中山修一著作集

著作集12 研究追記――記憶・回想・補遺

第三部 わが学究人生を顧みて

第五編 ウェブサイト「中山修一著作集」の巻構成の推移

はじめに

神戸大学を定年退職する数年前から、そのときが来たらその記念に、自身の著作集を公刊したいという希望をもっていました。著作集を出版するには、原稿を集め、不備な箇所を修正し、全体の構成を考え、加えて最後には索引の作成も必要になります。ところが、現役最後の年を迎えようとしていたとき、前立腺にがんがあることが判明し、全摘出の手術を受けることになりました。手術は成功し、退院したものの、体調はもどらず、気分的にも落ち込んだまま、いたずらに時が過ぎてゆきました。そこで、やむを得ず著作集の刊行は諦め、それまでの主だった著述原稿をふたつに分け、『デザインの近代史論』と『富本憲吉とウィリアム・モリス』の二巻からなる私家版冊子体として印刷製本し、定年退職の区切りとしました。そしてその後、退職から一年半くらいが過ぎたとき、この私家版冊子体の著作集(全二巻)を、新たに、「中山修一著作集」として、神戸大学のサーバにアップロードし、一般に公開することにいたしました。これが、ウェブサイト「中山修一著作集」のはじまりです。

いま、ウェブサイト「中山修一著作集」は、全一五巻+別巻で構成されるまでに進化を遂げています。そこで、今後自分の研究上の足跡を振り返るうえでの手掛かりとするために、ここにその推移を、断片的ではありますが、少し書き残しておきたいと思います。

一.ウェブサイト「中山修一著作集」の開設

前立腺がんの摘出手術を神戸大学医学部の附属病院で受けたのは、二〇一二(平成二四)年の夏休みでした。しかし、体調は完全に復調せず、論文を書くでも、著作集のための原稿を整理するでもなく、だらだらと時が流れていました。神戸大学を定年退職したのは、年が明けた二〇一三(平成二五)年三月のことでした。この時点で、何とか『デザインの近代史論』と『富本憲吉とウィリアム・モリス』の二巻からなる私家版冊子体はできていましたが、それ以上のエネルギーはなく、定年後の一年半あまりは、自宅のある神戸と、現役時代に設けていた阿蘇の山荘とのあいだを行ったり来たりする日々でした。この間、まとまった文を書くだけの気力はなく、漠然と思いついた詩歌をメモにすることが、やっとのことでした。そうしたなかにあって、山荘での定住を決意するに至り、そのためにわずかばかりの増築を行ない、荒れ果てていた庭も整備しました。引っ越しを完了したのは、二〇一四(平成二六)年の暮れのことでした。ちょうどそのとき、ウェブサイト「中山修一著作集」を開設しました。サイトのデザインや編集は、現役時代、私の個人ホーム・ページを長いあいだ管理してもらっていた卒業生の方に、引き続きお願いしました。この最初の「中山修一著作集」は、以下のとおり、本巻二巻別巻二巻の全四巻から構成されるものでした。

著作集1 デザインの近代史論
著作集2 富本憲吉とウィリアム・モリス
別巻1  博士論文
別巻2  詩歌集

著作集1の『デザインの近代史論』は、「近代への問いかけ」「デザイン史学とミューゼオロジーの刷新」「ウィリアム・モリス没後一〇〇年に際して」「英国デザインの近代」「『冬の時代』のモリス讃歌」そして「近代史論の周辺」の六章から構成されていました。分量は、A4サイズ(一、六〇〇字)で四〇二頁ありました。四〇〇字詰め原稿用紙に換算して一、六〇八枚に相当するものでした。一方の著作集2の『富本憲吉とウィリアム・モリス』は、「富本憲吉の学生時代と英国留学――ウィリアム・モリスへの関心形成の過程」と「富本憲吉と一枝の近代の家族――出会いから結婚まで」の二部構成で成り立っており、分量は、A4サイズで三九五頁(四〇〇字詰め原稿用紙に換算して一、五八〇枚に相当)でした。いわばこれが、私が神戸大学在職中に書いた論文の総量でした。

二.降灰と熊本地震と心筋梗塞

ウェブサイト「中山修一著作集」を開設する少し前から、阿蘇中岳の活動が活発化し、降灰に見舞われるようになりました。あたかも雪のように降る溶岩の微粒子は、空を黒く染め上げ、この大地に降り注ぎます。はじめての経験でした。夢に見た新生活はどんどん遠のいていく感じがしました。やっと一息つけたのは、二〇一五(平成二七)年の秋ころだったでしょうか。しかしそれもつかのまのこと、二〇一六(平成二八)年の四月一四日と一六日、突如として熊本を大きな地震が襲い、普段の生活が一変しました。さらに、それから一箇月も立たない五月一一日の未明、今度は激しい胸痛が私を襲い、緊急入院をすることになりました。心筋梗塞でした。冠動脈の一箇所にステントを留置し、幸い一命はとりとめました。しかし退院後は、体力や気力にかかわる活動能力がこれまでの六、七割程度にまで低減し、超低速生活を強いられることになりました。何とか論文が執筆できる心身の状態が整ったのは、その年(二〇一六年)の紅葉の季節を迎えるころであったと記憶します。

三.執筆の開始

著作集2『富本憲吉とウィリアム・モリス』は、「富本憲吉の学生時代と英国留学――ウィリアム・モリスへの関心形成の過程」と「富本憲吉と一枝の近代の家族――出会いから結婚まで」の二部で構成され、「富本憲吉と一枝の近代の家族――出会いから結婚まで」の後半に相当する「富本憲吉と一枝の近代の家族――家庭生活と晩年の離別」が未完となっていましたので、そこから書きはじめることにしました。前立腺がんを患って以来の執筆でした。四年以上もの空白期間があり、本当に自分に書く力があるのか、とても不安でした。毎日数時間ずつパソコンに向かい、「安堵村での新しい生活」「千歳村での生活の再生」、そして最終章の「離別とそれぞれの晩期」を脱稿したのは、二〇一八年の二月が終わろうとしていたときでした。一年数箇月の執筆中、私の心をとらえていたのは、憲吉さんの妻の一枝さんはトランスジェンダーだったのではないかという思いでした。全く私はこの分野の知識はなく、熊本県立図書館の司書の方に一からの読書案内を請い願い、加えて、四方を尽くして資料の収集にあたっていただきました。脱稿したことを報告したとき、「おめてとうございます」と言葉をかけてもらったときの晴れがましさは、何にも代えがたく、今後永久に私のこころに息づくものと思います。

四.「中山修一著作集」の再編

「富本憲吉と一枝の近代の家族――家庭生活と晩年の離別」を擱筆すると、「中山修一著作集」の巻構成の再編に取りかかりました。既発表の二巻を解体し、新たに「富本憲吉と一枝の近代の家族――家庭生活と晩年の離別」を加え、さらに今後書きたいと思っている内容に思いを馳せ、ついにこの年(二〇一八年)の秋に、これまでの本巻二巻別巻二巻の全四巻から本巻八巻別巻二巻の全一〇巻へと全面的に改訂して、更新(アップロード)しました。加えて、トップページに「著者について」と「関連リンク集」の項目も新たに設けました。本巻八巻別巻二巻の全一〇巻の構成は、以下のとおりでした。

著作集1 デザインの近代史論
著作集2 ウィリアム・モリスと富本憲吉
著作集3 富本憲吉と一枝の近代の家族(上)
著作集4 富本憲吉と一枝の近代の家族(下)
著作集5 デザイン史・デザイン論
著作集6 ウィリアム・モリス研究
著作集7 英国デザイナー列伝
著作集8 阿蘇白雲夢想
別巻1  博士論文
別巻2  共著論文

これまでの「別巻2 詩歌集」は「著作集8 阿蘇白雲夢想」に衣替えし、執筆継続中の独立巻として設定しました。また、新たに別巻2として、現役時代の最後に書いた于暁妮さんとの共著論文である「月份牌――中国近代のカレンダー・ポスター」を加えました。一方で、「著作集5 デザイン史・デザイン論」「著作集6 ウィリアム・モリス研究」そして「著作集7 英国デザイナー列伝」は、未着手の空白巻として設定し、今後の執筆にゆだねることにしました。

このときの再編にあわせて、各巻の分量も、A4サイズでおおむね二五〇頁、四〇〇字詰め原稿用紙に換算して一、〇〇〇枚になるようにデザインし、表題や目次等のレイアウトにかかわって各巻共通の書式を用いるように工夫しました。

もともと、定年を折り返し地点として、現役時代に書いた量と同程度の分量の文を、定年後に書きたいという夢がありましたので、このとき再編したすべての巻が完結すれば、その夢はほぼ達せられることになります。しかし、空白巻として設定した三つの巻は、内容的にうまく完結するのでしようか。さらには、そのときまで私の健康寿命は維持されているのでしょうか。不安と迷いのなかで計画された再編案でした。こうして、中長期の目標ができ、「中山修一著作集」は、新たに設定された方向に向けて、動き出してゆきました。

五.富本憲吉と富本一枝の個別伝記の完成

予定されていた「著作集5 デザイン史・デザイン論」は、主として「英国デザイン史講義」と「富本憲吉と富本一枝の話」の二部から構成されていました。そこで、二〇一八年七月、まず「富本一枝という生き方――性的少数者としての悲痛を宿す」に着手しました。続けて「富本憲吉という生き方――モダニストとしての思想を宿す」へと進み、両論文を脱稿したのは、二〇一九年一一月の終わりでした。書いてみると、予定していた量を大きく超え、これだけで一巻として独立させるに十分な分量であるこことがわかりました。そこで、次の再編を計画しました。こうしてできた再編案が以下のもので、二〇二〇年二月に更新(アップロード)しました。これまでの本巻八巻別巻二巻の全一〇巻から、本巻のみの構成による全一〇巻への全面的な改訂でした。

著作集1 デザインの近代史論
著作集2 ウィリアム・モリス研究
著作集3 富本憲吉と一枝の近代の家族(上)
著作集4 富本憲吉と一枝の近代の家族(下)
著作集5 富本憲吉・富本一枝研究
著作集6 日本デザインの底流
著作集7 英国デザインの諸相
著作集8 デザイン史研究余録
著作集9 阿蘇白雲夢想(随筆集ほか)
著作集10 阿蘇風花余情(回顧録ほか)

こうして、それまでに予定していた「富本憲吉と富本一枝の話」は、「著作集5 富本憲吉・富本一枝研究」というタイトルを付して独立巻となりました。また「別巻1 博士論文」と「別巻2 共著論文」は合体され、「著作集8 デザイン史研究余録」へ姿を変えました。さらに、阿蘇の山荘に定住して以降に書き進めていた詩歌にはじまる創作も、その領域が、随筆や回顧録、そして写真へと広がりをみせていましたので、それに応じて、「著作集8 阿蘇白雲夢想」を一度解体して、「著作集9 阿蘇白雲夢想(随筆集ほか)」と「著作集10 阿蘇風花余情(回顧録ほか)」に再構成することにしました。その結果として、今後執筆しなければならない未着手巻が、「著作集6 日本デザインの底流」と「著作集7 英国デザインの諸相」の二巻となりました。

六.再び巻構成の手直しへ

こうして、富本憲吉と富本一枝の個別伝記の完成に伴い、二〇二〇年二月に、本巻のみの全一〇巻で構成された「中山修一著作集」が改訂更新(アップロード)されました。しかし、このころから、富本憲吉の妻の富本一枝だけではなく、ウィリアム・モリスの妻のジェイン・モリスの生涯も文章にしてみたいと思うようになりました。それは、「著作集5 富本憲吉・富本一枝研究」を分割し、あわせて、「研究余録――女性と家族の歴史」と題する新たな巻を用意することを意味しました。こうして、五箇月が立った二〇二〇年七月に、以下のとおり、著作集の構成を、これまでの全一〇巻から全一二巻へと全面的に改訂して、更新(アップロード)しました。

著作集1 デザインの近代史論
著作集2 ウィリアム・モリス研究
著作集3 富本憲吉と一枝の近代の家族(上)
著作集4 富本憲吉と一枝の近代の家族(下)
著作集5 富本憲吉研究
著作集6 日英デザイン思想の形成
著作集7 デザイン史再構築の現場
著作集8 研究断章――日中のデザイン史
著作集9 研究余録――女性と家族の歴史
著作集10 研究追記――記憶・回想・補遺
著作集11 南阿蘇白雲夢想
著作集12 南郷谷千里百景

この更新に新たな方向を見出した私は、二〇二〇年八月、著作集9「研究余録――女性と家族の歴史」のなかの第二編「ウィリアム・モリスの家族史――近代の夫婦の原像を探る」の執筆に着手しました。しかし、書き出してみると、書くことが多く、この第二編「ウィリアム・モリスの家族史――近代の夫婦の原像を探る」をひとつの巻として独立させ、「ウィリアム・モリス研究(続編)」にすることを考えました。こうして、二〇二〇年一一月、著作集6のタイトルを「日英デザイン思想の形成」から「ウィリアム・モリス研究(続編)」へ、著作集9のタイトルを「研究余録――女性と家族の歴史」から「研究余録――富本一枝の人間像」へと修正し、更新(アップロード)ました。

七.全一二巻から全一五巻+別巻への再編

執筆が進みました。そのことにより、「ウィリアム・モリス研究(続編)」の巻題を変更して、その内容からして「ウィリアム・モリスの家族史」とするのがふさわしくなりました。さらにこの間、そのほかの巻の執筆も進みました。こうして書き上げた分量が飛躍的に増えてゆき、再編の必要に迫られるようになりました。いつもお願いし、協力をいただいている方の編集作業も順調に進み、二〇二一年一〇月に、以下のとおり、著作集の構成を、これまでの全一二巻から全一五巻+別巻へと全面的に改訂し、更新(アップロード)することができました。

著作集1 デザインの近代史論

デザイン史家としての私の研究の原点と土台となる初期近代史論の集成。

著作集2 ウィリアム・モリス研究

英国デザイナーのウィリアム・モリスについての明治末日本の研究様相。

著作集3 富本憲吉と一枝の近代の家族(上)

憲吉(陶工)と一枝(『青鞜』同人)の家族史――出会いから結婚まで。

著作集4 富本憲吉と一枝の近代の家族(下)

憲吉(陶工)と一枝(『青鞜』同人)の家族史――家庭生活と晩年の離別。

著作集5 富本憲吉研究

モダニストとしてのデザイン思想の文脈から描く富本憲吉という生き方。

著作集6 ウィリアム・モリスの家族史

ウィリアム・モリスとジェイン・モリスに近代の夫婦像を探る。【近日公開予定】

著作集7 日本のウィリアム・モリス

富本憲吉を含むわが国におけるウィリアム・モリス受容の歴史。【一部執筆完了】

著作集8 英国デザインの英国性

近代英国のデザインを語り、加えて畏友の論考を原著と翻訳で紹介。【本文未着手】

著作集9 デザイン史再構築の現場

近代運動崩壊前後の英国と日本のデザイン史再構築の現場の諸相。【一部執筆完了】

著作集10 研究断章――日中のデザイン史

日本と中国を形象する近代デザイン史断章――博士論文と共著論文。

著作集11 研究余録――富本一枝の人間像

性的少数者としての一枝の生涯、加えて友人たちが語る一枝の真実。【一部執筆完了】

著作集12 研究追記――記憶・回想・補遺

学者としての私の天空に宿る研究忘備録、献呈論文、学究回顧録。【執筆継続中】

著作集13 南阿蘇白雲夢想

南阿蘇山中の小庵に隠棲し白雲の流れに夢想する日々の詩歌と随筆。【執筆継続中】

著作集14 外輪山春雷秋月

外輪山の神鳴りと名月に誘われて描かれた小説、郷土人、雑考雑話。【執筆継続中】

著作集15 南郷谷千里百景

わが愛する阿蘇南郷谷の自然と事象と小庵を記憶として残す写真集。【撮影継続中】

別巻 主題別著述総覧

デザイン史、モリス研究、富本研究、周縁探索、阿蘇創作の五つの主題別全著述。

概略、著作集1、2、3、9(後半の第三部、第四部、第五部)、および10は、神戸大学在職中に執筆したもので、それ以外の著作集4、5、6、7、8、9(前半の第一部と第二部)、11、12、13、14、15は、心機一転、南阿蘇(南郷谷)の小庵にて書きはじめたものです。また、内容的には、著作集1,8,9の三巻がデザイン史・デザイン論を扱い、そして、著作集2、6、7の三巻においてウィリアム・モリスを、著作集3、4、5の三巻において富本憲吉を論じています。加えて、その主要研究の周縁に目を向けた雑録三部作が著作集10、11、12で、退職以降に取り組んだ創作を中心とする阿蘇三部作が著作集13、14、15となっています。別巻は、そうした各三巻で構成される主題別の著述総覧です。

おわりに

二〇二一年一〇月の全一五巻+別巻への再編は、私にとりまして、ふたつの意味で大きな励みとなりました。「著作集1 デザインの近代史論」「著作集2 富本憲吉とウィリアム・モリス」「別巻1 博士論文」および「別巻2 詩歌集」の本巻二巻別巻二巻の全四巻をもって、最初にウェブサイト「中山修一著作集」を立ち上げたのは、二〇一四(平成二六)年一二月のことでした。その後、熊本地震や心筋梗塞を経験し、執筆を再開したのが二〇一六(平成二八)年の初冬で、体調への不安、自然への恐れのなかでの出発でした。それからおよそ五年が経過し、「中山修一著作集」は何とか全一五巻(未完の巻を含む)にまで成長することができました。これは、これからの執筆への大きな励みとなるものでした。そして、もうひとつの励みとなるものが、これにより最終的なゴールが見えてきたことです。あとは迷うことなく、ゴールへ向けて一歩一歩書き進めてゆけばいいのです。そうすれば、何年後かには、ほぼ間違いなくゴールに到達します。つまり、「中山修一著作集」(全一五巻)が完結するのです。いまはただ、健康で歩き続けられることを願うばかりです。

(二〇二一年一一月)