著作集1 デザインの近代史論

第一部 近代への問いかけ

第一章 デザイン学の発生

はじめに

人間は、その歴史の誕生と同時に、ものをつくることをはじめた。あるいは、ものをつくりはじめることによって、人類の歴史の幕は開いたともいえる。デザインの行為は、生産の行為と密接にかかわる以上、人類の歴史を体現するものでもあった。しかし、ものをつくる生産手段の変化、経済とのかかわり方、技術の発展などに伴い、とりわけ産業革命以降の近代産業社会においては、総体としてのデザインの意味するところが大きく変化し、今日まで進展してきている。そうした進展のなかにあって、今日のデザインを見た場合、これまでに語られてきたデザインの有効性が徐々に失われ、その限界が露呈しているといえるのではないだろうか。その原因は、高度経済成長を支えてきた商業主義や産業主義を至上のものとする考え方などに求めることもでき、デザインはそれから脱却するために、これまでの方向性が修正されなければならない事態へと立ち至っている。このような現状認識のもとに、「デザイン学とは何か」という、与えられた遠大なテーマに接近することが、本論文の目的となるものである。

少なくともこれまで、「デザイン学」という学問分野は存在しなかった。したがって、デザインの核心を決定したり、変更したり、方向性を与えたりする役割にかかわって「デザイン学」というものが登場することはなかった。このように、「デザイン学」というものの姿を過去の歴史のなかに見出すことができない以上、それは、今日的に創造されるべきものである。そのために、まずもって、デザインの発達過程を再確認し、あわせて現状についての分析を行なうことは、決して無意味なことではないだろう。なぜならば、そのような一連の作業のなかから、「デザイン学」という学問が必要とされる理由が認識され、「デザイン学」の方向性が浮き彫りにされるであろうと考えるからである。したがって本論文は、最初に、デザインの発達過程についての記述を試み、次に、デザインが置かれている現状の諸問題を検討し、それらを踏まえたうえで「デザイン学」への足掛かりを考察しながら、デザイン思想史の確立を提案し、最後に、「デザイン学」の実質的内容としての環境価値論を述べることにする。以上が、本論文における「デザイン学」を創造するための手法である。

一.デザインの発達過程

この間の近代産業社会において、デザインの発達に大きな刺激を与えた外力として、産業主義と商業主義が考えられる。産業革命から今日の技術革新へと続く一連の技術の発展は、生産構造や流通機構などの変革に止まるだけでなく、大量生産―大量消費という社会・経済体制を確立していった。そのなかにあってデザインは、機械という生産手段を容認し、産業のなかにあって諸芸術を統一し、普遍的でしかも合理的な美を求めようとする、いわゆる近代運動として進行していった。そこには、物質的平等性の確保と機械美の創案がもくろまれていた。

一八世紀中葉、まずイギリスにおいて産業革命が起こった。アブラハム・ダービーが一七一三年にコークスで鉄を鋳ることに成功して以来、蒸気機関、蒸気ボイラーの発明を促し、ついには、蒸気船や機関車などの大型輸送機器が登場するに至った。産業革命が可能にした最も重要で直接的な変化は、流通手段においてであり、なかでも、この蒸気機関の発明は、これまで全く安定していた田舎社会を終結へと導く最高の事件となるものであった。さらに流通手段の変化は、工業の発達とあいまって工業都市の成立を促進すると同時に、都市への急激な人口の流入をもたらした。こうして産業革命は、産業や流通や消費の構造を変革し、その結果都市生活の発達を促し、商工業の発展を可能にしていった。

産業革命がもたらした産業構造の変化は、主として分業とオートメーションによる大量生産として現われた。大量生産は、おそらく過去一五〇年において日常生活に変化を与えた最も重要な出来事であった。なぜならば、その技術は、製造にあたって慎重に計算された厳格な計画を必要とし、そのためには、仕事のそれぞれの段階が専門化されなければならなかったからである。そうした技術は、個人的に直接知らない大勢の人びとにものを売るための生産の技術であり、それは、これまでの職人の仕事のやり方と完全に異なる技術であった。しばしば職人は、彼の製作物を使う人たち(依頼者)を知っているか、そうでなければ、少なくとも彼は、その人たちの営む生活や趣味に対して明確な概念をもっていた。職人はまた、基本的には自分がデザインした製品を完全にコントロールしていたし、しばしば、自分自身の手によって製作のはじめから終わりまでを掌握していた。このような職人による製作の方法に取って代わる大量生産は、全く新しい生産のプロセスであり、それが大規模に適用されることにより、ゆるやかに発展してきていた、これまでの生産と消費の伝統を押し倒すことになった。  

一品生産から大量生産へ、手工具から機械へと変化するなかで、工業製品はどしどし機械の口からはき出され、社会に氾濫していった。しかし、当然ながら、このような工業製品の形や色や材質などのいわゆるデザインにかかわる諸要素について、責任をもって決定することができる人びとは、当時いまだ存在しなかったし、まして、工業が社会に対して与えるであろう影響を十分に予測しえる人びともいなかった。  

このようなヴィクトリア時代の社会的状況のなかにあって、ウイリアム・モリスのデザイン思想は形成されていき、結果的にそれは、デザインの近代運動の先駆けとなるものであった。モリスはしばしば、機械による生産を嫌悪し、中世社会にみられた職人の組織による生産方法の復活を望み、手仕事を尊重する立場を取った。モリスにとって、機械から生み出されるものは粗悪なものでしかなかった。なぜならば、そこにみられる分業化された労働は、賃金と能率によって成り立ち、そうした労働には、本来備わっていなければならない、ものをつくる喜びが失われている、と思われたからである。モリスにとって、「真の芸術」は労働の喜びを体現したものであり、また、労働の喜びを万人が分かち合える構造をもつ共同体こそが、「真の社会」と呼ぶにふさわしいものであった。

しかし、革命的ともいえる、このモリスの芸術=社会観は、そのとき現実することはなかった。むしろ、機械的生産は不可避のものとなって、その後進行していった。そうしたなかにあって、産業革命によって生まれた生産のための新しい手段は文明を破壊する災いではなく、考慮に入れるだけの価値があり、そこから新しい文明の基礎が生まれるであろう、という考えが形成されつつあった。モリスの思想と実践の影響を受けながらも、それを越えて、機械の可能性を認め、さらには、工業が生み出す製品の質を改善しようとする思想に到達したのは、ドイツ工作連盟の人たちであった。こうして、機械による大量生産という生産プロセスが歴史的に肯定され、ここに至って、産業のためのデザインという概念にとっての初期の発展段階が到来することになるのである。  

「機械様式というものが、二〇世紀のデザイン運動の目標でなければならない」と主張するヘルマン・ムテジウスを中心として、ドイツ工作連盟は一九〇七年に結成された。ドイツ工作連盟の同年の第一回年次総会における、建築家テオドール・フィッシャーの演説のなかに、機械肯定の思想を明確に読み取ることができる。彼はその演説のなかで、「人間は機械の特性を速やかに修得し、しかも正しく機械を使用すべきである」と前置きしたうえで、「危険なことは大量生産や分業ではなく、工業が最高の質をもった仕事を生み出すという目的を失ってしまい、時代の支配者ではなくて、社会に奉仕する一員であると工業自身が感じていないという事実である」と述べている。フィッシャーのこの考えで注目すべきは、単なる機械自体の容認に止まらず、さらに進んで工業のあり方にまで言及している点であり、デザインにおける近代運動にとっての最初期の高まりとなるものであった。

会員中最年少者であったヴァルター・グロピウスは、一九一四年にケルンで開かれた工作連盟の展覧会へ出品したモデル工場において、近代産業社会に対応した建築の実践を行なった。この建築について、『モダン・デザインの先駆者たち』の著者のニコラウス・ペブスナーは、そのなかで次のように述べている。「これまでに、この作品ほど物事に関して意気揚々とした人間らしい建築芸術はなかった。ガラスの透明さには何の不思議もなく、また鋼鉄の骨組みは堅く、その印象はあらゆる他の時代の思わくからかけ離れている。私たちが生活しているこの世界は、科学と技術の世界、スピードと危険の世界、それに激しい闘争と個人の安全を無視した世界であるが、グロピウスの建築のなかに栄光を与えられるのは、このような世界にあっての、ものを生み出そうとする活力である」。

しかし、「工業製品の良質化」を目標とするドイツ工作連盟の動きは、ヨーロッパの各地に波及したものの、「良質製品」という合い言葉が、具体的内容を伴って、整然とした理論のもとに裏づけられることはなかった。つまり、ムテジウスを指導者とする工作連盟は、機械を肯定し、産業に対する美術家の協力を求めたにもかかわらず、本格的な美術家の協力のあり方に対して具体的な事例とその理論的根拠を十分に示すことができないまま、時代は、第一次世界大戦へと向かったのであった。

しかし、グロピウスのモデル工場の作品は、美術と工業との調和という問題に対するひとつの解答であり、従来の様式主義に代わる工学的建築の芽生えを促進しただけではなく、バウハウス設立の教育理念を導き出すものでもあった。「工業製品の良質化」を推し進めるためには、美術家を工業に協力させる必要があるとするドイツ工作連盟の理念は、復員したグロピウスによって一九一九年にヴァイマルに設立されたバウハウスにおいて継承された。グロピウスは、これまで社会から孤立していた美術家に、個人的作業から離れ、チームワークによる共同作業へ向かうことを求めた。その理想を具現化する場が、新しい造形教育機関であるバウハウスであった。グロピウスは、バウハウス設立にあたり、リオネル・ファイニンガー(画家)、ゲルハルト・マルクス(彫刻家)、ヨハネス・イッテン(美術教育者)の三人に教授団に参加するように求め、すべての芸術を建築に統合にすることによってこの理念を可能にしようと試みた。近代産業社会における美術のあり方を、教育をとおして実践することによって、バウハウスはデザインにおける近代運動の聖地となり、その地での成果は、その後、おおよそ五〇年代から六〇年代までをとおして各国の多くの建築家やデザイナーたちに影響を及ぼしていった。  

デザインの近代運動の重心となるものは、いうまでもなく、社会的倫理であった。そこでは、真実から離れた見せかけの美や過去の歴史的な装飾を捨て去り、近代の合理的精神に基づく、機能的で普遍的なデザインが求められた。しかし、戦後の復興期を見ると、技術革新や経済成長に反比例するかのように、近代デザイン(モダン・デザイン)の理念は、徐々にその有効性を失い、全く異質な同時代のデザインが姿を現わしてきたのである。

二.デザインの現状分析

現在、インダストリアル・デザインは、技術革新と商業主義の成長に支えられながら、また結果的にはそれらを推進する力として、飛躍的な進歩を見せている。すべての工業製品は、インダストリアル・デザインというフィルターをとおして、広く人間の生活のなかに浸透し、生活様式のみならず、精神構造にまで変革を迫っている。ここでは、同時代のデザインが担っている特質について検討したい。  

第一に、道具環境の地獄化である。大量生産によって奔流のように投げ出された製品は無秩序に生活空間に充満し、環境に対する破壊力となっている。その具体例が自動車であり、家庭電化製品である。確かに自動車は好きな場所に好きな道を選んでいつでも行くことができるし、電気釜はスイッチひとつで飯が炊ける。このように個々の工業製品は便利さと物質的豊かさを提供し、さらには、大量に生産されるがゆえに誰もがみな同じ製品を買うことができるという平等の立場の消費者をつくり上げた。しかし、機械がもたらした物質文明の偉大さと豊かさに酔いしれているあいだに、人間の生活空間は工業製品によって占拠され、道具による地獄化が急速に進行してきているのである。  

第二に、デザイナーが置かれている現状の問題である。今日のインダストリアル・デザイナーは工業社会における分業化されたポジションのひとつである。したがって、前世紀までの職人が製作に携わっていた職能の範囲とは大きく異なる。企業のデザイナーであれば、製品の形態について関与はしても、最終的な決定権までは多くの場合与えられていない。また、何を生産するかにかかわる決定に疑問をはさむ自由は実際にはそれほど許されていない。今日の工業社会では、ものを生産する判断は、デザイナーの意志ではなく、経済の原理に取って代わられているのである。

第三に、消費者の道具に対する生活感情の問題である。大量生産は大量消費の前提があってはじめて可能になるシステムである。大量消費は大衆の物質的欲望を見事に開花させ、一方では増加する人口を維持するうえで必要とされる本質的な要素でもあった。しかし、もうひとつ見逃すことができないことは、この工業社会が前進すればするほど、つくり手と製品と使い手の三者のあいだにかつて存在していた生活にかかわる共通理解が破壊されていくという傾向である。人は誰しも平等に共通の文化の恩恵に浴したいという願望を抱く一方で、自分だけの環境を形成したいという願望をもつ。しかし大量生産による物質の供給は、前者の願望は満たすことはできたとしても、後者の願望を満たすことはないのである。

三.「デザイン学」への発展

「デザイン学」成立の足掛かりを見つけるために、以上において、デザインの発達過程の概略を記述し、現状についての再確認を行なった。  

産業革命後まず問題になったのは、機械の容認と美を巡る問題であって、今日のデザインの理論を発芽させるための母胎になっている。その母胎とは、あくまでヨーロッパの理論的問題解決という手続きであり、一方今日にみられるインダストリアル・デザインの初期の実践は、一九三〇年代のアメリカにおける技術革新と商業主義のあいだに開花したといわれている。その後の日進月歩の技術と、それを武器とする高度の資本主義経済とは、インダストリアル・デザインという特効薬を放置することはなかった。したがって、無秩序に氾濫する工業製品、人間のもつ品物に対する感情を表現できない工業製品――このような工業製品が今日まで続々と誕生している理由は、インダストリアル・デザインの発達の経緯を考えれば容易に理解できる。工業社会において、インダストリアル・デザイナーに求められたものは、大衆が望み、夢みるものを、大衆に先駆けてイメージする直観力でしかなかった。もちろん、このことが無意味だったわけではない。それどころか、物質文明の開花とともに、大衆のもつ物質に対する願望を満たしたことは十分評価されなければならない。しかし一方で、今日にあって問題にされなければならないことは、その反面において人間は何を失ったかという問いであり、その問いに真の解答を与えることがいま求められているのである。つまり、今日の工業社会の混乱を解決する道しるべが必要とされているのである。  

人間が日常使う道具が工業により、大量に生産され、大量に消費されるや、その量産品が社会に対して大きな影響を及ぼすという現象が現われてきた。これまでの工業社会は、大量生産と大量消費が大前提であり、今日のような成功を可能にしたのは、技術と経済とインダストリアル・デザインとの三者であったといえる。今日の多くの人びとは、機械に対して十分使いこなす自信を得ているし、デザイナーにあっては、機械による生産品に新しい美の基準を付与するという命題も十分理解している。今日では、ルイス・マンフォードの『技術と文明』のなかの一文である「われわれが機械を乗りこえることができるかどうかは、われわれの機械を使いこなす能力にかかっている」という言葉も、ハーバード・リードの『インダストリアル・デザイン』における問題提起である「機械生産で作られるものは、美術として欠くことのできない資格をもつことができるか」という命題とともに、一部では完全に消化し、これからも消化できるであろうという自信をもつに至っている。大量生産と大量消費というひとつの生産システムは、急速なスピードでいままさに完成の方向へと向かっているのである。しかし、そのシステムが完成の方向に向かえば向かうほど、社会への影響は増大し、混乱するのである。いみじくもマンフォードは、「機械を使いこなす能力にかかっている」といったが、今日では、人間があまりにうまく機械を使いこなす能力を身につけたがために、その結果である工業製品の氾濫を招き、さらに悪いことには、その最終形態のあり方に責任をもつ人がいないという一方通行のシステムができ上がったのである。果たしてそれでよいのであろうか。デザインが、産業と生活との緩衝地帯として本来の機能を果たすためには、製品の姿のみを単にイメージするだけでなく、現行の社会・経済体制が結果として生み出す最終の姿、つまりは広い意味での「環境」に対して何がしかの責任を果たさなければならないのではないだろうか。

産業革命以来、デザイン運動を巡るテーマは、機械の肯定の問題、美術の問題、商業主義下のスタイリングの問題として展開されてきたが、これからのデザイン運動は、道具世界をオーケストラにたとえるならば、デザイナーはその指揮者的存在になることを求めて展開されなければならないだろう。そして、その指揮者が読み取る楽譜こそが、新しいデザイン運動の理論であり、すなわち私が提案したい「デザイン学」なのである。つまり、ここで提案する「デザイン学」とは、製品の形態だけに関与していたこれまでのデザインの研究から離れ、製品になる以前の資源の問題から、生産される製品や消費される製品を経て、廃棄物の問題に至るまでの道具のすべての生態的価値を探究し、その必然的延長としての環境形成のあり方を検討し提言する、政策学的な学問であるといえるであろう。  

さて、私が提案する「デザイン学」の概要は、環境価値論として次に述べるが、その理論の裏づけとなるべきデザイン思想史の早急な確立を望みたい。というのは、環境価値論とは、現在デザイン行為に内在する矛盾の認識にはじまり、その矛盾解決へ向けた諸評価を経て、全体としてよりよき環境をイメージし、一定の価値判断に基づいてその創造にあたる一連の行為であり、一言でいえば、未来の予測を意味しているからである。しかし、現状から生まれるであろう未来は決して現在の諸問題だけから判断することはできず、現在をつくり上げた歴史的要因、すなわちデザインの歴史に対する一定の研究がなされなければ、未来の予測は極めて困難なものになるであろう。いうまでもなく、ここでいうデザインの歴史とは、単に年表的、百科事典的事実の羅列に終わるのではなく、その時代の人びとが、その時代の道具を生み出した社会的文化的背景およびその思想を発見することであり、したがってそれは、デザイン思想史と呼ぶことができる。そのようなわけで、「デザイン学」の中心を占める環境価値論に正確さと有効性を与えるためには、その前提としてデザイン思想史についての研究が早急に行なわれなければならないのである。これまで、大学をはじめとしてデザインに関する研究機関は、単にデザインのテクニックの研究や教授に追われ、デザインの本質、すなわち何を、なぜ、デザインするのかという最も大切なことをあまりにもなおざりにしすぎてきた。今日のように発展した工業社会においては、製品を生み出す目的や理由に関してデザインは口を出す余地がなく、デザイナーに求められるものといえば、どのようにうまくデザインするかという細分化された表現上のテクニックにすぎなかった。「デザイン学」創造の本来の目的は、このような矮小化されたデザインの現状の打破にあるといえるし、またそのことが、デザインの恒久性を追及するうえでの必須の原動力となっていくことを信じたい。

四.環境価値論序説

今日のデザイナーのなかに、製品をデザインすること、ただそれだけに造形の意欲を燃やし、「創造」という名に酔いしれている者がいたとしたら、それは希であろう。多くのデザイナーは現在、本来のデザインの理念や理想に反して醜い物質世界を形成することに加担する一方で、許されるデザインの職能の範囲が極めて限定的であることに対して疑問を感じ取っているのではないだろうか。デザインが、人間生活の不調和に対する解決策の提案である以上、常に、その時代の不合理性やデザイナーに内在する矛盾から新しいデザインの思想が芽生えたように、同様に「デザイン学」も、現代社会が内包している混乱の解決やデザイナー自身が感じ取っている自己矛盾の解消という方向性のなかから今日的に生まれ出るものであろう。そのような意味において今日的に成立されなければならない「デザイン学」は、「環境」にその焦点をあてることが最もふさわしく、以下に、環境価値論としてその序説を述べてみたいと思う。  

一般に環境とは、自然環境と道具環境の総体であり、そのなかにあっての人間のすべての営為と考えることができるであろう。  

自然環境の一部が道具環境に変化するプロセスの概要は次のようになる。自然環境は、地上で生活を営む生物と、地下に埋蔵されている天然資源とによって成立しているといえる。もちろん、生物とは動植物のことであり、天然資源とは、石油、石炭、天然ガス、岩石、土などのことである。次にこれらの要素は、自然環境としての水、太陽熱、地熱などのエネルギー源と、道具環境の構成物のひとつである機械類とによって、物理的にまたは化学的に操作が加えられる。具体的には、材木であれば、改良木材や紙にするために、単板を製造することであり、チップ化することであり、繊維化することである。石油や石炭であれば、合成樹脂や合成ゴムの基本単位となるモノマー(単量体)の製造である。この操作を第一次加工と呼ぶことができる。この第一次加工が終わると、次はその形状を一定にするための加工が行なわれる。金属であれば、線上、面状、板状、柱状、塊状などの形状に変化する。この段階において、基本的に寸法、材質などはすべて日本工業規格の適用も受ける。これを第二次加工と呼ぶことができる。さらに最終的に、これらの材料群に第三次加工が施され、つまり、建築家やデザイナーなどの選択によって組み合わされたり、接合されたりして「造形」がなされ、具体的な建物や日用生活用品となるのである。こうして道具環境は成立することになる。  

このように見た場合、明らかに道具環境は、自然環境の変形であり、生物学的用語を用いれば、「変態」と呼ぶこともできるであろう。このことは、建築材料や工業材料だけではなく、食料についてもあてはまる。たとえば、自然環境の要素である米、小麦、果物はそれぞれ、酒、パン、ジュースへと変態するのである。さらに今日では、石油から食料が合成されることも可能である。したがって、現代の衣食住のすべてが、自然環境の変態であると考えることができる。人類の歴史から考えると、最も初歩的な変態は、食料としては米作の発見、道具としては矢、弓の発見、建築としては竪穴式住居の考案であろう。それ以前であれば、草や木の実や魚は直接手で取って食べていたであろうし、住居としては、山腹の横穴を利用することによって、雨露を凌いでいたにちがいない。すなわち、この時点では、人間と自然環境の直接的関係であり、今日でいう道具環境は成立していない。したがって、最初の道具環境の成立は、米作による農耕文明の出現からといえる。なぜならば、ここではじめて、自然環境の変態として、農耕や狩猟のための道具、生産物の米、貯蔵のための高床式住居が生まれるからである。  

歴史の流れとともにその変態は複雑、多岐にわたり、産業革命以来の科学と工学の著しい進歩とあいまって、一段とその速度を増している。自然環境から材料、材料から道具環境へと変態する過程のなかで、材料は両環境の中間的媒体として存在している。  

これが、自然環境が材料となって道具環境に至るプロセスであるとすれば、次に問題になるのは、道具環境が自然環境に帰るリバーシブルなプロセスである。自然環境と道具環境とを相互に結ぶサーキュレーションが存在しなければ、すなわちリバーシブルなプロセスが完成していなければ、自然環境は一方的に消滅すると同時に、道具環境は道具の混乱と地獄化を招くことになる。合成樹脂は天然地下資源である石油を大量に必要とし、一方、その一部は硬化すれば不溶不燃と化し、燃えたとしても、人間にとって有害なガスを発生する。今日の課題であるプラスチック廃棄物の処理の問題は、自然環境と、材料としてのプラスチックと、道具環境とのあいだに有効なサーキュレーションがまだ完成していないことに起因している。  

工業文明は、大量生産―大量消費を前提として成立している。しかしながら、一体どこから、つまり何を使って、大量に生産するのか、また、大量に消費されたものはどのような運命にあるのか、という疑問に対しての確固たる解答が、今日までにあって十分に導き出されているわけではない。公害問題、都市問題、資源問題などの今日の工業社会が抱えている問題は、決して工業文明だけがもたらした罪ではないとしても、物質的豊かさと便利さを謳歌し、技術のもつ確かさと可能性を過信する前に、この工業社会が人類の歴史のなかでどのような位置を占めているのかをもう一度確かめなければならない。またその必然的結果として、私たち現代人は長い人類の歴史の延長としての今日、いかなる環境に生存した方がよいのかという価値の内容ないしは判断の基準を形成しなければならないのである。これから研究が進むであろう「デザイン思想史」に根拠を置いて、この「価値の内容ないしは判断の基準」をデザインすることが、ここで提案されている「デザイン学」に期待されているのである。  

本来人間は、自然環境と道具環境をうまく調和させ、三者の円滑な関係を保たなければ生きのびることはできない。公害問題は、道具環境の自然環境への侵入であり、資源問題は、人間の自然環境への必要以上の挑戦である。今日の諸問題を解決するためには、人間・自然環境・道具環境の三者の相互間に強く働く影響力を認め、人間の英知としての価値体系に基づき、三者をコントロールしていかなければならない。そのとき必要とされるのが、ここでいう「デザイン学」であり、デザイナーはそれを楽譜として読み取り、そこから道具環境というひとつの楽曲をデザインしていく必要があるのではないだろうか。

(一九七五年)

参考書目

(1)L・マンフォード『芸術と技術』生田勉訳、岩波新書。

(2)D・パイ『デザインとはどういうものか』中村敏男訳、美術出版社。

(3)栄久庵憲司『インダストリアルデザイン』NHKブックス。

(4)勝見勝監修『現代デザイン理論のエスセンス』ぺりかん社。

(5)H・リード『インダストリアル・デザイン』勝見勝・前田泰次訳、みすず書房。

(6)Kurt Rowland, THE SHAPES WE NEED, Looking and Seeing no. 3, Ginn and Company, London, 1965.

(7)勝見勝『現代デザイン入門』鹿島出版会。

(8)Ken Baynes, Industrial Design & the Community, Lund Humphries, London, 1967.

(9)L・マンフォード『芸術と文明』生田勉訳、鎌倉書房。

(10)岸田純之助「第三技術時代」『朝日ジャーナル』vol. 14、no. 31、1972年。