中山修一著作集

著作集1 デザインの近代史論

第二部 デザイン史学とミューゼオロジーの刷新

第三章 ロンドンに建設中の「デザイン・ミュージアム」

英国デザイン界で、いま最も関心の高い話題のひとつに、「デザイン・ミュージアム」の建設がある。これは、コンラン財団のもとにボイラーハウス・プロジェクトが進めている計画で、すでにその概要が発表され、建物自体も急ピッチで工事が進行している。以下のリポートは、ボイラーハウス・プロジェクトのディレクター、スティーヴン・ベイリー氏との昨年(一九八七年)一二月八日の会談をもとにまとめた「デザイン・ミュージアム」についての紹介である。

コンラン財団とは、一九八一年にテランス・コンラン氏(一九八二年にナイト爵に叙される)によって、産業とデザインとの関係をより活性化させる目的で創設された財団である。コンラン氏自身、ロンドンの中央美術・デザイン学校でテキスタイル・デザインを学んだ経験をもつ家具デザイナーであり、一九五六年にはデザイン事務所も設立している。そして一九六四年「ハビタ」の一号店をロンドンに開設するや、その機能性に富んだデザインがたちまち人気を博し、現在では世界の主要国にチェーン店をもつまでに至っている。コンラン財団は、このような経歴に基づいたコンラン氏自らのデザイン教育に対する強い関心から生まれたものであり、また、このコンラン財団の理念を具体的なかたちで実施する機関として、スティーヴン・ベイリー氏率いるボイラーハウス・プロジェクトが設けられているのである。一九八一年にボイラーハウス・プロジェクトの初代ディレクターに就任する以前のベイリー氏は、ケント大学で芸術史の教鞭をとっており、これまでに『セックス・酒・高速自動車』や『二〇世紀――様式とデザイン』など、デザインの批評と歴史に関する多数の著作を世に出してきた学究でもある。ある本の一節で彼は、「インダストリアル・デザインが二〇世紀の芸術である」と言い切っているが、これがボイラーハウス・プロジェクトを推進するうえでの彼のライト・モティーフとなっている。

ボイラーハウス・プロジェクトは、一九八六年九月までヴィクトリア・アンド・アルバート博物館内にその活動の拠点(ホワイト・ボックス)をもち、彼ら独自の企画による展覧会を開催してきた。主だったこれまでの展覧会として、「メンフィス」「売るためのイメージ」「コーク」「テイスト」「ソニー」「14=24(英国若者文化)」「イッセイ・ミヤケ」などを挙げることができる。これらのタイトルからも判断できるように、ボイラーハウス・プロジェクトが企画してきた展覧会活動の特徴は、われわれを取り巻いている文化状況を、産業と商業と大衆の三者が生み出したひとつの結果としてとらえ、単に〈もの〉の展示だけに止まらず、その〈もの〉が成立するまでのプロセスとそれを支える現実的な文化構造とを詳細に分析した解説カタログでもって、見る人に訴えかけてきたことである。つまり、ボイラーハウス・プロジェクトの企画上のコンセプトは、ひとりの芸術家とそのパトロンという旧来の芸術の成り立ちを、産業と大衆との関係に置き換え、その総体こそが二〇世紀の文化であることを認めたうえで、そのような文化構造のなかでのデザインのもつ役割の重要性を、ひとつの教育的価値として展示し、解明することにあったといえる。そしてその恒常的な展覧会活動の場として「デザイン・ミュージアム」の構想が生まれ、その建物の建設がロンドン東部の再開発地の一角、バトラーズ・ウォーフで、一九八九年五月の開館を目指していま進められているのである。

スティーヴン・ベイリー氏の語るところによれば、「デザイン・ミュージアム」の目的は、産業と商業と大衆のあいだに、新たな関係を創造するためのひとつの契機を与えることにあり、その目的達成のために彼は、産業が生み出す〈もの〉とデザイナーの仕事とを広く紹介するだけでなく、それに対して分析と批評の作業を加える一方で、これまで必ずしも同等のものとして扱われてこなかったさまざまな思潮や理念を国際的な広がりのもとに提供することも考えている。したがって「デザイン・ミュージアム」は、貿易のための見本市会場でもなければ単なる美術館でもない。それは、人間が生み出す〈もの〉に付着しているイメージやイズムまでをも含め、多様なメディアを通じて紹介され検討が行なわれる、全く新しいタイプの「デザイン教育の場」であり、「文化を分析する国際的拠点としての館」なのである。

建物自体は次にみられる四層から構成されている。一階が、工房、講義室、図書室、ショップ、およびカフェ・バー。二階が、「ボイラーハウス」のための展示スペースおよび「デザイン・リヴュー」とレストラン。三階がオフィス。そして四階が常設展示スペースとしての「ミュージアム」となっている。ここで注目されるのは、当然「ボイラーハウス」と「デザイン・リヴュー」と「ミュージアム」の三つの空間の性格であろう。

入館してすぐ目につく空間が「デザイン・リヴュー」(三〇六平方メートル)である。ここはプロダクツ、ファッション、グラフィックス、家具、および自動車の各分野での先行作品を国際的なレヴェルで検証するための空間である。いわば世界の最先端のデザインを集めた「ショップ・ウィンドウ」であり、デザインに関する最新情報の発信地としての性格をもつものである。そのため、年九回の展示の入れ替えが考えられている。また同時にこの空間は、学生やデザイナーのためのさまざまなコンペの発表の場としても提供される。

次にわれわれは、「ボイラーハウス」(三四三平方メートル)へと導かれる。この空間では、これまでヴィクトリア・アンド・アルバート博物館でボイラーハウス・プロジェクトが展開してきた展覧会の性格と形式を引き継ぎ、年六回のボイラーハウス展が開催されることになっている。しかしその空間は、博物館というよりはむしろテレビ番組製作のスタジオのようなものが考えられており、スクリーン、ステージ、それに照明をフレキシブルに使用することによって、一つひとつの展覧会の性格に最も適した空間づくりが可能になっている。三番目の空間である「ミュージアム」は、最上階の四階にあり、八〇〇平方メートルの床面積をもつ常設展示場である。ここでは、大量消費財におけるデザインの歴史的な発展を例証することが目的とされており、視覚をとおしてのデザイン史理解の場となることが予想される。しかし、ここでも単に〈もの〉が並べられるだけではない。大量消費財を理解し研究する場合、その美学や技術の側面だけでなく、経済的、政治的文脈にも照らして語ることが常に求められていることを踏まえて、その〈もの〉が生み出されたプロセスにおいて影響を及ぼしたと考えられるさまざまなレヴェルでの思想的背景が詳しく説明され、可能な限りの教育的配慮がなされることになっている。

このような三つのそれぞれ性格の異なる空間を備える「デザイン・ミュージアム」が一年後にその姿を現わそうとしている。会談の最後に、初代館長になることが予定されているベイリー氏は、「このミュージアムが創造的であるとするならば、産業がわれわれの文化である、という認識に遅ればせながら立っていることである」と語ってくれた。おそらくこのような認識のもとに建設されたミュージアムはこれまでに世界のどこにもなかったであろう。いま多くの人たちから強い関心が寄せられている理由も実はそこにあるのである。

(一九八八年)

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図1 1982年にボイラーハウス・プロジェクトがヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催した展覧会 The Car Programme のカタログの表紙。

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図2 1982年にボイラーハウス・プロジェクトがヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催した展覧会 Sony Design のカタログの表紙。

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図3 1983年にボイラーハウス・プロジェクトがヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催した展覧会 Kenneth Grange のカタログの表紙。

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図4 1983年にボイラーハウス・プロジェクトがヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催した展覧会 Taste のカタログの表紙。

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図5 デザイン・ミュージアムの見取り図。

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図6 デザイン・ミュージアムの模型(手前のケース)と図面(壁面)。

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図7 著者に届いたデザイン・ミュージアムの開館式(1989年7月4日)への招待状。

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図8 開館から十数年が経過したデザイン・ミュージアム。