はじめまして、神戸大学の中山と申します。本日はデザイン・クロノロジーの研究会にお招きいただきまして、大変感謝いたしております。これまで私は、デザインの歴史的研究を自分の専門として勉強してまいりましたが、関西の地区におきましては、なかなか同じ研究分野を共有する人が少なく(もっとも全国的に見ましても、いまだデザイン史の研究者は数えるほどしかいらっしゃらないのですが)、そのため私の研究も、家内工業的な細々としたものでありました。したがいまして、このような研究会の場でお話しできるような研究成果はいまだに何ひとつとしてないのでありますが、吉田武夫先生から「デザイン史についてまとまりのある成果というほどのものではなくても、これまでの勉強の足取りや、それについての感想などでよろしいです」という寛大なお言葉をいただきまして、これであれば感想文程度でお茶を濁すことになるかもしれないけれども、逆にお集まりいただいた先生方から研究の方法論や考え方にかかわって未熟な点をご教示いただければ、今後の私のデザイン史研究に新たな方向性を見出せるのではないか、と考えるようになり、この講演をお引き受けした次第です。
本日は、ある一時期のデザイン運動についてや、特定のデザイナーや作品群について語るのではなく、その総体としてのデザインの歴史をどのような観点から概観したらよいのか、というテーマに沿ってお話を進めさせていただきたいと思っております。
さて私たちは、これまでにデザイン史の〈見取り図〉をどのように描いてきたのでしょうか。私たち日本人はその多くを欧米の研究成果から学んできました。とりわけその先駆的業績を、ニコラウス・ぺヴスナーの『モダン・デザインの展開』やS・ギーディオンの『空間・時間・建築』に求めることができると思います。周知のように、ぺヴスナーの歴史記述に従いますと、近代デザインは、アーツ・アンド・クラフツ運動と一九世紀以来発達してきた工学技術とアール・ヌーヴォーにその源泉をもち、ドイツ工作連盟の運動でその発展が一段と促され、ヴァルター・グロピウス率いるバウハウスにおいて成立したことになります。おそらく、近代デザインの成立過程についてぺヴスナーが描いたこの図式は正当なものでありましょうし、多くのデザイナーやデザイン史家がこれまで支持してきた有効な〈見取り図〉であったと思われます。しかし、有効な〈見取り図〉であったとしても、それで十分であるというわけにはいかないようです。現にD・ワトキンは、『モラリティと建築』のなかで、ぺヴスナーの歴史観を批判していますし、またとくに建築史の分野においてその動向は顕著なようですが、今日のポスト・モダン的状況を受けて、その新たな観点から近代デザインの洗い直しの作業が進められています。もとよりデザイン史の研究は、建築史の研究動向に多くの刺激を受けるわけですが、本日は、このような今日的な問題意識から出発した新しい〈見取り図〉を描き直そうというのではなく(もちろんこのことは、緊急性を有する重要な現代的課題でありましょうが)、デザイン史それ自体を自立したものとみなし、それを記述するにあたってどうしてもあらかじめ考察しておかなければならない基本的な視点といったものについてお話したいと思います。たとえば次のような問題点をどのように考えておいたらいいのでしょうか。近代デザインの「近代」、つまり「モダン」とは一体何を意味し、それを支える「モダニズム」とはどのようなイデオロギーとして理解すべきなのか。同時にモダン・デザインの歴史区分をどこに求めるべきか。あるいはまた、次のようなことも問題にしなければならないと思います。「工芸」と「デザイン」の違いは何であり、歴史的に人びとはそれをどう了解してきたのか。工芸史とデザイン史は別個のものなのか、それとも連続体として理解し、その歴史記述を行なうべきなのか。さらには、デザイン運動と教育運動との関係にも興味深い問題が含まれているようです。つまり、バウハウスがデザインの学校であったのと同時にデザインの運動体であったことを想起するならば、一九世紀から今日まで、デザイン運動と美術教育はどのような関係にあったのか、という視点です。しかしそれらにもまして、「デザインとは何か」という問いこそ本質的な問題のように思われます。
そのような、デザイン史を成立させるために基礎的に考察しておかなければならない問題群は、私にとりましてもどれもすべて魅力的なものばかりですが、本日はこれらの問題群に少しでも接近を企てることによりまして、ここにお集まりの先生方にご批判をいただきながら、共通の理解を深めさせていただきたいと思います。
「デザイン史」という日本語は、英語の Design History ないしは History of Design に対応しますが、厳密にいえば、前者は学問領域の名称としての「デザイン史学」を、そして後者は、その学問にとっての研究対象としての「デザインの歴史」を意味していると思われます。そして私たちがデザインの歴史を研究する場合、どうしてもまず英国のデザイン史研究の状況に関心をもつことになります。といいますのも、英国が産業革命を世界で最初に体験した国であり、したがいましてインダストリアル・デザインの問題に直面した最初の国が英国だったからです。ご承知のように英国では、一九世紀に入ると、A・W・N・ピュージンを中心とした一種のロマン主義運動であるゴシック・リヴァイヴァルが展開され、一八五一年には当時の工業製品の粋を集めた大博覧会がヘンリー・コウルのグループの手によってハイド・パークにおいて開催されました。また、一九世紀も後半になると、イギリスの各地にギルドが生まれ、いわゆるアーツ・アンド・クラフツ運動が開花してゆくのです。このような幾つかの事例からもわかりますように、デザインの歴史についていえば、英国が世界史的に一番古い歴史をもち、その研究も先行している国であるといえます。そういう意味からして私は英国に注目するわけですが、それでは、英国におけるデザイン史研究の現状はどのようになっているのでしょうか。
ここにふたつの本があります。ひとつは、Simon Jervis, The Penguin Dictionary of Design and Designers という本で、いわゆるデザインとデザイナーの事典です。もうひとつは、Anthony J. Coulson, A Bibliography of Design in Britain: 1851-1970 と題された、近代デザイン史に関する資料を集大成した文献目録です。この二冊はデザインの歴史を研究するうえでの不可欠の鍵となるものであると思われます。さて本題の、デザイン史研究に関する英国の実状はどうなっているのでしょうか。この二冊の本の「前書き」の部分にこのことが少し触れられていますので、まずそれをご紹介したいと思います。
ジャーヴィスによりますと、「少なくとも英国においては、デザイン史は、一九七〇年代に入ってから発達してきた学問である」とのことです。したがいまして、英国においても極めて新しい研究分野であり、日本においていまだ未熟な段階にあるのも当然のことかもしれません。そしてジャーヴィスは、デザイン史はポリテクニックでデザイナーになる学生を対象とした授業科目として発展したものであり、将来のデザイン活動に役に立つことを考えて、過去一〇〇年くらいの歴史が教授されてきた、と述べています。つまり、デザイン史が登場する背景には、大学における抜本的な組織の再編とデザイナー養成の活性化があり、旧来の個々の工芸史では十分役に立たず、産業革命後に出現する、いわゆるインダストリアル・アート(その後のインダストリアル・デザイン)の歴史、とりわけ一九三〇年代のモダン・デザインの確立の歴史を取り扱う必要があったようです。しかし、「そのことは、近代様式の出現や産業革命の結果を強調するものである。こうした極めて近視眼的なアプローチによる不幸な副作用として、近代様式は、……ポスト・モダンの歴史主義によって……いまや置き換えられようとしているのである」との不満も述べています。このような不幸なことは、design という言葉自体にも当てはまるらしく、ジャーヴィスによれば、「英語の design という言葉は、フランス語、ドイツ語、イタリア語のボキャブラリーのなかでは industrial design の意味を有した言葉として使われている」とのことです。design の語源がイタリア語の disegno(ディセーニョ)にある以上、このような用語法はとりわけイタリアにおいて大変皮肉なものになっているようです。つまりイタリアでは、disegno という言葉に由来する英語の design がその本来の意味を失い、さらには industrial design という極めて限定された意味で使用されているというのであります。このように design の意味が単純化され限定されだしたのは、一八三七年にデザイン師範学校が設立され、その名称に design という言葉が当てられたころからで、それ以降、意味の単純化が急速に進んだ、とジャーヴィスはいっています。しかしジャーヴィスの見解によれば、それまで広い意味に解されていた design の概念を捨て去る理由はなく、そのような立場からこの『事典』も編集した、と述べています。以上がジャーヴィスの「前書き」の要約ですが、デザイン史研究が開始される時期についてはコウルスンもその「前書き」のなかでほぼ同じようなこと書いています。つまり、デザイン史は過去数年前に自立した研究分野として姿を現わした、と述べているのです。この本の初版は一九七九年ですから、前のジャーヴィスの言とあわせると、確かに、七〇年代に入って英国では本格的なデザイン史研究が自立した学問対象になった、といって差し支えないと思います。
それではなぜ、この時期から英国ではデザイン史研究が本格化したのでしょうか。逆にいえば、それまではどのような研究形態が取られていたのでしょうか。この点に関しましては、ジャーヴィスは次のように述べています。「今世紀のはじめの時期にあっては、とくにイギリスでは、工芸家自らが最高のデザイナーであると一般に信じられていた。反論の証拠が十分にあるにもかかわらず、いまだもってこの信念は生きている。同様に工芸家は、デザインの諸技能に関する学術的な研究を支配する傾向にあった」と。その理由はふたつあって、ひとつは、「実際の作品や残っている文書記録がデザイナーよりも工芸家につながるものが多いこと」であり、いまひとつの理由は、「ゼムパーがヴィクトリア・アンド・アルバート博物館でデザインの分類をしたとき、加工過程によって、実際には素材の違いによって分類したこと」に由来しているとのことです。そのような理由から個々の工芸分野の歴史研究は一段と進めことになるわけですが、そのための団体としては、家具史学会、ガラス・サークル、ジュエリー史学会などがあるそうです。したがって今日、「研究者が論議する場合も、……陶芸デザインとか、家具デザインとか、金工デザインといった範囲で論じられる傾向にあり、全体的で包括的なアプローチはほとんど皆無に等しい」とジャーヴィスはいっています。
このように、ジャーヴィスとコウルスンによって書かれているふたつの「前書き」を読み合わせてみますと、英国におけるデザイン史研究の現状を次の三点にまとめることができるのではないでしょうか。 (1)英国において、デザイン史研究が進められるようになったのは一九七〇年代になってからであり、極めて新しい学問分野である。それまでは、個々の工芸の歴史が研究の対象となっていたし、現在もその傾向が一方で続いている。 (2)デザイン史は、主にポリテクニックのデザイン学生を対象とした講義に使われ、そうした学生の将来に役立つことを考えて、過去一〇〇年くらいの歴史に限って取り扱われてきた。 (3)デザインの意味も、したがって過去の一〇〇年くらいのあいだに単純化されてきたインダストリアル・デザインの意味で使用されている。
しかし、デザインの意味をインダストリアル・デザインに単純化し限定することは「極めて近視眼的アプローチである」とジャーヴィスもいっていますように、design の歴史をどこからはじめるかという問題になりますと、英国でもなかなか一致はしていないようです。そのことは、design の概念の変遷をどのようにとらえるか、ということにかかわっており、極めて重要で本質的な問題であると思われます。仮に design の意味を industrial design の意味に限定すれば(simplified された意味での design)、それはおのずと産業革命以降ということになりましょうし、ルネサンス期イタリア語の disegno の意味にまでさかのぼれば(comprehensive な意味での design)、デザイン史もそこまでさかのぼって考えなければならないことになるのではないでしょうか。現に、ジャーヴィスの『事典』はルネサンスから現代までをその対象とし、その期間のデザインの事象と人名を選択しているのです。一方、コウルスンの『文献』では、simplified された意味での design に解され、したがって集められている文献も、一八五一年の大博覧会以降が中心となっています。たまたまこの二冊の本が特徴的に示しているのかもしれませんが、デザインの意味をどのように定義し、デザイン史が対象とする歴史範囲をどこに求めるか、という問題は、デザインの歴史を考えるうえで本質的な部分でありながら、英国においても、どうもいまだまちまちのように思われます。それでは design の語源上の意味は一体何だったのでしょうか。いま一度復習しておきたいと思います。
Stuart Macdonald, The History and Philosophy of Art Education と、萩野宏幸『文明としてのデザイン』を参考にして、design の語源と、辞書による定義を簡単にまとめてみますと、おおよそ次のようになるかと思います。
(1)ラテン語における design の同義語 designare(動詞) mark out / trace out / arrange designatio(名詞) arrangement of order
(2)ルネサンス期イタリア語の disegno の意味 中世イタリア語の名詞である「ディセーニョ」は通常、設計すること、あるいは人工物を生み出す第一段階を意味していたが、一五,一六世紀をとおして、あらゆる形式の芸術作品にとっての創造過程の意味を含むようになった。
(3)『ウェブスター』による design(動詞の場合)の定義 to conceive and plan in the mind (心に想をはらみ、計画すること) to devise or propose for specific function (特定の機能を満たすために工夫または提案をすること) to create, fashion or execute according to plan (計画に従って、創造したり形を整えたり製作したりすること)
このように見てまいりますと、design の原初的な意味は、具体的な形を生み出すこと、あるいは生み出されたものそれ自体よりも、むしろそれ以前の構想や着想の段階における行為、ないしはその行為の結果として表現されたもの、にあるように思われます。レオナルド・ダ・ヴィンチが、disegno を「われわれの三つの芸術の親」と呼んだのもそのことによるものでしょうし、ヴァザーリは、絵画、彫刻、建築を the arts of design(デザインに基づく諸芸術)とみなし、それらについて言及しているそうです。どうやら disegno というルネサンス期のイタリア語は、絵画や彫刻や建築を問わず、何か具体的にものをつくる前にその人のなかに芽生え宿っていったものを指し、略画的なものから精密な下図や図面までを含んでいたようです。このような原初的な意味は、『ウェブスター』にもみられますように、現代英語にももちろん息づいています。私事で恐縮なのですが、いま翻訳しております『ミケランジェロ』にも、この comprehensive な意味での design の用例が多数見受けられます。たとえば、「大理石を切り出すにあたって、ミケランジェロはかなりの正確さでもって群像を design していた」といった具合です。また、「ミケランジェロはついに、新たな部材と細部を創造する天才的な designer となったばかりか、……」という表現もありました。これらからわかることは、現代語の design には確かに単純化された意味もあるが、disegno に由来する包括的な意味が決して失われてしまったわけではない、ということです。したがいまして、ジャーヴィスの『事典』がルネサンス以降を扱い、その項目のなかに「ミケランジェロ」が入っているのも、それなりに理由があるのです。ただ日本語の「デザイン」は、残念ながら、単純化された意味にのみもっぱら使われ、design の原初的な包括的意味合いはほとんど喪失しているのではないでしょうか。といいますよりも、喪失したままで移入されたのではないでしょうか。『文明としてのデザイン』のなかで著者の荻野宏幸氏は現代のデザイン行為を強く批判されていますが、批判の論拠となっているものが、ほかでもない、この、デザインのもつ原初的意味の喪失だったわけです。
さてそれでは、design には、simplified された意味と、comprehensive な意味があることを踏まえて、デザイン史の〈見取り図〉を描こうとする場合、どのような具体的な問題があるのかを検討してみたいと思います。
デザイン史の〈見取り図〉を描くとき問題になると思われる点を、先のふたつの角度から順次述べさせていただきます。
(一)comprehensive な意味でのデザイン史を考える場合
design がその一方でもっている comprehensive な意味に重きを置いてデザインの歴史を考える場合、そこにはどのような問題があるのでしょうか。このような設問が成り立つためには、絵画、彫塑、工芸、デザイン(simplifiedされた意味における)、建築といったさまざまな造形活動に、基盤となるほぼ同一の創造過程が等しく存在することを認めることが前提となります。縦割りの個別の造形活動を支えている横割りの基礎的な底辺それ自体が、この場合のデザインの内実ということですから、そのような底辺があるのかどうかが、comprehensive な意味でのデザインの歴史を成立させる要件になるわけです。それでは果たして、そのような底辺としての創造過程が存在するのでしょうか。たとえ存在するにしても、その過程で表現されたものと思われる痕跡はどのようなかたちで残っているのでしょうか。また、仮に残っているとして、それらをどのような観点から歴史的に記述したらよいのでしょうか。このように、design の語源的意味にあくまでも立脚してその歴史を考えようとしますと、この場においてだけでは解決できない、幾つもの克服すべき重要な課題が横たわっていることに気づきます。そこで本日は、英国の大学レヴェルにおける美術教育の教育課程を参考にし、それとの対応関係で少し考えてみたいと思います。
ご承知のように英国では一九五九年にウィリアム・コウルドストリームを議長とする美術教育国家諮問協議会が設置され、従来のデザイン国家資格証書に替わるもっと基準の高い新しい資格証書の出し方についての検討に入るわけですが、一九六一年にはその結果が報告され、新しい認定書である美術・デザイン資格証書を出すために必要な課程基準の輪郭が提示されます。この課程基準は、入学後全員が受講する「前ディプロマ課程」と、その後に続く三年間の「ディプロマ課程」とを各大学に義務づけるものであり、「ディプロマ課程」では四つの専門領域――純粋美術、グラフィック・デザイン、立体デザイン、テキスタイル・ファッション――のなかのひとつを学生が専攻することになっています。この四つの領域は各大学の事情で少々異なることもあるのですが、このコウルドストリーム報告を境に、英国における大学の美術教育は暫時改革されてゆくことになるのです。
さてここで注目したいのは、「基礎課程」と呼ばれる「前ディプロマ課程」と、その後に学生が選択する「ディプロマ課程」との前後ふたつの教育課程で美術教育が成立しているということです。これは紛れもなくバウハウスにおける教育課程(半年の「予備教育」と、三年間の「工芸教育」と「形態教育」)に由来するものでありますが、このふたつの教育課程を、comprehensive な意味におけるデザイン(それぞれの造形活動の底辺に存在する創造過程)と、個別の造形活動の二者にそれぞれ対応させて考えることができないでしょうか。もしその考えが妥当なものであれば、comprehensive な意味におけるデザインの歴史は、広く「基礎課程」と呼ばれている教育課程の実際なり、そのような課程を成り立たせている理論なりを手掛かりに、さらには、その歴史を遡行するようなかたちで一応考えていったらよいのではないかと考えられますが、いかがなものでしょうか。
(二)simplified された意味でのデザイン史を考える場合
この一〇〇年のあいだに、実際には design の意味がインダストリアル・デザインに単純化され限定されてきたことはすでに述べましたが、それでは、そのようなデザイン史にはどのような問題が含まれているのでしょうか。四つの視点から考えてみたいと思います。
第一点は、生活のためのデザインというよりも産業のためのデザインという立場に立つためか、従来の生産様式である工芸との関係性、あるいは差異性がいきおい軽視される傾向にあることです。Edward Lucie-Smith, The Story of Craft: The Craftsman’s Role in Society という本のなかで、著者のルーシー=スミスは、工芸の歴史には、すべてのものが工芸品であった時代としての第一段階、工芸の観念と純粋美術の観念の分離が起こったルネサンス以降の第二段階、そして、工芸品と工業製品の分離が起こった産業革命以降の第三段階、の三つの段階があることを指摘していますが、この歴史区分は多くの人にとりまして大変理解しやすいものであります。そして、デザインの歴史をインダストリアル・デザインの歴史に限定する場合は、ルーシー=スミスが工芸史の第三段階とした、工芸品から分離した工業製品の歴史をその研究対象にすえることになるわけです。確かに、工業製品を工芸品と全く別のものとみなし、その歴史に限って考察することはデザイン史を自立あるものにするための基本的な要件であるにちがいありません。また、そのように限定した歴史の方が比較的記述しやすいこともあるかもしれません。しかし、人類の生産の連続性といった観点に立ち返れば、ジャーヴィスも指摘していますように、あまりにも産業革命の結果を強調しすぎることになりはしないでしょうか。インダストリアル・デザインの歴史を検証してゆく作業が、いまだ不完全な状況にある現在、それ自体緊急を要する重要な課題であることは確かです。しかし、それだけに止まりますと、デザインの現象を、産業における産業のための造形活動といった固定化した狭い視点から眺めることになり、私たちを取り巻いている生活とか文化といった広い視点からとらえることが段々困難になり、新たなデザインの理念を生み出す手掛かりにはなりにくいのではないでしょうか。デザイン行為のなかに倫理的な側面が介在している以上、この問題は、デザイン史研究のあり方を巡って今後煮詰めてゆかなければならない問題であると思います。
二番目の問題点は、「モダン・スタイル」の出現へ向けての造形上の一般的理念やそのための諸運動が強調されるあまり、個々の製品固有の、経済や技術的側面を背景とした進化の過程に十分な配慮がなされない傾向があることです。近代デザインという場合の「近代」にはそれ自体価値を含んだ理念があったことは周知のことですが、それゆえに、これまでのデザイン史は、どちらかといえば、そのような理念の定着課程に重心を置いて記述される傾向にありました。当然その理念は、家具や陶器やテキスタイルの区別なく、共通にどの製品にも当てはまるものであり、その限りでは、近代デザイン史は、デザインの理念史、あるいはデザインの運動史であったと思います。それはそれで重要なわけですが、あえて問題にするならば、単に「近代」という理念だけでは個々の製品の形態上の進化は十分にとらえることはできないのではないか、という点です。個々の製品は、それぞれ異なった技術的発展を固有の背景として有しており、さらには、その国独自の風土や、場合によっては法的規制に影響を受けているのも事実です。そうであるならば、全体的な理念史や運動史とは別に、イスならイス、時計なら時計といった具合に、ひとつひとつの、具体的なさまざまな要因を考慮に入れたデザインの歴史というものが考えられるのではないでしょうか。このことで参考になるのは、Edward Lucie-Smith, A History of Industrial Design という本です。この本は、第一部「専門職の出現」と第二部「事例研究」から構成されており、第一部では、「前工業社会」から「近代デザインの勝利」までの、インダストリアル・デザインが出現するに至る全体的な歴史過程が扱われ、第二部では、乗り物、室内用品、住宅設備、パッケージなどの個々の歴史が実証的に述べられています。この本を手掛かりに私が考えたことは、「近代デザインの歴史」と一口にいっても、その理念なり運動の歴史と、一つひとつの製品の形態上の歴史とがあり、理念史をより豊かに実証してゆくうえからも、個々の製品についての事例研究は不可欠なものではないか、ということでした。
第三点は、自国のデザインの歴史を中心に記述される傾向があり、各国間の影響関係がどちらかといえば不明瞭であり、地理的広がりをもちえていないのではないか、ということです。この問題を、Fiona MacCarthy, A History of British Design: 1830-1970 に即して見てゆきたいと思います。本書は、英国のデザイン(ここでの「デザイン」の意味はインダストリアル・デザインです)の歴史を簡潔にまとめた入門書で、コウル・グループからアーツ・アンド・クラフツ運動へ、さらには、デザイン・産業協会からインダストリアル・デザイン協議会へ至る道筋が一直線に描かれています。書名のとおり、あくまでも一国のデザインの通史であり、したがいまして、「地理的広がりをもちえていない」のも当然のことであるわけですが、それにしましても少々物足りなさを感じます。といいますのも、この間の英国のデザインは、決して一国の範囲内で自立的に発展してゆくのではなく、大陸、とくにドイツとの影響関係のもとにその歴史がつくられていった事実が認められており、そのことを無視することができないからであります。たとえば、デザイン師範学校が設立されるや、すぐさま問題になるのが、その教育内容だったわけですが、その視察のために英国はウィリアム・ダイスをフランスとドイツに派遣し、結果的にはドイツの教育制度を取り入れることになります。また、コウル・グループの一員で、その理論的支柱となった人にドイツ人建築家のゴットフリート・ゼムパーがいましたが、リチャード・レッドグレイヴやオウイン・ジョウンズやマシュー・ディグビー・ワイアットに比べると、どうも取り扱いは小さいようです。さらにはまた、周知のように、アーツ・アンド・クラフツは『イギリスの住宅』などをとおしてヘルマン・ムテジウスによってドイツに紹介される一方で、英国は、彼の指導のもとに創設されたドイツ工作連盟をモデルとして一九一五年にデザイン・産業協会をつくっています。そして、グロピウスが最初に亡命した国が英国だったこともよく知られた事実です。このような事実関係からもわかりますように、「近代デザインの成立過程」という視点から見る場合は、どうも一国の歴史だけでは不十分なように思われます。また、『モダニズムの建築』のなかで向井正也氏は、「近代建築」の成立期には、一九二〇年代のヨーロッパにおける第一期と、一九五四年以降のアメリカにおける第二期があることを指摘されていますが、この図式はおおむね「近代デザイン」にも当てはまるものを思われます。つまり二〇年代に成立する「近代デザイン」は、どちらかといえば、理念としての近代デザインであり、戦後アメリカで開花してゆくデザインは、明らかにビジネスとしての近代デザインであったからです。このように、「近代デザイン」の成立を二期に分け、そのピークをヨーロッパとアメリカに求めることができるとしますならば、その地理的広がりは単にヨーロッパに止まらないことになります。一国の歴史を記述することが大変重要であることは当然のことであるとしましても、近代デザインの発展が世界的規模をもったものであったことを考えますと、一国の近代デザイン史とは別に、世界史的な観点に立った近代デザイン史が必要なように思われますが、いかがでしょうか。
最後に問題の四点目を述べさせていただきます。それは、この間のさまざまなデザイン運動が影響を与えた美術教育の側面への言及がこれまであまりなされてきていないのではないか、という点です。デザイン師範学校とウィリアム・ダイスの関係は先に少し述べましたが、コウル・グループの人たちが美術教育に対してなみなみならぬ関心をもっていたのも事実です。また一九〇〇年には、国家の美術教育政策を方向づけるために教育者の手によって美術諮問協議会が設置されますが、その結果翌年、王立美術大学は、建築、絵画、彫刻、およびデザインの四つの学科にすっかり改組されることになります。そのとき、この四つの学科の教授にはすべて芸術労働者ギルドのメンバーが就任しているのです。デザイン学科の教授にはウィリアム・リチャード・レサビーが就きますが、この人は、一八九六年にアッパー・リージェント・ストリートに設立された中央美術・工芸学校の初代校長を務めています。もちろんグロピウスが偉大な建築家で美術教育者であったことはいうに及びませんし、ナチの政治的圧力によってバウハウスが閉鎖されると、指導的教師の多くはアメリカへ亡命を求め、その地の美術や建築の学校にバウハウスの考え方を移植することになります。このように見てゆきますと、デザイン運動と美術教育の歴史には深い関係があります。しかし、これまでのデザイン史のなかでは必ずしも美術教育との関係が十分に論じられてきたとはいえません。一九世紀以降の近代のデザインの歴史と美術教育の歴史は不可分の表裏をなすものでありながら、どうもその視点が稀薄だったように思われます。デザイン史と美術教育史を並行して記述することは実際的には繁雑なものになりかねませんが、このような複合の視点を常に保持することが、デザインの歴史とデザインの意味をより正しく理解する道につながってゆくのではないか、といま私は考えています。
さてこれまで、私は、英国におけるデザインの歴史研究の現状を手掛かりにしながら、デザインの意味を探り、それに基づくデザイン史研究上の問題点を幾つか述べてまいりました。これは、デザイン史の方法論を確立してゆくための、私にとりましての第一歩にすぎません。デザイン史という新しい研究分野とデザイン史家という専門研究者が、学問的にも社会的にも十分に認知されるようになるためには、デザイン史の方法論の確立が焦眉の急であると思われます。また一方では、それと同時に、デザイン史を構成するさまざまな歴史的事実を洗い出してゆく作業も、当然のこととして、地道に進めてゆかなければなりません。そのような意味からも、このようなかたちでデザイン史研究の場をこれまで提供してこられました東海大学芸術研究所の先生方に敬意を表する次第です。それでは最後に、古い資料で恐縮ですが、いま私の手もとにあります、一九七九年九月にキール大学で開催されました第二回デザイン史学会年次大会の論文集『デザインと工業――工業化と技術的変化がデザインに及ぼした影響』において、ロジャー・ニューポートが寄稿している「序文」のなかから二箇所を引用することで、結びに代えさせていただきたいと思います。
デザイン史は、もしそれに取って代わる学問がほかにないのであれば、デザイナーが関与することによって生まれた実際的な結果――その人が行なった選択、その人が全力を傾けた創造性、あるいはまた、そのような諸活動にとっての文化的、情報的環境――についての研究として存在することになる。
デザイナーとデザイン史家との関係は、このように、当然ながら部分的に重なり合っている。しかし、デザイン史家が、デザインするうえでの技術を開発する必要がないのと同じように、デザイナーもまた、自らの文化的環境についてや、そのなかにあって自分が行なう客観性の少ない判断の大半について説明する必要はない。仕事をするにあたってデザイナーには関係のないことであろうとも、その後の観察によってそれらのことを説明づけることが、デザイン史家に寄せられた期待なのである。
本日は乏しい内容にもかかわりませず、長時間ご清聴いただきまして、誠にありがとうございました。
(一九八五年)
(1)ワトキン『モラリティと建築』榎本弘之訳、鹿島出版会、1981年。
(2)Simon Jervis, The Penguin Dictionary of Design and Designers, Allen Lane, London, 1984.
(3)Anthony J. Coulson, A Bibliography of Design in Britain: 1851-1970, Design Council, London, 1979.
(4)Stuart Macdonald, The History and Philosophy of Art Education, University of London Press, London, 1970.
(5)荻野宏幸『文明としてのデザイン』サイマル出版会、1975年。
(6)Edward Lucie-Smith, The Story of Craft: The Craftsman’s Role in Society, Phaidon Press, Oxford, 1981.
(7)Edward Lucie-Smith, A History of Industrial Design, Phaidon Press, Oxford, 1983.
(8)Fiona MacCarthy, A History of British Design: 1830-1870, George Allen & Unwin, London, 1979.
(9)向井正也『モダニズムの建築』ナカニシヤ出版、1983年。
(10)Design and Industry: The Effects of Industrialisation and Technical Change on Design, Design Council, London, 1980.