中山修一著作集

著作集1 デザインの近代史論

第二部 デザイン史学とミューゼオロジーの刷新

第六章 創造環境の場としての地域の子どもミュージアム

さきほど紹介にあずかりました神戸大学の中山でございます。大学では主に「デザイン史」の分野を研究の対象にしています。「子供たちの創造環境」という本日のフォーラムのテーマは、必ずしも「デザイン史」研究の中心をなす主題ではありません。そこで、非専門的な立場に終始するかもしれませんが、そのことをお断わりしたうえで、このテーマを少し考えてみましたので、ここにご報告させていただきたいと思います。

本日ご報告する内容は、次の三点です。第一点は、現在の子どもたちを取り巻いている現状についてです。次に、本日の粟津潔さんの基調講演に関連する「児童美術」の成立事情に触れてみたいと考えています。三番目の話題として、イヴァン・イリッチの「脱学校の社会」という概念を紹介するとともに、この概念が、本日のテーマとどのように結び付く可能性があるのかを展望してみたいと思います。そして最後に、それまでに述べた三つの視点に立ちながら、「地域のなかの子どもの創造環境」という観点から整理し、今日のテーマにつきまして少し私なりのまとめをしてみたいと思います。

それでは、現在の子どもたちの発達環境を取り巻いている現状について、お話をさせていただきます。多くの大人たちは、現在の子どもたちの行動や表現を見て、どこか正常ではないのではないか、と思っているのではないでしょうか。私自身も、子をもつ親として、何かがおかしいと思っているひとりです。たとえば、ご承知のように、程度の差こそあれ、いまの子どもたちは、低学年のうちから受験勉強に追い立てられています。その結果、偏差値による序列化が日常化し、よりいい成績を上げるために、子どもたちは受験知識の洪水のなかでおぼれかけようとしています。そうした子どもたちの日常生活を見てみますと、子どもの健全な発達に必要な「遊び」とか「寄り道」とか「創造」とか「自己表現」といったものがおおかた消えてなくなっていることがわかります。さらに、そうしたことは、子どもたちの精神面にも影を落とすことになります。「コミュニケーションがとりにくい子ども」や「自分の安心できる居場所をもつことができない子ども」が増えているのも実情として見逃すことはできません。概していまの子どもたちは、精神的に強い抑圧を受け、創造的な自己表現の機会を失った状態に置かれているようです。

こうした現象は、もちろん日常的には家庭や学校に由来する問題であるわけですが、しかしよく考えてみますと、実は大人の文化や社会の反映であるということに気づかされます。そういうわけで、子どもの問題を考える場合、現在の大人がつくってきた文化や社会を反省的に再検討することが、どうしても必要になるのです。たとえば、鉛筆です。確かに創造性と手のあいだには重要な関係があります。しかし、まともに鉛筆を削れる子どもはいまほとんどいないそうです。しかしこれは、子どもの責任ではないように思われます。これまで親や教師は子どもに対して刃物の正しい使い方といったものを家庭や学校で教えてきたでしょうか。それどころか、親自身、台所で包丁をもつ時間を少なくし、その分、外食に依存しているのではないでしょうか。手を使って何かを製作するという行為は、子どもの世界だけでなく、大人の世界からも遠ざけられる傾向にあるのです。したがいまして、手の復権を唱え、鉛筆の削れる子どもにしたいという願望が大人の側にあるとしましても、そのようなことを実現するためには、現在大人の世界で繰り広げられている生産と消費のあり方や生活の様式にまで立ち入って考えていかなければならないのではないかと私は思っているのです。

それでは次に、「児童美術」について述べてみたいと思います。「児童美術」、つまりそれは「子どもが描いた絵」なのでありますが、西洋社会において「大人が描いた絵」ではなくて「子どもの絵」が着目されるようになるのはいつのころからなのでしょうか。そのことを考えてみたいと思います。「子どもの絵」に関心が向けられるようになるためには、当然ながら「子ども時代」あるいは「児童期」という観念が成立しなければなりません。そのことにかかわって、デザイン史家のエイドリアン・フォーティーが次のような興味深い事例を紹介しています。一七五一年にアーサー・デイヴィスが描いた《ジェイムズ一家》という題の油絵では、子どもも大人と同じ装いをしているのに対して、その約八〇年後の一八三一年にC・R・レズリーが描いた《グロウヴナー一家》という油彩では、明らかに子どもには子ども服が着せられ、動きも子どもらしいしぐさをしており、この二枚の絵が一八世紀から一九世紀にかけて、子どもに対する社会の態度が大きく変化したことを物語っているというのです。確かに、この時代のころから、子ども用のおもちゃやゲームも商業的に生産されており、中産階級の関心ごとのひとつとして「子ども時代」という観念が浮上してくることになるのです。つまり、子どもは未熟な大人ではなく、大人になる前段階にあって、子ども独自の時代を過ごすものとして理解されるようになるのです。

そのようなわけで、「子どもの描く絵」つまり「児童美術」の存在に人びとの関心が向けられるようになるのも、「子ども時代」の観念の成立と大きくかかわっており、学校制度を含め、これらはすべて、近代に出現した現象ということができます。

中産階級によって「子ども時代」が発見される以前にあっては、労働者の子どもも、農民の子どもも、貴族の子どもも、みな自分の父親と同じ服装をし、父親がかつて遊んだ遊びで遊んでいました。同様に、子どもは一日も早く大人になることが求められていたために、「子どもの絵」につきましても、大人の絵に劣る、何の意味ももたない、無価値のものとしてみなされていたのです。そういうわけで、「子どもの絵」の存在が認知されるようになるのは、歴史的に見て、極めて新しい現象であり、この一〇〇年以前に「子ども」が描いた作品は、残念ながら、ほとんど現存していないのであります。

子どもに対する美術教育は青年や大人に対する美術教育とは異なるべきであるという見解は、一七六二年にルソーが『エミール』という本のなかで述べた教育方法に基づいていると一般にいわれています。ルソーは、子ども時代、つまり児童期には特有の見え方、考え方、感じ方がある、と述べているのです。こうしてルソーを出発点として、児童美術に対する理解は、一九世紀後半から今世紀にかけて急速に深まっていくのです。そしてそれを可能にした要因として、心理学研究の発展、原始美術に対する関心の高まり、そして、モダン・アートへの正しい理解があったことは、いうまでもありません。こうして、児童美術も、原始美術同様に、もはや未熟なものではなく、感受性の強い、表現性豊かな美術の一形式であるという認識が生まれ、児童美術を美的鑑賞の領域に含ませる傾向が今日まで促されてきたわけであります。

それでは三番目の話題として、イヴァン・イリッチの「脱学校の社会」という概念を紹介しながら、この概念が、本日のテーマとどのように結び付く可能性があるのかを展望してみたいと思います。一九七〇年代から八〇年代にかけて歴史学者のイリッチの著作が翻訳刊行され、日本の思想界に大きな衝撃をもたらしました。ご承知の方も多いと思いますが、そのなかには、『脱学校の社会』『脱病院化社会』『シャドウ・ワーク』といったタイトルの本が含まれていました。イリッチの主張する「脱学校」とか「脱病院」といった概念は、どのようなものなのでしょうか。二〇年ほど前に提示されたものですので、少し古くなっているようにも見えますが、現在にあっても、十分に有効な視点であると思われますので、改めてここにご紹介したいと思います。イリッチは一連の著書をとおしまして、近代の産業化社会のなかにあって最も極限にまで制度化が推し進められたものとして、「学校」や「医療」などを取り上げ、その限界を指摘したうえで、それに代わるオールターナティヴな領域の再生を訴えました。それではイリッチの思想を手掛かりにしながら、「学校化」と「脱学校」という現象を見てみたいと思います。さきほど私は、「児童期」の発見も「学校制度」の確立も、ともに近代の産物であるといいました。「学校」とは明らかに近代の産業化社会の副産物なのであります。労働と教育と生活の複合した場であった家庭や工房に代わって「学校」という建物が建設され、そうした複合の場にいた大人の予備軍たちが「児童」として「学校」に通うようになり、親や親方に代わって、新たに「教師」と呼ばれる人がその「児童」を教えるようになりました。こうして現在、「学校」も「児童」も「教師」もあたりまえの存在になったわけですが、およそこの一五〇年間のこの「学校化」の歩みを見てみますと、それは制度化と密接な関係を伴うものでありました。たとえば、制度化された教科書、制度化された教師の資格、制度化されたカリキュラムと知識などがそうです。そうした「学校化」の制度化が極限にまで達しますと、当然ながら、実感を伴わない無味乾燥な知識が受動化された児童に一方的に注入される場としての「学校」が独り歩きをはじめるようになるのです。イリッチは、そのような限界点にまで到達した現行の「学校化」に警鐘を鳴らし、それに対置するところの「脱学校」の領域の存在を示唆したのでした。

それでは、「脱学校」の領域とは何でしょうか。「学校化」が加速されれば、現状を見てもわかりますように、生活体験から遊離した知識が優位を占めるようになりますし、児童のあいだでの競争も激化します。つまるところ、「学校化」とは、本来の目標に反して、自分の力で事物を観察し、自分なりに知識を組み立て、自分の考えを率直に表現する力を弱めさせる傾向を内在していたのでした。したがいまして、「脱学校」の領域とは、「学校化」によって結果的に弱められる運命にある力を回復し、保障する場として考えられなければなりません。イリッチはそのような場のもっている価値をヴァナキュラーと呼びました。この言葉は、土着性とか地縁性といった意味をもっています。またイリッチはそうした領域をコンヴィヴィアルなものといっています。あえて訳するならば、相互親和性ということになるのでしょうが、生き生きとした共生の場というような意味に理解したらよいのではと思います。

現在の学校の様子を見てみますと、自らの表現を困難にしている自閉的な子ども、暴力を振るう子ども、学校に通えない子ども、学習障害に陥っている子どもが少なからずいます。そうした子どもの増加は、極端な「学校化」への赤信号として受け止めることができるのではないでしょうか。こうした今日的な状況のなかにあって、イリッチの「脱学校」という概念は、いまだに輝きをもっているのです。

これまで、一見脈絡のない三つの話題を提供いたしましたが、ここで最後に、本日のテーマに即しまして、私なりの見解をまとめてみたいと思います。

第一点は、イリッチのいう「脱学校化」ないしは「非学校化」した領域として、「地域」を考えたいと思います。広さは、現在の小学校の校区ほどのものが適当かと思います。学校が終わった午後や学校が休みの日に、子どもたちは、それぞれの地域のセンターのような場所に集まってきます。ここは制度化された学校ではありませんので、強制されて参加するものではありませんし、校則や制服もありません。子どもの相手をするのは、その地域の大人たちです。大工さんがいたり、編み物の上手な主婦がいたり、本日のパネリストの粟津潔さんのようなデザイナーや吉田憲司さんのような博物館の先生も参加されているかもしれません。すべてボランティアの人たちです。子どもたちは、そうした地域の人たちから興味のある話を主体的に聞いたり、ものをつくったり、地域特有の仕事に参加したりすることになります。運営も、参加者によって営まれることが望ましいと思います。

こうした場が機能しはじめますと、地域の子ども同士の交流や子どもと大人の交流をとおして、今後子どもたちが豊かに生きていくうえで必須となる生活上の体験や、知恵の獲得や自己の表現が可能になるものと思われます。これらはどれも、極端に制度化されることによって、社会や日常生活から切り離された現在の「学校」には期待できないものでありますし、子どもたちが孤立化することなく、自然に社会化されていくうえでの重要なプロセスを含んでいるといえます。

私は、現行の学校制度を否定しようとは思いません。知識の体系を発達段階にあわせて効率よく教授する教育の場としての学校は必要であろうと思っています。しかし、必要なのは、知識の体系だけではありません。そこで、いまの学校とは対極にある、制度化されることのない、地域をとおしての子どもの発達環境の場が必要ではないかと考えているのです。

まとめの二点目として、子どもの創造環境について触れてみたいと思います。私は、子どもの発達には、知識の獲得と同時に創造性の表現の機会が常に不可欠であろうと思います。しかし、現在の学校教育では、必ずしも創造性の表現の機会が保障されているわけではありません。これは、単にカリキュラムのうえでの図画工作や美術の授業時間が少なすぎることを指摘して、そういっているのではありません。私は、創造性とか創造力というものは、知識の獲得としての知育に対置されるところの情操教育のなかに止められるものではないと考えています。つまり、知育偏重の現代の教育にあっては、その弊害を補う意味において美術や音楽などの情操教育とか表現教育とかが必要である、という意見をしばしば耳にしますが、私は、必ずしもその意見に賛成しません。といいますのは、児童期における知識の獲得と創造性の表現とは、対立し、互いに補うためのものとし存在するのではなく、ひとつのものとして相互に深い関連を保ちながら、進行していくもののようにどうしても思えるからであります。

たとえば、そうした事例として次のようなものをご紹介したいと思います。これは、英国の学校での実践例で、授業の内容は「ケーキをつくる」というテーマです。まず子どもたちは、ケーキをつくる手順を六コマくらいに分け、それをイラストとして描きます。次に、必要な材料をそろえ、描いたイラストにしたがって、ケーキをつくります。そして、できたケーキを家に持ち帰るためのパッケージをつくります。そして最後に、ケーキをつくるためにかかった費用の計算をします。この事例からもおわかりのように、ここでは、事前の計画性や計画の視覚的表現、素材と自然の関係、調理にかかわる技能や知恵、パッケージ作成時の機能や表現と形態の関係、費用の計算としての算数的計算能力と管理能力といったものが、ひとつのテーマのもとに複合的に育成されることが期待されているのです。こうした教育は、イラストやパッケージの作成は「美術」、素材にかかわる自然の問題は「理科」、素材にかかわるごみ処理や公害のような問題は「社会」、調理技術については「家庭」、計算能力については「算数」というように教科間の区分けがはっきりしている日本の教育には、馴染みにくいかもしれません。しかし、子どもにとっての本当の意味での創造性とか創造力というものは、こうした人間の一連の日常行為のなかにあって、至る所で発揮されうるものではないでしょうか。したがいまして、創造性の表現と知識の獲得は別個のものとしてあるのではなく、一連の行為をとおしての複合されたものとして理解すべきではないかと考えているのです。そのような意味において、創造性を欠いた知識は、ひからびた知識でしかないし、知識に裏打ちされない創造力は、単なる自己満足か暴力でしかないのではないかと思っているところです。

最後に、三番目のまとめとして、創造環境としての新しい「ミュージアム」について考えてみたいと思います。「ミュージアム」といいますと、既存の少し敷居の高い国公立の美術館や博物館を思い浮かべます。そのような制度化されたミュージアムも確かに立派なミュージアムなのですが、ここでは、これまでの私の話の文脈に沿った、それとは異なる子どもにとってのミュージアムについて展望してみたいと思います。さきほど私はまとめの一番目として、既存の学校教育制度とは異なる、地域の連携による交流や知識の受け渡しの場がどうしても今度必要であることを述べましたが、まさしくそうした場を、子どもにとっての「ミュージアム」として私は考えているのです。なぜならば、そこは、地域にいける生活の仕方、大げさにいえば、人びとの生き方について、自由に子どもたちが過去を検証し、現在を分析し、未来に思いを描く場となることが想定されるからです。こうしたミュージアムでは、まとめの二番目で紹介いたしました「ケーキづくり」のような既存の教科を横断するようなかたちで、生きた知識や表現が、地域の大人との人間的な交流をとおして子どもに受け伝えられるものと思います。そして、こうした場が、イリッチのいう、制度化される過程において学校がこれまでに切り捨ててきた「ヴァナキュラー」な価値をもつ、「コンヴィヴィアル」な空間なのではないだろうかと考えているのです。

大変とりとめもないまとめになってしまいましたが、ひとまず私からの報告をこれで終わらせていただき、必要に応じて、のちほど予定されていますディスカッションのなかで、みなさまとともにさらに詳しく検討してみたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

(一九九八年)