南郷草介の夢にモリスが登場したのは、「高群逸枝のパーソナリティーの研究――親子関係、職業選択、気質、そして心的風景」を擱筆して、数週間が立ったときでした。その間モリスは、この愚作に目を通していたようです。
「ソースケ、いい内容だったよ。自分の関心を満たしてくれて、ありがとう。ところで、高群女史は、明らかに女性解放主義者のように思えるのだが、日本におけるその運動は、いつころ、どのようにして生まれたの?」。
「一般には、雑誌『青鞜』の刊行をもって、日本の婦人運動ははじまったといわれています。創刊は一九一一年のことで、中心人物は、平塚らいてうという名の女性です」。
「ヘえー、きっかけは『青鞜』という名の雑誌なのか、それはおもしろそうだね」。
「そう、この名称は、あなたの国に姿を現わしたブルー・ストッキングズ協会(Blue Stockings Society)に因んでいるといわれています。この協会は、実際どんな団体だったの? トプシー」。
「それは、エリザベス・モンタギューといった女性たちによってつくられた団体でね、女性教育の向上を求めて一八世紀中頃に設立されたんだよ。当時は、大学へ行き、学問を身につけることができたのは男性のみで、女性は裁縫や刺繍などの針仕事の世界に閉じ込められていたんだ。それに不満をもった女性たちが、社会論や教育論に関心をもつようになり、文学や芸術についても論じ出した。それにしても、イギリスのブルー・ストッキングズ(青い靴下)が、日本の『青鞜』とはね、ふたつの国に、何か深い因縁を感じるね」。
「トプシーと同じように、私もそう、両国のあいだには深い関係があるのを感じます。それでは、ブルー・ストッキングズの女たちの活動は、その後、どう引き継がれていったの?」。
モリスは、ここで一呼吸をすると、遠くを見つめるように、ゆっくりとソースケに語りはじめました。モリスの手の横には、『ヴィクトリア時代の女』1と題された一冊の本がありました。
「イギリスのブルー・ストッキングズの活動はね、英国のフェミニズム運動の祖型とも呼ばれることもあるんだが、その後の動向は、だいたいこのようになるんじゃないかと思う。
全般的に振り返れば、次の一九世紀、つまりヴィクトリア時代は、産業国家として、そして宗主国として『新しい英国(New Britain)』を生み出した。しかし、それだけではなく、女性の生き方にも、大きな変化をもたらした。早くも一八六〇年代に『時の女(Girl of the Period)』が登場し、九〇年代には、それに続く、『新しい女(New Woman)』が出現するんだ。
『時の女』と呼ばれた人たちは、一般に自立心が強く、開放的な精神の持ち主で、それは、髪の色や化粧、男言葉の使用など、ファッションや行動に表われた。市街地は、いまだ男性の支配地だったが、七〇年代に入るころには、こうした『時の女』たちが、食事や買い物、美術館訪問などを楽しむために、出没するようになった。八〇年代から九〇年代に入ると、『時の女』に批判的だった、時のジャーナリズムは、『新しい女』の現象に着目するようになる。彼女たちは、多くの点で『時の女』の特質を引き継ぎ、たばこを吸い、大胆にも男性との会話に加わり、町にも繰り出した。しかし、さらに進んだ独自の特質も兼ね備えていた。
『新しい女』にみられる強調すべき特徴は、全面的に夫の収入に頼り、『家のなかの天使』となって生きることに疑問を感じ、自ら職業をもち、政治に目覚め、自分の価値判断によって結婚を選択することだった。彼女たちのなかには、『時の女』に見受けられた、異性とのうわべの恋愛ごっこのようなものから離脱し、それに取って代わって、結婚を見下し、女らしさを軽蔑するようになった者もいた。『新しい女』の独立心は、仕事をもつことでさらに強化された。そのなかのある者は作家や芸術家として、別のある者は政治活動家として、自分の道を見出していったことは、よく知られる話だよ。
私の妻のジェインが、『時の女』の世代に、私の娘のメイが、『新しい女』の世代に属している。多かれ少なかれ、このふたりは、こうした時代の空気を感じ取っていたと思うね」。
「なるほど、そうだったのですね、よくわかりました。日本においても、当時『青鞜』の女たちは、『新しい女』という名で呼称され、『新しがる女』という蔑称でもって呼ばれることもありました。『新しい女』の呼び名も、英国と日本で同じ、これもまた不思議ですよね。時期は、少し日本が遅れますが……。
ところでトプシー、いまあなたは、妻が『時の女』という、娘が『新しい女』という社会の風を受けて生きていた、といいましたが、それに対して、男であるあなたは、それをどう思い、どのように対応したのですか。差し支えなければ、聞かせてください」。
「そうだねぇ」といいながら、モリスは腕を組むと、おもむろに口を開きました。
「承知のようにこの国は、当時、ひとつの公共の建物に入るにしても、ふたつの出入口が存在していた。人種によって出入口は異なり、同時に、使用する言語もふたつあった。また、『have(持てる者)』と『not have(持たざる者)』のふたつの階級があった。同じように、男と女のあいだには、相容れない深い溝があり、一方が一方を支配する社会構造ができ上っていた。私は、人種、言語、階級、男女に存在する、いわれなき不当な「差異」をなくしたいと思って、つまりは、人間の生存にかかわる対等や平等の創出を願って、そこに立ちふさがっている強固な差別意識や偏見を崩壊させるために、社会運動に身を投じたんだよ。そこから推し量れば、家族というひとつの社会集団にあって、私が妻に対して、そして、私が娘に対して、どう接していたかは、わかってもらえるのではないかと思う」。
草介は、現在の英国女性の伝記作家であるフィオナ・マッカーシーが書いた『ウィリアム・モリス――われわれの時代のための生涯』を読んでいました。そのなかでマッカーシーは、モリスは「フェミニストであったにちがいない」2と書いていました。草介は、トプシーから直接話を聞いて、なるほどトプシーも「フェミニストであったにちがいない」と、このとき確信したのでした。そして、草介はトプシーに、以下のような質問をしてみました。
「一般に『フェミニスト』とは、女性の解放を求める女性を指していう用語に思われがちですが、男性であるモリスを指してフェミニストという用例からすれば、もはやこの用語は、女性、男性にかかわりなく、女性の解放を求めるすべての人たちをいうのでしょうか?」。
「そのとおりだよ。フェミニストは女性だけとは限らない。男性のフェミニストもいます。さらにいえば、『フェミニスト』とは、男性、女性、性的少数者を問わずいずれもの性が、いっさいの偏見も差別も受けることなく、その多様な生き方と諸権利において平等かつ対等でなければならないことを主張する人すべてを指します。これが、この国での『フェミニスト』の用語法です」。
それを聞いて草介は、わが意を得たように、思わずこう発話しました。
「であれば、高群逸枝の夫もフェミニストであったにちがいない」。
それを耳にしたモリスは、身を乗り出して、草介に問いました。
「ソースケ、いきなり、おもしろいことをいうね。それでは聞くが、『黒い女』の夫はいかなる人物だったのかい……何に目覚めてフェミニストになったのかい?」。この言葉を聞いたところで、草介の夢世界は消えてゆきました。
目が覚めると草介は、思わず大声で、こう叫んでいました。「現在の人間存在のあり方を見ると、残念ながら、支配者と被支配者、迫害者と難民、富者と貧者、多数者と少数者、そして強者と弱者のあいだに、さまざまな差別や偏見が不当にも存続する。この垣根に疑問をもち、それを破壊し、その先に平等の地平を見ようとする人間全員がフェミニストなのだ! あなたもそうだし、私もそうだ」。
こうしてモリスとの会話がきっかけとなって、イギリスにあってはモリスがそうであったように、高群逸枝の夫の橋本憲三こそが、日本における最初期のフェミニストのひとりだったにちがいないという命題が、草介の頭から離れなくなってしまいました。それと同時に、その命題を、憲三本人の語りによって実証してみてはどうかという天の声に似たささやきが、草介の耳にしきりと届くようになりました。草介は考えました。これまでも憲三とはしばしば夢のなかで会話を楽しんでいました。それならば、これから憲三が夢のなかに遊びに来るたびに、憲三自身に本人が体験した生涯を語ってもらい、それを自分が傍らにいながら筆記することによって、憲三の伝記が書けるかもしれない――。そうした考えに達するや、草介の胸には、完成したらまた、モリスに読んでもらおうという熱い思いが溢れ出ていました。かくして草介は意を決し、「橋本憲三の生涯――ひとりの『フェミニスト男子』の誕生経緯」の執筆に向かったのでした。
(二〇二五年一〇月)
(1)Suzanne Fagence Cooper, The Victorian Woman, V&A Publications, London, 2001.
(2)Fiona MacCarthy, William Morris: A Life for Our Time, Faber and Faber, London, 1994, p. vii.