精子は動物の体の中で最も小さい細胞である.これは大きさと引き換えに数を増やし,メス−オス間の資源投資をめぐる対立や,オス−オス間の受精をめぐる競争の中で,自らの遺伝子をより多く残すための戦略であると考えられている.しかし,オサムシを含む一部の昆虫では,せっかく増やした精子をもう一度束ねて,精子束をつくるものがある.

アオオサムシの精子束.紫に染色されているのが,無数に束ねられた精子の頭部.
赤い部分は精子を束ねる「さや」.
なぜこのような精子束が進化したのかは不明だが,精子の泳ぐスピードを上げるためだという説もある.また,オサムシの精子束には大小二つのタイプの精子束があるのがわかる.このような「精子束二型」が知られている生物はオサムシだけである.現在は,なぜこのような特殊な形の精子が進化したのかについて,研究を進めている.
種分化と種の多様性に関する研究
進化の歴史の中で,生物はいちじるしい多様化を遂げてきた.その過程では,一つの種が複数の種に分かれる「種分化」がくりかえし生じたと考えられる.飛ぶことができず,日本列島の中でくり返し種分化を遂げてきたと考えられるオオオサムシ亜属は,種分化のしくみを明らかにするためのよい材料である.
1. 生殖隔離機構と種間交雑
種分化のしくみを明らかにするには,雑種形成をさまたげる「生殖隔離機構」が,どのように働いているかを知る必要がある.オオオサムシ亜属の交尾では,雌雄の交尾器(オスの交尾片とメスの膣盲嚢)が「錠と鍵」のように組み合わさるが,交尾片と膣盲嚢のかたちは種によって様々である.そのため,別の種どうしが交尾しようとしてもできなかったり,交尾器が壊れてしまったりする.つまり,オオオサムシ亜属の多様で種特異的な交尾器は,生殖隔離機構として働くと考えられる.

アオオサムシの雌雄交尾器の結合.
オスの交尾片(CP)がメスの膣盲嚢(VA)と「錠と鍵」のように組み合わさる.
これまで,種間の交配実験や,野外にある自然交雑帯の解析を通じて,交尾器のちがいがどの程度雑種形成をさまたげるのかを調査してきた.その結果,交尾器のかたちのちがいが僅かであっても,交尾中にメスが傷つき,雑種が生まれにくくなることを明らかにした.現在は,交尾器のちがいを生み出す遺伝子の特定をめざして,実験交雑集団と自然交雑帯を用いた大規模な遺伝解析に取り組みつつある.
2. 種の多様性の把握と種分化の歴史
種分化のしくみを研究するには,自然界にどのような種の多様性があるのかを知らなければならない.さらに,種の多様性が生じた歴史(系統)を明らかにすることも重要である.そのため,オサムシ類の系統分類学的研究を行っている.

オーストラリアオサムシ属の3新種(2006年に記載).
左からPamborus moorei, P. monteithi, P. cooloolensis.
人間活動が生物多様性におよぼす影響に関する研究
進化は,現在の地球上にみられる極めて多様な生物たちをつくりあげてきた.しかし,人間の活動は自然環境を改変し,そこに育まれる多様な生物たちを絶滅に追いやろうとしている.進化の結晶が失われる場をしらべることで,自然環境を持続可能な形で利用できる方法の立案に役立てることができればと考えている.
1. 都市にすむモンシロチョウ類の集団遺伝学
都市化が進むにつれ,生物の住み場所は狭められ,分断されつつある.このような生息域の縮小,分断は,生物集団にどのような影響を与えるのだろうか.そこで,生息域の分断が生物集団におよぼす影響を調べるため,モンシロチョウとスジグロシロチョウを用いて,都市に生息する集団の遺伝的特徴を解析した.

モンシロチョウ類の集団遺伝構造の模式図.
都市集団では変動しているが,自然集団では安定している.
都市公園のような孤立した集団のチョウたちは,周りの自然集団よりも遺伝的多様性が低く「没個性的」だった.しかも,遺伝的組成が不安定に変化していた.これは,都市の集団は絶滅しやすく,周囲の集団からの移入個体によって維持されているためだと考えられた.
現在は,東京都内で1930年代以降の70年間に記録された,モンシロチョウとスジグロシロチョウの個体数の変遷を解析している.これを元に,都市化や地球温暖化が,生物の集団にどのような影響を与えたのかを明らかにしようとしている.