中山修一著作集

著作集17 ふたつの性――富本一枝伝 【近日公開予定】

はじめに / 目次
ふたつの性――富本一枝伝
編者について
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『著作集17』PDFダウンロード (0.3MB)  更新日:2024年10月11日

はじめに――著作集17の公開に際して

私は、著作集9『デザイン史学の再構築の現場』の第六部「伝記書法を問う――ウィリアム・モリス、富本一枝、高群逸枝を事例として」のなかの「第二編 伝記書法論(2)――富本一枝の伝記作家はその夫をどう描いたか」の「おわりに」におきまして、次のように書きました。

 以上のような本稿における考察を踏まえて、一種、義憤という力に後押しされて、私はこれから著作集17『ふたつの性――富本一枝伝』を執筆しようとしています。ここに、予告として書き記します。

まさしく私は、そこに書き記しました予告のとおりに、義憤という力に後押しされて、いまこれから著作集17『ふたつの性――富本一枝伝』を執筆しようとしています。義憤の内容は、繰り返しませんので、必要に応じて、「第二編 伝記書法論(2)――富本一枝の伝記作家はその夫をどう描いたか」のなかの本論をご参照いただければ幸いです。

さて、ここに公開する著作集17『ふたつの性――富本一枝伝』は、いわば著作集11『研究余録――富本一枝の人間像』の続編です。そこに所収されています第一編「富本一枝という生き方――性的少数者としての悲痛を宿す」の「おわりに」の冒頭において、私は、以下のように書きました。

 平塚らいてう、神近市子、丸岡秀子、石垣綾子、中村汀女のような、身近に交流した多くの友人たちが自伝や自伝的小説を書き残しているにもかかわらず、そのなかにあって最後まで一枝は、自分の生涯を一著にまとめることはなかった。なぜなのであろうか。一般的にいって、自伝には、自己の歩いてきた人生を、正当化したり、合理化したり、安定化させたりする傾向が、避けがたいこととして伴う。もし人間の言動を、秩序と無秩序、正常と異常、常識と非常識といったような二元論によって分割することが可能であるとする前提に立つならば、おおかたの自伝というものは、秩序、正常、常識という片方の極に立脚して記述されることになる。しかしながら、必ずしもすべての人間が、秩序、正常、常識の世界に生きているわけではなく、それとは別の世界にあって、あるいはふたつの世界を往復しながら、生と性を持続している人たちがいることも、また事実であろう。そうした人たちが、自らの人生を振り返ろうとした場合、どのようなことに出くわすであろうか。想像するに、かかる人は、過ぎ去りし道に置き忘れた品々のふたを開け、なかをのぞき込むにつけ、それがいかに不連続なものであり、矛盾に満ちたものであり、説明がつかないものであるのかに気づき、それを正当化したり、合理化したり、安定化させたりすることの困難さにすぐにでも直面するにちがいない。そしてそのことに基因して、伝記を書くという作業が、いつのまにかに雲散霧消するのではないだろうか。おそらく一枝も、それに近い生き方をしたひとりだったのではないかと思われる。

このように書いた私は、本人に成り代わってどうしても一枝の伝記を書きたいという思いに駆られました。しかしながら、本人が書かなかった、いや、自分の手では書けなかった生涯が、いかに複雑で、矛盾に満ちたものであるのかは、私なりに十分に想像がついていました。それではそれをどう書くのか、自分に問いかける自分がいました。単なる思いつきや、思い込みによる記述では、一枝の真の姿に近づけないだけでなく、場合によっては、一枝の人格や尊厳さえも傷つける可能性さえあります。そう思う私には、どうしても伝記書法上の新しい方法論が必要だったのです。

その意味において、ここに公開します著作集17『ふたつの性――富本一枝伝』は、「まえがき――新しい伝記書法の試み」において詳しく述べていますように、伝記記述に関しての新しい実験の場としてまずもって構想されてゆきました。その結果、一般的に伝記というのは、伝記作家が、対象となる人物の生涯を自分の言葉でもって叙述することによって成立するものですが、ここでは伝記作家は後景に退き、「本人と仲間たちの語り」でもって富本一枝という対象の人間模様を綴ってみることはできないかという考えにたどり着きました。この点が、従来の伝記には存在しない、本稿のもつ記述上の新しい実験といえるかもしれません。具体的にいえば、私は、富本一枝の生涯について叙述する本文のすべてを、本人と夫たる富本憲吉の言説はいうに及ばず、一枝の周辺に存する平塚らいてうや丸岡秀子のような、多くの友人たちによって書き残されている発話内容や、さらには新聞や雑誌等に散見されるところの関連記事、そうした一枝に群がる一連の揺るぎない証言によって構成したいと考えるようになったのでした。

その理由は単純です。できるだけ、いや完全に、虚偽記述をなくしたいという私個人の願望によるものでした。つまり、別の言葉に置き換えるならば、そこには、一枝にかかわる既存の評伝や伝記的小説にみられるような、語り手自身の恣意的な多弁性を、可能な限り排除するとともに、記述にかかわるいっさいの曇りのない客観性をしっかりと担保することによって、主人公の全き実像に迫ってみたいという、強い個人的な願いが横たわっていたのです。こうした一種の義憤のような思いのもと、伝記執筆上の新しい手法が醸成されてゆきました。それは、私の担う役割を、著者としてではなく編者としてのそれに限定することでした。つまるところそれは、私が関与するのは、一枝の生涯の分節化に伴い考案されなければならない章題、節題、そして各項目題についての名称設定に限られることを意味します。こうして、関係する幾多の証言を渉猟し、章や節にグループ分けをするなかから、富本一枝というひとりの女性の一生涯にかかわるストーリーとプロットが生み出されていったのでした。

しかしながら、あくまでも「本人と仲間たちの語り」だけで構成される本文ですから、語りの内容にかかわってその背景や行間をも含めて、必ずしも十全に読み手に伝わるとは限りません。その場合、あちこちで未消化の雑駁さだけが残されてしまう危険性が予想されます。そこで、巻末に「語りの出典と注記」を設けました。ここにおいて、今後の再検証に必要とされる、それぞれの資料の出典を明記するとともに、読者のみなさまの思考や判断の手助けになるにちがいないと思われる範囲に限って補足的に注釈を加えることにしました。

果たして、ここであえて実験する新しい伝記書法の試みが、結果として、どれほどまでに学術的価値を生み出すことにつながるのでしょうか。あるいは、どれほどまでに、一枝の真実の姿を再現することへの有効な手掛かりとなりえるのでしょうか。お読みいただきましたみなさまから、忌憚のないご批評をお聞かせいただければ幸いに存じます。




二〇二四年四月二四日
陽春のいま、南阿蘇の森のなかの寓居にて
中山修一

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