ペニー・スパーク(Penny Sparke)さんは、一九四八年にロンドンで生まれ、一九六七年から四年間、サセックス大学でフランス文学を学び、一九七五年にブライトン・ポリテクニック(現在のブライトン大学)へ学位請求論文「ポップ時代の理論とデザイン」を提出し、学術博士(PhD)を取得しました。それ以降ブライトン・ポリテクニック(Brighton Polytechnic)に残ってデザイン史を講じたあと、一九八二年にロンドンの王立美術大学(Royal College of Art)に移り、文化史学科(Department of Cultural History)の専任の上級講師(Senior Tutor)として教鞭を執るようになります。英国でデザイン史学会(Design History Society)が創設されるのが一九七七年で、学会誌の Journal of Design History の創刊号(第一巻第一号)がオクスフォード大学出版局から刊行されるのが、一九八八年のことです。私が、彼女に会うために王立美術大学文化史学科を訪れたのは、一九八七年一二月一八日でした。そのときまでに彼女が書いていた本に、次のものがありました。
・Ettore Sottsass Jnr., Design Council, London, 1982.
・Consultant Design: The History and Practice of the Designer in Industry, Pembridge Press, London, 1983.
・An Introduction to Design and Culture in the 20th Century, Allen and Unwin, London, 1986.
・Furniture, Bell and Hyman, London, 1986.
・Japanese Design, Michael Joseph, London, 1987.
・Electric Appliances, Unwin Hyman, London, 1987.
・Design in Context, Bloomsbury, London, 1987.
書きましたように、一九八七年一二月一八日に王立美術大学文化史学科のペニー・スパークさんの研究室において、私は、彼女にインタヴィューを行ないました。以下の文は、その際の私の質問に対する彼女の返答を集約して、それを、本稿のために新たに三つの主題(「デザイン史学会について」「美術・デザインの歴史教育について」「デザイン史学の研究動向について」)に分節化し、簡略的に記述したものです。
それでは、あなたのご質問にありますデザイン史学会(Design History Society)の現状につきましてお話いたします。
まず、会員数ですが、四〇〇人くらいではないでしょうか。専門家がほとんどで、大学で教えている人やデザイナー、学生もいます。また、英国人だけでなくアメリカ人の会員も多くいます。それ以外にも会員は、フランス、スカンジナビア、イタリア、日本、オーストラリアなどに国際的に広く分布しています。
これまでは、ニューズレターを年に四回発行してきましたが、来年からは Journal of Design History が刊行されます。美術史家協会(Association of Art Historians)が発行する Art History という雑誌がありますが、これが Design History がモデルにしようとしているものです。デザイン史という学問は、この国においては極めて新しい研究領域で、いまだ学術的な基盤がありません。しかし、多くの人が、執筆や研究に従事してきています。そのため、研究発表の場として学会誌が刊行されることは重要なことなのです。来年の学会誌の刊行は、この学会の将来的発展にとって、とても重要な意味をもつものと私は思っていますし、これによって、デザイン史がひとつの学問として定着し、促進されてゆくにちがいありません。
この学会誌は、非常に広範囲の分野を扱います。とくに、物質文化に関するものです。文化史的観点に重きを置いています。たとえば、ドイツが抱えている問題、女性によるインダストリアル・デザイン、変革のイメージ、技術とデザインの関係性、ロシアの商品にみられる国民性、美術と産業の世界に関与した人物、などなどです。このように、扱う範囲は多岐にわたります。そこで、この学会誌は、デザイン史家、社会史家、技術史家、社会学者、それに人類学や考古学などにかかわる専門家を巻き込むことになります。これが重要なことなのです。
もっとも、その中心を占めるのは、デザイン史家になるでしょう。このことが、この学問の可能性を示唆しているのです。私たちは、美術史から単に枝分かれしようとしているのではありません。美術史はこの国では非常に間口の狭い学問でして、デザイン史はそこから自立したともいえます。つまり、美術史と違って、デザイン史は、他の学問分野との関連性を内包しているのです。したがって、私たちの学会誌は、こうした関連性を検証しようとするものでして、このことが重要で、他の学問分野との関係性を築くことに、その際立つ方向性があると思っています。
この学会は、これまで年次大会も開催してきました。来年は九月にエディンバラで開催します。可能性としては、その次の一九八九年の開催がロンドンになるのではないでしょうか。
それでは、この国の美術・デザインの歴史教育にかかわり、現実の課題につきまして、お答えいたします。
これまで、デザイン系の学生に対して、それにふさわしい歴史教育はなされてきませんでした。美術やデザインは、 polytechnic(実業系の大学)で教えられるもので、university(学術系の大学)が対象にする領域ではありませんでした。本来、そういうものではないと思われるのですが、しかし、実際には、実技との密接な関係性がそこには存在するのです。美術・デザインの教育が、ほかの人文学や文化学から距離を置いた位置にあるということは、大きな問題です。実技と学問が結び付いていないのですから。これが、現在の重要な課題です。そして、デザイン史が学問として成長してきた理由も、そこにありました。
一九六〇年代においては、個人的にデザイン史に興味をもつ人はいたかもしれませんが、いまだ、デザイン史家と呼べる教師や学者はいませんでしたし、デザイン史を学ぼうとする学生もいませんでした。デザイン史が、polytechnic ではじめて教えられるようになったのは、一九六〇年代の後半、たぶん一九六八年か六九年のことで、七〇年代の中頃から、次第にデザイン史の教育課程が整備されてゆきました。
いまあなたは、ご自身は、インダストリアル・デザインの実技をバックグラウンドとしてデザイン史に興味を持ち始めたとおっしゃいましたが、この国のデザイン史家のバックグラウンドは、美術史または人文学、ないしは文学です。彼らの多くは、カレッジやポリテクの教師で、実技的な環境のなかにあって指導を行なっていました。つまり彼らは、university で教えるようなかたちで、美術史を教えていたのです。そのような状況にあって、デザイン系の学生にはデザインの歴史が教えられるようになりました。ですので、彼らのバックグラウンドは、アカデミックではありますが、実技的な文脈において生み出されたものでした。いまこの国でデザイン史を教えている教師の数は、二〇〇人くらいでしょうか。この一〇年で増えてきました。以前は、数えるほどの人数でした。
それでは、質問にお応えして、私どもの王立美術大学文化史学科(Department of Cultural History, Royal College of Art)につきまして、ご説明します。この学科は、ふたつの領域を扱っています。デザイン史学(Design History)と文化学(Cultural Studies)です。私たちは、このふたつの領域を包摂して「文化史」と位置づけています。
まず、文化学ですが、ここでは、映像論、メディア論、コミュニケーション論、ポップ・カルチャー論などを扱います。言語学や社会学などが基礎学となります。教授は、クリスタファー・フレイリング(Christopher Frayling)です。彼の専門は映画論で、デザイン史にはあまり関心をもっていません。
次に、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)と王立美術大学が共同で運営するデザイン史課程について、説明します。
学生には、異なるふたつのタイプがあります。ひとつは、優れたデザイナーになることを目指して、デザイン史を学ぶ学生です。もうひとつは、デザイン史家になるためにデザイン史を専門的に勉強する学生です。私は、インダストリアル・デザイナーを志す学生にも講義をしますが、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館とのジョイント・コースも設けられておりますので、そこでも、デザイン史の講義をします。これは、デザイン史家を養成する修士課程です。ジリアン・ネイラー(Gillian Naylor)とふたりで担当しています。このコースは、一八世紀から二〇世紀を扱い、別の教員が一八世紀を、ジリアンが一九世紀と二〇世紀初頭を、そして私が二〇世紀を担当しています。特徴的なのは、私たちは、デザインの歴史を社会的経済的文脈から論じていることです。
王立美術大学は、ご承知のように、大学院大学ですので、学部卒業の学位である学士号 BA(Bachelor of Ats)もった学生が入学してきます。このジョイント・コースには、デザイン史の BA をもった学生や社会史の BA をもった学生、デザインの BA をもった者も、ひとり、ふたりいます。このコースの修業年限は二年で、初年度に講義を受け、二年目に論文を書き、修士号を取得します。彼らの就職先についてのお尋ねですが、university にはデザイン史の授業科目がほとんど置かれていませんので、university に職を求めることはありません。多くは、polytechnic の教師か、特定技能の指導者や学芸員のような専門職に就きます。産業界で働く人もいます。一、二年に何人かは博士課程に進み、さらに研究を続ける人もいます。これが、来学期のジョイント・コースのセミナーのリストです。毎週木曜日の四時にはじまります。あなたも、ご希望でしたらぜひ、ご参加ください。もちろん、講義室や図書室などの設備も、お見せいたします。
この学科で博士号を取得した学生の数についてのお尋ねですが、文化学の分野では博士課程の学生がいるのですが、デザイン史学の分野ではまだ多くありません。やっと開設から四年が経過したところですから。もちろん、polytechnic において博士課程を履修する人もいます。私も、polytechnic で博士号を取りました。現在、一〇名が博士課程に登録していると思います。
それでは、ご質問がありました、この国のデザイン史学の現在の研究動向について、お話します。
フィオナ・マッカーシー(Fiona MacCarthy)には、お会いになりましたか。彼女は、シェフィールドで独立研究者として執筆活動をしています。出版社に電話をすれば、住所を教えてくれると思います。しかし、彼女の本である A History of British Design, 1830-1970 は、基本的にペヴスナー流儀の歴史観に立って書かれたものです。
ジョン・ヘスケット(John Heskett)もデザイン史家です。彼は、レイヴェンズボーン・カレッジ(Ravensbourne College of Design and Communication)にいます。経済学を背景にもつ、世界を飛び歩く優れたデザインの歴史家であり思想家でもあります。シェフィールドまでは結構遠く、電車で二、三時間かかりますが、ジョンはわりと近くにいます。
ブライトン(Brighton Polytechnic)のジョナサン・ウッダム(Jonathan Woodam)も立派なデザイン史家です。彼も、この分野の重要人物です。彼に会うこともお勧めします。きっといい話が聞けるのではないでしょうか。
ジリアンが重要なのは、いうまでもありません。ぜひ、お会いになってください。帰りに、面会の予約をすればいいと思います。
それ以外にも、重要な人物がいます。エイドリアン・フォーティー(Adrian Forty)がその人です。彼の著書の Objects of Desire は、デザインについて分析したとてもよい本です。そのなかで彼は、適切にもペヴスナー流儀の歴史観を批判しています。
人類学者のダニエル・ミラー(Daniel Miller)の Material Culture and Mass Consumption も重要な本です。これはデザイン史の書物ではありませんが、題名のとおり、物質文化と大量生産を扱っていて、評判の書になっています。
ジョン・スタイルズ(John Styles)は、本学科の外来講師として重要な役割を担っています。彼は、社会史家で経済史家でもあります。デザインの歴史を、社会史や経済史の文脈で語ることは、とても大事なことです。
他方、この国では、デザインの理論家は非常に少ないです。唯一の人物を挙げるとすれば、この大学の教授のブルース・アーチャー(Bruce Archer)でしょうか。彼の理論の特徴は、システマティクなデザインの方法論にあります。彼は、一九六〇年代と七〇年代に脚光を浴びましたが、いまではさほど活動的ではありません。
さて、私の研究や関心についてのご質問ですので、それについて少しお答えします。
ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館と王立美術大学のジョイント・コース(デザイン史の修士課程)が産業化以前の時代にさかのぼって教えていることでもおわかりのように、デザインがもたらされるのは、工業化によってではなく、消費化によるものであると考えています。デザインの分析は、消費社会を分析することにほかなりません。したがって、design の今日的な用語法は、その語源であるルネサンス期の disegno とは異なっていると思います。イタリア人はこの言葉をいまでも使用しますが、完全に異なった文脈で使っています。
私は、ふたつの領域を専門としています。ひとつは、一八九〇年から一九九〇年代までのアメリカのデザインです。もうひとつは、一九四五年から現在に至るイタリアのデザインです。アメリカは大量生産の分野で主導権を握りました。イタリアは、むしろ小規模な生産にあってデザイナーの専門職域が成長してゆきました。アメリカとイタリアが私の研究の主な対象地域ですが、日本のデザインにも関心があり、本も書いています。一九五五年以降に極めて特異な事例があったと思っています。
私の専門的関心は、ポスト・モダニズムというよりは、オールターナティヴ・モダニズムにあります。私は、一九六〇年代の英国デザインの機能主義の危機について博士論文を書きました。これが私の出発点でした。そこで私は、ソットサス(Sottsass)の本を書きました。なぜなら、アンチ・モダニズムを考えるうえで、彼がよい例であると思ったからです。私の考えは、「アンチ」という文脈から発展しました。ポスト・モダニズムではなく、アンチ・モダニズムです。モダニズムに対する「オールターナティヴ」です。そして、この本において私は、デザインを、狭いモダニズムの文脈からではなく、多元主義的な文脈から検証することになりました。ですので私は、デザイン史学は、ポスト・モダン的な学問であると考えています。
私は、ポップ・カルチャーやテイスト、スタイルや消費、これらについての考えに興味をもっています。これらの事象は、モダニストたちにとっては興味の対象になりえませんでした。「He is outside modernism.(彼はモダニズムの外にいる。)」という表現が、おわかりになるでしょうか。私の研究の動機づけは、モダニズムの外側を見ることです。ポスト・モダニズムの文脈で文化を理解することです。そうすることで、ポスト・モダン社会における文化の理念を提示できると思います。モダニズムの崩壊現象は、建築だけに止まりません。多くの事物に含まれるのです。
それでは、質問がありました「テイスト」という概念について説明します。とても説明するのが難しいのですが、消費者による判断基準ということになります。デザイナーによる判断基準ではありません。社会的概念です。たとえば、イギリスでは、「テイスト」は所属階級によって異なりますし、居住地や収入などのさまざまな価値の要素に関連します。私は、これを買うとき、私の「テイスト」で買うのです。
一方、「スタイル」の概念は、オブジェクトの物理的特徴です。私は「スタイル」はもっていない、が私には「テイスト」がある。つまり、「テイスト」は自分自身の価値観であり、「スタイル」はオブジェクトに存在するのです。すなわち「スタイル」は、われわれが判別する対象なのです。
私の本に Design in Context がありますが、この「in Context」の語を、どう日本語に訳すか、とても難しいということを、いまお聞きしました。嘆かわしいことです。意図するところはおわかりかと思いますが……デザインがここにあれば、「文脈」がここにある。つまり「文脈」は、デザインの周辺に存在しているものです。それは、社会的、経済的、政治的、技術的である、周辺のすべての事柄を意味します。デザインがここにあり、文脈はその周辺にあるのです。
いまあなたから、ジャン・マーシュ(Jan Marsh)の Jane and May Morris を日本語に翻訳されているというお話をおうかがいしました。彼女のアプローチは、明らかにフェミニズムです。このアプローチは、デザインの分野にも、しばしば見受けられます。デザインに関する女性について書かれた本も多くあります。また、インダストリアル・デザインにおける女性、フェミニスト、批評など、女性に関する論文もたくさんあります。消費行為を重要視するならば、女性と消費には密接な関係性があるのです。
最後になりますが、現在私は、一九四五年から八五年までのイタリアのデザインについて執筆しています。やっといま、そのフレイムワークができたところです。
以上において私は、ペニー・スパークさんからお聞きした内容を、「デザイン史学会について」「美術・デザインの歴史教育について」「デザイン史学の研究動向について」の三つの主題に分節化し、要約的に構成しました。聞き間違いや訳し間違いがあれば、それはすべて、私の責任に帰されます。また、内容は、インタヴィューを行なった一九八七年一二月一八日時点のものです。このこともあわせてご承知おきください。
その後彼女は、一九九九年に教授としてキングストン大学(Kingston University)に移籍し、のちに、同大学の美術・デザイン・音楽学部の学部長を、さらには副学長の要職を務めることになります。次に挙げるものが、そのころの主な彼女の著作です。
・Design in Italy: 1870 to the Present, Abbeville Press, New York, 1988.
・As Long As It’s Pink: The Sexual Politics of Taste, Pandora, London, 1995.
・A Century of Design: Design Pioneers of the Twentieth-Century, Mitchell Beazley, London, 1998.
・Design Directory: Great Britain, Pavilion Books, London, 2001.
・A Century of Car Design, Mitchell Beazley, London, 2002.
・An Introduction to Design and Culture: 1900 to the Present, Second Edition, Routledge, London, 2004.
・Elsie de Wolfe: The Birth of Modern Interior Decoration, Acanthus Press, New York, 2005.
・The Modern Interior, Reaktion Books, London, 2008.
・The Genius of Design, Quadrille, London, 2009.
私は、このときのインタヴィューからしばらくして、ペニー・スパークさんの講義を聴く機会がありました。それは、主にインダストリアル・デザインを専攻する学生を対象にした講義でしたが、文化史学科の学生も聴講していました。そのときのことだったと記憶しますが、私は、GK インダストリアルデザイン研究所から派遣され、王立美術大学のこの文化史学科で修士論文を書いておられた福島慎介さんと知り合いになりました。また、私がデザイン史学研究会の代表をしていた二〇〇六年七月に開催した第四回シンポジウム「ジェンダーとモダン・デザイン」の基調講演者に、私たちはペニー・スパークさんを招待しました。母親と同じサセックス大学に通う娘さんを同伴しての来日でした。このとき、面矢(福島姓から改姓)慎介さんの計らいで、GK の栄久庵憲二さんを訪ね、歓談しました。そのあと私たちは、銀座に繰り出して、天ぷらの夕げを楽しみました。思い出に残る出来事の数々です。
(二〇二四年六月)