著作集1 デザインの近代史論

第一部 近代への問いかけ

第三章 形態および色彩からの脱皮

はじめに

本論文の目的は、デザインの原義と対照しながら、現代におけるデザイン活動の矛盾を指摘し、新しい方向性を発見することにある。とりあえず、本論文では、現代のデザイン活動の実態としての形態と色彩の操作を狭義のデザインの問題とするならば、デザイン行為の理念や対象、さらにはそれに付随して検討しなければならない諸問題に関しては、広義のデザインの問題として設定されている。

「一.近代のデザイン思想の概略的考察」において、デザイン活動の歴史的な流れを概観することによって、デザインの意味をより広くとらえる必要に迫られている今日的状況を認識し、「二.デザインの形態および色彩からの脱皮」において、狭義のデザインの意味から視点を変え、デザイン行為の本来の理念および対象を明確にする一方で、それに付随する諸問題について検討を行ないたいと思う。

ひとつ前の論文である第二章「非経済学的価値としてのデザイン」において私は、デザイン活動が利潤追求を至上とする企業目標さらには全体としてその傾向をもつ産業至上主義に加担することの矛盾および危険性を明らかにした。それを踏まえて本論文にあっては、これまでのデザイン活動が、主に形態および色彩の決定にかかわってきた状況をあえて批判的にとらえ、デザイン活動の歪みを指摘し是正することにその主眼が置かれている。したがって、前論文におけるデザインの経済学的価値からの離脱を主張することと、本論文におけるデザインの形態および色彩からの脱皮を主張することとは、対の関係にあり、ともに、最終目的である「デザインとは何か」というデザイン概念の形成を促すための予備的考察となるものである。

一.近代のデザイン思想の概略的考察

(一)デザイン思想の再検討の必要性

歩行者よりもクルマの流れを優先解決した歩道橋や地下道、子どもや老人よりも成人だけを使用対象に考えられたドアノブの形状や取り付け位置、使用者のすべてが英文を読めることを前提に情報伝達が進められているテレビやステレオなどの前面パネルの表示、美的側面からすれば、はなはだ醜悪であるにもかかわらず経済的側面だけが強調された広告塔やネオンサイン、健康体の人間にのみ目を向けて、病気の人間や身体障害者の世界には目を伏せたままつくられるさまざまな生活機器――このように、デザイン活動の結果生み出された機器ないしは設備の環境と、そのなかで使用し生活をする人間とのあいだで、さまざまな問題がいま生じている。

豊口協は、このような今日的状況に対して、「私は十六年間、インダストリアル・デザインの場に身をおいて、一つの目的を求めつづけてきたのだが、この数年大きな目に見えない力によって、目的に向かってまっすぐに進むことのむずかしさに、いらだたしさを感じてきている」と告白し、さらに「技術革新が進めば進むほど、インダストリアル・デザインがその領域を広げれば広げるほど、人間の存在が稀薄になってゆくのはどうしてなのだろうか」という疑問を投げかけ、現代のデザインに対して問題の提起を行なっている。豊口協にみられるような、デザインに対するこのような懐疑なり疑問なりは、一九七〇年をひとつの境として、デザイナーや研究者のあいだで芽生えはじめたもので、この数年の著しい傾向となっている。

これまで、「デザインとは」という問いに対して、「デザインとは、形態と色彩を決定する行為である」というような、行為内容によって説明されるか、あるいは、「デザインを分類すると、視覚伝達デザイン、生産デザイン、建築デザインの三者である」というような、デザイン領域によって説明されるのが一般的であり、したがって、デザイン思想そのものが疑問に付されることは、ほとんどなかった。一九七五年に日本デザイン学会が創立二〇周年の記念企画として、改めて「デザイン学とは」というテーマで論文の募集がなされたのも、デザインそれ自体がなにがしかの限界点に達している今日的状況を反映していたのであろう。量を伴った物質的繁栄とは逆に、人間不在の生活環境の形成が推し進められていく今日、誰しもが、「これが本当のデザインなのか」という根源的な問いを投げかけざるを得ない状況にあり、またそれほどまで、デザインの方向感覚の喪失が進行しているのである。

私は数年前に、デザインの概念や価値を追及するためには、「その理論の裏づけとなるべきデザイン思想史の早急な確立を望みたい」と述べたことがあったが、一方では、デザイン史研究者の層が薄いために、また一方では、本格的なデザイン活動の歴史がまだ短いために、全体的な視点でデザインの流れを観察することができにくく、その成果はほとんど皆無に等しいのが現状であろう。しかし、「人間にとってデザインとは何か」という問いに対して、まずもって、デザインと人間との歴史を糸口に、どのような動機によってものがデザインされてきたのかという産業革命以後の近代のデザイン思想を再検討する必要があるという確信は、いまでも変わっていない。

(二)欧米におけるデザイン思想の概略

近代のデザイン思想を検討する場合、その誕生と変革を、オートメイションとマスプロダクションを基本とする工業化社会の発生段階のなかに見出すことができる。すなわち、前工業化社会においては、日常生活を構成するさまざまな生活用品は職人や工匠と呼ばれる極めて個人的な、または少数のグループのレヴェルで製作されていた。したがって、その製作システムのなかにデザイン思想を見つけ出そうとすれば、おそらく個々の製作者の製作態度なり、美意識にゆだねられていたと考えられる。しかも自然観や社会観も含めて、発想、製作、販売という製作プロセスが個人的なレヴェルで一応完結していたので、製作をとおして文化的なものあるいは社会的なものへ貢献しているという自負心が、製作者の側にあったであろうことは確かに想像することができる。たとえば、一九世紀末のジョン・ラスキンやウィリアム・モリスのデザインに対する思想や態度に、個としての製作者として、自然とは何か、労働とは何か、美とは何か、生産方法とは何かという概念と価値がひとつになって宿っていたことが認められるからである。したがって、工業社会が定着する以前にあっては、製作に対する思想は、職人その人のなかにすべて含まれていたといえる。しかし、その当時の美術や工芸が一部の裕福な人びとの地位や繁栄を満たすためのものであり、一般市民の生活の向上にはほとんど目が向けられていなかったことや、製作方法が徒弟的で極めて閉鎖的であったことなども同時に考えておく必要があるだろう。

今世紀に入って、これまでの一品製作もしくは少量生産が後退し、機械による大量生産という生産形態が定着するにしたがって、分業と専門化が進み、これまでの製作にかかわる全体的な思考が分断されていった。さらに、こうした工業化に伴う全体性の分断は、合理性と効率化という価値を拠り所に、科学、技術、デザイン、美術、経済といった細分化をさらに推し進め、文明全体、生活全体についての考察や方向性の提示ができにくい状態を今日露呈しているのである。

ヨーロッパが歴史的、伝統的文明の変換に対して、理論的、思想的に解決をはかろうとした対処の仕方と比較すると、アメリカでは、歴史という解決しなければならない重みがないことと、広大な土地を支配しなければならないという現実とがあいまって、工業生産を前提とした、しかも家事労働の軽減、生活の合理化、生産の効率化、販売の増大などの現実問題の解決のなかにあってデザイン活動の目標は設定された。したがって、デザイン思想をそのなかに見出そうとすれば、極めて、合理的な判断に基づいた造形思想であり、全人格を投影するといった職人的な製作態度とは全く異なっていたといえるだろう。同様に、そのような理由から造形における美という関心も当時は極めて低かった。しかし、大量生産システムの確立が進み、それを基軸とした生活システムが定着する過程のなかで、逆に合理的で知的で非装飾的な造形こそ工業化社会におけるデザインであり、そのなかに美を見出す姿勢へと変わっていった。デザイン思想も、「Industrial Art」という名称からも判断できるように、工業と芸術のあいだを大きく揺れ動く振り子のようなものであった。そして、「Industrial Art」から「Industrial Design」への名称の変更の過程のなかで、名称のもつ意味の問題に止まることなく、工業製品を生み出す意味、その形態を決定する要素、それが美しいかどうかという美の基準もまた、改めて問われていくことになるのである。

(三)日本におけるデザイン思想の概略

デザイン思想が、ものの生産に優先付随して存在すると仮定するならば、日本における近代のデザイン思想は、明治から第二次世界大戦までと、戦後から今日までのふたつの時期に区分することによって、その特質を理解することができる。

諸外国の圧力により鎖国政策に幕を降ろし、近代国家へ向けて生まれ変わるなかで、日本はどうしても欧米の生産技術に関して指導援助を仰がなければならなかった。そしてその技術力は、富国強兵の合い言葉のもとに、製鉄、造船といった軍需産業へ注がれていった。したがって、日本における工業との出合いは、先述したヨーロッパにおけるそれとは明らかに異なるのである。産業革命に伴って起こった、社会、生活様式、造形(生産)活動などの変化を自分たちの力で理論的に解決しようとしたヨーロッパと比較すれば、明治にはじまる日本の近代化政策は無条件に生産技術を輸入し、しかもそれを重工業、兵器産業へ投入したのである。生産技術の輸入に際しても、技術の意味やデザインの思想については輸入された形跡はなく、ついに第二次世界大戦を終えるまで、国民の生活に目を向けられた生産は行なわれなかった。したがってこの時期は、荻野宏幸が指摘するように、「デザインが無かったのではなく、デザイン否定のデザイン理念、があった。人間性への無理解を土台とした、大衆蔑視の非民主的な驕慢の哲学があった」ということになる。このように、明治以降第二次世界大戦までは、一口でいえば、ひとつの国家目標のために諸力が向けられていて、人間としての生活それ自体を直視したデザイン思想は正しく根を下ろさなかったことが理解できる。

しかし、一九四五年以後、事情は一変する。敗戦を契機に、これまでの軍需、重工業から、平和産業(すなわち国民生活必需品供給のための産業)へ切り変わる過程のなかで、工業とデザインとが遭遇し、日本におけるインダストリアル・デザインの本格的活動がはじまるのである。「デザイナーたちは、今より、よほど純粋であった。製品全体をよくする上に、未開拓の新分野を担当し協力するという考えに胸ふくらむ思いで仕事をしていた」という回想が、インダストリアル・デザインという職域が胎動しようとする当時をよく物語っている。しかし、本格的な大量生産システムの歴史をもたない日本は、企業形態、生産システム、製品開発手法の多くをアメリカから学ばなければならなかった。このことは明治期にヨーロッパから重工業中心の技術を輸入した状況に似ていて、アメリカ型の経営手段としてのデザインが無条件に導入されたのであり、今日までデザイン概念の混乱を引き起こしている一因にもなっている。この時期の、デザインにおける関心は、どのようにデザインするか(形態決定および表示の技術)、どのような手順でデザインするか(デザイン・プロセス)、企業内におけるデザインのかかわり方と位置づけなどの側面にもっぱら向けられていて、国民生活に対して一定の価値をもった製品を提供するといった本格的なデザイン思想までにはまだ高められておらず、生活必需品にデザインというフィルターを透すことができるようになったという喜びに近い極めて初歩的な(しかし、本質的であるかもしれない)段階に止まっていたようである。

その後、国際関係にも恵まれ、技術革新と高度な経済成長と比例しながら、インダストリアル・デザインも企業活動の一部として確実に根を下ろしていった。一九五五年ころから本格化した家電ブームは、テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫などの耐久消費財を各家庭に送り、生活のスタイルを一変させた。さらに続いてモータリゼイションの到来は、各個人の空間移動を徹底的なまでに自由にし、行動範囲を押し広げていった。しかしこの間、インダストリアル・デザインの存在と職域を不動のものにしたことは確かではあるが、そこで展開されていたデザイン活動が本質的なものであったかどうかは、はなはだ疑問である。なぜならば、そこで行なわれたデザイン活動は、「何をつくるべきか」とか、「どのような生活を望むか」といった価値を含んだデザイン理念とのバランスのなかで行なわれたものではなく、資本なり企業活動の要請のもとに、デザインの理念は無視され単に形態と色彩にかかわるデザインの技術的側面にのみ限定される傾向が強かったからである。すなわち、「何をデザインするか」という問いに対しては「確実に売れるもの」という答えがすでに用意されており、「そのためには、どのようにデザインしたらよいか」という売れることを前提にした形態操作にかかわる技術力が、主としてデザイン活動に要求されたのである。デザイン行為に内包されている製作にかかわる倫理観や人間的生活を見つめる価値観はここでは全く後退し、技術革新の延長または経済成長の手段としてのデザインの姿しか見ることはできない。したがって、明治にはじまる近代化政策の期間を、デザイン否定のデザイン思想が存在していた時期としてみなすことができるとすれば、戦後から一九六〇年代までの期間は、デザイン思想不在のデザインが社会に氾濫していった時期としてとらえることができるだろう。

ところが一九七〇年代に入って、新しい変化が起こってきた。高度経済成長がピークに達するにしたがって、社会全体の歪みが、大都市への過度の人口流入、交通手段の混乱、諸々の公害や薬害といったかたちで、現われてきたのである。技術革新と高度経済成長が進行する過程において、生産にかかわる諸力、諸関係は極度に専門化、細分化され、自然―生産―生活といった人間の活動全般に視点を置いた思考が全く欠如していたことにその原因のひとつを求めることができるであろうが、この新しい事態に気づいた専門家たちは、反省を踏まえて、それぞれの分野から新しい文明や社会のあり方を模索しはじめていった。

たとえば、生物学者の磯野直秀は、「文明評論家でも安全の専門家でもない私だが、生きものを取り扱ってきた十数年の間に得た生物観と、PCB問題にかかわってきた三年余の経験にもとづいて、生きものの立場から人間の文明を見、人間の安全を考えることぐらいは許されるだろうし、それは私の義務でもあろう」と述べ、生きものとしての人間の生存の条件を探っている。また、企業経営者としての成毛収一は、「企業は一体何のためにあるのか。企業はだれに対してどのような責任を果たすのか。社会からの欲求と企業の利潤極大化とは真っ向から対立するものか」と問いかけ、これまでの利潤優先の企業活動を問い直すことによって、企業の社会的責任を明確にしようとしている。さらに工学者である高木純一は、「技術」に対する盲信と疑惑とのあいだにある矛盾に対して、「専門の域を脱して文明論と取りくまざるを得ないことになる。もっとはっきりいえば、すべての専門の学者が現代文明について考えなければならない義務があるのではなかろうか」と述べ、個としての「技術」を文明という全体のなかに位置づける努力をしている。

以上の例のような各分野における専門家たちの現代文明に対する思想的萌芽と平行して、デザイン活動においても、豊口協の言葉を借りれば、「現代インダストリアル・デザインの世界が手がけている数多くの工業製品の一つ一つが、はたして人間生活の向上を計るものであり、環境を豊かにするものであり、人類の進歩を約束するものであるということに対して、いささか疑問をもたざるをえない」10という疑問と反省が生まれ、ついには、「デザインとは何か」というデザインそれ自体を根源から疑問に付すことによって、これまで資本の要請から形態と色彩のみにかかわっていたデザイン活動が、はじめて本格的なデザイン思想の形成へ向けて、その重心を移行しはじめることになるのである。

二.デザインの形態および色彩からの脱皮

(一)産業至上主義によるデザイン活動への批判

戦後から今日までのあいだ、日常生活に使用する機器を大量にしかも安価に供給することを最大の目標に生産の意義が置かれてきた。いいかえれば、増大する人口を扶養し、欠乏する日常生活用品を安定供給するために、生産することそれ自体に諸力が向けられてきた。そしてその諸力は、効率化、合理化、標準化といった価値によって支えられ、こうして産業の育成と発展が推し進められた。このような産業主義のもとに国の経済力は成長し、同時に市民の消費力も高められ、生活のなかに色とりどりの機器を備えることができるようになったことは確かに事実であろう。しかしその一方で、産業の本来の意味を問い直すことなく、自己制御能力を失い、肥大化していく傾向を強めていったこともまた確かであろう。たとえば、数年前にみられた排ガス規制の要求に対しての企業の態度11がそのひとつの事例となっている。

産業主義の特質は、人的なものも含めて諸資源や諸技術力を、「生産から消費へ」という人間の生存を保持するための条件からすれば極めて限定された部分において集中させ、その効率的増大を追求することによって経済成長を引き上げることにあるのだろうが、そのような考え方をさらに進めれば、人間の生存にとって明らかに相容れない効果が出てくることになる。その相反する効果とは、物質的豊かさと余暇の増大を正の効果とすれば、負の効果は、自然と人間との分断であり、人間の労働の極小化であり、人間の想像力の枯渇化であろう。

これまで、正の効果を極度に追い求めるがあまり、負の効果については、実質的効果がまだ少なかったこともあろうが、問題にされることはあまりなかった。しかし一九七〇年代に入ると、負の効果が現実に顕著に現われ、まず産業至上主義それ自体が批判にさらされることになったのである。今日、ふたつの相反する効果の関係をどのように位置づけ、融和させるかが、われわれにとって最大の課題であり、その問題解決の出発点としてデザインだけでなく、科学、技術、経済、企業などのあらゆる分野において、「それは人間にとって何であるのか」という根源的な疑問が改めて投げかけられているのである。

産業至上主義を批判し、またそのなかに組み込まれたデザイン活動を批判することによって、このような生産活動、デザイン活動を取り巻く諸問題を照射し、さらに解決しようとした場合、生産の意味を単に利潤追求の企業活動と等しく結び付けるのではなく、またデザインの意味を単に企業内における形態と色彩の決定行為としてだけ位置づけるのではなく、人間が安定的に生存するための手段としての生産、また人間が安定的に生存する方法を指し示すものとしてのデザインというような包括的、全体的思考にその立脚点を求めなければならないのではあるまいか。

(二)デザインの理念と対象

産業至上主義下のデザイン活動を批判する、その根拠となるデザインの理念なり原義とは一体何なのであろうか。

豊口協は、日本の近代化に伴う今日までのデザイン活動に対して、「日本のインダストリアル・デザインの出発の原点に何かが置き忘れさられてきたような物足りなさを感じる」12と、デザイン思想の不在を説き、一方荻野宏幸は、『ウェブスター』にデザインの原義を求め、「デザインするということは、手段の問題などよりも目的の設定に重心があることを明示している」13ということを根拠に、現代デザインおよび産業文明を批判している。デザイン理念とは、荻野宏幸のいう「目的の設定」であり、豊口協によれば、それがまさしく今日まで「置き忘れさられてきたもの」なのである。

現代のデザインにおいては、「何をデザインするか」という問いかけからはじまるデザインの理念または目的は無視され、「どのようにデザインするか」という手段、方法のみに縛られてきた。そしてさらに悪いことには、そのことに気づかず、形態、色彩を操作することそれ自体がデザイン行為であると錯覚していたのであった。デザインにおける形態および色彩からの脱皮とはまさにこのことなのである。今日の細分化された企業内のデザイン活動においては、実際には「何をデザインするか」という問いかけはできにくい状況であるのは確かではあるが、これからはデザインの原義に立ち返り、まず企業活動の意義を問い、そのうえに立って、さらにはデザイン活動とのかかわりを模索する方向へと進まなければならないであろう。

それでは、「置き忘れさられてきたもの」とは何であり、「何をデザインするか」の「何」とは何であろうか。その問いに答えるためには、まずその問いの根源をなす「なぜ人間はものを製作するのか」という問いからはじめなければならない。人間がものを製作しはじめたのは、おそらく人間の誕生と同時であろう。土、木、石、貝殻といった最も素朴な自然へ働きかけることによって、人間は、生活に必要な用具やそれをつくるための簡単な道具をつくりはじめた。この点が明らかに他の動物とは違うのである。人間がものを製作する理由は、ひとつには、自然の脅威から身を守り、安定的に生きのびようとするためであり、もうひとつには、自然に直接働きかけることによって、人間が人間になり、人間であることを、つまり、自然の一部としての人間存在を自ら確認するためであるといえる。脅威としての自然、そしてまた一体化の対象としての自然――このような人間にとって相反する意味をもつ自然こそ、人間にとって驚きであり、感謝であり、憧憬だったにちがいなかった。そしてこのような複雑な感情が下地として本来備わっていたがために、単に生きのび、生命を維持したいという欲求からだけでなく、同じく、自然をとおして高められた人間性を刻み込みたいという衝動からも、それらがない交ぜになりながら、ものの製作ははじまったのではないかと考えられる。もしそうであるならば、その行為は、労働とか、製作とか、芸術とかに矮小化することができない、有機的に相互に関連し合う「ひとつの営み」であったことが理解できるであろう。そしてそれを分断し「労働」と「芸術」の分離を促した力が、まさしく近代の合理主義的な考えだったのであろう。「デザインする」ということは、「労働する」行為なのだろうか、それとも「芸術する」行為なのだろうか。本質的には、決して分けて考えることのできない「ひとつの営み」だったのではあるまいか。しかし、実際には、自然と人間は分断され、労働と芸術は疎遠なものとみなされ、芸術は社会から遊離してしまっているのである。事実、日本の近代化政策にあっては、また、資本主義下の経済体制にあっては、生産の意味は、利潤追求を最大の目標とする企業活動における労働に限定されてきた。不幸なことに、ここに、デザインの理念や原義を社会的に喪失させる近代の制度が生み出されてしまったのである。

それでは改めて「置き忘れさられてきたもの」とは何であろうか。このデザインの理想ないし目的は、豊口協自身も述べているとおり、明らかに「人びとの生活をより豊かにするという理念」であろう。しかし先に述べた現実の「労働の体制」からは、直接「人びとの生活をより豊かにする」実践は表層的か局所的なものにならざるを得ず、全体的で本質的な「生活の豊かさ」を求める実践は、その意味において遮断され隠されてしまっているのである。本論文の冒頭で私は、「私は十六年間、インダストリアル・デザインの場に身をおいて、一つの目的を求めつづけてきたのだが、この数年大きな目に見えない力によって、目的に向かってまっすぐに進むことのむずかしさに、いらだたしさを感じてきている」という豊口の実感を紹介したが、実はその言葉のなかに、「遮断され隠されてしまっている」デザインの実践的理念を見出すことができるのではないだろうか。

これまでのデザイン活動の対象は、還元的分析思考に立脚して、製品の形態と色彩にかかわる部分のみを取り扱い、単体としてそれがいいかどうかが論じられてきた。しかし、実際には、決して形態のみが単独で存在するものではなく、それは、それを生み出そうとしている力や生み出された結果の影響との密接な関係の状態において存在しているのである。したがって、その場合のザインの対象とは、形態、色彩というよりも、むしろ本質的には、それを含めた、それをとりまく「関係」なのである。そして、そのことをデザインするにあたっては、今日までの産業社会を支えてきた還元的分析思考とは明らかに異なる、全体的構成思考に立つ必要があることもまた、事実であろう。その意味において、荻野宏幸の主張を借りれば、「デザインすることは、専門家の特殊なわざではなく、万人に共通の日常の営みである」14ということになり、その視点に立てば、デザイン行為の実践者とは、まさしく、人間一人ひとりであり、逆にいえば、社会全体なのである。

(三)現代産業社会における問題の所在

こうしたデザインの理念とデザインの対象をもとにして、現代の産業社会を見渡した場合、どのような問題があるのだろうか。

第一の問題点は、デザインされた機器と人間との使用の場に不調和の現象が見受けられることである。その現象を、クルマと人間とのかかわり方を具体例として考えてみたい。今日、クルマはその量的拡大を伴うことによって、利用者・歩行者の立場に関係なく、市民生活に重大な意味を投げかけている。その重大な意味とは、クルマのもつ相反するふたつの側面によって引き起こされている不調和の現象である。ふたつの側面とは、ひとつは、クルマが本来もち続けてきた目的地から目的地まで短時間にしかも個人のレヴェルで移動できるという便利さであり、もうひとつは、振動、騒音、大気汚染として現われてきた公害問題、都市へのクルマの過度の集中、それによって発生する多くの交通事故の側面である。さらに問題を深刻にさせているのは、単にこのふたつの側面が不調和の状態にあるという事実だけではなく、この不調和をどのようにしたら克服できるかという問いに対して、安定した解答を見つけ出すことに成功していないという現状があることである。

このクルマの例でも明らかなように、デザイン活動の結果としての生活機器とそれを使用する人間とのあいだで、生活を豊かにするというデザインの目的に反して、さまざまな摩擦が生じている。そしてこの不調和の現象は、多くの場合その生活機器の形態や色彩に関する問題を越えて、人間とものとの関係のあり方の問題であり、これからのデザイン対象は、まさにその点に移行しなければならないのである。

第二の問題点は、人間の労働力の分断の現象である。今日の産業社会の最も特徴をなしているものを挙げるとするならば、産業革命を契機に絶え間なく技術革新を行なうことによって導かれた高度な科学技術と、それに立脚した巨大な生産力を挙げなければならない。そしてこの高度な科学技術と巨大な生産力は、オートメイションとマスプロダクションを支える重要な力となっている。一方、人間の労働の本来の意味は、生活を維持するためという明確な目的をもって何かに働きかけて製作することによって社会生活に貢献することと同時に、主体的な働きかけそれ自体が何かの発見や創造を導き、それをとおして自己の成長を助けることにあると考えられる。このことは、無制限に続く、反復繰り返しを特性とする機械の運動とは異なる。今日の産業社会の、とくに機械による大量生産を前提とした労働においては、ラインの流れるスピードに人間の作業スピードを適合させ、しかも没個性化した単純反復の作業がその特徴となっている。さらには、細分化、専門化された労働においては、労働による喜びや創造性が失われるだけではなく、ものをつくることに付随する倫理観や責任の所在さえも消滅しかねない状況にある。

この人間の労働力の分断に関する問題は、これまで多くは、経済学上の問題として、また技術思想上の問題としてとらえられてきたが、本来の労働の意味を欠いたまま生産される生活機器が、果たして調和ある美しさを保ち、人間の生活の奥深くまで浸透し、人間の生活を助けるであろうかというデザイン上の問題としても考える余地を残している。今日の産業社会における労働から、創造性や人間性を発見する機会が奪い取られているとするならば、もはや論点は、全体的な文明のあり方へと進められる必要があるのではないだろうか。

第三の問題点は、自然と人間との分断の現象である。本来人間は、自然と調和ある一体化をしなければ、その生命さえも保持することはできない。しかし、今日までの産業社会においては、自然をただ単に物質的繁栄の達成を可能にする源としてのみとらえ、人間のあり方を映し出す鏡としての自然の意味は極めて軽視されてきた。資本もしくは企業目標による大量の自然搾取と自然への大量廃棄の結果、今日、自然と社会との全体的バランスが失われかけていることは、すでに指摘されているとおりである。量を伴った工業化の発展は、一方では自然と人間との分断を引き起こし、さらには人間の生存の条件さえも危うくしているのである。

この自然と人間との分断の問題は、これまでのデザインの概念からすれば射程外とされるであろうが、デザインの意味を、単に企業内活動の一部として狭義に位置づけするのではなく、デザイン行為とは、人間的生存を安定的に保持するために供するものであると広義に解釈した場合、明らかにデザイン上の問題として浮かび上がってくる。なぜならば、デザインを広義にとらえた場合、最終製品それ自体が人間の生活を豊かにするということよりも、最終製品をかたちづくるための材料さらには資源、また一方最終製品が廃棄された場合の自然への還元方法といったひとつのサイクルの存在とそのサイクルの許容量と進行速度とが重要な意味をもっていることを示していて、生産を媒体として自然と生活を調和させることを目的とするデザイン行為自体が、その全体を観察するのに最も近い立場に置かれているからである。

第四の問題点は、社会からの芸術の遊離である。現代における細分化、特殊化された芸術は、生の日常生活を抽象化し、それから遊離させ、理性を補い助けるものとしての意味に重心が置かれている。したがって精神的な機能をもつものに限られる傾向が強い。確かに、生の日常生活の不調和の部分を先取りし、実験的に均衡を再構成するといった芸術の特性からすれば、その傾向を否定することはできない。しかし、対象が自然であろうと人間であろうと、対象に働きかけ一体化するということは、それ自体のなかに、目的をもった実用的な機能と、そうすること自体が目的であるような精神的な機能とが同時に宿り実体化するものであり、本来分離させることはできないものではないかと考えられる。近代に入って、ものの製作が人間の手を離れて、機械による生産に代わる過程において、とくに、精神的な機能をもつ芸術と、実用的な機能をもつデザインとに分断されていったが、その結果、芸術は社会から遊離の傾向をたどり、デザインは芸術から非芸術の分野へと進むことになった。しかし、このように芸術とデザインが反発しあい、別々の方向へ進む現状が果たして真の意味での「art」の姿なのだろうか。今日最も重要なことは、まず自然―生産―生活のすべてを包括する人間の造形活動を見詰めることであろう。そしてそこから、繰り広げられている全体的な造形活動の調和と美を問うことであろう。その地平に「art」の本来の姿を垣間見ることができるのではないだろうか。

(四)問題解決のための思想としてのデザイン

ここまで、すでに検討したデザインの理念とデザインの対象をもとにして、現代産業社会におけるデザインにかかわる問題の所在を四点にまとめて考察してきたが、それではこれらの諸問題を解決するためには、どのような思考方法を取ったらよいのだろうか。

いうまでもなく、問題解決にあたる場合も、問題点の所在を明らかにする場合に依拠した価値基準と同様の価値基準によって行なわれなければならないだろうが、ここでは、いっきに具体的な問題解決の方法を提示するのではなく、よりよい問題解決の方法を導き出すためにはどのような思考もしくは原則に立脚しなければならないかについて考察する。

たとえば、クルマに基因する諸問題を解決しようとした場合、その立脚点を、クルマを単に企業の商品としてのみ位置づけするのではなく、人類の英知が生み出す産物として取り扱うという立場に立つことによって、「人間にとってクルマとは何か」という基本問題を改めて全体的な視点から問い直す作業をはじめることに求めなければならないだろう。そのことは、クルマを中心に固定し、そこから発生する諸問題を拡散的に発展させることによって文明、社会および企業のあり方を論じるのではなく、逆に人間の立場から、企業活動を含めたわれわれの生産活動の意味や、その生産物が社会生活のなかに投げ出された結果としての文明のあり方を、経済体制、労働、技術、創造活動などの可能な限り多元的な方向から包括的に照明をあてることによって、クルマを再評価し、位置づけることを意味している。

このように、従来の部分的効率を越えて包括的な効果を得ようとした場合、従来の価値基準に代わる新しい価値基準を用意しなければならないことになる。これまで一方的に合理性、経済性という価値基準によって、自然―生産―生活という全体系のあらゆる側面が分断され、細分化されてきたが、新しい価値基準とは、分断化や細分化の際に登場した価値基準とは逆に、分断され細分化された諸側面を結び付ける作用をするものである。いいかえれば、細分化され、ばらばらになっている諸側面に照明をあて、さらにその「関係」のあるべき姿を浮き彫りにさせるような価値基準である。そしてその価値基準は、すべての人間の生命を守り、すべての人間の生存を助け、さらに人間らしさを維持することをその根底に含まなければならないことも明らかな原則である。

これからのデザイン論は、この新しい価値基準の発見にさらに焦点をあわせる必要があるだろうが、このような価値基準をもとにした場合の新しいデザインのフロンティアの開拓とは何だろうか。

第一点は、自然環境と生活環境のあり方のデザインである。自然環境と生活環境とのインターフェイスとしての生産形態、労働形態をはじめとして自然や生活の形態をも含めて、相互に依存するその諸関係を全体的に結び付ける努力をしなければならない。そして、この全体的な結び付きの評価に対しては、また新たな調和とか美とかいった概念を用意しなければならないだろう。

第二点は、分配方法のデザインである。広域的な環境汚染を引き起こしている公害問題、その過密性から端を発した都市問題など、現在進行している社会的症候群の解決にあたっては、すでに市場経済の射程外にあることも確かであり、その依拠してきた競争の原理をも含めて、改めて分配の方法に検討を加えなければならないだろう。

第三点は、決定システムのデザインである。これまで政策決定にあたっては、企業と消費者を両極に置けば企業よりに、資本家と労働者を両極に置けば資本家よりに、また、行政当局と市民を両極に置けば行政当局よりに、その重心が設定されてきた。このことは、決定システムが一方的に企業、資本家、行政当局の側に偏っていたことを示している。しかし近年になって、単に労働運動だけではなく、消費者運動、市民運動が徐々にではあるが活性化し、決定システムの重心が、消費者、労働者、市民の側に移行しつつある傾向も見逃せない。デザイン行為の対象が、手段の問題よりもむしろ目的の設定に重心がある以上、その目的を達成するためには、政策の決定システムや参画のシステムについても関心を払わなければならない。

デザイン行為というものが、真に人間が人間的生存を保持するために必要なものであるならば、産業が必要としている価値観にのみ立脚し、形態と色彩操作を行なうのではなく、新しい価値基準(本格的にはこれから求められなければならないのであるが)に基づいて、自然―生産―生活の全体系の諸関係を再度検討し、さらにはその結果をより円滑に進めるための分配の方法、決定システムのあり方にまで言及する必要に現在迫られているといえる。また同時にこのことは、デザインの意味を広義に解釈した場合の中核をなすものであることを確信する。

(一九七九年)

(1)中山修一「非経済学的価値としてのデザイン」『デザイン理論』no. 16、関西意匠学会、1977年、17-40頁。

(2)豊口協『IDの世界』(SD選書93)、鹿島研究所出版会、1974年、10頁。

(3)同書、19頁。

(4)中山修一「デザイン学の発生」『デザイン学研究』別冊、日本デザイン学会、1975年、58頁。

(5)荻野宏幸『文明としてのデザイン』サイマル出版会、1975年、9頁。

(6)『工芸ニュース』vol. 39、no. 4、1971年。

(7)磯野直秀『物質文明と安全』(日経新書204)、日本経済新聞社、1974年、6頁。

(8)成毛収一『企業の社会責任』(日経新書131)、日本経済新聞社、1970年、5頁。

(9)山内恭彦編『現代科学と人間』(中公新書236)、中央公論社、1970年、139頁。

(10)豊口協、前掲書、20頁。

(11)華山謙『環境政策を考える』(岩波新書41)、岩波書店、1978年、78-106頁。

(12)豊口協、前掲書、18頁。

(13)荻野宏幸、前掲書、5頁。

(14)同書、6頁。