え、現在の宿は天保三年(一八三二)、岩本徳三によって創設された。元湯は九〇度の単純酸性硫黄泉、雀の湯は四二度の硫化水素泉である」。
この地の湯治は、江戸時代中期ころからはじまり、当初は、藩士以上の高級武士か一部の僧侶にしか利用の機会が与えられていなかったらしい。その後主として農民が、農閑期にあって二、三週間長期に滞在し、疲れた体を休め、持病の回復にも努めた。温泉を利用したこうした湯治は、治癒力や免疫力を高め、当時の人びとにとって、なくてはならない「火山の恵み」としての医療手段であった。温泉が観光やレジャーの一部となっている現代にあっては、忘れかけられているかもしれないが、ひと昔前までは、自炊のための食料や日用雑貨を荷馬車に積んで、宿に通じる山道を上る人たちの姿が見受けられたという。
昇りゆく朝日に照らされて 露天風呂
森羅万象 すべての命が蘇える
ああ この世のよろこびよ
続けて『長陽村史』は、こう書き記す。垂玉温泉は「標高約六百七十メートル、疑獄温泉の北西側にある。天正年間(一五七三~一五九二)、ここに金龍山垂玉寺という観音堂があったと伝えられており、このころから温泉の利用がされていたと考えられる。現在この観音堂は袴野に再興されており、千手観音像が祀られている。泉質は単純硫黄泉である」。最後に栃木温泉については、「白川の谷に沿い、鮎返りの滝や北向山の原生林などが望める風光明美な場所にある。寛文四年(一六六四)の発見といわれ、阿蘇でも由緒ある温泉とされている。炭酸水素塩泉である」。
女湯と男湯を隔てる笹垣に
交わって
さざんか二輪が咲いていた
それではここで、南阿蘇村温泉旅館組合発行の冊子『南阿蘇の温泉』のなかの記述内容をもとに、泉質について少し説明しておきたい。泉質にかかわらず、温泉には入浴そのものによる身体への効能が広く認められており、たとえば、神経痛、筋肉痛、関節痛、疲労回復、健康増進などがそれに相当し、「一般適応症」と呼ばれている。それに加えて、温泉のなかでも医学的に「薬理効果」が認められているものを「療養泉」といい、「療養泉」の泉質は、主成分によって幾つかに分けられる。例を挙げると、「単純泉」は、含有成分の量が一定量に達していないために刺激が少なく、万人向けであると同時に、脳卒中のリハビリなどにも利用されている。「硫酸塩泉」は、血管を拡張して血液の流れを促進する作用があるため、高血圧症や動脈硬化症の予防に効果があるといわれている。「炭酸水素塩泉」は、皮膚の表面を軟化させる作用があり、皮膚病ややけど、切り傷によいとされている。「硫黄泉」は、固ゆで卵のような硫化水素特有の匂いが特徴で、解毒作用があるために、金属中毒や薬物中毒にも利用され、慢性の皮膚病や関節疾患への効能も指摘されている。「酸性泉」は酸味があり、抗菌力に優れているため、皮膚病や婦人病に適している。
露天の寝湯に 身を伸ばし
朝寝楽しむ 冬の阿蘇
閉じた瞼に 光射し
白雲夢想 消えにけり
東西約一八キロ、南北約二五キロ、面積約三五〇平方キロメートルの世界最大級の規模を誇る阿蘇カルデラ。いまなお噴煙を上げる中岳を中心に、東に根子岳、高岳、そして西に烏帽子岳と杵島岳の阿蘇五岳。この阿蘇五岳と南外輪山に挟まれた、肥沃な大地と豊潤な水資源に恵まれた南郷谷。この地に地獄温泉、垂玉温泉、栃木温泉といった昔からの温泉場があり、老舗旅館がその伝統をいまに伝える。その一方で、南阿蘇村と高森町で構成されるこの南郷谷には、近年開設されたさまざまな個性をもつ公共温泉場や温泉センター、加えて温泉宿泊施設が幾つも点在する。その魅力は、何といっても、宿や施設によってそれぞれに異なる泉質の多様性にあるだろう。この多彩な泉質こそが、何度来ても飽きることなく楽しめる南郷谷温泉郷の大きな特徴となっている。
ところが、二〇一六(平成二八)年の四月、この地を大きな地震が襲った。建物が倒壊したり、宿へ続く道が寸断されたり、湯量が不安定になったり――想像を超える過酷な苦しみをもたらした。この間何とか再開にこぎつけた施設もある。いまだ再建途中の宿もある。なかには再興の見通しさえ立たないところもある。地震前の悠々の時を重ねた自然豊かな姿をいま一度取り戻し、「火山の恵み」をみんなで分かち合える日が再び訪れることを願いながら、ボランティアも行政も含め、多くの関係の方々の懸命の努力が日々続く。
最後に、本稿執筆に際しての取材に対し、ご協力をいただきました南阿蘇村役場と南阿蘇村温泉旅館組合に心からお礼を申し上げます。
【初出:「阿蘇南郷谷の温泉――地震からの復興のなかで」『KUMAMOTO』No. 21号、くまもと文化振興会、2017年12月、119-122頁。】