『奈良女子大学百年史』(二〇一〇年刊)によりますと、奈良女子大学の前身校であります奈良女子高等師範学校は、一九〇九(明治四二)年の五月一日に、女子の中等教員を養成する官立の学校として開校しました。独自の入学者選抜制度、寄宿寮制度、給付制度、加えて義務就職の制度があり、主として卒業後は、一八九九(明治三二)年の「高等女学校令」の公布に伴い、全国各地に相次いで設置されてゆく高等女学校の教師となって巣立ってゆきました。まさしく、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)に続く、女性の経済的自立へ向けての先導的役割を担う最高学府として誕生したのでした。
一九〇九(明治四二)年、文部省令第七号により改正された「女子高等師範学校規程」に従い、設立時の学科は、予科(修業年限四箇月)と本科(修業年限三年八箇月)で構成され、予科の学科目としては、修身、国語、漢文、外国語(英語)、数学、習字、図画、音楽、裁縫、体操が設けられ、本科は、国語漢文部、地理歴史部、数物化学部、博物家事部の四部門に分かれていました。
一九一九(大正八)年五月一日、奈良女子高等師範学校は創立一〇周年を迎え、盛大な記念行事が執り行なわれました。そうした祝賀ムードのなかにあって、この春、ひとりの女性が入学します。その名を、小林信といいました。小林は、一九〇二(明治三五)年四月二二日、京都府宇治郡宇治に生まれ、入学早々に、一七歳の誕生日を迎えたのでした。
小林が入学するころは、まだ学科試験によって入学者を選抜する制度はなく、師範学校か高等女学校の優秀な卒業生(卒業予定者)を地方長官が推薦し、そのなかから校長が試験のうえ選抜するという方法によって入学者が決定されていました。小林の場合は、おそらく京都府の地方長官(京都府知事)の推薦による入学だったものと思われます。
入学するとさっそく小林は入寮しました。この学校は「全寮制自炊」の方式を採っており、この制度は、異なる地方出身者が家族的雰囲気のなかにあって女子としての人間形成が図られることに重きを置いていました。小林の在学期間の寮務主監は、錦織竹香という人物でした。『奈良女子大学百年史』には、「錦織竹香は、寄宿寮において、一つの家庭のように生徒が『協同和楽』することに努め、自学自修しつつ徳行を錬磨し、自炊を実習することを通して、『婦徳の修養』の実践にあたった」1と、記述されています。小林が入学した年までには、第一寮から第五寮までがすべて整っていました。「各寮は並行して、東西に並んでいた。中庭を隔てて北から五列に並び、附属小学校に隣接していた。各寮とも南側は縁側で、日がよく当たり、広い南庭には物干しや布団干し場があり、ポプラなどの樹が植えられていた」2。同じく『奈良女子大学百年史』には、「炊事当番は、一日一人の交代で、夕、翌朝、昼の三食を作り、炊事経験のない者も、舎内の上級生の指導で、薪に火がつかずに苦労しつつ、ご飯を炊き、十数人の大家族の主婦がつとまるようになったようである。献立は、一週間ずつ当番がつくり、寮監検閲があり、新入生歓迎などの特別の時以外は、一汁一菜と漬物であった」3ことが記されています。
小林が入寮して翌年の一九二〇(大正九)年の一〇月からは、第三学年以上の生徒で、奈良市内かその近郊に自宅や親戚知人宅がある者に対して、そこからの通学が認められるようになりました。小林の自宅が、いまだそのまま出生地の宇治にあり、学校の近隣に親類宅等がなかったとすれば、小林はこの制度の対象者とはなりえず、四年の在学期間中ずっと、寄宿寮を生活の場にしていたことになります。「学校が休暇に入ると、人力車が運動場の藤棚の下に並び、『次々と帰心矢の如き人をのせて車は国鉄奈良駅へ』といった奈良女高師の帰省風景がみられた」4ようですが、こうした帰省風景のなかに、宇治へ帰る小林の姿があったかもしれません。
小林が入学する五年前の一九一四(大正三)年に、これまでの予科と本科による学科構成が廃止され、文科、理科、家事科の三学科制へ移行しました。これにより、予科としての四箇月の仮入学期間が終了したのちに本科の授業が九月からはじまる従来の制度が改められ、新学期の開始が四月となり、修業年限も四年となりました。小林が入学したのは一九一九(大正八)年です。そこで小林は、学校創設時までさかのぼって起算することにより、文科一一期生として入学したことになります。このころ生徒には、文部省から月七円が給付されていました。他方で、就職義務年限は二年と規定されており、おおかたの生徒は卒業後、全国各地の高等女学校の教師となっていました。小林もその例に漏れず、一九二三(大正一二)年三月に卒業すると、山口県にあります、徳基高等女学校に赴任するのでした。
(1)『奈良女子大百年史』(非売品、奈良女子大百年史編纂委員会編集)、2020年、63頁。
(2)同『奈良女子大百年史』、65頁。
(3)同『奈良女子大百年史』、66頁。
(4)同『奈良女子大百年史』、73頁。