この訳書【図一】は、Stuart Macdonald, The History and Philosophy of Art Education, University of London Press Ltd., London, 1970 の全訳である。
まず、著者について簡単に紹介しておきたい。著者ステュアート・マクドナルド氏は、一九二四年にイギリスのストックポートで生まれ、アフリカとジブラルタルで軍務に服した(一九四三―四七年)のち、マンチェスターの地域美術カレッジ(Regional College of Art, Manchester)に入学した。そしてこのカレッジにおける一九四七から五三年にかけての学業を通じて、デザイン国家ディプロマ、美術教師免許状、および美術教師ディプロマを取得し、その後マンチェスター大学から一九六六年に教育学修士号(MEd)、一九七一年に博士号(PhD)を受けている。修士論文は、「ヘンリー・コウルと大衆美術教育」であり、また博士論文は、「芸術労働者ギルドと美術・工芸の学校――一八八四―一九一四年」というものであった。
マンチェスターの地域美術カレッジを卒業すると、ランカシャーにあるスタンド・グラマー・スクールの美術・デザイン学科の学科長として勤務することになる(一九五四―五六年)。そしてその後、マンチェスター大学のドゥ・ラ・サル・カレッジの美術・デザイン学科の専任講師になり、長年にわたって、美術の各分野の実技指導とともに美術史、美術教育史、および美術教育哲学を講じてきた(一九五六―八四年)。その間、王立美術大学、カーディフ大学、ロンドン大学などの客員講師を務める一方で、王立美術大学やリヴァプール大学で、デザイン修士号および博士号の学外審査員の任にあたった。
マクドナルド氏はこれまで、主著である本書のほかにも、ここにひとつひとつ列挙することはできないが、多数の論文、共著、および書評を発表してきている。また、美術の実践分野においては肖像画家(サッチャー首相の肖像を描いた画家でもある)、さらにはイラストレイター(そのイラストレイションによって一九六三年に産業美術家協会の会員に推挙されている)としても著名である。
また、彼の晩年の大きな仕事としては、一九八二年に『美術・デザイン教育ジャーナル(Journal of Art and Design Education)』の初代編集長に就任し、その重責を果たしたことが挙げられる。この雑誌は、全国美術・デザイン教育学会(National Society for Education in Art and Design)の機関誌として年三回発行され、現在、約三、〇〇〇人の読者をもち、この分野における指導的立場を標榜する、国際的にも最も質の高い定期刊行物である。またこの分野は、「日本語版への序」にもあるように、モリス、アシュビー、マッキントッシュ、あるいはグロピウスの理念でもある「美術の統合」という理念を支持し、あらゆる美術とデザインは不可分のものであるという方針のもとに、これまで編集がなされてきている。一九八六年にマクドナルド氏はその編集長の職を辞し、現在自由な立場からストックポートの自宅において執筆活動に専念している。その成果の一つとして、『美術・デザイン教育の百年――一八八八―一九八八年(A Hundred Years of Art and Design Education, 1888-1988)』が近く完成するとのことである。
さて次に、本書のもつ特質について手短に触れておきたい。本書が出版された一九七〇年においては、美術教育の歴史や哲学に対する学問的関心は、いまだ英国の研究者のあいだにおいても極めて低く、美術教育に関する修士論文でこの学問領域が取り上げられるようになったのは、およそ一九七五年ころからである。そのような意味で本書は、まさにこの分野における先駆的労作であり、いまや英語圏にあっては歴史的文献の基本図書となっている。また、すでにポルトガルでは部分的に翻訳され、ブラジルにおいてもその抄訳が出版されている。
これまでこの種の研究分野においては、Nikolaus Pevsner, Academies of Art, past and present, Cambridge University Press, Cambridge, 1940(邦訳書、ぺヴスナー『美術アカデミーの歴史』中森義宗・内藤秀雄訳、中央大学出版部、一九七四年)が優れた美術教育の歴史書として多くの研究者のあいだで読み継がれてきたが、しかしその内容の大部分はいわゆる「アカデミー」の歴史を叙述したものであり、一九世紀以降の近代的な美術教育の制度の確立や、それを促した理論的、社会的背景については、どちらかといえば乏しいものであった。その点で本書は、アカデミーの美術教育の崩壊から国家による大衆美術教育への介入を経て、美術教育が今日的に自立してゆく過程を、実践的、理論的、社会学的文脈に照らし合わせながら、手際よく跡づけたところに大きな特徴がある。したがってこの本は、ぺヴスナーの歴史書を十分に補完すると同時に、美術およびデザインの近代教育に関する歴史研究におけるひとつの模範書となっている。
しかし、その細部にわたる本格的な研究となると、本書刊行(一九七〇年)以降の、さらには、今後の成果を待たなければならない。そうした成果のなかには、とりわけ『美術・デザイン教育ジャーナル』の第七巻(第一~第三号)が有益である。一九八八年に刊行されたこの巻は、全国美術・デザイン教育学会の歴史的母体となった美術マスター協会の創設百周年を祝うもので「美術・デザイン教育の歴史」を特集として組み、詳細な個別研究が掲載されている。また、本書において多くを割いて論じられている、デザイン師範学校から中央美術訓練学校を経て、王立美術大学へと姿を変えてゆく歴史的過程については、Christopher Frayling, The Royal College of Art - One Hundred of Fifty Years of Art and Design, Barrie & Jenkins, London, 1987 に詳述されている。この本は、王立美術大学創立一五〇周年を記念して一九八七年(前身のデザイン師範学校が一八三七年にサマセット・ハウスに創設されている)に出版されたもので、著者は、同大学の文化史学科の教授である。
とはいえ、英国においてこの研究分野がいまだ黎明期にあることは疑いを入れず、一方わが国においても、幾つかの教員養成系の大学および学部においてこの数年来大学院の設置が進み、美術教育に関する本格的な理論的、歴史的研究の土壌がようやく整備されつつあることも事実である。そうした現状にあって、わが国におけるこうした新しい研究領域の学問的地平を今後開拓するにあたり、この訳書が何らかの貢献をなすことになれば、訳者たちにとって望外の喜びとなろう。
可能なかぎり正確で読みやすい訳文を心掛けたつもりではあるが、訳者たちがこの分野の直接の専門家でないということもあって、思わぬ誤謬を残しているかもしれない。識者のご教示をお願いしたい。
ところで、この訳書を刊行するにあたっては多くの人にお世話になり、援助の手を差し伸べていただいた。まず、玉川大学の利光功教授は、玉川大学出版部への斡旋の労を快く引き受けてくださり、そのおかげで出版のきっかけを得ることができた。心からお礼の言葉を申し述べたい。また、鹿島美術財団からは「出版援助金」をいただき、財政面での助成をたまわった。この「援助金」により、出版が現実のものとなったのであり、ここに記して感謝の意を表したい。さらに、読者数の限られたこうした図書の刊行に英断を下された玉川大学出版部に対しても、深く感謝しなければならない。とりわけ、出版部の関野利之氏と成田隆昌氏には、さまざまなかたちで助言と指導をちょうだいし、不慣れな訳者たちが引き起こしたご迷惑に対しても常に寛容の精神で接していただいた。本当にありがとうございました。最後に、著者ステュアート・マクドナルド氏にお礼の気持ちを伝えておきたい。一九八八年三月にストックポートの自宅に温かく訳者(中山)を迎え入れ、美術教育のさまざまな問題について貴重な知見を授けてくださっただけでなく、訳者たちの求めに応じて、快く「日本語版への序」を執筆していただいた。この訳書を著者ステュアート・マクドナルド氏に捧げたいと思う。
(一九九〇年四月二九日)
図1 『美術教育の歴史と哲学』の表紙。