本書【図一】は、Howard Hibbard, Michelangelo, Pelican Books, 1978 の全訳である。原著は、ミケランジェロ生誕五〇〇年を記念して、一九七五年に Allen Lane 社より出版されている。その後若干の変更が加えられて、一九七八年に Pelican Books に収められた。翻訳に際して底本としたのは、一九七八年のペリカン版である。なお、訳出作業中の一九八五年に、同じく Pelican Books から改訂新版が刊行されたので、訳者はこの決定版による補足、訂正を取り入れることにした。一九八三年一〇月の日付をもつ新版への「まえがき」のなかで、著者は、《バッカス》、《キリストの埋葬》、システィナ天井画、および、メディチ家礼拝堂を中心にかなりの訂正を行なったことを明記しており、それに加えて文献注も、最近の著作を取り入れ大幅に加筆されている。ただし、著者の死後の出版となったためか、整合性を欠く箇所が幾つか見受けられる。それにしても論の完全なるを期して、死の直前に至るまで仕事を続けられた著者には頭の下がる思いがする。存命中に訳書の出版を果たせなかったことは誠に残念である。われわれ訳者は、今は亡きハワード・ヒバード氏にこの訳書を捧げたい。
著者ハワード・ヒバード氏は、イタリア・ルネサンスおよびバロック美術の啓蒙家で、本書以外にも、バロックの代表的彫刻家ベルニーニの入門書や、イタリアのバロック建築家カルロ・マデルノや古典主義の代表的画家であるプーサンについての専門研究書を著わした美術史家として広く知られていた。コロンビア大学の美術史教授、『美術雑誌』の編集長などの要職を務め、一九八四年一〇月に亡くなっている。なお、氏には三人の娘さんがおられるとのことであり、巻頭の献辞は彼女たちに捧げられたものである。
さて、わが国においてはミケランジェロに関し、数多くの研究書、入門書が翻訳されているほか、羽仁五郎氏、会田雄次氏の著書をはじめとして多くの論考があり、さらに近年では田中英道氏による綿密な形象学的研究も公刊されている。また、ミケランジェロの激しくも謎めいた気質は魅力的な精神分析上の研究対象であるらしく、あの有名なフロイトの分析をはじめ、小説的想像力で挑んだドミニック・フェルナンデスの論など意欲的な研究に事欠かない。その上、忘れてはならないことは、これらの公刊物や画集に触発されて、わたしたち一人ひとりがまるで自分用の本でも書くかのようにミケランジェロ像をそれぞれもっていることである。このような状況のなかで、本書がもつ価値は、著者自身も述べているように、ミケランジェロ自身の詩や手紙を含め、彼の時代の著述家の記述をふんだんに引用しながら、それを現在の研究水準で吟味し、彼の生きた時代の生の姿を描き出すとともに伝記としての正確さを期したところにある。だが、魅力的ではあっても疑問のあるさまざまな思索がすべて無意味となってしまうわけではない。たとえば、著者は《モーセ》の凝視について、イスラエルの民の「金の子羊」崇拝への叱責であるとする解釈や、神の顔の幻視であるとする解釈をあまりにも現代的な読み込みとして退け、その意味を、墓廟において《モーセ》が占める位置から導き出しているわけであるが、われわれ読者としては、個々の像が本来もっていた機能を知ることで、かえってよりいっそうミケランジェロがそれらの像に付け加えた思想的、心理的価値を味わうことができるのである。
ところで、現代の視点から過去を切り取ることを戒める著者の記述から明瞭に浮かび上がってくるひとつの事実がある。われわれには何かしらルネサンスを等質の時代として考える傾向がある。しかし、ルネサンスはまさに空間の実験のるつぼだったのである。クヮトロチェント以降一九世紀の終わりに至るまで線遠近法に規定された空間が西洋絵画を支配してきた、とよくいわれるのであるが、そもそもクヮトロチェント絵画は空間の実験室であった。著者ヒバード氏が指摘しているように、初期の浮彫や《カッシナの戦い》において若きミケランジェロが空間と呼びうるものを造形せず、《最後の審判》においても階層秩序(コード)に従って人物像の大きさが決定されるという中世的な空間に止まっているとすれば、それは「運動中の人体が空間を決定する」(ピエール・フランカステル『絵画と社会』、大島清次訳、岩崎美術社、二八頁)という別の空間秩序にミケランジェロが従っているからにほかならず、これが彼にとっての視覚的に正確な空間だったのである。同様に、ブラマンテやラファエッロの行動に陰謀を認めたのは、彼の現実感覚の喪失であるというよりもむしろ彼の傷つきやすい精神が捉えた「正確な」現実だった、と考えることもできるといえばいいすぎであろうか。もっとも、主体の想像的構造から切り離された「正確な」視覚(およびその再現)など人と世界の関係の表現としての造形の歴史においてはつかのまの挿話にすぎない。今日、ルネサンスに規定された空間の崩壊がほとんど常識として語られているが、むしろ開花しないまま終わった複数の空間の痕跡がこの挿話の以前と以後において認められるのである。
この翻訳を行なうにあたり、ミケランジェロと同時代に人びとの著作に関して次に挙げる先達の訳業を参考にさせていただいた。それらが通読を要する伝記であり、自伝であるという性格上、いちいち参照した箇所は挙げてはいないが、あわせてお読み願えれば、ミケランジェロの魅力がいやますことであろう。
ジョルジョ・ヴァザーリ『ルネサンス画人伝』平川祐弘、小谷年司、田中英道訳、白水社、一九八二年。
アスカニオ・コンディヴィ『ミケランジェロ伝――付ミケランジェロの詩と手紙』高田博厚訳、岩崎美術社、一九七八年。
ベンヴェヌート・チェッリーニ『チェッリーニ わが生涯』大空幸子訳、新評論、一九八三年。
なお、本文中で参照、引用されている著作とは異なるが、シャルル・ド・トルナイ『ミケランジェロ――彫刻家・画家・建築家』(田中英道訳、岩波書店、一九七八年)も邦訳されており、ミケランジェロを研究するにあたっての基本的な文献である。
翻訳作業の手順としては、まず小野が全体の下訳を準備し、次いで中山がそれを逐一原文と照合し、訳文の訂正を行なったうえで、できあがったものを数度にわたり両者で検討し直し、最終訳稿をつくり上げた。できる限り正確で読みやすい訳文を期したつもりであるが、なお多くの誤謬を残しているかもしれない。読者のかたがたのご教示を願えれば幸いである。
最後に、本訳書の出版に際してお世話になった法政大学出版局の稲義人氏と藤田信行氏に心からの感謝の意を捧げる。
(一九八六年一月)
図1 『ミケランジェロ』の表紙。