International Environmental Law・多国間条約交渉論(MTN)
(模擬外交交渉、2007年度)
後期 月曜2-3限, シミュレーションルーム(SI)

模擬交渉報告

 2008年1月21、28日、2月2日にかけて、授業科目「多国間条約交渉論」での模擬交渉が行われました。2月2日(土)は、外務省の担当官・菊地信之氏にも参加いただき、一日中集中的な交渉を行いました。

 この交渉は、生物多様性条約カルタヘナ議定書の下で現在実際に交渉が行われている「責任と救済(Liability and Redress)」に関する国際ルール作成交渉を題材として、同問題を交渉している第5回アドホック公開作業部会が開催されたとの設定で行われました。なお、この授業に参加している7名の学生は、海外実習の一環として、2007年10月に開催された第4回作業部会(カナダ・モントリオール)に実際に出席し、現場の交渉雰囲気を肌で感じ取ってきた学生です。この海外実習の様子については、こちらからご覧下さい。

全体会合の様子
模擬交渉の様子:学生は条約締約国の「代表delegation」となり、
発言する際にはフラッグを立てて議長の指名を待ちます。

 この作業部会は、遺伝子組み換え生物(Living Modified Organisms: LMO)の国境を越える移動の際に生じた損害に対する責任と救済に関する国際ルールと手続について交渉しています。現在、実際にも国際的な文書を作っている最中で、3月12日から開催される「本当の」第5回作業部会(コロンビア・カルタヘナ)で、まとまった文書が完成する予定です。LMOもしくはGMOの安全性等について、GM作物輸出国と輸入国、GM技術を有する先進国と有しない途上国などで意見が対立しており、GMOをめぐる責任と救済のルール作りは、実際にも極めて興味深い展開を見せています。

 さて、私たち「多国間条約交渉論」受講生は、授業の前半において国際環境法の概要や、今回の交渉で必須となる関連する条約について学び、また、条約交渉のテクニック等についても講義を受けました。そして、冬休み頃から今回交渉で扱う交渉文書(50頁にも及ぶ難解な条文案集、もちろん英語)を熟読し、交渉本番に備えました。交渉においては一人一カ国を担当し、それぞれ外務大臣から受け取った大変厳しい対処方針を基に、どのような交渉を行うかについて作戦を練りました。

受講生と担当国は以下のとおりです。

NameCountryNameCountry
本田悠介
Yusuke HONDA
Brazil 野中祥子
Shoko NONAKA
菊地信之
Nobuyuki KIKUCHI
Mexico
(GRULAC Coordinator)
Thea Tonghor Cambodia 柴田明穂
Akiho SHIBATA
The Netherlands
(Chair)
かん がい
Kan Kai
China, P.R. Nguen Van Trong
(Jon)
New Zealand
山下維介
Yosuke YAMASHITA
Ethiopia 桑田清貴
Kiyotaka KUWATA
Norway
中山雄一
Yuichi NAKAYAMA
Germany, F.R. 山下朋子
Tomoko YAMASHITA
Slovenia
(EU Presidency)
張 帆
Zhang Fan
Indonesia
(Asian Coordinator)
上田はるか
Haruka UEDA
South Africa
(African Coordinator)
藤井麻衣
Mai FUJII
Japan Nguen Bang Trung Vietnam
Khaophibane Thanomsith
(Sito)
Laos

清水健史
Takeshi SHIMIZU

CBD事務局
CBD Secretariat

 この模擬交渉の教育的趣旨は、交渉のゲーム的要素を楽しみつつも、決められた立場(対処方針)をいかに法的に説明して相手を説得するかいう「法的議論構築能力」、自らの立場を反映する条文案や、他国の立場との妥協をいかに条文案のなかに反映するかといった「法的条文起草能力」、そしてそれらをいかにアピーリングに英語にてプレゼンテーションできるかという「実践的英語・発言能力」を向上することにあります。なお、この模擬交渉は、全て英語で行われています(唯一の例外は、日本人学生には日本土の対処方針が配布されたことです)。

交渉1日目(1月21日)

 今回の模擬交渉への参加国は14カ国で、議長はオランダ(柴田先生)が務めました。最初に行われたのは、各国による一般演説です。各国代表団は5分間与えられ、今回の会合への意気込みや、交渉における譲れない点や、それぞれの国の状況などについて簡潔に述べました。

 一般演説の後は、早速、文書の交渉に入りました。時間が限られている中でどれだけ深い議論がなされるかは、各国の準備にかかっています。

 まず交渉されたのは、行政的アプローチに関する問題です。LMOsに関する何らかの悪影響を及ぼす出来事が起こった場合、行政が介入して責任者に特定の行動をとらすように義務づける内容です。いくつかの途上国の代表は、行政的能力に限界があり国に負担をかけるべきではないとして、このアプローチに反対しました。同様にいくつかの代表は、弱い文言を入れることによって、文書の実効性を弱めようとしました。他方で、行政が何らかの対処をとり、LMOsによる悪影響を及ぼす出来事を最小限にしたいと考える代表は、より具体的な文言や、義務的な文言を入れることを強く主張しました。

 LMOに起因する責任を民事責任(不法行為責任)で追求する制度についても交渉がなされ、特に、その基準について厳格責任を主張する代表と、過失責任を主張する代表で意見が対立しました。この2つの立場の妥協である「緩和された厳格責任」を支持する代表もあり、この問題の議論は全くまとまりませんでした。

交渉風景
発言中のカンボジア代表。相手を説得する理屈と話術が交渉を有利に進める鍵となります。

 次に交渉されたのは、能力開発(Capacity Building)についてです。責任と救済に関する新しいルールをつくるに当たって、特に途上国にとっては、そのルールを国内的実施にするための財政的、法的、技術的能力が十分ではない場合が多くあります。また、ここで作成されるルールがより多くの国によって正しく実施されることが重要であるので、特に途上国の能力開発措置はとても重要な問題です。

 この問題について強い意見を持っっていたのがエチオピアでした。議論はエチオピアがリードする形で進められていきました。議長より、この問題は重要であり、内容についてさらなる議論がされるべきだとして、会期間(授業と授業の間)に開催される非公式サブ・ワーキンググループが作られ、次回交渉までに関心国間で交渉し、合意できるテイスト案を作ってくるよう指示されました。サブ・ワーキンググループの調整役として、エチオピアが指名されました。

第1日目の交渉の議事録は、こちらからご覧になれます。

交渉2日目(1月28日)

 交渉1日目から2日目にかけて行われた能力開発のサブ・ワーキンググループの報告が最初に行われました。その後、交渉に入っていきました。 まず議論されたのは、「残余的国家責任」の問題です。基本的に、LMOsによる損害を起こしたとされる事業者が責任を負うことが基本ですが、もし、すべての責任を取ることが出来なかった場合、国家がその責任を補うことが可能かどうかについて交渉されました。この問題に対する立場も2つに割れ、国家はどのような場合も責任を負いたくないという代表と、残余的国家責任に賛成する代表が対立しました。

 次に議論されたのは、「補完的集団補償制度」です。この制度は、基金を設立し、事業者が責任を取れない場合、この基金により、それを補うという制度です。少数の国はこの制度に反対しましたが、多くの国はこの制度に賛成し、基金をバイオ産業からの拠出で設立するべきであると主張しました。

GRULAC
交渉中に意見交換するメキシコ、ブラジル、ノルウェー代表:
交渉中にお互いの立場や交渉戦略を確認、共有することは重要です。
どこまで本音を言うかは交渉戦術次第ですが、
多国間条約交渉では多数派をいかに形成するかが重要になります。

 さらに責任を民事責任制度で担保する場合の「民事手続」について議論されました。ここでの対立点は、民事手続については各国の国内法に任せるべきだという代表と、国際的な文書において、その内容を定めたいという代表に立場が分かれました。特に途上国はより詳細な民事手続のルールを定めたいと主張しました。

 午後の交渉においては、議長が作成した今までの議論の概要図(Schematic Outline)を基に、各国の意見を整理しました。交渉最終日となる2月2日に向けて、さらに議論を深めることが必要であると各国が考えたため、今まで交渉したすべての論点ごとに、非公式サブ・ワーキンググループを設立することに決定し、2日目の交渉を終えました。実際、2月2日の最終交渉日までの間に、非公式協議、秘密協議などが行われていたようです。

2日目の議事録はこちらからご覧になれます。

交渉最終日(2月2日)

 交渉最終日は、実際に日本の代表団としてこの作業部会に参加されている外務省国際協力局地球環境課の菊池信之氏を迎えて行われました。今回の模擬交渉においては、メキシコ代表として参加して下さいました。メキシコは中南米のコーディネーターとして、多様な意見をまとめなければいけないというとても難しい立場を持っています。

 まず初めに、議長は各国から提出された文書について説明を求めました。交渉最終日に向けて毎日サブ・ワーキンググループが開催され、各論点について議論し、合意できたテキスト案をそれぞれのサブ・ワーキンググループをリードした国が提出していました。多くの論点について妥協が得られたテキストが提出されました。しかし、過失責任か厳格責任かの「責任の性質」など対立が残る論点もありました。

 次に、最後に残っていた2つの論点についての交渉が行われました。まず、この文書の適用範囲についてです。いかなる活動から生じる損害にこの文書が適用されるのかという機能的範囲については、これをできるだけ広い範囲を設定したい代表(越境移動活動に加えて、LMOの国内での取り扱いや移動中に生じた損害など)と狭い範囲を支持する代表とに分かれました。特に、メキシコは「非意図的な越境移動(unintentional transboundary movement)についても範囲に含むことを強く主張し、狭い範囲を支持する代表と対立しました。損害が発生する地理的範囲についても、締約国の管轄権内のみか、公海や非締約国領域内も含むのかで対立しました。

 さらに「損害の定義」について交渉されました。損害の定義は、カルタヘナ議定書が保護法益としている生物多様性とその持続的利用に対する損害に限定すべきであると主張する代表と、それに加えて、伝統的な損害概念に含まれる人の健康、生命、財産に対する損害更には、社会経済的損失までをも含ませたいとする代表が対立しました。

 最後に交渉されたのは、「文書の法的性質」についてです。この点については、途上国とノルウェーは法的拘束力のある国際的文書を、そして日本、ニュージーランド、南アフリカは非拘束的な文書を、そしてEUは2段階アプローチ(最初は非拘束的、将来的に拘束的文書にするというアプローチ)を支持すると、今までの交渉経緯を考えると、このように予想されました。ところが、EU議長国であるスロベニア代表が精力的に各国を説得した結果、多くの途上国が法的拘束力のある文書ではなく、非拘束的な文書を支持することに事前に合意ができていました。その見返りとして、スロベニア代表は巧みに能力開発の条文案の中に、「法的拘束力になるための話し合いをすることができる」という文章を入れることにより、法的拘束力を望む各国の主張も生かすことに成功したのでした。この結果、法的拘束力を支持する国が孤立することになりました。

非公式協議
交渉最終段階のパッケージを議論する代表:かなり緊迫した場面で、怒鳴り声(?)も聞こえました。

 長く複雑な交渉の結果、1つの論点を除いて、最終的にコンセンサスで合意できる文書ができあがりました。中国代表は、行政的アプローチの特定条文案に合意できないとして投票を求め、圧倒的多数にて中国の削除提案が否決されました。

最終的に採択された文書はこちらからご覧になれます。

 この文書の特徴を述べると、この文書は非拘束的な文書で各国の国内法のガイドラインとなるべきものとしました。また、「責任の性質」については、妥協することが困難であるため、3つのオプションが残る形となりました。補足的集団補償制度については、基金を拠出するバイオ産業との議論が必要であると判断し、基金を設立するためのプロセスをここで作るということにすべての国が合意しました。また、「能力開発」については、委員会を設立することが決定されました。

2月4日 評価会

  以上の交渉を振り返る評価会が開催されました。柴田先生からは、まず全員に対し、ねぎらいの言葉がかけられました。今年の題材は論点が複雑にからみあい、難しい交渉であったにも拘わらず、最後まで粘り強く交渉し、そして1条文案を除いて、コンセンサスにて文書を採択するところまで漕ぎ着けたことが評価されました。特に、何人かの学生が精力的に条文案を起草して妥協を図ったこと、交渉中の発言内容を事前に文章にして準備していたこと、そして自らの立場を国際法的に根拠づけて説明しようとしていたことに対し、高い評価が与えられました。

 次に、全員の対処方針が公開され、それぞれの代表から対処方針をどのように解釈・理解し、対処方針に定める「確保すべき点」をいかなる外交戦術で達成しようとしたか、報告がなされました。ここで私たちは、なぜある代表があの論点であそこまで拘ったか、そして目的を達成するためにどの論点と引き替えに何を獲得しようとしていたのかを知ることになりました。ある代表は、対処方針上は柔軟に対応できるにも拘わらず、「先進国のいいなりになるのは気にくわない」と強行姿勢にて交渉していたことが披露され、皆、驚かされました。柴田先生からは、対処方針の読み方、確保すべき事柄の優先順位の付け方、妥協するタイミングなどについて、コメントがありました。

 以上を振り返り、授業科目「多国間条約交渉論」において、私たちが行ったのはほんの一部の模擬交渉でしたが、一つの国際的ルールを作るにはかなりの労力と時間が必要であることを思い知らされました。一つの会議場に集まり、世界各国から集まった政府の代表団が自国の状況や法的背景を背負いながら、それをどう乗り越え、各国が納得できるルールを作ることができるのかについて、その難しさと、ダイナミックな交渉の展開を、今回の模擬交渉で体験することができました。

 

特別授業:ルネ・ルフベール氏講演会

 2月15日に、オランダ外務省法律顧問のルネ・ルフベール氏を招き、多国間条約交渉論の特別授業を開講しました。ルフベール氏は、我々が模擬交渉として取り扱った「カルタヘナ議定書責任と救済に関する作業部会」の本物の共同議長を務められており、意見が激しく対立する国際社会が共通の合意に達するために、会議場の内外を問わず、非常に精力的にご活躍されています。
 また、ルフベール氏は、オランダ外務省国際法法律顧問として、実際に他の国際環境条約交渉でご活躍されているだけではなく、アムステルダム大学教授も務め、数々の著書や論文を公表されるなど、国際環境法分野で多彩な才能を発揮されている方です。

Lefber氏講演会1  今回の特別授業では、まず、多国間条約交渉論を受講している学生から、我々の模擬交渉の概要と模擬交渉の成果文書の解説が、報告されました。

 模擬交渉とはいえ、真剣な交渉の末、ぎりぎりの妥協の結果であることが説明されました。そのうえで、ルフベール共同議長に、国際環境法のネゴシエーターとしての実際の交渉での経験を伺いました。
Lefber氏講演会2
Lefber氏講演会3
 そして、今回の模擬交渉で題材にした「カルタヘナ議定書責任と救済」についての制度を理解するためには、国際法についての高度な知識と深い理解が要求されます。実際の会議の交渉文書や我々が採択した文書について、法的に疑問に感じる点や、国際環境法における質問がつぎつぎになされ、それぞれについて、丁寧に答えてくださいました。

 また、休憩時間にも、学生の質問にとても気さくに答えてくだいました。また、今回の特別授業には、受講者以外も多く集まったこともあり、それぞれのキャリアプラン(外交官、国際公務員、研究者など)について、非常に有益なアドバイスをいただきました。
Lefber氏講演会4

 ルフベール氏が共同議長を務める「カルタヘナ議定書責任と救済に関する作業部会」第4回会合には、海外実習として7名の学生が参加し、次回第5回会合(コロンビア・カルタヘナ)にも4名の学生が参加する予定です。実際の条約交渉を肌で感じるとともに、高度な国際環境法分野の分析を通じて、「国際法が現場でいかに使われているか」、そして「国際法を現場でいかにして使うか」という問題意識に応える、今回の特別授業は非常に魅力的かつ特別な機会でした。

 今回の特別授業のために、わざわざGSICSへお越しいただいた、ルフベール氏には、改めて感謝を申し上げます。


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