中山修一著作集

著作集12 研究追記――記憶・回想・補遺

第三部 わが学究人生を顧みて

第一二編 図書館における資料のデジタル化に思う

国立国会図書館所蔵の資料のデジタル化が、急速に進んでいるように感じられます。いま私は、著作集18『三つの巴――高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子』をそろそろ書き終えようとしていますが、高群逸枝に関係する資料のほとんどが、国立国会図書館のデジタルコレクションに収められており、自宅の書斎においてそれをダウンロードして保存しておけば、いつでも何度でも読み返すことができる恩恵にこの間あずかりました。デジタル化は、利用者の地域格差を解消する、実にありがた技術であることを実感しているところです。

ところが、その一方で、デジタル化された資料にもかかわらず、利用しにくい実態が、熊本県立図書館/くまもと文学・歴史館にあることに気づきました。

ある日私は、熊本県立図書館/くまもと文学・歴史館のホームページを眺めていました。すると、「くまもとデジタルギャラリー」が目に止まり、試しに検索画面に「高群逸枝」を入力してみました。即座に、所蔵資料として「高群逸枝歌幅」「高群逸枝碑文」「高群逸枝原稿」の三点が表示されました。さらに「高群逸枝原稿」のボタンを押しますと、それが「平安鎌倉室町家族の研究」であることがわかりました。しかし、画像は、そのなかの一頁分しか表示されていません。なぜ、全文を閲覧できないのか、なぜそれをダウンロードできないのか疑問に思い、問い合わせ先として示されていたメールアドレスを使って、コンタクトをとりました。以下は、そのときの交信内容の一部です。質問は多岐にわたりましたが、デジタル資料に関する箇所だけを抜き出してみます。事前に通知していますので、ここに公開します。


[第一信質問]

現在私は、ウェブサイトで公開しています「中山修一著作集」の第18巻「三つの巴――高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子」を書いています。つきましては、「くまもとデジタルギャラリー」にあります、くまもと文学歴史館資料コレクション「高群逸枝原稿 平安鎌倉室町家族の研究」(四綴)につきまして、以下にお尋ねいたします。

この資料は、いつでも自由に閲覧できるものなのか、もしそれが可能な場合、閲覧場所はどこなのかもあわせて、ご教示ください。

以上、お尋ねいたします。お手数をおかけいたしますが、お返事をちょうだいできれば、うれしく存じます。ご高配にあずかりますよう、なにとぞよろしくお願い申し上げます。


[第一信回答]

この度は、当館のHPをご覧いただき有難うございます。当館所蔵資料「高群逸枝原稿 平安鎌倉室町家族の研究」に関する、ご質問につきましては、以下のとおりです。

恐れ入りますが、自由閲覧とはなっておりません。研究目的に限りご利用可能で、まず「申請書」(別紙参照)をご送付いただく必要がございます。(申請いただいた後、お時間を頂戴いたします。)また、閲覧に関しましては、紙質等の研究などの現物でなければならない理由がない限り、画像での御提供(閲覧)となります。

色々と制約がございますが、資料保護等の観点から、ご理解いただきますようお願いいたします。閲覧のご希望等ございましたら、再度ご連絡頂きますようお願いいたします。


[第二信質問]

さっそくのご回答、ありがとうございました。これに関連しまして、さらに以下に三点、ご質問させていただきます。

(1)貴館に所蔵されています当該資料「平安鎌倉室町家族の研究」は、真正の実物でしょうか、それとも、複写物を製本したものでしょうか。

(2)ご承知かと存じますが、当該資料のほかに、高群逸枝の遺稿をのちに校訂して出版されたものに、『日本古代婚姻例集』があります。こちらの手稿本も、当該資料「平安鎌倉室町家族の研究」とあわせて、貴館に所蔵されていますでしょうか。

(3)当該資料は特別な理由がない限り、「画像での御提供(閲覧)」とのご回答ですが、「画像」とは、いまそちらのHPで公開されています一枚の画像を指しますか、それとも、全頁を画像として閲覧ができるような状態になっているのでしょうか。もし後者の場合でしたら、国立国会図書館が提供していますデジタルコレクションに準じて、個人送信によって個々人のPCにおいて閲覧が可能となるシステムになっているとありがたいのですが、そのようになっていますでしょうか。

以上、三点につきまして、ご質問させていただきました。お忙しいなか、誠に恐縮に存じますが、ご高配にあずかり、お返事をいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。


[第二信回答]

当館へお問い合わせいただき有難うございます。お尋ねのことにつきましては、以下の通りです。

(1)「平安鎌倉室町家族の研究」は実物を所蔵しております。

(2)「日本古代婚姻例集」につきましても当館で所蔵しております。

(3)「画像での御提供(閲覧)」についてですが、資料全ての画像について閲覧が可能です。当館での閲覧サービスにつきましては以下の二点での御提供となります。

ア、当館にお越しいただき、画像をご覧いただく。
イ、当館にDVDと返信用封筒(DVDの枚数や、送料は利用者様ご負担)をお送りいただければ、データをこちらで入力しご返送いたします。

但し、どちらの場合も、申請書(アとイでは申請書様式が違います。)が必要です。また、申請書到着後二週間程度のお時間を頂戴することがあります。ご了承いただきますよう、よろしくお願いいたします。資料の閲覧等ございましたら、再度ご連絡いただければ幸いです。


[第三信質問]

ご回答いただき、ありがとうございました。つきましては、以下に三点、追加の質問をさせていただきます。

(1)「どちらの場合も、申請書(アとイでは申請書様式が違います。)が必要です。また、申請書到着後二週間程度のお時間を頂戴することがあります」とのご回答ですが、デジタル化された資料については、閲覧に際しての破損や汚損の心配は全くなく、入館その日のその場での閲覧が可能なはずです。たとえば、貴館におきまして、デジタル化された新聞や、送信館限定の国立国会図書館のデジタルコレクションにつきましては、そのような対応になっていると思います。にもかかわらず、なぜ、当該資料につきまして、「申請書到着後二週間程度のお時間」を要すことになるのでしょうか、長時間を要する理由、その間の審査の内容(項目)、閲覧の可否の基準につきまして、具体的にお示しください。

(2)「当館にDVDと返信用封筒(DVDの枚数や、送料は利用者様ご負担)をお送りいただければ、データをこちらで入力しご返送いたします」とのご回答ですが、なぜ、国立国会図書館のデジタルコレクションと同じような、利用者個人がHPからダウンロードして利用、活用をするシステムになっていないのでしょうか。その理由をお示しください。

以上、二点につきましてお尋ねいたします。お忙しくされているなか、誠に恐縮ですが、ご回答いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。


[第三信回答]

日頃から、熊本県立図書館・くまもと文学・歴史館をご利用いただき、誠にありがとうございます。

(1)「入館その日のその場での閲覧が可能」ではない理由です。「デジタル化された新聞や、送信館限定の国立国会図書館のデジタルコレクション」と、今回ご希望の高群逸枝資料は当館においての資料の位置づけが異なります。「デジタル化された新聞」は公開された定期刊行物であり、「国立国会図書館のデジタルコレクション」は、インターネット上で公開されているものになります。一方、当該資料は、高群逸枝の自筆原稿であり、一点ものの貴重な資料であるため、くまもと文学・歴史館が所蔵する特別資料という形で整理しております。特別資料の閲覧については、事前の申請をお願いしているところです。

時間がかかる理由についてです。ご申請の後、閲覧の可否について館内で決裁を行う必要があります。まずは、そのために時間を要します。閲覧の基準については、以前のメールでもお伝えしました通り、原則として、研究目的と認められたものについて許可を出しています。決裁後、資料閲覧の準備を行います。資料閲覧は基本的にデジタル資料を用います。 「ア、当館にお越しいただき、画像をご覧いただく」場合であれば、決裁後ご覧いただけますので、二週間は要しないと思われます。しかし、今回、ご希望の資料は、画像が三〇〇〇枚を超えるものです。量が膨大なために、「イ、当館にDVDと返信用封筒(DVDの枚数や、送料は利用者様にご負担)をお送りおただければ、データをこちらで入力しご返送します」という形になることが想定されましたので、二週間という期間をお伝えしました。相当数の画像をDVDに転送する作業時間を勘案したものです。担当する職員も、通常業務とともにその作業を行うため、相当の時間を要すると考えての期間だということをご理解いただきますようお願いいたします。

(2)「利用者個人がHPからダウンロードして利用、活用するシステムになっていない」理由です。第一は(1)の特別資料という位置づけに因ります。第二はデータ容量の制限が理由です。当館HPの「くまもとデジタルギャラリー」にあります、「くまもと文学・歴史館資料コレクション」「高群逸枝原稿 平安鎌倉室町家族の研究」については、量が膨大であるため、データ容量の制限もあり、一頁目のみをHPに掲載しているところです。ご希望がある方へは(1)で示した手続きをお願いして、データ提供を行っているところです。


[第四信通知]

ご回答いただき、ありがとうございました。しかし、私には幾つもの疑問が残りました。それをお尋ねしても生産的でないこともまた、伝わってきました。したがいまして、これ以上質問をすることは差し控えます。

ただ、いまちょうど、先に書きましたように、著作集18『三つの巴――高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子』を書いていますので、そのなかにおいてか、あるいは別の巻の別の文において、この間のメールのやりとりにつきまして、全文、一部、要約は別にしまして、言及させていただきたいと思います。ちょうだいしました今回の一連のご回答は、今後参入することになるであろう若い高群研究者にとっても、有益なものであり、高い公共性を有していると判断するからです。あらかじめ、申し添えます。


以上が、私と熊本県立図書館/くまもと文学・歴史館とのあいだで交わされた、高群逸枝の「平安鎌倉室町家族の研究」に関するデジタル資料の利用を巡っての質問と回答です。

結局私は、そのハードルの高さを越えるために必要とされる時間と料金の前に、閲覧を諦めてしまいました。そこで少し、考え込んでしまいました。

一点目は、時間と費用のかかる閲覧システムは、開かれた自由なアクセスを妨げる、利用者の立場に立たないシステムであるといわざるを得ません。なぜそのような、時代の要請に逆行するような管理・活用システムがいまだに運用されているのだろうか。利用者のアクセスを遮断して死蔵すれば、管理はしやすいのかもしれませんが、それでは宝の持ち腐れになってしまい、本来の目的を逸脱した、本の墓場と図書館は化すのではないだろうか。

二点目は、資料のデジタル化の意味です。劣化から守り、汚損や破損を受けず、誰でもがどこからでもアクセスすることができるところに、デジタル化の本来の目的はあるのではないだろうか。すでにデジタル化されている資料が、どうして私物化されオープン・アクセスに供されないのか。私のような辺鄙な山のなかに住む、研究費もない独立研究者であっても、研究に専念できるための、調査や閲覧の環境が一日も早く整うことを願いたい。

今回私が経験した、熊本県立図書館/くまもと文学・歴史館のデジタル資料の閲覧方法には、上の二点にかかわって疑問が残りました。

(二〇二五年三月)