中山修一著作集

著作集13 南阿蘇白雲夢想

第四部 日々好々万物流転(随筆集)

第六話 私の南阿蘇讃歌――庭の四季を楽しむ

はじめに

私は、二〇一三(平成二五)年三月末に神戸大学を定年退職し、これ以降、高森町色見の奥の牧野道を上り詰めたところにある小さな庵に蟄居し、執筆活動に専念しています。私がこの地をはじめて訪れたのは、高校の二年から三年に進級する春休みのことでした。お別れ遠足といった感じの南阿蘇探訪でした。しかしそれは、少し大げさにいえば、私の人生をある意味で方向づける一大事件でもありました。といいますのも、熊本市内に住む私にとりまして、西の金峰も東の阿蘇も、山といえばその頂の一部しか見たことがなく、裾野の広がりをも含む山全体の勇壮な姿に接したのはこのときが最初だったからです。五岳のすべての雄姿が視野に入ってきたとき、ひとつの大きな力強い世界を手にしたような驚きが、全身を揺り動かしました。東京で学生生活を送り、神戸で就職をし、それからしばらくして、この地に粗末ながらの山荘を建て、春夏の帰省のたびに立ち寄っては、子どもたちを遊ばせ、ひとときの山暮らしを楽しむようになりました。定年後は、それが日常の生活となり、山奥での蟄居暮らしも、いつしか八年目に入ってしまいました。高校時代のお別れ遠足が、何と半世紀以上立ったいまも、続いているのです。自分でも不思議に思うことがあります。一体その魅力はどこにあるのでしょうか。この間に体験した一片一個の感動を、わが家の庭の四季に沿わせながら、以下に短く描写し、それをもって本号特集「まるごと南阿蘇」の総論に代えさせていただきたいと思います。

一.厳寒の冬を過ごす

この地の冬は厳しく、一日中氷点下という日もたまにあるほどです。そのため、その寒さに耐えて生活する術を自ずと身に着けることになります。

たとえば、雪の予報が出たときは、いつもは自宅前の路上に駐車する車を、農業道路のガードの下へと移動します。エンジンまわりに毛布を置き、そのうえから専用の車カバーをかけます。タイヤはスタッドレスをはかせていますが、そのうえに、タイヤチェーンも後部座席に用意し、こうして前日のうちから大雪に備えます。昨年と今年は幸い大雪を免れましたが、例年ですと、一月と二月、ともに数日間、私の住む山荘は雪に覆われ、家までの坂道が凍結します【図一】。もっとも、街中は除雪作業も早く、ほとんど凍結することもなく、買い物など日々の行動に大きな支障が出ることはありません。

ガード下に車を置いているあいだは、そこからから家までは、徒歩になります。長靴に履き替え、買い物などの荷物があるときは、手にもたず、リュックを背負い、マスク、帽子、手袋を着用し、竹の杖を使って、牧野道の坂を上ります。見渡す限り白銀の別世界です。この雪景色に、重い心が少し救われます。一五分くらい歩き、家にたどり着くころには、体がポカポカになっています。このようにして、厳寒の山の冬を過ごします。

二.早春の野は黄色

この地方の風景は、春の訪れとともに、白から黄色の色調に変わります。といいますのも、田畑の畦道や牧野道、土手やのり面の至る所で、ナノハナ(菜の花)、スイセン(水仙)、タンポポが一斉に花を咲かせるからです。厳冬の雪景色と初夏の新緑とのあいだに挟まれたこの一瞬に、草原から田園までのすべての生命体が再生されてゆく感じです。そういえば、わが家の庭で最初に春を告げる花といえば、フクジュソウ(福寿草)です。二月の上旬から、遅くとも下旬までには花を咲かせます。この花の色も黄色です。どうやら、早春と黄色は切り離せないようです。黄色は生命の色かもしれません。

気温が上がり、本格的な春になります。いつしか庭は、桜吹雪の乱舞の舞台となり、心を奪われます【図二】。四月末には、シャクナゲが咲き、そのあと五月に入ると、ミヤコワスレが玄関周りに一斉に咲き出します。とても清楚な小さな花です。そうするうちにヤマアジサイの青の季節を迎えます【図三】。

その一方で、野鳥の生息を身近に感じるのも、この時期です。これまでに、キジやヤマドリのよちよち歩きに出会うことがしばしばありましたし、目の前の庭の木に、大きなフクロウが止まっていることもありました。数年前には、カッコウが朝夕、よく鳴き声を上げていました。そのほかにも、日々庭には、いろんな鳥がやってきます。鳥の種類は正確にはなかなか特定しがたいのですが、ムクドリやヒヨドリ、セキレイやキツツキなどの仲間ではないかと思います。まさに野鳥は森の合唱団です。鳴き声は五月ころにピークを迎えます。

三.夏へ向けて

昔から、栗の木の花が散ると、その一週間後くらいを目安に梅雨に入るという言い伝えがあります。こちらは山のなかですので栗の木も多く、五月の中旬ころには、牧野道の至る所で散った白い花を見かけるようになります。そうすると、だいたいその言葉のとおりに、梅雨入り宣言が出されます。

夏は虫の季節です。ここに山荘を建ててもう少しで三〇年になろうとしていますが、その当時は、カミキリムシやクワガタをはじめ、いろんな虫たちが野山に集まり、夜になると明かりを求めて飛び交っていました。子どもたちにとっては、昆虫採集に最適の空間でした。しかし、かつて栄華を極めた虫たちはいつしか消え去り、最近では、その姿をほとんど見かけなくなりました。理由はよくわかりません。

この地の夏は、平地に比べ、かなり涼しく感じられます。ここは、標高が七〇〇メートル近くありますので、平地よりも四度ほど低く、三〇度を超える日は、ひと夏に数日くらいしかありません。熊本市内が三五度くらいまで気温が上がり、熱中症に注意するようにテレビで報道されているときでも、こちらは三〇度前後で、肌を射すような太陽の強い日差しを感じることもなく、ほとんど冷房を使うこともありません。そのためか、ときどき、弱々しくて何か頼りないような夏に思えることさえあります。酷暑から離れて過ごせることは、ありがたいのですが、その一方で、周りが林野ということもあって、湿度が高く、雨の日も多く、雷の音もよく耳にします。

四.紅葉に燃える秋

そのようなわけで、夏の終わりも平地より少し早く、八月のお盆を過ぎたころから、朝夕、少し肌寒さを感じるようになります。この時期、ヒガンバナ(彼岸花)の赤が野を染める一方で、春先から少し前まで、さまざまな音色で耳もとを楽しませてくれていた鳥の鳴き声が、あまり聞かれなくなります。それに代わって、色づいた木々の葉がウッドデッキに落ちているのを見かけるようになり、忍び寄る秋の気配を感じはじめます。

いつのまにか秋も深まり、暖房を使うようになると、一気に木々の葉が色づきはじめます。冷え込みとともに、庭は燃えるような赤や黄色の絢爛豪華な絵巻と化し、落ち葉もたくさん目立つようになり、その黄金色の錦の織物の上を、サクサクという音を聞きながら歩くと、この時期固有のぜいたくな季節感を味わうことになります【図四】。天を仰げば華やかな色の配り、地に耳をすませば心地よい音の響き、一年の疲れをいやす、年の終わりに向けての充足の瞬間です。その至福の一瞬が終わると、冬の到来を告げる声が聞こえはじめ、静かにその年が暮れてゆきます。

おわりに

以上簡単に、これまでに私が体験した南阿蘇のわが家の庭の四季について描写してきました。しかし、こうした一年の四季の移り変わりも、決して不動のものではなく、数十年という長いスケールで見てみますと、確かに大きく変化しているのです。すでに書きましたように、かつてわが家の夏の庭で観察できた虫や蝶の活況は、いまはほとんど見られなくなっています。冬も、気候変動の影響で暖かく、近年ますます雪の量も減っています。自宅に隣接する牧野から、いつのまにか牛の姿が消え、ひとつの産業が衰退してゆきました。それに伴って春の野焼きも行なわれなくなり、自然生態への影響が心配されています。さらには、かつて観光客を集めてにぎわった「ビール工場」も短い期間で閉鎖され、最近では、町が運営する高森温泉館も休館に追い込まれてしまいました。そして何よりも大きな変化は、人口が激減していることです。高森町の場合ですと、直近の一〇年間でおよそ千人弱が減じ、二〇二〇(令和二)年二月末の時点で六、三四二人になりました。数十年後には、どれだけの人がこの地に残って生活しているのでしょうか、不安は増します。

このように、この地の自然の営み、人の営みが、質的にも量的にも、大きく加速度的に変容しているのです。「はじめに」において記述しましたように、私がはじめてこの南阿蘇に遊びにきたのは、一九六六(昭和四一)年の高校生のときでした。その後、一九九二(平成四)年に山荘をつくり、定年後の二〇一三(平成二五)年からここに永住し、外来者として遠くから、この地の自然と人の営みを眺めてきました。そこで気づいたことは、本文で書きました四季の美しさだけではなく、むしろそれよりも、日々のその変容の激しさでした。こうしたことは、日本各地の村や町で起きています。いま私たちは何を本気で考え、行動しなければならないのでしょうか――色見の山奥での蟄居生活に身をゆだね、移りゆく庭の四季を楽しみながら、私は考えあぐねています。残念ながら、なかなか一気に結論へとはたどり着けません。しかし、自分自身の生活環境の問題として自然や村落の行く末に関心をもち続けたいと思っています。ウェブサイト「中山修一著作集」【検索】のなかに、南阿蘇での自身の生活をテーマにした、執筆進行中の数巻を設けています。これからもこの問題に思いを巡らせ、受け止めた内容を少しずつこの場を使って記録してゆきたいと考えています。

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図1 雪に埋もれたわが家の冬(2014年2月)

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図2 春到来、庭のサクラが咲く(2019年4月)

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図3 庭を彩る初夏のヤマアジサイ(2016年6月)

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図4 紅葉に燃える秋の庭(2016年11月)


【初出:「私の南阿蘇讃歌――庭の四季を楽しむ」『KUMAMOTO』No. 31号、くまもと文化振興会、2020年6月、118-123頁。】