※全文をPDFファイルでダウンロードしてご覧いただけます。 [PDFファイルについて] 『著作集18』PDFダウンロード (0.2MB) 更新日:2024年10月11日
私は、著作集9『デザイン史学の再構築の現場』の第六部「伝記書法を問う――ウィリアム・モリス、富本一枝、高群逸枝を事例として」のなかの第三編「伝記書法論(3)――高群逸枝の伝記作家はその夫をどう描いたか」の「おわりに」におきまして、次のように書きました。
ところで、以上のような本稿における考察を踏まえて、一種、義憤という力に後押しされて、私はこれから著作集18『三つの巴――高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子』を執筆しようとしています。ここに、予告として書き記します。
まさしく私は、そこに書き記しました予告のとおりに、義憤という力に後押しされて、いまこれから著作集18『三つの巴――高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子』を執筆しようとしています。義憤の内容は、繰り返しませんので、必要に応じて、第三編「伝記書法論(3)――高群逸枝の伝記作家はその夫をどう描いたか」のなかの本論をご参照いただければ幸いです。
さて、ここに公開する著作集18『三つの巴――高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子』は、いわば著作集14『外輪山春雷秋月』に所収の「火の国の女たち――高群逸枝、中村汀女、石牟礼道子が織りなす青鞜の女たちとの友愛」の延長線上に位置するものです。このなかで私は、高群逸枝、橋本憲三、石牟礼道子の三者が、分かつことのできない三つの巴となって存在していたことを知りました。逸枝と憲三は、正式の夫婦です。女性史学を打ち立てるために、「森の家」と呼ばれる自宅に逸枝は隠棲し、憲三は編集者として妻の執筆活動を支えます。道子は水俣の淇水文庫で偶然にも逸枝の『女性の歴史』(上巻)に出会い、強い衝撃を受けます。逸枝の死後のことになりますが、道子は、自らの生を蘇らせるために、残務整理をする憲三に導かれて「森の家」で一時期を過ごすことになり、そこで、自身の後半生を契るのでした。そのとき、道子にとって逸枝は自分を産み落とした「妣」となり、憲三は「最後の人」となるのです。
私は、高群逸枝、橋本憲三、石牟礼道子を別々に切り離すことなく、三つの巴という観点に立って、その連続する生涯を描こうと思いました。逸枝には、憲三が編集した全一〇巻からなる『高群逸枝全集』があり、その第一〇巻が「火の国の女の日記」と題された自叙伝となっています。前半部分を逸枝が書き、逸枝の死去に伴い、後半部分は憲三の筆にゆだねられました。他方、道子には、全一七巻からなる『石牟礼道子全集』があり、その別巻が、「葭の渚」という題名の自伝となっています。したがいまして、それらを丁寧に読めば、十分にそれぞれの人となりを理解することができるのかもしれません。しかし他方で、これまでの経験から、必要な部分を拾い読みするだけでは、なかなかその人の生きた内面には到達できず、自分が文字にしてはじめてその人物の思いの一端が手に入ることを承知していました。つまり、「読んで知る」だけでなく「書いて覚える」ことに、何らかの意味を見出していたのです。そのため、これから私の書く文は「写経」ならぬ「写伝」になるかもしれません。それでも、文筆家の末端に葉隠れする私にとって、この三人について「書き学ぶ」ためには、結果的に書き写しの「写伝」になろうとも、それが必要なのです。
私はこれまでウィリアム・モリスとジェイン・モリスの夫婦、そして富本憲吉と富本一枝の夫婦を取り上げで伝記を書いてきました。そして今回は、本稿において、三組目の夫婦として高群逸枝と橋本憲三を、そして、その後に続く橋本憲三と石牟礼道子の関係を取り上げ、そこに焦点をあてます。執筆をとおして、この三つ巴の内面に隠された、近代の新しい男女が織りなす愛と孤独の実相に直接触れてみたいと思います。そこには、モリスとジェイン、憲吉と一枝とはおそらくは異なる、別次元の夫婦像が現われることになるでしょう。いまから楽しみにしているところです。
二〇二四年四月二四日 陽春のいま、南阿蘇の森のなかの寓居にて 中山修一