「人間にとってデザインとは何か」という、人間の立場からデザイン行為それ自体を疑問に付し主題化することは、近年の著しい傾向である。この種のテーマはこれまで、製作者個人のなかに個々に宿っている場合が多く、したがってその解答も、個人の製作上の個性や製作を通じてのデザイン観に由来する極めて個人的なレヴェルでのデザイン思想でしかなかった。デザイン行為を、自然―生産―生活といった人間の全体的な造形活動としてとらえ、そのあり方を歴史的観点から観察し、さらには批判的考察を加えながら本来のあるべき姿を問おうとする本格的なデザイン論的アプローチは、一九世紀以降ヨーロッパで行なわれたようなデザイン運動の体験をもたない日本においては、今日まで皆無に等しかったといえる。
それでは、なぜこのようなテーマが今日問題視されるようになったのであろうか。それはおそらく、これまで生活機器(プロダクツ)をデザインし生産する場合、その使用価値よりも経済的価値を優先する傾向が強かったことに対する反省からであり、またそれを促した契機は、公害などにみられる一連の社会的症候群に対する一種の危機感によるものであった。
したがって、「人間にとってデザインとは何か」という疑問に答えるためには、その手掛かりとして、当然そのような問題が提起されるに至った今日までのデザインの歴史的流れに目を向けなければならない。デザインそれ自体の定義とともに、日本における近代デザインの出発点を歴史上のどの位置に設定するかはまだ明確な定説はないが、とりあえずここでは、近代的技術を使用して量を伴ってプロダクツを生産するようになった時期から今日までを近代のデザインの歴史とし、以下において簡単に考察してみたい。
明治にはじまる日本の近代化政策は、富国強兵の合い言葉のもとに、欧米から指導、援助を仰いだ生産技術を、製鉄、造船といった軍需産業へ注ぐことを推し進め、そのため当時は、国民の生活に目を向けた生産はほとんど行なわれなかった。実際のデザイン活動も、富国強兵の延長にある輸出振興という要請から、ごく一部の手工芸品のなかにみられる程度であり、デザイン教育(当時は一般に図案と呼ばれていた)においても、絵画の応用という取り扱いで、デザインという概念は芽生えていなかった。したがって、明治以降第二次世界大戦までの時期は、一言でいえば、ひとつの国家目標のために諸力が向けられており、デザインそれ自体に今日のような積極的な位置づけがなされていなかったものと考えられる。明治期の生産の目標が欧米列強の軍事力と産業の模倣だったことを指摘したうえで、戦前のデザインについて荻野宏幸は、自著の『文明としてのデザイン』のなかで、「デザインが無かったのではなく、デザイン否定の理念、があった。人間性への無理解を土台とした、大衆蔑視の非民主的な傲慢の哲学があった」1とさえ述べている。
日本における本格的なデザイン活動は、敗戦を契機に、これまでの軍需、重工業から平和産業(すなわち国民生活必需品供給のための産業)へと切り替わる過程のなかで、工業とデザインとが遭遇することによってはじまった。戦後の復興期には、本格的な大量生産システムの歴史をもたない日本は、企業形態、生産システム、製品開発の手法の多くを欧米から学ばなければならなかったが、デザインの対象は国民生活に向けられ、具体的に回転しはじめていったのである。
その後、絶え間ない技術革新と高度な経済成長に支えられながら、家電ブーム、モータリゼイションの到来は各家庭の生活を一変させると同時に、今日でいうデザインの存在とその職域を不動のものにした。この間、私たちの生活が多くの機器をそのなかに取り入れることによって物質的に豊かになり、またデザイン上の技術も絶え間なく開発されていったことは確かである。しかし、そこで展開されていたデザイン活動は、欠乏する物質を補うという社会的目標を前提に、企業活動の要請から「売れるためにはどのようにデザインしたらよいか」という、極めて経済的な価値を重視したものであり、デザイン行為に本来内包されていた「製作にかかわる倫理観」や「人間的生活を見詰める価値観」はここでは後退しがちであり、技術革新の延長、もしくは経済成長の手段としてのデザインの意味が色濃く出ていたのである。企業活動の一部としてそれまで行なわれてきたデザイン活動について豊口協は、「単なる外見上のアピール、またはセールスポイントの処理に走りすぎたきらいがある。そういった現象は、物を創る心が欠如したことに起因していると考えられる」2と分析し、企業目的による経済的価値の優先に対して倫理的価値の後退を指摘している。
一方、七〇年代に入ると、高度経済成長がピークに達するにしたがって、社会全体の歪みが、大都市への過度の人口流入、交通手段の混乱、諸々の公害や薬害といったかたちで現われ、このような今日的状況は、既成の技術思想や経済思想に反省を迫るだけでなく、個々の学問分野に新しい文明、社会のあり方を模索しはじめる契機を促すことになった。たとえば、星野芳郎は、近代技術の本質を自然分断のシステムと労働力分断のシステムとしてとらえ、人間にとって技術とは何かという根源的な問いを投げかけている3。また、玉野井芳郎は、公害などの社会的症候群に対して無力である商品経済や市場経済を対象とする既成の経済学に批判的作業を加えることによって、自然と人間の問題を含む広い領域を対象とした経済学への接近を試みている4。同様に今日、デザインの分野においても、問題の中心は形態や色彩の問題よりは人間の問題であるという認識が高まり、人間を主軸に置いたデザインの本質や理念の再検討をとおして、改めて本格的なデザイン思想形成への道が展開されようとしているのである。
このような歴史的背景のもとに、「人間にとってデザインとは何か」というテーマが、今日問題視されるようになったわけであるが、そのことはデザイン上の主たる問題が、これまでの「どのようにデザインするか」という形態決定にかかわる技術的側面から、人間とプロダクツとの全体的な調和のあり方の検討へと移行することを意味している。
クルマの例でも明らかなように、デザイン活動の結果としての生活機器と、それを使用する人間のあいだで、生活を豊かにするというデザインの理念に反して、さまざまな摩擦が生じている。このことは、個々の生活機器の形態上の洗練とは逆に、個人生活においても社会生活においても、その全体性に視点を向けた場合、明らかに人間とプロダクツとの関係において歪みが生じていることを示している。
このような不調和の諸現象をデザインの対象とした場合、調和ある安定した人間的存在を確立するためには、自然―生産―生活の全体系の諸関係がどのようにあるべきか、という生命系のレヴェルまでその範囲を広げて検討しなければならない。もちろんこのようなアプローチは、これまでの形態決定としてのデザインの知識や技術だけでは解決することができず、諸学問の協力と参加が必要であるが、しかしデザイン行為自体が、その形態の機能、使用されている素材の特質、生活に及ぼす諸影響について知るのに最も近い位置にある以上、人間とプロダクツとの関係について論じることはデザイナーおよびデザイン教育者にとって避けてとおることのできないものであり、真の責務でもあろう。
これからは、どのようにデザインするのかという旧来のデザイン上の主たる問題であった形態決定の技術的側面(ハードなデザイン)だけではなく、人間とプロダクツとの調和のあり方を多元的な方向から考察し、提案するデザインの領域(ソフトなデザイン)の本格的な展開が期待されている。デザインを問題解決の行為として考えるならば、「個々の生活機器をどのようにデザインするか」というアプローチは、形態をとおしての人間とプロダクツとの一対一の調和についての問題解決を意味し、一方、「人間にとってデザインとは何か」というアプローチは、思想をとおしての自然を含めた文明全体の調和についての問題解決を意味している。したがって、現代文明における芸術的価値を存続させるための方法として、物質的環境、社会組織、産業組織、および教育組織の四点の再構築を要請したハーバート・リードの主張5は、極めて今日的で本質的な問題提起といえるであろう。
「人間にとってデザインとは何か」という問題提起は、いまはじまったばかりであるが、検討を積み重ねていくことによって、日本では今日までほとんど照明があてられることがなかったデザインの本質や理念がさらに明確になり、今日的な意味でのデザインの対象と方法とが確立されるものと考えられる。
(一九八〇年ころ)
(1)荻野宏幸『文明としてのデザイン』サイマル出版会、1975年、9頁。
(2)豊口協『IDの世界』鹿島出版会、1974年、41頁。
(3)星野芳郎『技術と人間』中公新書、1969年。
(4)玉野井芳郎『エコノミーとエコロジー』みすず書房、1978年。
(5)H・リード『芸術の草の根』増野正衛訳、岩波書店、1956年。