図1 尾竹越堂が壮吉の初節句に描き贈った《桃太郎》。
図2 千歳村の工場の全景。
図3 富本憲吉宅の室内でカメラを構えるバーナード・リーチ。
図4 煙をはく瀬戸赤津の窯。
図5 「昔と今の先端婦人」座談会の出席者。前列向かって右から、今井邦子、平塚雷鳥、富本一枝、神近市子、後列向かって右から、西村アヤ、川瀬美子、細川ちか子、原泉子。
図6 逗子尾崎邸での集合写真。向かって右から、今井邦子、神近市子、尾崎行雄、富本一枝、平塚明子(らいてう)、令息夫人、令息。
図7 1930年代はじめころの家族写真。
図8 陶土でおもちゃをつくる壮吉。
図9 村山知義『亡き妻に』の題簽(富本一枝筆)。
図10 書齊の富本憲吉(土門拳寫)。
図11 水曳する富本憲吉(土門拳寫)。
図12 繪附する富本憲吉(土門拳寫)。
図13 松坂屋「富本憲吉新作陶磁展」(広告)。
図14 松坂屋「富本憲吉日本畫展覧會」(広告)。
図15 松坂屋「富本憲吉第二回新作陶器展」(広告)。
図16 成城の奥村・平塚邸の間取り。玄関を入った左手が奥村のアトリエ。
図17 家族會議の全景。右隅から左回りで、憲吉と壮吉、陽、良子、陶、曙生、一枝、記者、奥村、敦史、平塚。
図18 ピンポンを楽しむ佐藤俊子(右)と富本一枝。
図19 第一線をゆく女性 青鞜社。右端から左回りで、生田花世、長谷川時雨、富本一枝、岡田八千代、平塚らいてう、神近市子。
【図1】富本一枝「愛者 父の信仰と母の信仰」『大法輪』第25巻第9号、1958年、59頁。
【図2】「わが工房」『婦人公論』第242号、1935年、8頁。
【図3】富本憲吉「赤津にて」『塔影』第11巻第4号、1935年、ノンブルなし。
【図4】富本憲吉「赤津にて」『塔影』第11巻第4号、1935年、ノンブルなし。
【図5】『婦人画報』第326号、1932年8月、123頁。
【図6】『婦人画報』第338号、1933年8月、64頁。
【図7】富本陶の令息の海藤隆吉氏から贈与を受けた著者所有の写真。
【図8】富本憲吉「赤津にて」『塔影』第11巻第4号、1935年、ノンブルなし。
【図9】村山知義『亡き妻に』櫻井書店、1947年、表紙。
【図10】富本憲吉『製陶餘録』昭森社、1940年、寫眞頁。
【図11】富本憲吉『製陶餘録』昭森社、1940年、寫眞頁。
【図12】富本憲吉『製陶餘録』昭森社、1940年、寫眞頁。
【図13】『東京朝日新聞』、1935年11月20日、5頁。
【図14】『東京朝日新聞』、1936年1月17日(夕刊)、3頁。
【図15】『東京朝日新聞』、1936年10月10日(夕刊)、7頁。
【図16】らいてう「砧村に建てた私たちの家」『婦人之友』第21巻第1号、1927年新年号、104頁。
【図17】『婦人画報』第357号、1934年11月号、80頁。
【図18】「私の好きな時間」『婦人公論』第22巻第2号、1937年2月号、8-9頁。
【図19】「第一線をゆく女性 青鞜社」『婦人公論』第24巻第1号、1939年1月号、10-11頁。