第一部 近代への問いかけ
第二章 非経済学的価値としてのデザイン
はじめに
今日の産業社会におけるデザインという概念は、産業革命を契機として急速に発展してきたものであり、各時代の社会的文化的要請によって、その意味する内容が変化しながら、今日に至っている。
本論文の目的は、技術革新と情報科学の発達に伴い、重大な転機に立っている現代の産業社会の状況のなかから、今日のデザインのもっている問題点を探し出し、それを非経済学的価値の側面から問題解決の方向を求めることにある。
一.現代デザインの動向
日本における現代デザインの動向を知るうえで、以下に挙げるふたつの文章は、興味深い。両文章とも、『工芸ニュース』に掲載されたもので、ひとつは、一九六一年のデザイン展望という内容のなかに記述されている次の一文である。
インダストリアルデザインという職域が、わが国では台頭期にあった当時は、良くいえば、デザイナーたちは、今より、よほど純粋であった。製品全体をよくする上に、未開拓の新分野を担当し協力するという考えに胸ふくらむ思いで仕事をしていた。今日からみると、ずい分と単純な考え方であった。そして、事実この職能はそれほどなまやさしいものではないのを知ったのだ1。
さらにもうひとつは、一九七〇年デザイン展望と題して、次のように書かれている。
対象の拡大とともに、最近のデザイナーの活動形態の変化もみのがせない。プロジェクトチームの一般化、インターディシプリナリィなチームによる研究活動やデザイン開発が目立つようになっていること、デザインを生産、流通のネットの中で位置づけ、これらを含んだ組織活動にもっていこうとする動き、さらに、具体的なデザイン以前の企画や調査、アイデアの提供などのシンクタンク的ともいうべき方向をめざす動きなどである2。
このふたつの文章を読み比べると、わずか一〇年という短期間に、デザインの意味する内容が、明らかに大きく変化していったことがわかる。
このようなデザイン概念の変化の段階を、クリストファー・ジョウンズは、進化論的観点から次のように三つの段階に分類している3。
第一段階 craft evolution
デザイナーと呼ばれる人たちが現われる以前にすでに高いレベルに達していた、非常にテンポのゆるやかな進化の段階。
第二段階 design process by drawing
われわれの社会の工業生産方式に対応するために生み出された、迅速なデザインのプロセスの段階。
第三段階 systems design
今日その必要性が大いに強調されながらも、まだ実際化されるにはいたっていない、工業製品の使用のパターンを計画=デザインする段階。
そして、この第三段階のシステマティックなデザインという方法論の出現に対して、ガイ・ボンシーペは、次のような四つの理由の存在を列挙する4。
第一は、デザインプロセス合理化の必然的な感情の存在、つまりデザインプロセスに、より客観性と明白さを付加する欲求が感じられたためである。合理的なデザイン方法論によって、将来の結果を管理、予測、計画、することが可能である。
第二は、デザイン学生が授業で合理的な基準となるものをたずねたからである。彼らは情緒の代りに合理的議論を求め、非個性的なデザイン教育を求めている。
第三は、デザイン方法論自体の発展のためである。この発展は、デザインの実際面に科学や科学的方法が影響した結果だと思う。デザインの芸術からの分離、科学的分野への移行がみられるが、この点に関しては激しい論争がある。
第四は、生きるために、デザイナーは産業の内部で技術者の用いたのと同様の合理的方法に、自己を適応させなければならなかったためである。
これらが、ガイ・ボンシーペが指摘するデザイン方法論の出現を促した四つの要因であるが、さらに出原栄一は、システマティックなメソッドが要請される理由について、言葉を変えて、次の三点を指摘している5。
第一に、需要面からの要請として、設計者に対して与えられる課題(与条件)の質的量的変化。
第二に、設計プロセス自体からの要請として、設計プロセス自体の手法、道具などの変化。
第三に、加工プロセスからの要請として、加工、組立工程の機械化、能率化などの変化。
おおよそ以上が、近年発表された資料のなかにみられる、現代におけるデザイン概念の変化とその変化を促した要因である。ここからわかることは、デザインの意味する内容が、従来の最終製品の形態、材質、および色彩を直感的に把握する作業から、どのような方法を取れば、最も目的に合致した合理的なものが生み出されるかという方法論へと大きく変化していることである。
しかし、このシステマティックなデザインという問題解決の道具が、現在においていまだ十分に活用化されず、デザイン行為に定着しない原因は何であろうか。そのことに関して、ガイ・ボンシーペは、以下の四点を挙げている6。
第一に、デザイン方法論は退屈で、役に立たない。
第二に、衒学的で、浅薄である。
第三に、従来ごくありふれた計画手法をデザインプロセスに適用してきたに過ぎない。
第四に、現在のものでは、デザインの創造性の障害となる。
一方、出原栄一は、システマティックなメソッドのふたつの流れに着目して、Black Box Methodに代表されるような、集団設計活動からいかにして個人の能力以上の創造性を引き出すかという点を重視する考え方と、Glass Box Methodとして一括される、いよいよ複雑化する設計過程をいかに合理的に分業化して、精度、能率の向上をはかるかという点を重視する考え方とのあいだには、かなりの相違が存在することを論じている7。
また、石川弘は、製品デザイン体系化の困難さの原因を、哲学、美学における人文科学的アプローチ、物理、化学における自然科学的アプローチの両極矛盾に加えて、現実の場として、経済、経営における社会科学的アプローチが混在している点に求めて、「直感の不安定、不確実さ」と、「システムの複雑さ、固定性」のあいだに立って、問題の程度によって両者の使い分けが行なわれている現状を指摘し、両方の関係の再編成の必要性を強調している8。
このように、システマティックなデザインに関しては、これまであらゆる角度から説明され、検討されてきたが、最終的にこの方法論自体が、機能的に活性化していないのは、なぜだろうか。ひとつには、デザイナー側に方法論に対しての認識の浅さや誤用があり、もうひとつは、デザイナー側が、方法論に対して十分な信頼性をもっていないという点にあるといえる。
一方の理由であるデザイナー側の方法論に対する認識の浅さ、または誤用という点に関して、ガイ・ボンシーペは、ブルース・アーチャーのデザイン方法論に批判を加えながら、さらに次のように指摘する。
アーチャーのデザイン方法論の基本的仮説は、「すべてのデザインプロセスには同一の理論構造が存在する」9というものである。彼の方法論をもってするならば、いかなるデザイン問題に対しても、一種の魔力的な鍵を持つことになる。けれども彼はデザイン問題の多様性を考慮していない。灰皿のデザインに、農耕機械と同じ方法論は適用できるだろうか。われわれは問題の複雑さの程度に応じて体系づけられた多様な方法論を必要としているのである10。
この指摘から判断すると、ガイ・ボンシーペは、一般原理のモデルとしてのデザイン方法論は、すべてのデザイン対象に適応できるものではなく、その点を十分認識しないで、無理に適応しようとするところに、デザイン方法論の有効性が失われている、と考えているのである。
これに対して、ブルース・アーチャーは、自分のデザイン方法論が有効性を発揮するためには、どのように取り扱ったらいいのかということについて、「特に強調しておきたいことは、私が提唱するのはデザインを進めてゆく過程で、何か困難な状況に直面した場合に有効な手法の一つであって、目的が明確になっていて問題の解決への道すじも明らかになっている状況においては、私の提案するデザインのステップを一歩一歩忠実に、順を追って進めることはあまり意味がないということである」11と、どちらかといえば、あいまいな態度を取っている。しかし、現実的に必要とされている方法論は、あるひとつのデザイン対象に対して、その対象のもつ問題を解決するために最も有効に作用する道具としての方法論であろう。ガイ・ボンシーペの言葉を借りるならば、問題の複雑さの程度に応じて体系づけられた多様な方法論を用意することなのである。そのためには、「問題の複雑さの程度」をある一定の次元(基準)によって色分けし、問題の度合いを幾つかの段階(レベル)に分節化することが必要であり、分節化したレベルに対して、一般デザインプロセスモデルから発生した特殊モデルをそれぞれに適応させることではないだろうか。
以上、デザイン方法論が、機能的に活性化していない一方の理由であるデザイナー側の方法論に対する認識の浅さ、および誤用という側面から述べてきたが、それに比べて、もう一方の理由である、デザイナー側がデザイン方法論に対して十分な信頼性をもつに至っていないという事実の方が、より重要な意味をもっているように思われる。この信頼性という問題に関して、ガイ・ボンシーペは、「デザインにおける評価」という一節のなかで、次のように詳細にわたって力説している。
デザイン方法論は概して保守的である。特に、アーチャーはこの流儀に従っている。彼は自分の方法論を「必要」あるいは「与えられたもの」で開始している。つまり、デザインプロセスの初期段階には一つの「必要」があり、いわばその「必要」でもってデザインが始まるプロセスである。あなたがたは、デザイン行為によって、「必要」を満たそうとする。しかし、「必要」が正しいかどうかについて、デザイン方法論は何も教えてくれないことを理解すべきである。デザイナーが社会の「必要」と自己の仕事を関係づけようとするならば、社会状勢について、批判力を持った評価でもって開始しなければならない。このような評価についてデザイン方法論は全く沈黙し、無価値の方法論を組み立てようとしている。デザイン方法論は現実的な評価の立場で開始されるべきであるし、その責務がある12。
ガイ・ボンシーペのこの指摘は、旧来のデザイン方法論の範囲を越え、デザイナー自身が直接的に社会に対応していくという方向性を示していて、その革新性は高く評価されるであろう。確かにガイ・ボンシーペが指摘するように、これまでのデザインプロセスにおいては、一般にその第一段階において設定される与条件に対してデザイナーは関与することができず、外部から与えられた条件がすでに正しいものとして、デザイン行為をはじめなければならなかった。このことが最も明確に記されているのは、ブルース・アーチャーのデザイン方法論のなかにおいてであり、彼はデザイン作業の進行過程を一〇の段階でとらえ、その第一段階を次のように説明しているのである。
デザインの基本方針(policy)というのは、デザインチームの外側から与えられるのが普通である。したがってこの場合の目標(objectives)とは経営者にとって最大の利潤を得ることになり、より大きな資本の蓄積を目指すということである13。
このように、ブルース・アーチャーのデザインプロセスの第一段階の位置づけと内容が示すように、デザインが資本家の経済的効果の増大のための手段であり、それに従うことが、社会の発展を導くものであるとする考え方は、従来の工業社会においては、多くが疑問を感じることなく、またあえて批判を加えることなく、当然のこととして広く容認されてきたものである。
そのことは、現代デザインの社会的要請理由および発展過程から容易に理解することができる。結果的には封建制度の崩壊と資本主義制度の確立をもたらした産業革命は、これまでの職人による生産方式を、部分的には残したものの、ほぼ完全に消滅させ、それに代って、産業、社会の再編成および定着という工業化社会への移行の過程で、工場経営者への美術家の協力を要請していった。前述の引用(一九六一年デザイン展望)のなかで述べられている、「[デザイナーたちは]製品全体をよくする上に、未開拓の新分野を担当し協力するという考えに胸ふくらむ思いで仕事をしていた」という一節からも、その時代の社会とデザイナーとの関係の様子をうかがい知ることができる。さらに、二〇世紀後半の資本主義経済にみられるひとつの特徴的な傾向である、全体として相当に高い経済成長が持続的に実現されるなかで、デザイナーに求められたものは、大衆が望み、夢見るものを、大衆に先駆けてイメージする直観力であった。絶え間なく進行する技術革新を背景に工業化社会が高度に成長する過程においては、デザインの機能は産業と社会の中間的媒体としての消費生活を秩序づけることであるという一般形式論は当然のように姿を消し、利潤追求の動機が原動力となって、消費者の欲望を満足させる商品が迅速かつ豊富に供給されることを至上とする経済効率のもとにデザインは埋没していくのである。こうした産業と経済の変化を考えることによって、効率、合理性、客観性といったものを価値の拠り所としながら、これまでのデザインプロセスが整理、統合されて一定のデザイン方法論へとかたちをなしていく背景が理解できるし、しかもデザイン作業の第一段階を、ブルース・アーチャーの第一段階にもみられるように、経済的効率という点から決定されたデザインの与条件が一方的に外側から提示される段階として位置づけようとする理由も同じように理解することができるであろう。
しかし、このデザインの与条件、すなわち、ガイ・ボンシーペのいう「必要」が正しいかどうかという評価に対して、一般にはデザイナー自身が参加できない現状において、明らかにそのことに起因すると考えられる問題点が、今日幾つか複合しながら発生している。その問題点とは、製品が生み出された結果引き起される使用形態もしくは社会変化に対するイメージと、分業化された実際的なデザイン作業(形態操作)とのあいだには、かなりの隔たりがあり、その点に関して、デザイナー自身が少なからぬ矛盾と不満をもっているということである。多くのデザイナーがもっている、自分たちのデザイン技術を公共的利益のために行使するとする社会的使命観と、営利企業の目的である利潤追求の姿勢とは、明らかに相反するである。
これまでのデザイン方法論に関して、現在機能的に活性化していない理由のひとつとして、デザイナー自体が、デザイン方法論に対して十分な信頼性を置いていないことを挙げたが、このことは、デザインの与条件に対して評価を加える機会が与えられることなく、一方的に創造性および合理性を要求されることに対する不信であり、一般にデザイナーがもっている文化的価値観および製品の生態をトータルに把握しようとする思考形態に逆行する面を含んでいるからである。したがって、デザイン方法論をより高度に完成化したものにするには、その第一段階は、デザイン与条件の発見および評価、すなわち「何をデザインするのか」という問いからはじめるべきであり、そうすることによってはじめて、デザイン方法論を要請した理由に、より積極的な意味をもたせることが可能になるであろう。
デザイナーが、「何をデザインするのか」という問いを展開することができるようになるためには、企業組織の転換が必要であろう。しかし、いままさに、これまで経済的価値がそのほかの文化的諸価値よりも優位に立ってきた産業社会に、徐々にではあるが新しい局面が現われてきている。それは、「産業はそれ自体として価値あるものではなく、生活のための手段であるという単純な真理が出てくる。人間生活という面から産業を照明するには、その非経済学的研究が重要な役割を演ずる」14とする産業社会の自己矛盾の淘汰としてのひとつの方向である。この産業社会が、経済的効率から非経済学的価値に基軸を変更するなかで、デザイナー本来の主体性が回復され、その結果としてデザイン領域も拡大されていくだろう。次の「二.産業社会の新しい動き」では、非経済学的価値を重視しようとする産業社会の新しい動きに注目し、さらに「三.デザイン概念の革新」において、そのような動きのなかで、デザインがどのように展開していくのかを展望してみたいと思う。
二.産業社会の新しい動き
これまで、デザインを概念的に構造化し、より明確化しようとする目的のために、幾つかのデザイン論が展開されたり、ケーススタデーとして実務面からの報告がなされたり、実証的および観察的な側面からデザインサーベイが行なわれてきた。しかし、方法の違いこそあれ、その目的の根底には、製品デザインにおける形態が、いかなる要因から組み立てられて成立しているかを明らかにすることによって、逆に実際にデザイン作業を行なう場合の有効な手掛かりにしようとする考えが存在していた。
今日までのデザイン概念の史的変化とも当然一体をなすものであるが、この形態操作に作用する要因に関する研究の対象(価値の対象)にも明らかに段階的変遷が認められる。
第一段階では、形態の美的側面に研究の対象が置かれる。工業製品の良質化を目的とした初期の工業社会においては、絵画、彫塑に代表される純粋造形に内包されていたリズム、バランス、シンメトリーなどの造形要素や、人間の感情と綿密な関係にある色彩要素などの美的側面が主な研究の対象にされていく。このことは、造形要素の外延化であり、結果的には、純粋美術と応用美術という両極に分化させる力となる。
次の第二段階では、工学的知識が要求される。工業化が進行するなかで、デザイナーに要求されるものは、材料、構造、加工法などの製品形態を成立させる物理的属性すなわち生産技術面に関する知識であり、研究の対象もその方向に向けられていく。このような工学的側面の重視のなかから、人間工学という学問分野も現われてくる。
さらに第三段階では、デザイン業務の合理性、客観性、創造性などの要求から、デザインのシステム化の研究が急速に行なわれる。この段階は、発想法、システム工学、情報工学、行動科学、記号論などの近年急速に発達した諸学問の概念を導入し、重要視することによって、これまでの形態操作としてのハードウェアデザインから、パタン操作としてのソフトウェアデザインへと視点を変換する段階である。このことによって、デザイン概念の領域はさらに拡大されるが、それと表裏をなして、一部ではデザインの美術および造形的分野からの分離、つまり科学的分野への移行という現象が現われてくる。
現在はすでに、この第三段階に入っていることは、多くのデザイナーやデザイン研究者のあいだで広く認められているといえよう。しかし、上記の三つの区分は、有効な認識を助けるための便宜上の分類であり、明確な時代区分を行なうことを目的としたものではないし、まして、たとえば第二段階においては、前段階の要因を全く無視していたことを意味するものでもない。実際には、各段階はオーバーラップしながら発展したものであり、前段階の一応の消化、定着というプロセスを経ながら、さらに新しい社会情勢の要請を加えることによって次の段階が生まれるものと考えられる。
それでは、第三段階の次に出現する段階とはどのようなものであろうか。それは、これまで製品形態に多大な影響を及ぼしていることが現実的には十分に認識されていながら、その構造の複雑さからほとんど手がつけられていなかった社会および経済的側面に対応しながらデザインを考える研究分野であろう。すでに紹介したように、ガイ・ボンシーペは、「デザイナーが社会の『必要』と自己の仕事を関係づけようとするならば、社会状勢について、批判力を持った評価でもって開始しなければならない」ことを強調している。この見解に立つことにより、現在、デザイナーの社会とのより現実的な対応の問題、さらに進めば、企業におけるデザイナーのデザイン与条件決定への参加の問題――こうした問題群がにわかに浮上してきているのである。一方、一部の経済学者は、このような萌芽的思考の存在を認め、現在の産業社会における非経済学的分析の重要性を主張している。ここでは、デザインと経済との本格的なかかわり方を探るための最初の作業として、辻村江太郎『計量経済学』(日本放送出版協会、一九六七年)、正村公宏『経済思想の革新』(日本放送出版協会、一九六九年)、正村公宏『計画と自由』(日本放送出版協会、一九七二年)、熊谷尚夫・建元正弘編『経済と計画』(日本放送出版協会、一九七二年)、および青沼吉松『産業社会の展開』(日本放送出版協会、一九七三年)を参照しながら、現在の産業社会に求められている非経済学的価値とは何かについて、その概要を述べることにしたい。
今日における経済学のもつ諸問題は、これまでの既存の経済学の学問体系では、とても解決できない多くの複雑化した社会現象に対して、どのようにしたら経済学に内包できるのかという保守的な試みと、既成の学問体系に固守することなく新しい事態に応ずる新しい研究分野の開拓が必要であるとする進歩的な試みとの両方向から解決されようとしている。経済学者がそのどちらに組みするかは、現代社会がどのような事態に置かれているのかという認識から生まれる危機感の度合いの違いによる。しかし、共通して多くの経済学者が認識していることは、現代社会が大きな転換の時代にあり、しかもいまが転換の最初の時代である、という点である。しかも、現在直面している危機の根本原因を、市場経済メカニズムの現実的な行き詰り、および生産至上主義に由来する社会的・経済的不均衡に求めている点でも一致している。したがって、こうした経済学者の関心事は、経済学に課せられた問題点に対する解決の基軸をどこに置くかであり、そこから、いま開始されようとしている大転換の時代における有効な指導理念を導こうとしているように映る。
それでは、これまでの既存の経済学の範囲ではとても解決することができないと考えられている今日の社会現象とは何であり、その原因はどこに由来し、解決の糸口はどこに求められればよいのであろうか。
広域的な環境汚染を引き起している公害問題、その過密性に端を発した都市問題など、現在多くの人びとが悩んでいる社会現象は、これまでの価格メカニズムの原理では解決不可能であり、すでに市場経済の射程外にあると判断される。アダム・スミスにはじまる古典派経済学以来の経済学の伝統である市場経済に対する信頼は、一九七〇年代の公害問題、都市問題の激化とともに、大きく揺り動かされようとしている。これまで古典学派は、市場経済の自律的調整機能を論証することによって重商主義の政策体系に批判を加え、自由主義の経済思想を打ち出し、そのことによって、市場経済の最も展開された形態ともいわれる資本主義経済体制の確立を促す役割を演じた。そして、市場経済は、そのメカニズムの構造上の安定化をはかるために、独占禁止政策の推進や政府の恣意的な市場への介入の抑制などの政策的配慮のもとに、所得の不平等に対する修正や大量の失業の解消といった、そのときどきの時代の要請を受けることによって、自己のもつ矛盾をできる限り解消しようとして今日まできている。しかし、今日の社会問題は、それを外部不経済という概念でとらえ、それを内部化するために市場機構に大きな修正を与えるといった旧来の方法をもってしても、十分な解決は困難であろうと思わせるほど深刻で重大な意味をもっていて、そのことが、危機感を導くひとつの大きな原動力となっている。
このことと平行して、もうひとつの市場経済の行き詰りを露呈している現象がみられる。それは、本来市場経済がより効率よく機能するためには、市場における価格形成が少数の独占者たちによって歪曲されないこと、つまり市場における公正な競争条件が維持されることが前提であるが、現代の生産至上主義に立脚した産業社会ではその成熟度を増すにしたがって、技術の大型化からどうしても少数の大企業による市場支配の危険度が増す傾向にあるという現象である。
それでは、こうした事態に対応する新しい経済思想とはどのようなものであろうか。その概念の基本的姿勢について正村公宏は自著の『計画と自由』のなかで次のように述べている。
現実に、われわれが今日の大転換の時代を生き抜くためには、少数者による統制の肯定あるいは容認や、科学万能あるいは技術万能の思想の支配との闘いがまさに必要とされているということも明らかなのである。われわれが今日問題にしなければならないことは、部分的あるいは全体的効率の上昇というにはとどまらないより進んだ価値基準であり、いわば効率を越えた価値基準である。効率を越えた人間的価値基準を土台として、まさにその観点からより包括的な意味をもった効率を問題にしなければならないということがこれからのわれわれの原則である。このような角度から見たとき、もっとも有効な社会的組織は、社会の全構成メンバーの自主性を高めることによって、共同で決定されたルールを守る自発的行動を増大させ、それに基づいて発展の過程を抑制し、生活の構造を改革していくという方法以外におそらく見出すことができないということも広く認識されていく可能性がある15。
この思想の根底に、技術的発展の過程を適切に制御することのできるような社会関係を生み出すことにわれわれがまだ成功していないという現実と、このまま産業至上主義が続けば、公害問題、都市問題などにみられる市場の不成立がさらに助長されるであろうという未来とを直視するなかに見えてくる、極めて深刻な不安が横たわっていることは明らかである。そして、このような思想が具体性を帯びるたかたちとして、一種の経済計画がここに登場することになる。こうして、もはや、市場における自動調節機能が景気調整の役割を完全に果たすとは限らないという認識が一般に確認されることによって、財政、金融政策などによる政府干渉を排除する根拠がなくなり、経済計画の必要性が指摘されると同時に、当事者としての政府の役割とそのあり方が大きな問題点となってくる。一方、この問題に関して多くの経済学者のあいだでは、つじつまのあった経済政策においては、その目的と手段の体系をはっきりさせる必要があり、それらの目的と手段のあいだに矛盾がないことが「数量化」することによって示されなければならないという点で一致している。しかし、ここで注意しなければならないことは、経済的諸要素を数量化し、計量化されたモデルを作成することは、経済成長をより的確に予測、制御するという技術的側面においては高く評価されるとしても、実際に社会および経済状態がどのような内容に変化するのかという政策メニューに関する数の案出および評価の場、さらには、それがプレゼンテーションされる方法に対してはまだ成功しているといえない。というのも、経済政策を数字によって示すことを目的としている計量経済学では、取り扱うものがもっぱら測定可能な経済諸要素に限られるために、それだけでは、一方の人間の側面に関する諸要素を含むことができないからである。この観点に立つことによって、はじめて、非経済学的価値の側面の重要性が浮き彫りにされてくるのである。
三.デザイン概念の革新
われわれが、デザイン概念の革新を主張する基調にあるものは、既存の体系のなかに存在しなかった新しい価値をもったものを発見し、誕生させることであり、そのためには、既存の体系を疑い、既存の権威に挑戦することからはじめなければならない。このことは、これまでの知的活動の生産物の成果を無批判に継承することの危険性を意味している。すなわち、過去のある時期においては、真に革新的で画期的であった知識体系のもつ意義と役割が、時代の変化とともに有効性を失い、さらに悪いことには、その思想を固守することが、かえって、新しい知識体系を生む妨げになる場合があるからである。
このような理由によって、デザイン概念の革新を唱えるにあたっては、現在われわれが生活している社会の方向性について、とりわけデザインが、今日の工業社会にどのように組み込まれ、そのなかでどのような役割を演じてきたかを、総括的に分析、評価する必要があるだろう。
われわれが日常生活に使用する物的財貨が、幾何級数的に増加する人口を扶養するという効果を維持しながら、工業というものを媒体として量的拡大を伴って社会へ投げ出されることによって、生産手段の大きな変革だけでなく、生産のための有機的関連性の破壊をも引き起した。ここでいう生産のための有機的関連性とは、前工業化社会における職人の製作過程および製作態度――使用対象(誰のために製作するのか)、使用目的(これを使用することによってどのような生活効果を生むのか)、製品形態(どのような形にするのか)、製作方法(どのような材料を使って、どのような加工を施すのか)、さらには修理方法(この製品が壊れたらどのようにして補強して、さらに役立たせるか)――にみられるような、製品を現実に生み出すための、全体的な思考形態と一貫した製作形態との完全な一体を意味している。産業革命以来の急速でしかも高度な生産手段の大きな変革が進めば進むほど、さらにいえば、産業を生産手段というよりは、その発展を目的化すればするほど、生産のための有機的関連性は分断され、消滅する傾向をもっていたといえる。このような工業社会のなかにあって、われわれに要求されたものは、分断された思考力と製作技術、すなわち、美的感覚とそれを造形として表現できる能力であった。旧来の全体的な思考形態および一貫した製作形態の分断化に対して、多くは疑問をもつこともなく、「美的感覚とそれを造形として表現できる能力」にさらに密度を加えることが可能であり、さらには、特権化した一部の人のためのものから量的拡大をも望めるという名分のもとに、ある意味では積極的に加担していくのである。しかし、さらに工業化社会が成熟するにつれて、「美的感覚」は、「どのようなものがよく売れるかを先取りする感覚」に、「それを造形として表現できる能力」は、「どのようにしたら低価格の商品が生産できるかという技術」に好むと好まざるにかかわりなく、置き換えられていく傾向がはっきりしたかたちで現われてくる。このような経済効果至上の立場を推し進めることによって、デザインは大きくその方向性を変えられたといえるし、さらに科学的思考の一方的要求を無批判にその内部に取り入れることによって、審美的価値体系から合理的価値体系のなかにデザインが組み込まれていくことになったのである。このような状況のなかから、狭い意味での経済効率と、デザインを正当化するために科学万能思想から生まれた合理性とを、触媒と促進剤として、システマティックなデザインという方法論が形成されていくのである。
しかし、ここで、われわれが指摘しておかねばならないことは、社会的要請およびデザインの自己発展の形態として一見当然の結果の出現としてみなされるデザイン方法論が、いかに矛盾を含んでいるかということである。その顕著な例を、ブルース・アーチャーのデザインプロセスにみることができる。ブルース・アーチャーは、「デザインプロセスの構造(Ⅰ)」のなかで、デザインの基本方針を、「したがってこの場合の目標とは経営者にとっての最大の利潤を得ることになり、より大きな資本の蓄積を目指すということである」と規定する一方で、デザインの価値判断については、「評価は、主体となる人間の価値基準、あるいは価値観というものがあってはじめて可能になってくる。人間の創造的な決定行為の一つである愛というものをもデザイナーが主体的に決定し、人間愛にもとづく決定をしないかぎり、このマトリックスをつくることは不可能であるし、いかなる曲線も正しく描くことはできない」16と述べる。このふたつの考えを無理にでも結び付けようとすれば、「資本家の利潤追求を最も効率的に手助けするようなデザインこそが、主体となる人間の価値基準に照らして、最も有効である」となり、目的と評価にかかわる矛盾と不整合は明らかである。それでは、どちらかの文脈に重きを置いてあえて整合性を与えるならば、ひとつは、「資本家の利潤追求を最も効率的に手助けするようなデザインこそが、資本家の価値基準に照らして、最も有効である」となり、もうひとつは、「主体となる人間を最も効率的に手助けするようなデザインこそが、主体となる人間の価値基準に照らして、最も有効である」となるであろう。
狭い意味の経済効率が全人間的な価値基準に背き、社会的に有害であると断定されるような今日の社会現象の諸問題を解決しようとした場合、経済的価値優先の体系に代わって、審美的価値優先の体系への転換を要請するのは、当然の帰結と考えられる。そして、デザインを審美的価値すなわち非経済学的価値の側面としてとらえることによって、これまでもっぱら交換価値のみをその研究の対象としていた経済学に対応して、使用価値をその研究の対象とするデザイン学の存在理由が浮き彫りにされる。経済学における経済学的価値から非経済学的価値の重視への指向は、デザインの側においては、形態操作を裏づけるデザイン技術から、使用パタン操作を裏づけるデザイン思想への変換を意味している。このような主張を前提にすることによって、今日の産業社会が大転換期にあり、しかもその最初の時代であるとする認識が正当性を帯びてくるのである。しかも、デザインが使用価値の側面を主体的に取り扱うことによって、これまで経済的価値優先の体系に全く組み込まれていたデザイン概念からはおそらくは考えもつかなかったであろうデザイン活動に付随する責任に関する諸問題が、明白なかたちとなって現われてくることになる。現代の産業社会がその新しい存在のあり方を模索するにあたって、経済学が、生産至上主義の擁護から離れて、文化的諸価値の要請を求めていることと、デザインが、工業化社会に組み込まれていく過程において失われていく傾向にあった文化的諸価値の再認識とそのなかから生まれる新しいデザイン思想とは、明らかに表裏一体をなすものである。そして、経済学が、非経済学的価値の重要性を唱えることにより、また、デザイン学がその研究対象として非経済学的価値を追求することによって、具体的なデザイン活動は、生産のためのデザインから生活のためのデザインへと転換し、デザイン思想は、これまでの生産にとって価値あるもののなかから生活者が選択をしなければならなかった状況を否定して、産業は生活に価値あるものを生産するための一手段であるという思想に変換するのである。
われわれは、デザイン概念の革新を主張するにあたって、デザインが一方的に工業に組み入れられ、その役割が限定されてきた歴史を認識するとともに、利潤追求を至上とする企業目標さらには全体的にその傾向をもつ産業至上主義にデザインが加担することの矛盾および危険性を明らかにしてきた。そして、産業主義追従の姿勢から、非経済学的価値の重視へと基軸を変えることによって、生産者主体のデザインから使用者主体のデザインへと転換しなければならない必然性についても主張することができた。このようなデザイン概念の革新をさらに萌芽させていくうえで重要なことは、政治的、心理的危惧を取り除くことであり、さらには、企業および少数者によって一方的に製品の存在が規定されている今日的状態よりも、製品の存在のあり方が、社会の全構成メンバーに公開され、その主体によって選択、決定されるなかで生活の構造が変革されていくという社会システムの方が、明らかにより民主的であり、包括的な効果をもっているという基本的原則を決して見失わないことではないだろうか。
(一九七七年)
注
(1)『工芸ニュース』vol. 39、no. 4、1971年。
(2)同書。
(3)クリストファー・ジョウンズ「デザイン方法論セミナー」『工芸ニュース』vol. 38、no. 2、1970年、56-58頁。
(4)ガイ・ボンシーペ「産業デザイン報告――デザイン方法論」『工芸ニュース』vol. 39、no. 3、1971年、15頁。
(5)出原栄一「設計プロセスの体系化」『工芸ニュース』vol. 39、no. 1、1971年、69頁。
(6)ガイ・ボンシーペ、前掲論文。さらにガイ・ボンシーペは、4つの論争点に関して、「これらの批判は部分的に正しい。デザイン方法論はまだ未熟な段階にあり、批判をもって見られなければならない」と述べている。
(7)出原栄一、前掲論文、68-69頁。
(8)石川弘「製品デザインにおけるプログラム・システムの構造(Ⅰ)」『工芸ニュース』vol. 39、no. 3、1971年、33頁。
(9)ブルース・アーチャーの「すべてのデザインプロセスには同一の理論構造が存在する」という主張は、各デザイン分野をそれぞれ区別して定義することは一切しない理由として、「これらのどの領域においても、デザイン行為のなりたち、すなわち『構造(structure)』はすくなくとも理論的にはすべて同一のものと考えられるという前提にたっているからである。デザイン行為の理論的な本質は、デザインされるべき対象がどんなものであるかということとは無関係であると私は考えている」と述べている一節に由来していると思われる。なお、この一節の出典は、ブルース・アーチャー「デザインプロセスの構造(Ⅰ)」『工芸ニュース』vol. 38、no. 4、1970年、54頁。
(10)ガイ・ ボンシーペ、前掲論文。
(11)ブルース・アーチャー「デザインプロセスの構造(Ⅰ)」『工芸ニュース』vol. 38、no. 4、1970年、54頁。
(12)ガイ・ ボンシーペ、前掲論文、16頁。
(13)ブルース・アーチャー、前掲論文、55頁。
(14)青沼吉松『産業社会の展開』日本放送出版協会、1973年、5頁。
(15)正村公宏『計画と自由』日本放送出版協会、1972年、85-86頁。
(16)ブルース・アーチャー、前掲論文、71頁。