南郷草介は、次の夜も、続けて日英比較の夢を見ました。
昭和期が幕を開けたこの時期、明らかに高群逸枝は、これまでの詩人、そしてアナーキストという立場を越えて、女性史学を対象とする研究者の道へと転身します。何が彼女をそうさせたのでしょうか。彼女は、それについて多くを語っていません。そのこと自体も含めて、この変貌には、単に高群個人に帰される理由だけでは説明がつかない、本人さえも気づいていないような、もっと大きい世界的な事情なり、あるいは歴史的な背景なりが潜んでいたのではないかという感覚が、前の夜に見た夢以来、どうしても草介の脳裏から消えなかったのです。
ほぼ同じ条件下において、すでにそれと近い行動をとっていた、先例となる人物が英国にいました。このときの高群の身の処し方を見るにつけ、どうもそれは、時間差こそあれ、日英に共通する人類の歴史的進展の過程のなかで発生した、ある種必然的な出来事ではなかったのかというのが、草介の直感するところでした。
この夜の夢のなかで、再び草介は、英国の産業革命後の新しい社会、文化、政治の状況下において、詩人、そしてデザイナーから出発して革命的社会主義の道を歩み、ユートピアン・ロマンスの作家として、「ジョン・ボールの夢」において「過去」の、「希望の巡礼者たち」において「現在」の、そして加えて「ユートピア便り」において「未来」の、社会主義にかかわる歴史的諸相の一端を現前化させたウィリアム・モリスを呼び出していました。
他方で草介は、詩人やアナーキストとしての活動からさらに一歩前に踏み出し、男性社会においてそれまで見向きもされなかった女性の歴史を学問的に秩序立てて記述する方向へと身を向けようとした高群逸枝に問いかけていました。こうして両者の行動の内実を対照しては、しきりと草介は、その異同を踏まえて、独自の高群理解の地平を探っていたのでした。
いうまでもなく、英国における産業革命は、一八世紀半ばころからはじまり、一九世紀の三〇年代ころまでに完成したといわれています。「革命」といっても、一瞬のうちに成し遂げられたのではなく、長い歳月をかけて進行し、その担い手は、主として技術者や発明家といった民間の人たちでした。モリスが生まれるのは一八三四年で、ちょうど産業革命の終了期にあたります。他方、西洋に遅れをとっていた日本の産業革命は、日清・日露のふたつの戦争から第一次世界大戦へと向かう時期に展開され、国家主導のもと極めて短期間のうちに成し遂げられます。
産業革命の本質部分は、機械による大量生産でした。そのことは、手の労働を衰退させ、農村共同体を崩壊させ、都市化の進展を促しました。また、それによる資本主義の発展により、資本家層と労働者層のふたつの階層が形成されてゆきました。さらには、人の移動が促進されたり、環境が汚染されたりもしました。そうした全般的な社会変動は、ある人びとにとっては利益につながるものでありましたが、別の人びとにとりましては、耐えがたい過酷な生き方を強いる元凶になりました。この状況下から、社会主義は誕生します。日本の場合、英国から大きく遅れて、産業革命後の新たな社会がもたらされることになりますが、しかし、その内容については、大きく異なるところはありませんでした。高群の第一詩集である『日月の上に』が刊行されるのは一九二一(大正一〇)年で、日本における産業革命後の新たな社会と文化の出現時期と重なるのでした。いつの日か、モリスと高群を比較考証したいと思ううちに、静かに、その夜も明けてゆきました。
(二〇二六年七月)