本書【図一】は、Paul Greenhalgh (ed.), Modernism in Design, Reaktion Books, London, 1990 の全訳である。
近年わが国においても「ポスト・モダン」という言葉が、新たな時代の造形表現ないしは思考のあり方を示す概念としてさまざまな分野で用いられてきた。いささか加熱ぎみとも思われたこの言葉の氾濫のなかにあって、歴史研究の分野での意義ある成果となりうるひとつの動向を挙げるとするならば、それは「近代の見直し」ということになるであろう。「ポスト・モダン」という状況の到来は、それまで支配的要素として作用してきた「モダン」を過去のものとして歴史の後景に押しやっただけではなく、その批判原理をもとに「モダン」そのものを対象化し再検討する場を、造形表現にかかわる歴史家たちに提示することになったのである。
歴史家に要請された、こうした新たな事態が、原著を生み出すにあたっての大きな力として作用していたことは明白であり、そこで原著の目的や意義をよりよく理解するうえからも、英国にあってこの二〇年来展開されてきた、この分野の歴史研究の刷新へ向けての新しい動きについてここで少し紹介しておくことは、決して無意味ではないであろう。
モダニズムが支配していた時代にあっては、ニコラウス・ぺヴスナーに代表されるような歴史家の多くが、その陣営内にあってモダニズムの成立と展開の過程をその歴史記述の中心にすえていた。したがって、「ポスト・モダン」の出現に伴って歴史家に要請された新たな事態は、まずぺヴスナー流儀の歴史記述への批判として現われてきた。『第一機械時代の理論とデザイン(Theory and Design in the First Machine Age)』の著者のレイナー・バンハム(現地発音に従えばバナム)の弟子である建築史家のエイドリアン・フォーティーは、このことについて、自著の『欲望のオブジェクト(Objects of Desire)』のなかで次のように述べているのである。
たとえば、三〇年以上も前に改訂版として出版され、デザインに関して最も広く読まれた本のひとつである『モダン・デザインの先駆者たち(Pioneers of Modern Design)』におけるニコラウス・ぺヴスナーの主たる目的は、建築とデザインにおける近代運動の歴史的な系譜を明確にさせることであった。もっとも、彼の方法論は、単に個々のデザイナーの仕事と公表された声明文から製品を検証するだけで十分にデザインは理解されうるといった仮説に基づくものであった。しかし、建築家やデザイナーによってなされるしばしば不明瞭で冗長な声明文が、その人たちのデザインする建物や品物を完全にあるは十分適切に物語っているとする理由はどこにもないように思われる。
これは、マニフェストと実際のオブジェクトのデザインがしばしば一致しないことを指摘することによって、マニフェストとは必ずしも合致しないオブジェクトの存在に視線を向けることの正当性を主張し、これまで「近代運動の歴史的な系譜」の範囲外にあったオブジェクトの歴史に言及しようとする、その歴史家にとってのマニフェストとして受け止めることができよう。歴史記述に対するこうした新たな姿勢は、その先駆けとなったジョン・ヘスケットの『インダストリアル・デザイン(Industrial Design)』のなかに認められる姿勢をいっそう洗練化し明確化したものとして、八〇年代をとおして多くの英国のデザイン史家たちに急速に受け入れられてゆくのである。そして時期を同じくして、本書の執筆者のひとりとして名を連ねているペニー・スパークも、「確立された批評の伝統を塗り替える」作業の一環として『二〇世紀のデザインと文化への招待(An Introduction to Design and Culture in the Twentieth Century)』を著わすわけであるが、この本もまた、ヘスケットやフォーティーの一連の書物と同様に、「近代運動の死」によってもたらされた「歴史研究の見直し」に由来するひとつの成果として見なすことができるであろう。
彼ら[ニコラウス・ぺヴスナー、ルイス・マンフォード、ハーバート・リード、ジークフリート・ギーディオンといった今世紀のデザイン史家やデザイン批評家たちの多く]は皆、両大戦間における近代運動のもつ機能主義的理想を支持し、「グッド・デザイン」は機械美学と同義語であるという神話を垂れ流すことに手を貸し、社会がそうした特定のデザイン運動とつながりをもつようになることの意味を無視し、その帰結として、デザインを日常的なというよりはむしろ英雄的な概念へと変えてしまったのである。こうした著述家によって確立された批評の伝統を塗り替えることはこれまで困難を要してきたし、彼らの見解に疑問が付されるようになったのは、近代運動への不満が高まった結果によるものであって、つい最近のことにすぎないのである。
こうした歴史認識は必然的にこの分野の歴史記述の方法論の刷新を要求するとともに、さらに一方では、近代運動を支えていたモダニズムというイデオロギーそれ自体を対象化しうる地平を用意することになるのである。本書の原著の出版は、明らかに英国におけるこのような「歴史研究の見直し」の延長線上に位置し、そのことはまた同時に、「近代の見直し」にかかわる研究を避けがたく内包するものでもあった。
それでは、どのような方法論に依拠すればこの領域の「歴史研究の見直し」、とりわけ原著の主題でもある「モダニズムの見直し」は可能になるのであろうか。ひとことでいえば、近代運動を正当なものと仮定し、その立場から記述しようとする、これまでの旧い研究手法を否定することから生み出される、新しい記述のスタイルということができるであろう。つまりそれは、近代運動を、マニフェスト化された「モダニズム」の文脈からのみもっぱら語るのではなく、その時代の政治、経済、社会、技術、文化といったさまざまな文脈と照合するかたちをとりながら検証することを意味している。それはとりもなおさず、編者が「序章」で言及しているように、「その運動を入り組んだものにする」であろうし、また、そのようなものとしてモダニズムを理解することが原著のそもそもの目的だったのである。その意味において原著は、複雑化と重層化のなかにモダニズムを再配置することによって、これまでの単線的で画一化されてきたきらいがあったモダニズム観の是正を読者に要求するものといえよう。
もっとも、本書の執筆者たちは、同一の視点からモダニズムを再検討し、複雑化なり相対化なりを試みようとしているのではない。ある論者は、モダニズムの主たる流れを形成した地域からは程遠くに位置する国の事情について論じているし、ある論者は、モダニズムの適切な表現としては旧来あまり見なされてこなかったオブジェクトに照明をあてている。また別の論者の場合は、政治的文化的スクリーンという新たな道具立てを用いることによって従来のモダニズム像とは異なる像を映し出そうしている。このように見てくると、アンソロジーという形式をとっているとはいえ、本書から受ける印象が雑駁なものとして残ることは否定できないかもしれない。しかし、あえて各論者に共通してみられる傾向を挙げるとすれば、それは、これまで論じられてきたモダニズムの中心的な系譜や記述方法からは除外されがちであった地域や時期、分野や文脈を取り扱うことによって、つまりは周縁的な個別事例を社会文化史的な文脈において読み替えることによって、モダニズムを再検証しようとする歴史家としての新たな姿勢なのである。
ところで、この分野の「近代の見直し」にかかわって原著刊行以降の最近の注目すべき研究成果をひとつ挙げるとすれば、Wendy Kaplan (ed.), Designing Modernity: The Arts of Reform and Persuasion 1885 – 1945, Thames and Hudson, London, 1995 がそれに相当するにちがいない。この本は、フロリダのマイアミ・ビーチにあるウルフソニアンによって組織された開館記念展(この展覧会は一九九五年一一月から九六年四月までウルフソニアンで開催されたのち、アメリカ合衆国の他の地区、英国、ドイツ、イタリア、日本などを巡回する予定になっている)にあわせて刊行されたもので、そのなかで、一八八五年から一九四五年までに生み出されたオブジェクトの意味が、社会的、政治的、美術的観点から一一名の執筆者によって詳細に検討されている。全体構成は、「モダニティーに立ち向かう」「モダニティーを祝福する」「モダニティーを操る――政治的説得」という三部から成り立っており、ウルフソニアンの学芸員で本書第五章の執筆者でもあるウェンディー・ケプランが編集の任にあたり、本書の編者のポール・グリーンハルジュも執筆者のひとりとして加わっている。本書に興味を抱かれた読者各位のさらなる関心は、この展覧会とこの本とによっておそらく今後満たされることになるであろう。
さて、本書の翻訳に際しては、四人の訳者が論文ごとに分担を決めて訳出にあたった。原著の形式が異なる執筆者によるアンソロジーであるということを勘案し、また各訳者が担当章についてそれぞれに責任を負うという観点に立つことにより、全体にわたる厳密な文体の統一は行なわなかったものの、私たちは、担当訳稿を持ち寄り、幾度となく相互に検討し合うなかで訳稿の完成度を高めるべく努力する一方で、専門用語、固有名詞、地名や人名などの表記の統一についてもしかるべき配慮を施したつもりである。しかしそうはいっても、取り上げられている内容や記述方法が多岐にわたっており、そのために、結果として私たちの力では十分に理解しえなかった部分や今後誤謬として現われてくる箇所が残されているかもしれない。読者各位の忌憚のないご意見やご指摘をいただければ幸いである。
本書の編者であるヴィクトリア・アンド・アルバート博物館のポール・グリーンハルジュさん、そして執筆者である王立美術大学のジリアン・ネイラーさんとペニー・スパークさんに、この場を借りてお礼の気持ちを伝えることをお許し願いたい。彼らは、私たちのこの翻訳の仕事を知ると、惜しみなく援助の手を差し伸べてくれた人たちである。また、本書がこのようなかたちで世に出るにあたっては、実に多くの人や機関から寄せられた知見と情報が支えとなっている。一人ひとりのお名前を挙げることは差し控えたいが、ここに心からの感謝の意を表したいと思う。
そして最後に、私たち訳者の特別の感謝の気持ちは、当然ながら、鹿島出版会常務取締役の長谷川愛子さんと書籍編集部長の吉田昌弘さんに向けられなければならない。おふたりの温かいご理解と激励と忍耐がなかったならば、本書はこうして無事産声をあげることはなかったであろう。
(一九九六年七月二三日)
図1 『デザインのモダニズム』の表紙。