この本【図一】は、Avril Blake ed., The Black Papers on Design - Selected writings of the late Sir Misha Black, Pergamon Press, Oxford, 1983 のなかに納められている二五編の論文のなかから、著者のデザイン思想を最もよく表わしていると思われる一五編の論文を選び出して訳出したものである。
原著は、ミッシャ・ブラックの名声と業績をたたえて、王立芸術協会のロイヤル産業デザイナー部会の援助のもとに出版されたものであり、彼の仕事の全体像のよき理解者であったアヴリル・ブレイク女史が、膨大な数の著者の生前の論文のなかから選択を行ない、あわせて編集の任にあたっている。
現在、著者の残した主だった論文や講演の原稿は、「ミッシャ・ブラック資料」として三つの「ボックス・ファイル」にまとめられて、ロンドンのハマスミスにあるヴィクトリア・アンド・アルバート博物館美術・デザイン記録保管所に所蔵されている。原著の巻末にも、「付録」として三つの「ボックス・ファイル」の番号とともに、それらのなかに納められている資料のリストが掲載されているが、研究者にとっては有益であると思われるも、やや長大なものであるために、この本のなかでは割愛することにした。さらに付け加えれば、同じく原著の巻末にある「年譜」も、同様の理由から主要なものについてのみ訳出を行なった。また、「参考文献一覧」についても、本文のなかで著者が言及している書物や注に記載されている文献を改めて編者がまとめたかたちをとっており、したがって重複を避けるため、これも割愛されている。
編者のアヴリル・ブレイク女史は、世界中で最も親しまれているデザイン雑誌のひとつである『デザイン』の業務に携わっていたとき、同じ職場仲間のジョン・ブレイク氏と知り合い結婚した。彼はその後すぐにその雑誌の編集長の職に就き、編集長という立場からミッシャ・ブラックと親交を深めるようになり、そのような友情が発展して、John and Avril Blake, The Practical Idealists, Lund Humphries, London, 1969 が出版されることになった。この本は、ミッシャ・ブラックがミルナー・グレイとともに設立したデザイン事務所である「デザイン・リサーチ・ユニット」の創設二五周年を祝うためのものであった。同時にアヴリル・ブレイク女史は、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の「ミッシャ・ブラック資料」のために、その編集と交合を行なっており、そのような意味から原著は、最適任者によって編集されたことになる。のちに彼女は、Avril Blake, Misha Black, The Design Council, London, 1984 を上梓し、今日ミッシャ・ブラックの生涯と業績を知るうえでの簡潔ながらも格好の資料となっている。
原著の出版に援助の手を差し伸べた王立芸術協会は、芸術と産業と商業を奨励する目的で一七五四年に創設された組織であり、デザインの分野におけるこれまでの大きな活動として、一八五一年の大博覧会の開催と一九三六年の「ロイヤル産業デザイナー」という称号の創設を挙げることができる。前者は、当時の会長であったアルバート公によって開催されたものであり、後者は、英国デザイナーの社会的地位の高揚と英国デザインの質の向上を目的に導入されたものである。「ロイヤル産業デザイナー」の称号は一〇〇名を定員に授与されており、「ロイヤル産業デザイナー部会」とはそうしたデザイナーによって構成される組織を指している。またその部会の会長は、王立芸術協会の副会長のひとりとして協会全体の活動に対しても責任を負っている。現在その協会のパトロンはエリザベス女王で、会長は夫君のエディンバラ公である。ミッシャ・ブラックは、一九五七年に「ロイヤル産業デザイナー」の称号を授与されており、七三年から七五年にかけてその部会の会長を務めている。彼の業績については、何人かのロイヤル産業デザイナーの講演録を集めた、Royal Designers on Design, The Design Council, London, 1986 のなかでも少し触れられており、参考になるものと思われる。
また、ミッシャ・ブラックは、一九五九年から七五年にかけて王立美術大学のインダストリアル・デザイン学科の教授を務めているが、この大学の歴史やそこでの彼の足跡については、Ken Baynes, Industrial Design & the Community, Lund Humphries, London, 1967 や、Stuart Macdonald, The History and Philosophy of Art Education, University of London Press, London, 1970(マクドナルド『美術教育の歴史と哲学』中山修一・織田芳人訳、玉川大学出版部、一九九〇年)、Christopher Frayling, The Royal College of Art - One Hundred & Fifty Years of Art & Design, Barrie & Jenkins, London, 1987 などに詳しく述べられている。
一方、本書のなかで著者がしばしば言及し、かつてその会長を務めたデザイン・産業協会のデザイン運動の理念や、それに対する著者の貢献については、Noel Carrington, Industrial Design in Britain, George Allen & Unwin, London, 1976(キャリントン『英国のインダストリアル・デザイン』中山修一・織田芳人訳、晶文社、一九八三年)をはじめ、Raymond Plummer, Nothing Need Be Ugly, Design & Industries Association, London, 1985 などを手掛かりにすることができる。また展覧会デザイナーとしてミッシャ・ブラックがその才能をいかんなく発揮した「英国はそれができる」展と南岸博覧会についてや、戦後の英国のデザイン振興において中心的役割を果たしてきた政府機関であるインダストリアル・デザイン協議会(現在のデザイン・カウンシル)については、Fiona MacCarthy, A History of British Design 1830-1970, George Allen & Unwin, London, 1979 や、Richard Stewart, Design and British Industry, John Murray, London, 1987 などが適切な文献となっている。
さらには、ミッシャ・ブラックの盟友とも呼べるミルナー・グレイの伝記(Avril Blake, Milner Gray, The Design Council, London, 1986)やポール・ライリーの自伝(Paul Reilly, An Eye on Design - An Autobiography, Max Reinhardt, London, 1987)もすでに出版され、著者が活躍した時代のデザイン界の空気を伝えている。
いうまでもなく、ミッシャ・ブラックは戦後の英国を代表するモダニスト・デザイナーのひとりであり、一九六〇年代から七〇年代にかけて遭遇することになった、「近代デザイン」への懐疑の風潮は、彼のデザイン思想を揺るがすとともに、より一層の彼のデザイン上の立場を明確にさせていったように思われる。「ポップ・デザイン」や「悪趣味」の登場、さらには、ヴィクトリア時代への回帰現象は、倫理的行為としての「近代デザイン」を信奉するミッシャ・ブラックと彼の仲間への明らかなる挑戦であり、彼は、その正当なる部分については謙虚に耳を傾けながらも、その不当なる部分に対しては容赦なく断罪しようとするのである。デザイナーやデザイン学生や企業の経営者に対して「近代デザイン」の価値と理念を強く語りかけ、先頭に立って実践してきたミッシャ・ブラックにとって、この時代はまさしく試練の時期であった。本書に納められている論文や講演録がそのすべてを物語っている。しかしそれでも、Penny Sparke, An Introduction to Design & Culture in the Twentieth Century, Allen & Unwin, London, 1986 や、同じく Penny Sparke, Design in Context, Bloomsbury, London, 1987 を読む限り、もはやデザインの歴史の一コマになりつつある。すでに時代は、「近代主義」によってのみ一義的に律することのできない、「多元主義」を価値とする時代へと移行しているのかもしれない。わたしたちは、ミッシャ・ブラックのデザイン思想を色あせた過ぎ去ったものとして傍らに置くこともできるし、その精神を引き継ぎ、より豊かなものへと手を加えることもできるであろう。それはすべて、この本の読者のみなさまの判断にゆだねられているのである。
この翻訳の仕事を進めるにあたって、惜しみなく援助を与えていただいた次のかたがたに心からの謝意を表したい。王立美術大学にける著者の同僚であったブルース・アーチャー教授、デザイン・産業協会のフィリップ・ギールマーグ理事長とネル・チェインバリン事務局長、著者が会長を務めた産業美術家・デザイナー協会の現在の組織である 王立 ( チャータード ) デザイナー協会のマイクル・セドラー=フォースター理事長、王立美術大学における著者の後任教授であるフランク・ハイト名誉教授、著者によって創設された「デザイン・リサーチ・ユニット」のウィリアム・ファービシャーとジェイムズ・ウィリアムズの両パートナー、著者の未亡人のレイディ・ブラック(ジョアン・ブラック)女史、編者のアヴリル・ブレイク女史、デザイン・カウンシルの前会長のライリー卿(ポール・ライリー)ご夫妻。これらの人びとは、訳者が一九八七年からその翌年にかえてロンドンに滞在していたとき、直接会っていただき、ミッシャ・ブラック本人についてだけでなく、英国のデザイン史全般について貴重な情報を提供していただいた人たちである。彼らの友情と支援がなかったならば、正確なミッシャ・ブラック像を描くのにたぶん手間取っていたことであろう。すでに当時の役職を離れた方や、亡くなられた方もいらっしゃるが、本書の完成をもってお礼の気持ちに代えさせていただきたいと思う。
また、この間多くの友人や同僚にもさまざまな点でご教示をたまわった。ここにそれぞれのお名前を挙げることは差し控えたいが、衷心より感謝の言葉を申し述べておきたい。そして、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館美術・デザイン記録保管所、デザイン・カウンシル・ピクチャー・ライブラリー、ブリティッシュ・カウンシルなどの諸機関に対しても感謝の気持ちを忘れることはできない。
こうした多くの人たちによって支えられながらいまこの訳書は生まれ出ようとしているわけであるが、それでも、その責任のすべては訳者が負うべきものであり、訳者の思い違いもないとはいえず、ご叱正をたまわりたい。
最後に、原著のよき理解者であり、あらゆる面でお世話になった法政大学出版局の稲義人氏と藤田信行氏に心より感謝の意を捧げる。
(一九九二年三月一五日)
図1 『デザイン論――ミッシャ・ブラックの世界』の表紙。