いま私は、「本人と仲間たちの語りで綴る富本一枝の生涯」を脱稿しました。この拙稿は、これまでの富本一枝の伝記や小説に見られた、著者の多弁と能弁に基づく書法とは完全に異なり、「本人と仲間たちの語り」だけで構成される、独自に用意された新しい伝記書法の形式によって構成されています。その理由は、いうまでもなく、実在した人間の歴史が、執筆者の一方的な思い入れから生じる歪曲や曲解によって貶められてきた過去の経緯を憂い、動かしがたい証拠(歴史に残る一次資料)にそのすべてを語らされることにより、全き客観性と真実性を担保したかったからです。したがいまして、「まえがき――新しい伝記書法の試み」において書いていますように、私の本稿における役割は、「本人と仲間たちの語り」の編集のみにありました。決して私は、自身の富本一枝像を読者のみなさまに押し付けるつもりはありません。そのことは、「本人と仲間たちの語りで綴る富本一枝の生涯」には一定の結論のようなものはなく、読者お一人おひとりの、人生観や家族観、女性としての生き方に照らし合わせて、結論が導かれてゆくことを意味します。みなさまには、どうか、本稿を成り立たせています「動かしがたい証拠」の全容から、ご自身の富本一枝像をそれぞれにつくっていただきたいと思います。ここに編纂した歴史的言説の一つひとつが、その目的に沿って機能することになれば、それこそ、編集者としての私の望外の喜びになるにちがいありません。
それでは最後に、「付録」として、すでに著作集11『研究余録――富本一枝の人間像』第三編「伝記書法私論――批判と偏見を越えて」に所収の前編「私の著述に向けられたある批判に関連して(その一)」と後編「私の著述に向けられたある批判に関連して(その二)」をここに再録して、「おわりに」を閉じたいと思います。「まえがき――新しい伝記書法の試み」において書き記しました、私の本稿執筆の意図が、より鮮明にご理解いただけるものと、確信いたします。
(二〇二五年三月)