中山修一著作集

著作集17 ふたつの性――富本一枝伝  本人と仲間たちの語りで綴る富本一枝の生涯

はじめに / 目次
まえがき
第一章 生い立ちと学業
第二章 青鞜社を舞台に
第三章 青鞜社退社から富本憲吉との結婚まで
第四章 夫の生地での新生活とその崩壊
第五章 新天地での生活再興とその破綻
第六章 夫の出奔と晩年の独り暮らし
あとがき
語りの出典と注記
付録
編者について
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まえがき――新しい伝記書法の試み

平塚らいてう、神近市子、丸岡秀子、石垣綾子、中村汀女のような、身近に交流した多くの友人たちが自叙伝や自伝的小説を書き残している一方で、富本一枝は、最後まで自分の生涯を一著にまとめることはありませんでした。なぜ書くことをためらったのでしょうか。

松島栄一編『女性の歴史』(講座女性5、三一書房、一九五八年)に、「青鞜前後の私」を寄稿した一枝は、その文を、「私自身、まるで草履と下駄を片方ママつはいて道を歩いているような人間だと言えましょう」という結語で締めくくっています。「草履と下駄」という比喩的二足は、旧い女と新しい女の二面が共存する生き方だけでなく、体の性と心の性が乖離するふたつのセクシュアリティーを暗に意味しているものと思われます。もし、そうでないにしても、「草履と下駄」という表現から、四方に入り乱れて渦を巻く苦悶の実相が容易に連想できます。一枝が歩んだ人生は、決して首尾一貫した一筋の道ではなく、その生涯のあらましを書くには、あまりにも拡散しすぎ、明確な焦点を結ぶことのない、コラージュ風の画像と化していたのではないかと推量されます。おそらくこれが、交流があった周囲の女性たちと違って、晩年の一枝が自伝を書かなかった、あるいは書けなかった理由だったのではないでしょうか。

しかし、一枝がどう生きたのかということに対する周囲の関心は、本人の死後、絶えることなく続き、これまでに、吉永春子『紅子の夢』(講談社、一九九一年)と辻井喬『終りなき祝祭』(新潮社、一九九六年)のふたつ小説が書かれてきました。『紅子の夢』の著者の吉永春子は、学生時代に一枝に出会った一瞬が忘れられず、その強い衝撃が動機となって、筆を執ることになったと述べています。一方、『終りなき祝祭』の著者の辻井喬は、富本憲吉・一枝夫妻の息子の壮吉と学友関係にあり、両親へ向ける壮吉の生前の思いが、この小説を執筆するように自らを駆り立てたと語っています。

この間、一枝を主題とした評伝も上梓されました。それは、高井陽・折井美那子『薊の花――富本一枝小伝』(ドメス出版、一九八五年)と渡邊澄子『青鞜の女・尾竹紅吉伝』(不二出版、二〇〇一年)の二著です。あえていえば、このふたつの評伝には、幾分共通した難点が見受けられます。それは、一次資料に基づく実証的記述からしばしば離れ、書き手の私的な思いと判断が一方的に数多く盛り込まれているがために、主役となるべき一枝が随所で後景に退くとともに、加えて一枝の実像が必ずしも正確に描き出されていないという結果を招いている点です。残念なことに、現象として「贔屓ひいきの引き倒し」が発生しており、言い換えるならば、「男尊女卑」を単に裏返しただけの一面的視点が、つまりは妻一枝への讃美と夫憲吉への批判が、真実と実証に近づくことなく、全体にわたって記述の基調となっているのでした。

過去に実在した人物の生涯を描くということは、どういうことでしょうか。それは、あくまでも事実に肉薄した学問的作物でなければなりません。逆のいい方をすれば、決して虚偽を構成してはならないのです。そのために、関連する人物および事象にかかわって、限りなくエヴィデンス(証拠となる一次資料)を渉猟し、十全にそれを援用して描写することが、伝記作家に厳しく求められることになります。その観点に立つならば、事実とは大きく異なる虚構空間に実在の人物を投入し、そのなかでマリオネットよろしく書き手が自在に操る小説のごとき手法は、決して適切な描画法とはいえません。他方、実在人物の言動を都合よく利用し、書き手個人の強い思いを一方的に割り込ませようとする過度な評伝的手法もまた、同じく適切とはいえません。描写する歴史は真実であってこそ、人はそこから安心して多くの知識と教訓を得ることができ、そのことを前提として、伝記文学という形式は成り立っているといえます。

英国にあって、過去の実在人物の歴史を知るうえで小説の形式よりも伝記の手法の方が好まれる理由が、ここにあるのです。そしてまた、人物批評ないしは作品分析は、伝記とは別の相に属しているという理解が、一般的に定着しています。決して安易な混同は許されません。そのことを富本一枝に当てはめるならば、まずは一枝についての信頼に足る伝記が、それぞれの時代が要請する方法論に沿いながら、堆積的に生まれてゆき、その次に、それを土台的基礎学として呼応するかたちをとりながら、同じく時代が用意した主題と文脈に乗せ、精緻な一枝研究が多元的に構築されてゆくことを意味します。

それでは伝記は、どのような書法によって叙述されなければならないのでしょうか。単にエヴィデンスを並べるだけであれば、無色透明の年表になり、無味乾燥の年代記になってしまいます。単にそれだけであれば、実在した人物が生き生きとした画像でもって現像されることはありません。かといって、実在人物に余分なものまで恣意的にまとわせ、加飾してしまえば、どうなるでしょうか。この場合は、書き手にとって都合のいい主人公像が生み出されることはあっても、一人ひとり関心の異なる読み手にとっては、思考の自由が奪われ、脚色された主人公像が無理に押し付けられてしまいかねない危険性が残されることになります。そうした危惧される事態を避けるためには、どうしたらいいのでしょうか。

少し極端かもしれませんが、ひとつの解決法として考えられることは、書き手自身が余分な思い込み(多くの場合は、事実に基づかない個人的な感想)の披歴をできるだけ差し控え、主人公たる本人に自身の人生にかかわる大部分を語らせることではないでしょうか。私が研究の対象としています一九世紀英国のデザイナーで、著述家で社会主義思想家でもあるウィリアム・モリスの幾多の伝記にあって、そうした事例が過去にふたつありますので、ここで紹介します。ひとつは、次の書物です。モリスの死去一年後に出版されています。

Aymer Vallance, William Morris: His Art, his Writings and his Public Life, George Bell and Sons, London, 1897.

この本で著者のエイマ・ヴァランスは、主としてモリスの言説をつなぎ合わせるかたちをとって彼の生涯を構成しました。そのため、著者の語りは極力抑えられていますが、その反面で、引用符号が多用される結果となっています。ここでは、この書物の成り立ちについては詳しく論じませんが、この描写法は、著者の自由意思によって考案された書法ではなく、個人的な憶測や感情のもとにモリスの生涯が描かれることを避けようとする、遺族や関係者の意向を反映した、どちらかといえば、苦肉の産物ともいえるものでした。その意味でこの著作は中立的であり、機械的であり、その分物足りなさを感じる読者もいたかもしれません。

この本の出版から二年後に、公式伝記と呼ばれるジョン・マッケイルの『ウィリアム・モリスの生涯』が世に出ます。ヴィクトリア時代の伝記書法としては、こちらの方がより一般的だったこともあり、実際、読書界にあっては、先行したヴァランスの伝記に比べて人気が高かったようです。しかし、ヴァランスのこの『ウィリアム・モリス――彼の芸術、彼の著作および彼の公的生活』は、今日あっていまだに言及する研究者も伝記作家も少なくなく、決して完全に色あせているとはいえません。「ひとつの記録」として成り立つ独自の書法が容易に無視されえないのではないかと推量されます。

次に挙げるものが、もうひとつの事例で、ヴァランスの伝記に比べれば近年の出版物となります。

Gillian Naylor ed., William Morris by Himself: Designs and Writings, Macdonald & Co (publishers), London & Sydney, 1988.

書題を訳せば、『本人が語るウィリアム・モリス――デザインと著作』とでもなるでしょうか。実際、内容は、モリスのデザインと著作(書簡類を含む)とが多数援用されながら、その生涯がどのようなものであったのかが概観できるように工夫されています。他方、編著者の語りは、各章の冒頭に慎ましく添えられている程度です。この形式は、ヴァランスの書物の成り立ちとは異なり、編著者であるジリアン・ネイラーなり出版社なりの発案による産物だったのではないかと考えられます。伝記書法上の新鮮なひとつのモデルが、ここに提示されているのです。

私は、これらふたつの伝記の記述手法に関心をもってきました。といいますのも、伝記文学の形式が確立しているといわれている英国とは異なり、これまで日本で出版された伝記にあっては、一般的にいって、歴史記述とも現代批評ともいいがたい、しかも虚実がない交ぜとなった言説が著者自身によって進んで開陳される傾向がしばしば見受けられてきたからです。しかし、上記の二著は、著者自身が多くを語るのではなく、モリス本人に自身の生涯を語らせようとしています。換言すれば、明らかに、客観性と真実性を可能な限り担保するために、著者による多弁と能弁が抑制され、本人が語る事実と現実とが優先されているのです。

富本一枝の伝記を書くにあたり、ヴァランスとネイラーの事例を参考にしながら、ここで私も伝記記述上の、いままでにないひとつの実験をしてみたいと考えました。本稿「ふたつの性――富本一枝伝」の副題であります「本人と仲間たちの語りで綴る富本一枝の生涯」という表記において直接的に表現されていますように、本文のすべてを「本人と仲間たちの語り」で構成したいと思います。一方、一枝の生涯を分節化することで生まれた章題と節題、および項目題だけが私によって提供されます。さらに、巻末の「語りの出典と注記」におきまして、それぞれの資料の出典が明記され、あわせて、読者のみなさまの思考の手助けになるであろうと思われる範囲にあって限定的に注釈を加えさせていただきます。

私は、本文において編集されています「本人と仲間たちの語り」をお読みいただいたうえで、読者のお一人おひとりが、自由にご自身の富本一枝像を造形されることを希望いたします。そして、その像を参照しながら、ご自身の生涯に思いを馳せてみてください。きっと何か感じるものが手に入るにちがいありません。伝記にかかわる書法上のこの新しい試みが、そのようなよい結果を招来することになれば、歴史家として、そして伝記作家として私の望外の喜びになることでしょう。

前置きが長くなってしまいました。それでは、これより、本文に入らせていただきます。富本一枝という、明治、大正、昭和の三つの時代を生きたひとりの人間(ほぼ間違いなくトランスジェンダー男性)の、「本人と仲間たちの語り」でもって綴られる、その生涯をお楽しみください。

(二〇二三年一月)