図1 1834年3月24日にウィリアム・モリスはウォルサムストウにあるこの〈エルム・ハウス〉で誕生した。
図2 父親の死後、1848年にモリス一家は、〈ウッドフォード・ホール〉からこの〈ウォーター・ハウス〉に転居。現在この建物は、ウィリアム・モリス・ギャラリーとして使用されている。
図3 23歳のウィリアム・モリス。この年(1857年)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの誘いを受けて、オクスフォード大学学生会館の壁画製作に携わり、そのときジェイン・バーデンと知り合う。
図4 1858年のウィリアム・モリスの油絵《王妃グウェナヴィア》。
図5 18歳のジェイン・バーデン。その後1859年にウィリアム・モリスと結婚。
図6 裏庭から見た〈レッド・ハウス〉の全景。ウィリアム・モリスは、ジェイン・バーデンとの結婚に際し、新居の設計をフィリップ・ウェブに依頼。こうして完成したのがこの〈レッド・ハウス〉で、1860年に入居。
図7 〈レッド・ハウス〉の階段周り。
図8 〈レッド・ハウス〉の食堂の食器棚。
図9 1861年かそのころにウィリアム・モリスが自邸の窓ガラスに描くために作製したデザイン。このなかに、モリスがモットーとしていた「私にできることであれば」という一文が挿入されている。
図10 壁紙《デイジー(雛菊)》。ウィリアム・モリスのデザイン。1864年。
図11 シルクの刺繍《フラワー・ポット》。ウィリアム・モリスのデザイン。装飾芸術の領域のなかにあって、モリスが最も早い段階から着目していたのが、刺繍であった。
図12 スクロール・パタンの絵タイル。1870年ころのウィリアム・モリスのデザイン。
図13 《ローズ(薔薇)》のパタンによる手描きのタイル。ウィリアム・モリスのデザイン。1870年ころ。
図14 1870年にウィリアム・モリスが書いた『詩の本』のタイトル頁。
図15 1871年にウィリアム・モリスによりアイスランド語から訳され清書された『エイルの住民の物語』からの一頁。
図16 〈ケルムスコット・マナー〉の正面玄関。ウィリアム・モリスは、1871年にダンテ・ゲイブリエル・ロセッティとの共同名義でこのマナー・ハウスを賃貸。さっそくこの年の夏、ロセッティはモリスの妻子とここで過ごす。ロセッティとモリス夫人の関係が解消された1876年以降は、モリスのお気に入りの別邸として使用される。
図17 〈ケルムスコット・マナー〉のウィリアム・モリスの寝室。17世紀の曲面処理された支柱をもつベッドで、掛け布には、モリスの娘メイによってデザインされ製作された刺繍が施されている。
図18 〈ケルムスコット・マナー〉の裏の牧草地からの眺め。
図19 正面から見た〈ケルムスコット・ハウス〉。1878年にウィリアム・モリス一家はロンドン西部のハマスミスのテムズ川に面したこの邸宅に転居。「ケルムスコット」は、〈ケルムスコット・マナー〉からの転用。1896年10月3日にモリスはこの自邸で死去。この間この建物の地下室は、しばしばモリスの政治活動の拠点として利用され、現在はウィリアム・モリス協会の本部として使用されている。
図20 〈ケルムスコット・ハウス〉の図書室。
図21 〈ケルムスコット・ハウス〉の食堂。
図22 壁紙のためのブドウ(葡萄)のパタン。1874年のウィリアム・モリスの下図(ワーキング・ドローイング)。
図23 壁紙《マリゴールド(金盞花)》。ウィリアム・モリスのデザイン。1875年。
図24 壁紙《アップル(林檎)》。ウィリアム・モリスのデザイン。1877年。
図25 エドワード・バーン=ジョウンズによってデザインされ、モリス商会が製作した、ケンブリッジのジーザス・カレッジの一連のガラス窓のひとつ。1870年代のこの時期、同じくバーン=ジョウンズとモリス商会は、オクスフォードのクライスト・チャーチのステインド・グラスも手掛けている。
図26 1881年にモリス商会は、マートン・アビーに見つけた古い染織工場跡を賃貸により借り受け、染織、織物、刺繍などを製作する工房として利用しはじめた。後方の建物は、織りとプリンティングのための小屋。
図27 マートン・アビーの工房のチンツをプリンティングするための部屋。
図28 シルクとウールのタペストリー《アネモネ》。ウィリアム・モリスのデザイン。
図29 チンツ《ウェイ》。ウィリアム・モリスのデザイン。1883年。
図30 カーペット《黒い木》。ウィリアム・モリスのデザイン。
図31 アラス織りのタペストリー《フローラ》。ウィリアム・モリスのデザイン、人物はエドワード・バーン=ジョウンズ。
図32 リネンにプリントされるためのハニーサックル(スイカズラ)のパタン。1883年のウィリアム・モリスの下図(ワーキング・ドローイング)。
図33 スクロールをもったエンジェル。ウィリアム・モリスの下絵。
図34 コットンにプリントされるための《イチゴ(苺)泥棒》のパタン。1883年のウィリアム・モリスの下図(ワーキング・ドローイング)。
図35 ウィリアム・モリスの私家版印刷工房「ケルムスコット・プレス」が一部を占めていた建物。このコテッジは、エマリー・ウォーカーが写真製版工房に使用していた、アッパー・メル12番地の〈サセックス・ハウス〉ではないかと思われる。印刷と出版は、モリスが晩年に興味をもった工芸の領域であった。そのための私家版印刷工房が、1891年1月に、ハマスミスの自宅の〈ケルムスコット・ハウス〉から数件離れたアッパー・メル16番地の建物のなかにつくられた。この工房は、ケルムスコット・プレスと呼ばれ、その年の5月末には、右隣の14番地の〈サセックス・コテッジ〉に移転し、ここを本拠地として1898年まで活動を続けた。
図36 ケルムスコット・プレスのマーク。
図37 ケルムスコット・プレスのマーク。
図38 テュルスの大司教ギレルムス著、H・H・スパーリング編『ゴドフロワ・ド・ブイヨンとエルサレム征服の物語』のある頁の一部。ケルムスコット・プレス。1893年。
図39 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの『手と魂』のタイトル頁。ケルムスコット・プレス。1895年。
図40 『地上の楽園』の布装丁。ウィリアム・モリスによるデザイン。
【図1】、【図3】―【図5】、【図9】、【図16】、【図21】 J. W. Mackail, The Life of William Morris, Vol. I, Longmans, Green and Co., London, 1899.
【図2】 1988年に著者撮影。
【図6】―【図8】、【図10】、【図11】、【図13】、【図17】、【図19】、【図23】―【図25】、【図28】―【図31】、【図33】、【図35】―【図39】 Aymer Vallance, William Morris: His Art, his Writings and his Public Life, George Bell and Sons, London, 1897.
【図12】、【図14】、【図15】、【図22】、【図32】、【図34】、【図40】 Lewis F. Day, ‘William Morris and his Art’, Great Masters of Decorative Art, The Art Journal Office, London, 1900.
【図18】、【図20】、【図26】、【図27】 J. W. Mackail, The Life of William Morris, Vol. II, Longmans, Green and Co., London, 1899.