中山修一著作集

著作集26 残思余考――すべては夢のなかから 【本文未着手】

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『著作集26』PDFダウンロード (0.2MB)  更新日:2025年2月11日

はじめに――著作集26の公開に際して

ここに公開する著作集26『残思余考――すべては夢のなかから』は、いわば「中山修一著作集」(全二六巻)のまとめに相当する巻です。

これまで、そしてここまで、書き進めてきた自分を振り返り、いま見つめています。最終的に私の関心は、デザイン史、ウィリアム・モリス、富本憲吉、富本一枝、そして、火の国の人びとにありました。なぜ、私はこれらの事象や人物に興味をもったのでしょうか。裏を返せば、そのようなことに惹かれた自分とは、何者だったのでしょうか。さらに加えるならば、その執筆のなかに現われていた、よし悪しを判断する自分の内なる基準とは、一体何だったのでしょうか。そしてそれは、どこから来たものだったのでしょうか。それがいま、どこへ向かって旅立とうとしているのでしょうか。

一九世紀英国のウィリアム・モリスは、いよいよ晩年に入ると、中世の農民反乱を扱った「ジョン・ボールの夢」(歴史小説)を、現在の社会主義者の政治的行動を素材にした「希望の巡礼者たち」(物語詩)を、そして、革命後の人びとが生きる新世界を描写した「ユートピア便り」(夢想的物語)を著わしました。

私もモリスに倣い、書き手として内省を巡らせながら、最後のこの巻において、自身の過去、現在、未来の断片断片を思いつくがままに拾い出し、何かユートピアン・ロマンスのような夢の形式をもつ文として書き上げてみたいと思います。そして、「ウィリアム・モリス著作集」が本編二四巻と補遺としての二巻の計二六巻で構成されていたことに因み、この巻を最終巻として「中山修一著作集」(全二六巻)を閉じたいと思います。

最後に、この巻のタイトルに用いました「残思余考」という用語につきまして書き記します。著作集1から著作集15までを「中山修一著作集」の正編とするならば、著作集16以降の各巻は、その続編に相当します。つまりこれらの巻は、正編を受けての「残余の思考」という連続する流れに沿った副産物として成り立っているのです。こうした事情を背景として、「残余」と「思考」のふたつの単語が合成され、「残思余考」という独自の複合的造語が新たにここに誕生したのでした。この用語を第22巻から第26巻までの著作集最後の五つの巻に適用いたします。


二〇二四年一二月二日
師走に入ったいま、南阿蘇の森のなかの寓居にて
中山修一

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