本書【図一】は、Jan Marsh, Jane and May Morris: A Biographical Story 1839-1938, Pandora Press, London, 1986 の全訳である。
女性だけで運営されている版元のパンドラ出版社は、主として女性史やフェミニズム関連の書物に力を入れている出版社で、これまでに、ヴィージニア・ウルフの伝記やアグネス・スメドレーの中国特派員記録、すでに邦訳もされた『女・アート・イデオロギー』(ロジカ・パーカー、グリゼルダ・ポロック著、荻原弘子訳、新水社刊、一九九二年)などを世に出している。
著者のジャン・マーシュ女史は、ケンブリッジ大学で英文学を修め、一九六五年にはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで社会政策・行政学の修士号を、また一九七〇年にはサセックス大学において、ジョージ王朝時代の詩人と当時の英国の田園生活との関係を明らかにした論文で博士号を取得している。その後彼女は、田園生活や女性史の観点から改めて英国の美術史やデザイン史や文学史を問い直す作業を精力的に進めてきており、主だった彼女の著作は本書の「日本語版への序文」でも紹介されているが、そのなかにはすでに邦訳出版されている『ラファエル前派画集〈女〉』も含まれている。著作活動以外にも彼女は、ジェイン・モリス展(ウィリアム・モリス・ギャラリー、ロンドン、一九八六―八七年)やメイ・モリス展(ウィリアム・モリス・ギャラリー、ロンドン、一九八九年)やエリザベス・シダル展(ラスキン・ギャラリー、シェフィールド、一九九一年)などの展覧会においてその監修とカタログ執筆の任にあたっており、一方、「メイ・モリスと刺繍美術」(セントラル・テレビジョン、一九八八年)や「リジーを求めて」(BBCラジオ第四放送、一九九一年)などのテレビやラジオのドキュメンタリー番組では草案と脚本を担当している。
さて本書は、一九世紀英国の著名な芸術家であり詩人であり社会思想家であったウィリアム・モリスの妻のジェイン・モリスと娘のメイ・モリスの伝記文学であるが、そこにはふたつの特質が備わっているように思われる。大芸術家を対象とした伝記や歴史的記述においては、従来、その人物とかかわりをもつ女性たちの生活や業績は、主人公たる大芸術家の物語の後景へと退けられ、隠蔽される傾向があった。そればかりか、伝記作家やその読者がその主人公に熱い思いを抱けば抱くほど、彼女たちに向けられるまなざしが偏見と化すことも多々あったのである。ウィリアム・モリスと彼の妻や娘たちの場合も少なからずそうしたきらいがこれまでに見受けられた。たとえばそれは、ジェインに関しては彼女の出自や家庭内でのありようが、一方メイに関しては彼女の刺繍デザインの技量や晩年の生活のありようがとり沙汰されてきたことからうかがわれる。本書の特質のひとつは、史料を駆使しながらそうした偏見や憶測から彼女たちを救い出し、これまでのモリスやロセッティの伝記において忘れ去られていた彼女たちの生活と業績を正当に評価している点である。
いまひとつの特質は、女性そのものの歴史を前面に据え、彼女たちの人生がその時代の社会的、イデオロギー的諸力によってどのように抑圧され、制約されていたかを検証し、再提示している点である。ここでは、美神と淫婦の両極に揺れる男性の病理学的な幻想を引き受けながらも、積極的にひとりの女性としてロセッティとの愛を育み、そしてモデルと刺繍の仕事を生涯誇りに思い、その一方で自らの病弱を利用しながら子育てに専念したジェイン。そして自由な家庭環境のもとで新しい時代の教育を受け、ショーとの愛に苦悩するなかで、女性の職業の地位を向上させ、政治に果敢に取り組み、女性の自立へ向けての一歩を踏み出したメイ。このふたりの女性の体験が、ヴィクトリア時代と今世紀初頭の政治的、社会的、文化的文脈に照らし合わせながら再構成され、検討されている。そのような観点からすれば本書は、ウィリアム・モリスの裏面史でもなければ「ウィリアム・モリス」の妻と娘たちについての伝記でもなければ、あくまでも原著の題名どおり「ジェイン・モリスとメイ・モリス」という女たちの物語なのである。
ところで著者は、訳者への私信のなかで原著執筆時の意向をこう語っている。
第一のねらいは、「公的」生活に対置されるところの「私的」生活の問題を真剣に取り上げ、公的あるいは専門的業績について論評するのと同じくらいに、個人の私的な振る舞いについても論議することである。換言するならば、過去の人びとが家庭にあって、どのように家人や使用人などに対して振る舞ったかということである。私の考えでは、こうしたことは公的生活と同様に調査し探求する価値があるように思われる。学問の世界では、この種の知識は社会史のなかの逸話として登場するが、しかしそれでも、そのほとんどが個人を基調としたものではない。伝記の場合、個人こそが注目の焦点をなすものであり、私にとっては、そうした個人の生活が大きな関心となっている。……第二のねらいは、ストーリーテリングつまり伝記の「読みやすさ」に関するものである。……伝記というものは絶対的に厳密に確認可能な事実に肉薄しなければならないものである以上、自分で勝手の物語をつくり変えることはできない。したがって、おもしろく読める本にするためには、筆力に頼らなければならない。つまり物語るための構成や登場人物の性格づけや語りの調子である。私の考えでは、あまりにも多くの伝記が、読者を退屈させるだけの、生気のない単なる年代記となっているのである。……したがって私が興味をもっているのは、第一にさまざまな女性の生活を発掘することであり、第二に政治的社会的文脈であり、第三にそして重要な点であるが、筆力の質なのである。
第三点の「筆力の質」については、「序文」のなかで著者自身、「楽しんで読んでいただきたい」との希望を語っているとおりに、モリス研究者やラファエル前派の研究者だけではなく、一般の読者にとっても、本書は読んでおもしろい伝記文学となっているのではないだろうか。そうした点で、同じ著者によってすでに刊行されているエリザベス・シダルの伝記や現在執筆中のクリスティーナ・ロセッティの伝記についても、本書の読者のかたがたはそれらが翻訳される日を待望されるにちがいない。
翻訳作業の手順としては、まず小野と吉村が全体の下訳を準備し、ついで中山がそれを逐一原文と照合して、訳文の訂正を行なったうえで、でき上ったものを数度にわたり三者で検討し直し、最終訳稿をつくり上げた。できる限り正確で読みやすい訳文を期したつもりであるが、読んでおもしろい伝記文学を目指す著者の意向から外れたものになっていないことを願うばかりである。いまだなお多くの誤謬を残しているかもしれない。読者のみなさまのご教示を願えれば幸いである。
この翻訳を進めるにあたって、著者のジャン・マーシュさんには「日本語版への序文」の執筆をはじめとして、本書ためにさらに六枚の新たな図版を提供していただき、さまざまなかたちでご協力をちょうだいした。心から感謝の気持ちを伝えたい。そして、ウィリアム・モリス協会のレイ・ウォトキンスンさん、ウィリアム・モリス・ギャラリーのノーラ・ジロウさん、王立美術大学のジリアン・ネイラーさんもこの間変わらぬ友情を示してくださった。厚くお礼を申し上げたい。また、不慣れな固有名詞の発音についてご教示をいただいたブリティッシュ・カウンシル(京都)のスタッフのかたがたに対しても感謝しなければならない。さらにお名前をすべて挙げることができないが、訳者のさまざまな愚問に対して親切にお答えくださった同僚、友人のみなさんにも心からお礼を申し上げる。
そして最後に、この翻訳の仕事を与えてくださっただけではなく、訳稿の遅れを辛抱強く待っていただいた晶文社の島崎勉さんと三鬼晴子さんに衷心より謝意を捧げたい。おふたりのエディターシップに支えられながらいまこうして本のかたちをなそうとしている。本当に長いあいだありがとうございました。
(一九九二年八月)
図1 『ウィリアム・モリスの妻と娘』の表紙。