ウェブサイト「中山修一著作集」の開設以来、私の脳裏にあった不安は、最終的なデータの落ち着き先でした。人間の世界でいえば、死後のお墓問題に相当します。漠然とではありますが、「中山修一著作集」(全一五巻)が完結した際には、各巻簡易製本して、これまでに資料の収集でお世話になった神戸大学附属図書館、国立国会図書館、そして地元の熊本県立図書館などに寄贈し、加えて各巻のデジタル・データも、保存していただこうと考えていました。ところが、このことに関して、思わぬ方向へと道が開けていったのでした。
いつもそういう傾向があるのですが、ウェブサイト「中山修一著作集」にかかわってひとつの巻が完成しアップロードすると、ほっとするのか、全身の力が抜けたような状態になります。今回は、第六巻に相当する『ウィリアム・モリスの家族史』をアップロードしたのですが、やはりすぐには次の仕事に向かえず、何となくあちこちのホームページを訪問しては、その間ほとんど知ることのなかった出来事や動きに対面していました。そうしたなか国立国会図書館の「インターネット資料収集保存事業(WARP)」にたどり着きました。その説明文には、「日本国内のウェブサイトを定期的に収集して保存するウェブアーカイビングプロジェクトです。収集した当時の状態のウェブサイトを閲覧することができます」と、書かれてありました。これを読んで、いきなり大粒の雨に打たれたような、身をたたく強い衝撃を感じ取りました。
さっそく検索画面に、キーワードとして「中山修一著作集」を入力し、検索のボタンを押しました。すると、見覚えのある巻名が、ずらりと並んでいるではありませんか。驚きました。私の著作集は、開設当時は四巻から構成され、その後、執筆量が増えるに従い、巻数も少しずつ増えてゆき、現在では一五巻にまで成長してきています。いま私が見ている画面に、何とこの間に更新されたヴァージョンが、見事に収集され保存されているではありませんか。これこそまさに、私の研究上の成長の記録なのです。
私は、全巻が完結した時点で、各巻簡易製本するとともに、そのデジタル・データを付して、資料収集でお世話になった神戸大学附属図書館、国立国会図書館、熊本県立図書館に寄贈し、保存と公開をお願いしようと考えていましたが、それを先取りするかのように、私がインターネットに公開しています研究成果がもうすでに収集されているのです。おそらくこれをもって、私の書いたものすべてが、間違いなく後世に残されることになります。研究者として、これ以上の幸せはありません。現時点では、国立国会図書館の東京本館、関西館、そして国際子ども図書館の館内限定の公開となっていますが、近い将来には、すべての人の端末機器で閲覧が可能となるにちがいありません。そうなる日を夢見ながら、第一一巻の『研究余録――富本一枝の人間像』の完結へ向けて、いま踏み出そうとしているところです。
その一方で、それにしても、なぜもっと早く気づかなかったのかという思いも込み上げてきました。
ウェブサイト「中山修一著作集」に、第六巻の『ウィリアム・モリスの家族史』をアップロードしてしばらくして、神戸大学附属図書館から、貸出図書の返却期限が切れているお知らせメールが届きました。その本は、モリス生誕百年記念協会によって一九三四(昭和九)年に刊行された『モリス記念論集』でした。さっそく返信を書き、今後書く予定の第七巻の『日本のウィリアム・モリス』の完結まで使用させてほしい旨伝え、研究上の使用中図書として貸出延長の手続きをとってもらいました。
そのとき私の頭に、国立国会図書館の「インターネット資料収集保存事業(WARP)」のことが残っていたため、神戸大学の付属図書館でそうした事業が今後展開される場合には私の「中山修一著作集」も収集の対象にしてもらいたい旨、お伝えしました。すると、さっそく返事が届き、そこには、いまのところその計画はないが、すでに作動している「神戸大学学術成果リポジトリ(Kernel)」へ登録・保存し、公開してはどうかという案内が書かれてありました。
この「神戸大学学術成果リポジトリ(Kernel)」には、私が神戸大学に提出した博士論文をはじめ、学部紀要等に書いた一五編の論文がすでに自動的に収集され保存されています。そこで、「中山修一著作集」が将来全巻完結した段階で、各巻PDFファイルにして登録することを考えていたのですが、せっかくお誘いがあったこの機を利用して、すでに完結している、一、二、三、四、五、六、および一〇の計七巻を登録し、保存と公開をお願いすることにしました。
こうして、国立国会図書館の「インターネット資料収集保存事業(WARP)」において、「中山修一著作集」の開設以来のすべての更新ヴァージョンがHTMLの形式で保存される一方で、神戸大学附属図書館の「学術成果リポジトリ(Kernel)」において、最終的にすべての巻がPDFファイルの形式で保存される見通しとなりました。このことは、私の著述物のすべてがデジタル化され、恒久的に次世代の読者に残されることを意味します。研究者として、これほどの喜びはありません。「中山修一著作集」(全一五巻)の最終的完結へ向けて、残りの後半もしっかりと歩き続けなければならないと、新たに自覚した次第です。
ところで、現役時代にもどったかのようなこの一連の動きのなかで、神戸大学附属図書館との新たなつながりが生まれました。実は定年直前の二年間、この図書館の副館長をしたことがありました。すでに眠っていたそのときの思い出が、ここへ来て鮮やかに蘇ってきました。
私は神戸大学に在籍していたある時期、そのつど書いたものを本にまとめ、その数冊でもって定年退職し研究生活を終了するのではなく、生涯にわたって執筆活動を続け、それを著作集という形式に編み、研究者としての全体像を何とか発信することはできないか、そのような思いを強くもつようになりました。そうした思いからスタートしたのが、現在の、ウェブサイト「中山修一著作集」です。しかし、ウェブサイト上に公開する研究成果ですので、その存立基盤は、物質性がないだけに、書籍と違ってとても不安定です。それを少しでも補うべき方法として、国立国会図書館の「インターネット資料収集保存事業(WARP)」と神戸大学附属図書館の「学術成果リポジトリ(Kernel)」が存在することに、このたび改めて気づかされました。前者においてはHTMLの形式で、後者におきましてはPDFファイルの形式によって保存され公開されます。今後こうやって、デジタル・アーカイヴズや電子図書館といった名称を伴いながら、研究成果物の保存と公開の道が、急速に整備されてゆくものと思われます。加えてAI(人口知能)の進化により、デジタル化されたデータは選択可能なすべての言語に翻訳され、私たちは自宅の端末機器を通して世界中の最新の学問にアクセスできるようになるにちがいありません。これは、自室の一空間が、新たな図書館へと、そして学びの場へと変貌することを意味します。神戸大学附属図書館と国立国会図書館における「中山修一著作集」の取り扱いを通じて、私たち旧世代が体験した学習の方法とは全く異なる、別のもうひとつの新しい勉学の手法が、間違いなく、近未来に広がっているのを実感した次第です。
(二〇二二年九月)