当初私は、著作集18『三つの巴――高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子』の巻末に図版頁を用意したいと考えていました。しかし、本文を書き終わると、その分量が実に長大なものになったことに気づき、そこでその計画を諦め、ここに独立した画像集を編みました。実は私は、著作集14『外輪山春雷秋月』においてこの三人について書いたときも図版頁をつけていませんでしたので、ここに準備する画像集(図版総数一〇三点)は、その文に対する参考資料の役割をも担うことになります。
古い資料からの複製となりますので、必ずしも画質は鮮明ではありません。しかし、当時を偲ぶうえでは、それなりの意味があるかもしれません。画像は、文字で書かれた文以上に、雄弁に物語ってくれます。この画像集がそうなっていることを願っています。
またもうひとつ、私には願うところがあります。橋本憲三は、『高群逸枝全集』(全一〇巻)を編集すると、次に機会があれば、別巻として「写真集」をつくることを考えていました。残念ながらそれは公刊されるに至りませんでしたが、実現していたら、どのようなものになっていたでしょうか。この「『三つの巴』画像集」が、それに少しでも近いものになることを私は願いたいと思います。
複製のために利用した資料は、以下のとおりです。
〇図書 高群逸枝『愛と孤独と 学びの細道』理論社 高群逸枝『今昔の歌』講談社 高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社 女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)私家版 〇雑誌 『女人藝術』 『婦人戦線』 『熊本風土記』 『暗河』 『高群逸枝雑誌』 〇新聞 『九州新聞』 『九州日日新聞』 『人吉時報』 『熊本日日新聞』 〇図書館および個人のコレクション 熊本市立図書館所蔵資料 著者(中山修一)所蔵資料
私が最近撮影した写真以外は、どの図版も、ほぼ五〇年以上前に出版された資料からの複製になります。厳密には、完全に版権が切れていないものも含まれているかもしれません。しかし、版権の所有者を特定することができなかったりするために、利益を伴う商業目的ではなく、あくまでも非営利的な学術目的による使用であるという理由から、私の判断と責任において、その出典を明記したうえで、ここに複製利用をさせていただきます。あらかじめご理解をいただければ幸いです。
本「画像集」における図版のキャプションと出典は、以下のとおりです。
【図01】ふるさと「火の国」1/高群逸枝と橋本憲三が出生したころの熊本県 出典:高群逸枝『今昔の歌』講談社、1959年7月20日、口絵。
【図02】ふるさと「火の国」2/「火の国」を象徴する阿蘇の火山 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図03】ふるさと「火の国」3/高群逸枝が生まれ育った松橋町の全景 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図04】ふるさと「火の国」4/高群逸枝が出京前に住んでいた払川集落 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図05】ふるさと「火の国」5/橋本憲三が少年時代に遊泳した球磨川二俣の瀬 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、129頁。
【図06】ふるさと「火の国」6/橋本憲三の球磨の実家 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、294頁。
【図07】ふるさと「火の国」7/石牟礼道子が育った水俣の町と不知火海 出典:『高群逸枝雑誌』創刊号(第1号)、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1968年10月1日、6頁。
【図08】高群逸枝の父の高群勝太郎 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、18頁。
【図09】高群勝太郎(嵓泉)1/日記 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、229頁。
【図10】高群勝太郎(嵓泉)2/墓 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、32頁。
【図11】高群逸枝の母の高群登代子 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、18頁。
【図12】高群登代子1/『九州日日新聞』の死亡広告 出典:『九州日日新聞』、1920年12月16日、5面。
【図13】高群登代子2/『九州新聞』の死亡広告 出典:『九州新聞』、1920年12月17日、5面。
【図14】橋本憲三の父の橋本辰次 出典:『高群逸枝雑誌』終刊号(第32号)、責任者・橋本静子、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1980年12月25日、19頁。
【図15】橋本憲三の母の橋本ミキ 出典:『高群逸枝雑誌』終刊号(第32号)、責任者・橋本静子、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1980年12月25日、19頁。
【図16】橋本憲三の姉の橋本藤野 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、442頁。
【図17】橋本憲三の妹の橋本静子 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、382頁。
【図18】高群逸枝の両親が女児誕生の願をかけた南阿蘇の清水寺1/全景 出典:著者(中山修一)所蔵資料。
【図19】高群逸枝の両親が女児誕生の願をかけた南阿蘇の清水寺2/本堂内部 出典:著者(中山修一)所蔵資料。
【図20】高群逸枝の守富時代の遊び場であった木原山の不動尊1/全景 出典:著者(中山修一)所蔵資料。
【図21】高群逸枝の守富時代の遊び場であった木原山の不動尊2/本堂内部 出典:著者(中山修一)所蔵資料。
【図22】高群逸枝初期文集表紙1/『十三才集』 出典:熊本市立図書館所蔵資料。
【図23】高群逸枝初期文集表紙2/『愚文集』 出典:熊本市立図書館所蔵資料。
【図24】高群逸枝初期文集表紙3/『少女集』 出典:熊本市立図書館所蔵資料。
【図25】高群逸枝初期文集表紙4/『四角集』 出典:熊本市立図書館所蔵資料。
【図26】高群逸枝初期文集表紙5/『落寞日誌』 出典:熊本市立図書館所蔵資料。
【図27】『十三才集』のなかのイラストレイション1 出典:熊本市立図書館所蔵資料。
【図28】『十三才集』のなかのイラストレイション2 出典:熊本市立図書館所蔵資料。
【図29】『十三才集』のなかのイラストレイション3 出典:熊本市立図書館所蔵資料。
【図30】『十三才集』のなかのイラストレイション4 出典:熊本市立図書館所蔵資料。
【図31】『十三才集』のなかのイラストレイション5 出典:熊本市立図書館所蔵資料。
【図32】『人吉時報』に掲載された橋本憲三と高群逸枝の結婚記事 出典:『人吉時報』、1919年8月15日、3面。
【図33】高群逸枝1/四国巡礼の旅姿 出典:『九州日日新聞』、1918年11月23日、3面。
【図34】高群逸枝2/正装に身を包み 出典:『女人藝術』第1巻第5号、1928年11月、口絵。
【図35】高群逸枝3/書斎にて1 出典:『高群逸枝雑誌』第3号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1969年4月1日、2頁。
【図36】高群逸枝4/書斎にて2 出典:高群逸枝『愛と孤独と 学びの細道』理論社、1958年9月、口絵。
【図37】高群逸枝5/書斎にて3 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図38】橋本憲三1/若き日の肖像 出典:『高群逸枝雑誌』終刊号(第32号)、責任者・橋本静子、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1980年12月25日、59頁。
【図39】橋本憲三2/妻の原稿に囲まれて 出典:『高群逸枝雑誌』第2号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1969年1月1日、27頁。
【図40】橋本憲三3/畑のなかから「森の家」を眺める早春の日 出典:『高群逸枝雑誌』第6号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1970年1月1日、27頁。
【図41】高群逸枝と橋本憲三1/東京で生活をはじめたころ 出典:『九州新聞』、1922年9月23日、5面。
【図42】高群逸枝と橋本憲三2/「森の家」の前庭にて 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図43】高群逸枝と橋本憲三3/「森の家」の書斎にて 出典:『高群逸枝雑誌』第11号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1971年4月1日、37頁。
【図44】「森の家」屋外1/正門 出典:『高群逸枝雑誌』終刊号(第32号)、責任者・橋本静子、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1980年12月25日、39頁。
【図45】「森の家」屋外2/正門から玄関へ続く庭道 出典:『高群逸枝雑誌』創刊号(第1号)、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1968年10月1日、18-19頁。
【図46】「森の家」屋外3/玄関 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、283頁。
【図47】「森の家」屋外4/玄関右手の壁に掲げられた「面会お断り」の標札 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、283頁。
【図48】「森の家」屋外5/庭から見た外観1 出典:『高群逸枝雑誌』第8号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1970年7月1日、表紙。
【図49】「森の家」屋外6/庭から見た外観2 出典:『高群逸枝雑誌』第2号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1969年1月1日、6頁。
【図50】「森の家」屋外7/愛鶏のタロコ 出典:『高群逸枝雑誌』第4号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1969年7月1日、27頁。
【図51】「森の家」室内1/書斎机 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図52】「森の家」室内2/書棚 出典:『高群逸枝雑誌』第4号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1969年7月1日、31頁。
【図53】「森の家」室内3/寝室 出典:『高群逸枝雑誌』第4号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1969年7月1日、20頁。
【図54】「森の家」室内4/化粧室 出典:『高群逸枝雑誌』第4号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1969年7月1日、2頁。
【図55】高群逸枝の著作類1 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図56】高群逸枝の著作類2 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図57】高群逸枝の著作類3 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、409頁。
【図58】高群逸枝の著作類4 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、38頁。
【図59】『女人藝術』における高群逸枝の「戀愛行進曲」 出典:『女人藝術』第2巻第1号、1929年1月、2頁。
【図60】復刻版『女人藝術』における高群逸枝の「戀愛行進曲」の割愛案内文 出典:『女人藝術』復刻版、龍溪書舎、1986年。
【図61】高群逸枝主宰の無産婦人芸術連盟1/機関誌『婦人戦線』の各号 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図62】高群逸枝主宰の無産婦人芸術連盟2/機関誌『婦人戦線』創刊号の目次 出典:『婦人戦線』創刊号(第1巻第1号)、1930年3月1日、目次。
【図63】高群逸枝主宰の無産婦人芸術連盟3/「創刊宣言」あるいは「綱領」 出典:『婦人戦線』創刊号(第1巻第1号)、1930年3月1日、4頁。
【図64】高群逸枝主宰の無産婦人芸術連盟4/高群逸枝『黒い女』の広告 出典:『婦人戦線』創刊号(第1巻第1号)、1930年3月1日、広告。
【図65】高群逸枝主宰の無産婦人芸術連盟5/高群逸枝『強權に抗す』の出版予告 出典:『婦人戦線』八月号(第1巻第6号)、1930年8月1日、広告。
【図66】高群逸枝の文と書1/「共用日記」 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図67】高群逸枝の文と書2/「私の銘」 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図68】高群逸枝の文と書3/「誓い」 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、口絵。
【図69】高群逸枝の文と書4/高群逸枝が橋本静子に贈った『黒い女』の見返しの献辞 出典:熊本市立図書館所蔵資料。
【図70】高群逸枝の文と書5/揮毫1 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、42頁。
【図71】高群逸枝の文と書6/揮毫2 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、42頁。
【図72】高群逸枝の原稿1/『日月の上に』 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、39頁。
【図73】高群逸枝の原稿2/『母系制の研究』 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、39頁。
【図74】高群逸枝の原稿3/『招婿婚の研究』 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、40頁。
【図75】高群逸枝の原稿4/『平安鎌倉室町家族の研究』 出典:『高群逸枝雑誌』第3号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1969年4月1日、31頁。
【図76】高群逸枝の原稿5/『女性の歴史』 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、40頁。
【図77】高群逸枝の原稿6/『日本婚姻史』 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、41頁。
【図78】松橋名誉町民の碑1/全景 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、50頁。
【図79】松橋名誉町民の碑2/碑の表に書かれた「私の銘」 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、50頁。
【図80】望郷子守唄の碑1/歌碑 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、52頁。
【図81】望郷子守唄の碑2/歌碑の除幕式 出典:『熊本日日新聞』、1962年1月19日、7面。
【図82】望郷子守唄の碑3/除幕式当日の「森の家」の高群逸枝と橋本憲三 出典:『熊本日日新聞』、1962年1月19日、7面。
【図83】高群逸枝の死1/入院先から「森の家」に帰る棺 出典:高群逸枝著・橋本憲三編『高群逸枝全集』(第一〇巻/火の国の女の日記)理論社、1965年6月、480頁。
【図84】高群逸枝の死2/死亡広告 出典:『熊本日日新聞』、1964年6月11日、4面。
【図85】高群逸枝の死3/告別式 出典:『熊本日日新聞』、1964年6月16日、7面。
【図86】墓碑1/全景 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、48頁。
【図87】墓碑2/朝倉響子作のブロンズ・レリーフ「高群逸枝像」 出典:『高群逸枝雑誌』創刊号(第1号)、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1968年10月1日、2頁。
【図88】墓碑3/「高群逸枝像」の細部 出典:『高群逸枝雑誌』第2号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1969年1月1日、2頁。
【図89】墓碑4/墓の右手前に建つ「約婚」の歌碑 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、49頁。
【図90】墓碑5/墓の裏側に刻まれた「誓い」の文 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、49頁。
【図91】高群逸枝記念碑1/全景 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、36頁。
【図92】高群逸枝記念碑2/歌碑 出典:『高群逸枝雑誌』第5号、責任者・橋本憲三、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1969年10月1日、21頁。
【図93】『高群逸枝雑誌』1/創刊号(第1号)の表紙 出典:『高群逸枝雑誌』創刊号(第1号)、1968年10月1日、表紙。
【図94】『高群逸枝雑誌』2/終刊号(第32号)の表紙 出典:『高群逸枝雑誌』終刊号(第32号)、1980年12月25日、表紙。
【図95】石牟礼道子1/熊日文学賞辞退のころ 出典:『熊本日日新聞』、1969年12月14日、15面。
【図96】石牟礼道子2/水俣病裁判結審のころ 出典:『熊本日日新聞』、1972年10月15日、9面。
【図97】水俣の橋本憲三1/墓碑の前に立って 出典:『高群逸枝雑誌』終刊号(第32号)、責任者・橋本静子、発行所・高群逸枝雑誌編集室、1980年12月25日、2頁。
【図98】水俣の橋本憲三2/自宅の庭に立って 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、46頁。
【図99】水俣の橋本憲三3/自宅の書斎(編集室)にて 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、46頁。
【図100】水俣の橋本憲三4/この建物の二階が憲三の住居兼書斎(編集室) 出典:女性史研究会編『女性史研究』(第七集/高群逸枝写真集)、1978年12月1日、46頁。
【図101】石牟礼道子の作品関連1/「海と空のあいだに 第八回」 出典:『熊本風土記』通巻第11号、1966年11月1日、46頁。
【図102】石牟礼道子の作品関連2/『椿の海の記』の広告 出典:石牟礼道子「『最後の人』覚え書(二)――橋本憲三氏の死――」『暗河』暗河の会(編集兼発行人/石牟礼道子・松浦豊敏・渡辺京二)、第15号、1977年春季号、広告。
【図103】石牟礼道子の作品関連3/2018年10月6日の「沖宮」初演の水前寺能楽堂 出典:著者(中山修一)所蔵資料。
(二〇二五年四月)
【図01】ふるさと「火の国」1/高群逸枝と橋本憲三が出生したころの熊本県
【図02】ふるさと「火の国」2/「火の国」を象徴する阿蘇の火山
【図03】ふるさと「火の国」3/高群逸枝が生まれ育った松橋町の全景
【図04】ふるさと「火の国」4/高群逸枝が出京前に住んでいた払川集落
【図05】ふるさと「火の国」5/橋本憲三が少年時代に遊泳した球磨川二俣の瀬
【図06】ふるさと「火の国」6/橋本憲三の球磨の実家
【図07】ふるさと「火の国」7/石牟礼道子が育った水俣の町と不知火海
【図08】高群逸枝の父の高群勝太郎
【図09】高群勝太郎(嵓泉)1/日記
【図10】高群勝太郎(嵓泉)2/墓
【図11】高群逸枝の母の高群登代子
【図12】高群登代子1/『九州日日新聞』の死亡広告
【図13】高群登代子2/『九州新聞』の死亡広告
【図14】橋本憲三の父の橋本辰次
【図15】橋本憲三の母の橋本ミキ
【図16】橋本憲三の姉の橋本藤野
【図17】橋本憲三の妹の橋本静子
【図18】高群逸枝の両親が女児誕生の願をかけた南阿蘇の清水寺1/全景
【図19】高群逸枝の両親が女児誕生の願をかけた南阿蘇の清水寺2/本堂内部
【図20】高群逸枝の守富時代の遊び場であった木原山の不動尊1/全景
【図21】高群逸枝の守富時代の遊び場であった木原山の不動尊2/本堂内部
【図22】高群逸枝初期文集表紙1/『十三才集』
【図23】高群逸枝初期文集表紙2/『愚文集』
【図24】高群逸枝初期文集表紙3/『少女集』
【図25】高群逸枝初期文集表紙4/『四角集』
【図26】高群逸枝初期文集表紙5/『落寞日誌』
【図27】『十三才集』のなかのイラストレイション1
【図28】『十三才集』のなかのイラストレイション2
【図29】『十三才集』のなかのイラストレイション3
【図30】『十三才集』のなかのイラストレイション4
【図31】『十三才集』のなかのイラストレイション5
【図32】『人吉時報』に掲載された橋本憲三と高群逸枝の結婚記事
【図33】高群逸枝1/四国巡礼の旅姿
【図34】高群逸枝2/正装に身を包み
【図35】高群逸枝3/書斎にて1
【図36】高群逸枝4/書斎にて2
【図37】高群逸枝5/書斎にて3
【図38】橋本憲三1/若き日の肖像
【図39】橋本憲三2/妻の原稿に囲まれて
【図40】橋本憲三3/畑のなかから「森の家」を眺める早春の日
【図41】高群逸枝と橋本憲三1/東京で生活をはじめたころ
【図42】高群逸枝と橋本憲三2/「森の家」の前庭にて
【図43】高群逸枝と橋本憲三3/「森の家」の書斎にて
【図44】「森の家」屋外1/正門
【図45】「森の家」屋外2/正門から玄関へ続く庭道
【図46】「森の家」屋外3/玄関
【図47】「森の家」屋外4/玄関右手の壁に掲げられた「面会お断り」の標札
【図48】「森の家」屋外5/庭から見た外観1
【図49】「森の家」屋外6/庭から見た外観2
【図50】「森の家」屋外7/愛鶏のタロコ
【図51】「森の家」室内1/書斎机
【図52】「森の家」室内2/書棚
【図53】「森の家」室内3/寝室
【図54】「森の家」室内4/化粧室
【図55】高群逸枝の著作類1
【図56】高群逸枝の著作類2
【図57】高群逸枝の著作類3
【図58】高群逸枝の著作類4
【図59】『女人藝術』における高群逸枝の「戀愛行進曲」
【図60】復刻版『女人藝術』における高群逸枝の「戀愛行進曲」の割愛案内文
【図61】高群逸枝主宰の無産婦人芸術連盟1/機関誌『婦人戦線』の各号
【図62】高群逸枝主宰の無産婦人芸術連盟2/機関誌『婦人戦線』創刊号の目次
【図63】高群逸枝主宰の無産婦人芸術連盟3/「創刊宣言」あるいは「綱領」
【図64】高群逸枝主宰の無産婦人芸術連盟4/高群逸枝『黒い女』の広告
【図65】高群逸枝主宰の無産婦人芸術連盟5/高群逸枝『強權に抗す』の出版予告
【図66】高群逸枝の文と書1/「共用日記」
【図67】高群逸枝の文と書2/「私の銘」
【図68】高群逸枝の文と書3/「誓い」
【図69】高群逸枝の文と書4/高群逸枝が橋本静子に贈った『黒い女』の見返しの献辞
【図70】高群逸枝の文と書5/揮毫1
【図71】高群逸枝の文と書6/揮毫2
【図72】高群逸枝の原稿1/『日月の上に』
【図73】高群逸枝の原稿2/『母系制の研究』
【図74】高群逸枝の原稿3/『招婿婚の研究』
【図75】高群逸枝の原稿4/『平安鎌倉室町家族の研究』
【図76】高群逸枝の原稿5/『女性の歴史』
【図77】高群逸枝の原稿6/『日本婚姻史』
【図78】松橋名誉町民の碑1/全景
【図79】松橋名誉町民の碑2/碑の表に書かれた「私の銘」
【図80】望郷子守唄の碑1/歌碑
【図81】望郷子守唄の碑2/歌碑の除幕式
【図82】望郷子守唄の碑3/除幕式当日の「森の家」の高群逸枝と橋本憲三
【図83】高群逸枝の死1/入院先から「森の家」に帰る棺
【図84】高群逸枝の死2/死亡広告
【図85】高群逸枝の死3/告別式
【図86】墓碑1/全景
【図87】墓碑2/朝倉響子作のブロンズ・レリーフ「高群逸枝像」
【図88】墓碑3/「高群逸枝像」の細部
【図89】墓碑4/墓の右手前に建つ「約婚」の歌碑
【図90】墓碑5/墓の裏側に刻まれた「誓い」の文
【図91】高群逸枝記念碑1/全景
【図92】高群逸枝記念碑2/歌碑
【図93】『高群逸枝雑誌』1/創刊号(第1号)の表紙
【図94】『高群逸枝雑誌』2/終刊号(第32号)の表紙
【図95】石牟礼道子1/熊日文学賞辞退のころ
【図96】石牟礼道子2/水俣病裁判結審のころ
【図97】水俣の橋本憲三1/墓碑の前に立って
【図98】水俣の橋本憲三2/自宅の庭に立って
【図99】水俣の橋本憲三3/自宅の書斎(編集室)にて
【図100】水俣の橋本憲三4/この建物の二階が憲三の住居兼書斎(編集室)
【図101】石牟礼道子の作品関連1/「海と空のあいだに 第八回」
【図102】石牟礼道子の作品関連2/『椿の海の記』の広告
【図103】石牟礼道子の作品関連3/2018年10月6日の「沖宮」初演の水前寺能楽堂