謹んで新春の御祝詞を申し上げます
昨年は病気に見舞われた年でした。膀胱がんステージⅠの標準的治療とされる、二回のTURBT(経尿道的膀胱腫瘍切除術)と六回のBCG膀胱内注入治療が終わり、いよいよ一二月から、再発の有無を調べるための、尿道からファイバースコープ(内視鏡)を入れて直接膀胱内を見る、経過観察に入りました。これから約二年間、だいたい三箇月おきに、この観察が進められてゆきます。再発率は五割です。ステージⅠの五年生存率は七、八割といわれています。また秋には、激しい痛みを伴い脊柱管狭窄症が襲ってきました。現在、痛みを和らげる五種類の薬を服用しています。机に向かっての勉強や、買い物や通院時の車の運転など、座る姿勢のときには支障はありませんが、歩行の痛みは解消せず、いまだ杖をつく不自由な生活を強いられています。
そこで、年賀状による新年のご挨拶は、これをもちまして最後とさせていただきます。この間ちょうだいしましたご厚情に対し、みなさまお一人おひとりに、こころから感謝の言葉を申し添えます。ありがとうございました。
穏やかなお正月をお迎えのことと思います。 これよりのちのさらなるご多幸とご健康を、ここ火の国大阿蘇の山野から、衷心よりお祈りいたします。
二〇二六(令和八)年 元旦
予定どおり、一月五日に病院に行きました。病理検査の結果は、「がん細胞の所見なし」というものでした。主治医の先生と握手をして喜び合いました。
しかし、年末の三回目の手術の少し前から、下腹部に痛みを覚えていました。例えるならば、小さなラグビーボールのような形をした鉛のような異物が、ずっしりと下腹部に陣取っている感じです。椅子に座っているときは、あまり感じませんが、ひとたび立ち上がり、歩こうものなら、その異物から四方八方に痛みが走り、伝い歩きをして部屋を移動するのがやっとという具合でした。
この日、下腹部の痛みについて相談しました。主治医の判断では、これは脊柱管狭窄症から来る痛みではなく、膀胱痛ではないかということで、抗生物質を処方してもらいました。この間の経過を報告するために二週間後にまた病院に行きます。抗生物質の服用によって、それまでに完全に下腹部の痛みが和らぐといいのですが。
そうした思いのなか、予約を入れていた二週間後の一月一九日に病院に行きました。まだ痛みが残っていましたし、この日のエコー検査でも、膀胱に炎症のような形跡が認められました。そこで、さらに二週間後に、念のためにMRI検査で確認するということになり、その日の予約を入れて帰宅しました。
帰宅後から、主治医の勧めがあって鎮痛薬の服用を再開しました。この薬は、脊柱管狭窄症を緩和するためにかかりつけの整形外科によって処方されていたものですが、下腹部の痛みが脊柱管狭窄症に由来するものではないとの判断から、自主的に服用を中断していた鎮痛剤です。すると、一週間を待たずして、痛みが次第に和らぎ、室内は杖なしでも移動が可能になってきました。また、街に下りて買い物をしたり、休暇村の日帰り温泉を楽しんだりすることもどうにか可能になりました。本当にありがたいことです。
しかし、尿漏れは落ち着いてきたものの、頻尿はほとんど改善されず、夜間でも、一時間前後で尿意が訪れる状況です。これでは安定した睡眠が約束されず、生活の質を損ないます。何とか、二月二日の次の通院日までには、こうした症状が完全に解消し、MRI検査でも、何ら問題が確認できないまでに改善できることを強く望んでいます。そうなれば、この強度の膀胱炎から解放され、三箇月に一度の、内視鏡を入れてのがん再発の有無を調べる経過観察へと再びもどることになります。早くそうなって、かつての生活と勉強を取り戻したいというのが、いまの願いです。
もっとも、この間の長い痛みのせいで、作業能力や判断能力のようなものが低下しているように思います。また、虚脱感や疲労感も感じています。勉強にしても生活にしても、あまり先を急がないで、少しこの時期、体を休めるのもいいかな、とも思っています。(一月)
今年も雪が降り、家に閉じ込められることになりました。
健康なときは、四方を雪で覆われそうな予報を聞くと、あらかじめ事前に、家から一キロくらい牧野道を下ったガードの下に車を置き、その坂道を徒歩で上り下りしながら、車を使って街に出たものですが、数年前に膝を骨折して手術をして以来、雪道が肉体的にも精神的にも受け入れることが困難になり、完全に雪が融けきるまで、家で過ごすようになりました。今年はそれに脊柱管狭窄症の痛みや膀胱痛が加わり、歩くこと自体が不自由になり、当然ながら、家での雪消待ちとなりました。
家のなかは、エアコンの暖房とガスファンヒーターのおかげで、寒さ知らずの快適さです。ウッドデッキや庭の木々を眺めては、覆われた白銀の雪景色を楽しみます。積もっていた雪も二日目ころには徐々に消え始めましたが、坂道は凍結している恐れもあり、念のために、もう二日間家で過ごし、やっと五日目に街に下りてみました。街は雪の形跡はほとんどなく、スーパーも銀行も郵便局も、人びとの普段の生活で暖かい活気に満ちていました。家に帰って周囲を眺めると、まだ雪があちこちで積もっています。いまだここは厳冬進行中なのです。街と山の違いがここにもくっきりと現われているのを実感します。
もうすぐ二月です。この月に入ると、庭に積もった残雪をかき分けるようにして、例年、黄色い福寿草が顔をのぞかせます。(一月)
二度目の積雪に見舞われました。しかし今回は、雪の量も少なく、外出せずに様子を見ながら家で過ごしたのは、わずか二日間ですみました。少し拍子抜けの感じでした。
雨が降ってきました。残雪や根雪を融かします。道路も庭もウッドデッキも、地肌が見えてきました。暖かい空気が流れます。一週間の気温の予報を見ると、今日からの最低気温は、氷点下を脱しています。この数字に接するだけでも、こころが軽くなります。春めいてきた感じです。例年より早いです。今後寒の戻りがあるのでしょうか。それとも一気に春になるのでしょうか。
勉強から少し遠ざかっていました。その間、いつ再開できるのか、たとえ再開できても、いままでどおりに文が書けるのか、内心不安が渦巻いていました。しかし、徐々に痛みも緩和してきました。短い距離であれば、歩行もできるようになりました。積もった雪の融解に似て、不安も溶け出し、少しずつ書きたい文が私の指先に伝わり、パソコンのキーをたたいています。ああ、まだ書けるんだ――喜びが込み上げてきました。(二月)
昨日、病院に行ってきました。
この間病理検査に出していた尿の結果は、がん細胞も、炎症の原因となっていると考えられる細菌も、見出せなかったというものでした。また、先週金曜日に撮影した全脊椎のMRIも、骨への転移は、認められなかったという結果でした。
心配していた事態は、これでひとまず回避できました。しかし、主治医の判断で、念には念を入れて、もう一度、二週間後の三月二日に膀胱と恥骨周辺のMRIを撮りたいということでした。もしこの段階で問題がなければ、やっと、三箇月おきに膀胱内に内視鏡を入れて再発の有無を確認する経過観察にもどることになります。
主治医にとって、理解できなかったことは、なぜあのような強い痛みが出たのかということでした。しかし、がん細胞が尿に混じっていないことは、現在、膀胱にがんはなく、痛みが緩和したということは、骨への転移による症状ではなかったことを意味します。転移していれば、痛みは続きます。先生の判断は、六回のBCG注入の副作用による炎症反応と思われるというものでしたが、これだけの痛みは、極めてめずらしい症状ということでした。
振り返れば、二回の切除手術後の、六回に及ぶBCG注入による治療が終わり、一回目の経過観察を受けたのが昨年の一二月一日でした。その結果を受けて、一九日に三回目の切除手術に臨みました。しかし、そのころから、脊柱管狭窄症に由来すると思われる足の痛みは緩和したものの、下腹部の痛みが現われ、歩くこともできないほどで、これまでの生活が一変しました。加えて頻尿も尿漏れもあり、先の見えない状況に立ち入りました。年が明けた五日の診察での主治医の説明では、年末の手術によって切除した部位からはがん細胞は確認できなかったというもので、ほっとしたものの、痛みは、いっこうに治まる気配はなく、その後、腹部エコー検査、尿検査、MRI検査が繰り返し続き、今日に至りました。
現在、痛みはまったくなく、杖も必要としないようになっています。買い物も調理も、ウォーキングも温泉も、そして勉強も、ほぼ従来どおり行なっています。ただ、頻尿と尿漏れがまだ続いていますが、膀胱の活動がもとどおりになれば、それも回復するのではないかというのが主治医の所見です。
最終的には三月二日の判断まで待たなければなりませんが、私の気持ちとしては、完全に回復したものと思っています。(二月)
私が住む町の地域包括支援センターの職員の方の案内で、隣り村にある住宅型有料老人ホームの見学に行きました。ここは、かつて温泉ホテルだったということで、二階建ての外観は、高原の山小屋を彷彿させるオレンジ色を基調とする瀟洒なたたずまいを見せていました。一歩中に入ると、暖炉をもったロビーがあり、イスやテーブルがほどよく配置され、入居者同士の歓談の場になっていました。隣りの空間は食堂で、大小のテーブルとイスが、思い思いに並べられ、カウンター奥の壁面のボードには、色とりどりのカップやお皿が飾られていました。また、一角の畳敷きのコーナーには、いまの季節にふさわしく、雛飾りがしつらえてありました。
ロビーと食堂の南東の面は、すべてガラスの壁と扉で外界と仕切られ、そこから、天空に昇ってゆく午前の朝日が、差し込んでいました。外界は広々とした芝生で、足湯を楽しむ露天の湯場や、家庭菜園用のビニールハウスも見て取れました。
対応していただいた職員の方の説明によりますと、いま、女性八名、男性五名が入居しており、その多くは、こうした、他の施設にはみられない、取り巻く自然環境の豊かさや、潤沢な内部空間の良質性が、入居の決め手になっているとのことでした。また、浴室の湯が、天然温泉水であったり、外来者のためのゲストルームが備わっていたりすることも、魅力になっているとの説明でした。実際、入居者のなかには、東京や福岡などの都会から移住して老後の時間を楽しむ方もいらっしゃるようで、自然の安らぎや地方の暖かさが、世代を超えて人のこころをとらえていることが、ここでも見てわかりました。
最近立て続けに居住者が亡くなられて、現在空室になっている四室と、共同浴室、それにゲストルームを見学させてもらいました。居室はいずれも広く、共同浴室も、障害の度合いによって対応できる、ふたつの浴槽で構成されていました。
料金のことや生活の実態などについて、詳しくお聞きしたかったのですが、その日は、理事長も施設長も所用があって不在とのことで、後日の電話での問い合わせか、再度の訪問に譲ることになりました。
この老人ホームは、私の家から車で一〇分くらいのところにあり、ときどき前の道を通って、見知っていたのですが、内部に入るのは今回がはじめてでした。ゲストルームでの体験宿泊や食堂での食事体験も可能とのことで、ぜひ近いうちに遊びにきてほしいというお言葉に送られて、この日は玄関をあとにしました。(二月)
老後をどう過ごすか、それを指南する本が、あふれているような気がします。内容は、大まかにいえば、定年後の仕事のこと、食事や栄養管理のこと、健康や医療のこと、老後資金や資産の遺し方に関するもの、葬儀や墓のいまの事情に関するもの、といったところでしょうか。
こうした内容をもつ案内書が多く出回るということは、それに関心をもつ読者が多くいることを表わします。ひと昔前は、青春をいかに生きるべきか、恋愛とはいかなるものか、自己実現とは何をいうのか、といった若者向けの案内書が多く世に出ていたように思います。そのことからしても、やはり今日に至るまで、老人人口が増え続ける一方で、若者の数が激減していることがわかります。
個人の生活が重視され一世帯家族が一般化する前の多世帯家族にあっては、老人の生き方についての話題は、これほどまでににぎわいを見せていなかったように思われます。老人には配偶者がいて、その夫婦には子どもがあり、孫も含めて三世帯がひとつの家族として同居していたことを考えれば、老人問題は、家族全員で引き受けていたのでしょう。ところが、老人の生き方問題は、老人その人がひとりで抱え込む時代へといまや入ってきたのです。どうやらそれが、老後人生の指南書の洪水を引き起こす要因となっているようです。
老後人生真っ只中を生きる私も、ついつい、周りの人はどう生きているのかとか、老後について人がどういう本を書いているのかとか、そういったことに、全く関心がないわけではありません。その一方で、若いときから、自分の人生くらい、人の意見に惑わされずに自分で決めろ、といった具合に歩いてきたこともあり、ついつい自己肯定的で自己満足的な流れに沿って身を処す傾向にあるようです。これを人は終極の自由というのでしょうか。それとも、極点の身勝手というのでしょうか。そう書いて、ひとりで笑い転げる、ひとり上手な自分がいるのでした。(三月)
この時期になると、行きつけの整備工場でタイヤ交換をします。地下の倉庫に保管していた四本の夏タイヤを取り出して、車に乗せて持参するのです。オフィスで、出されたコーヒーを飲んでいると、三〇分くらいで交換は完了します。
タイヤ交換のときに、いつも思い出すことがひとつあります。かつて神戸大学に勤務していたころ、デザイン・コンサルタントとして、あるタイヤメーカーに月に一回出向いていたことがあり、そのときのことが懐かしく頭をよぎるのです。
車のタイヤにデザインが必要なのか、それを聞くと人はみな驚きます。確かにタイヤは機能部品として、操縦安定性やノイズなどの観点から、多くは機能の面から決定されます。そうはいっても、タイヤのトレッド・パタンは、無限の可能性を秘めているのです。そこで、いかなるパタンにするか、そのデザインは、タイヤをつくるうえでの重要な視覚上の要素となって力を発揮するのです。
実際上、タイヤのトレッド・パタンは、溝に着目すれば、それが直線的であるか、曲線的であるかによってその違いが生まれます。また、接地面に着目すれば、それが粗の状態で構成されているか、蜜の状態で構成されているかでパタンの印象は大きく変わります。そこでデザイナーに要求されることは、対象となる乗用車の性格に応じたパタンを生み出すことであり、その際、「粗密直曲」の組み合わせの様子が、重要な要素となるのです。つまり、タイヤのトレッド・パタンは、感性と機能の複合模様として成立しているのです。
そのようなことを思い出しながらの今回のタイヤ交換でした。(三月)
私は、毎年確定申告をしています。いつもですと、その時期になると、それに関連する書類が税務署から送られてくるのですが、今年は待っても待っても届かず、役場に行ってその書類を入手しました。役場の職員の方の話によると、申告を、紙からウェブに切り替えたいという意向が、そこにはあるとのことでした。私個人は、この申告書類に関しては紙派に属します。といいますのも、指示書に記載されている内容に従って自分自身で電卓を使って計算することに、私は、頭の体操と収支の実態把握というふたつの意義を見出しているからです。そうした意義もさることながら、今年も申告したおかげで、つい先日、数千円ではありますが、還付金が指定口座に振り込まれました。
この時期、ひとり暮らしながら私も、本年度の決算と新年度の予算編成をします。エクセルで作成します。横に支出の費目を並べていき、縦に一月から一二月を並べます。各月、「予算」「実績」「バランス」の三項目で構成されます。右端が、月ごとの総計が、最下段に費目ごとの総計が表示されます。たとえば、本年度(二〇二五年度)のガス(プロパンガス)の年間支出は、予算が七万三千円、実績が八万四千円、したがいまして、バランスとしては、一万一千円の赤字になりました。そこで、新年度(二〇二六年度)の予算編成に際しては、本年度の実績を踏まえて、ガスの費目には八万四千円の予算を計上することになりました。
私が最も重要な指針としているのは、収入である年金の範囲内で予算を組み、それに基づいて実際の生活を営んでゆくことです。といいますのも、年金収入を超えて、老後資金を切り崩すようなかたちで生活をしてしまいますと、いつかは老後資金が枯渇し、最晩年に必要とされる医療費や介護費、さらには施設入居費にも困るようになり、間違いなく老後破綻に見舞われることになるからです。
しかし、最近の物価高は年金生活を圧迫します。わずかに残してある老後資金にも手をつけたくありません。大変困難な時代に入ってきたと、実感しています。(三月)