一九八七(昭和六二)年一〇月一日、私は、ブリティッシュ・カウンシルのフェローシップ・グランツを得て、英国へ旅立ちました。デザイン史家である私は、それまでに、ノエル・キャリントンの『英国のインダストリアル・デザイン』の日本語版を晶文社から上梓した経緯があり、出国に際して、かつての編集担当者の島崎勉さんから、次の書を預かることになりました。
Jan Marsh, Jane and May Morris: A Biographical Story 1839-1938, Pandora Press, London, 1986.
英国滞在期間中、私は、この本の著者であるジャン・マーシュさんに何度もお会いしました。会話の主たる内容は、詩人にしてデザイナーで、政治活動家でもあったウィリアム・モリスの生涯についてであり、同時に、その妻と娘の伝記を執筆しようとした動機についてでした。かくして、そのときの面会は、歴史上の人物を伝記として書くうえでの留意すべき事柄について、示唆に富んだ貴重な見解を私にもたらしたのでした。
ジャンの述べるところによれば、男性によって抑圧と差別が展開された歴史に対して、女性たちが、ただ一方的に不満と批判とを並べ立てる時代はいまや終わり、その熱気は、伝記執筆の大いなる新たな結節点というかたちをなして、冷静にも学問の世界へと移行していたのです。フェミニストであるジャンの中心となる論点のひとつは、英国にあって、フェミニズムが伝記記述にどう影響を及ぼしてきているのかという歴史的視点に関するものでした。そしていまひとつは、闇に隠された、女性の価値ある仕事の実像が発掘され、それを、男性だけが並び立っている歴史のなかに対等に位置づけようとする学術行為のもつ重要性に関するものでした。それを聞いた私は、そのとき、いままでに味わったことのない、実に新鮮な空気に触れた思いがしました。そして、まさにここに、いまに生きる伝記作家が身につけなければならない、ひとつの大きな役割があることに気づかされたのでした。
その後、ジャンが神戸の拙宅に滞在したおりも、話題はそのことに集中しました。こうしてできたのが、次の翻訳書でした。
ジャン・マーシュ『ウィリアム・モリスの妻と娘』中山修一・小野康男・吉村健一訳、晶文社、1993年。
私にとってこの訳業は、現地英国でのモリス研究が日本において開花した最初の一輪でした。こうして、英国の学術世界におけるフェミニスト・アプローチの存在について知ることになった私は、その後、ウィリアム・モリス、そして、日本におけるその継承者である陶工の富本憲吉、さらに加えて、『青鞜』同人でのちに憲吉の妻となる富本一枝について、それぞれの伝記を書く機会をもちました。それらは、以下のとおりです。
著作集3『富本憲吉と一枝の近代の家族(上)』
著作集4『富本憲吉と一枝の近代の家族(下)』
著作集6『ウィリアム・モリスの家族史』
著作集11『研究余録――富本一枝の人間像』に所収の第一編「富本一枝という生き方――性的少数者としての悲痛を宿す」
ここへたどり着くまでの私は、一九七四(昭和四九)年四月に教育学部美術科の助手として神戸大学に採用されて以来、教育者としてはプロダクト・デザインの実技とデザイン史の講義を、一方研究者としては日英の近代のデザインの歴史を、主として扱っていました。そのなかで、とくに個人のデザイナーにあってはウィリアム・モリスと富本憲吉の思想と実践に関心を寄せ、さらには、それぞれの個人研究から越境して、憲吉の妻の一枝と、モリスの配偶者であるジェインの生き方についても興味をもつようになっていました。
かくして、三九年間の神戸大学での学究生活を終え、二〇一三(平成二五)年三月に定年退職を迎えると、ただちに私は、熊本県阿蘇郡に位置する南阿蘇(南郷谷)の小庵に移り住み、研究活動の続行に日々の時間の多くを費やすようになりました。一方、この地において研究が進むにつれ、私は、郷土の偉人である高群逸枝や石牟礼道子らにも関心を抱くようになり、その過程で書かれたものが、下に挙げるふたつの伝記でした。
著作集14『外輪山春雷秋月』に所収の「火の国の女たち――高群逸枝、中村汀女、石牟礼道子が織りなす青鞜の女たちとの友愛」
著作集18『三つの巴――高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子』
以上のごとくに伝記を書いた私は、その間、その書法について、思いを巡らすようになっていました。といいますのも、富本一枝の生涯を描いた伝記作家は夫の富本憲吉を、また、高群逸枝の生涯を描いた伝記作家は夫の橋本憲三を、根拠(エヴィデンス)となる一次資料からはるかに逸脱して、恣意と偏見のもとに描いていたからです。いうまでもなくそれは、その人の人権と名誉を不当にも傷つけるものでした。ここに、私が伝記書法論に開眼したきっかけがありました。
果たして伝記とは、いかにあるべきなのでしょうか。私は、この分野における先行する伝記を批判的に検証しつつ、あるべき伝記書法を希求しました。つまり、誰の目にも見えない個人的な強い義憤を胸に、節目節目にあって私は、伝記書法に関連して、おおかた以下のような論考を書き続けたのでした。
著作集9『デザイン史学再構築の現場』、第六部「伝記書法を問う――ウィリアム・モリス、富本一枝、高群逸枝を事例として」
著作集11『研究余録――富本一枝の人間像』、第三編「伝記書法私論――批判と偏見を越えて」
著作集22『残思余考――デザイン史論(上)』、第四部「『三つの巴』私論集」
著作集23『残思余考――デザイン史論(下)』、第三部「高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子論」における「第五話 伝記書法についてのメモ書き(一)――山下悦子の『曲従』を巡る言説への批判」「第六話 伝記書法についてのメモ書き(二)――鹿野政直の『新しい男』論に対する無視の構造」および「第七話 伝記書法についてのメモ書き(三)――堀場清子擁護論」
こうした伝記書法にかかわる一連の執筆のなかにあって、共通して私が主張したのは、実証主義の重要性についてでした。その考えの要旨を一言でまとめるならば、次のようになります。
私があるべき姿として思い描く伝記作家たる者は、思い込みや決めつけといった、恣意や予断をいっさい排し、すべからく一次資料にある根拠(エヴィデンス)に基づき、記述の対象が女性であれ男性であれ、決してそれにとらわれず、同じ人権を有するものとしてゆめゆめ不当にも差別することなく、等しく両者に敬意のまなざしを向け、謙虚かつ真摯なる態度のなかにあって、慎重のうえにも慎重にその複雑で微細な人生模様を、あくまでも真実に肉薄すべく、丁寧かつ静謐を旨として描き出さなければならない。
残りの時間がわずかになったいま、私は、上記にある、四つの巻に分散されていた、自分が考える伝記書法論を一巻にまとめることに思いが至りました。その結果、モリス研究や富本研究、加えて晩年の高群研究の裏街道にあって、折に触れて自分が追い求めてきたものが、やっといま、表舞台に集められ、ここに、その全体像が姿を表わすことになったのです。自身の伝記書法に関する主張が、こうしてひとつに集成され、読者のみなさまに届けられるようになったことを、私は、とてもうれしく思います。
さて、最後になってしまいましたが、読者のみなさまに、一言申し上げます。所収された各論文の至る所に、既往伝記への、一見するといかなる遠慮も配慮もないような強い批判が含まれています。しかしそれは、あくまでも先行研究の分析の一環として学術上許される範囲のなかにあって行なわれたものであり、したがいまして、その学問的目的以外には、ここには、いかなる意図も関心もいっさい介在しておりません。そのことをどうかご理解いただきたく、ここに申し添える次第です。
それでは、拙稿「伝記書法論集成――人権と名誉を守る闘いの一環として」をお楽しみください。私にとっては路地裏的な作品です。少々情感が横溢し、そのために、読みにくい箇所が多々あるかもしれません。しかしながらそれでも、そこには、「人権と名誉の尊重」や「ジェンダー平等」という私の個人的信念が間違いなく潜在しています。そのことを読み取っていただければ、望外の喜びになるにちがいありません。そのことをお伝えして、いまここに、公開させていただきます。
(二〇二六年三月)