Column




情熱大陸第1弾


2週間前神戸港で「世界一とやらの」ものを見た。
それからずっと釈然としない自分を探ってみたら、十数年前に見た工事現場のクリスマスツリーに行きついた。
近くで見たら使われているものは、その工事現場のスコップやツルハシやヘルメットなどだった。
その現場で働く人たちが考えて仕事の後に作ったのであろう。
ここにはその場にあるものを使って面白いことをする心意気とユーモアのセンスが溢れている。
これこそ、誰でもが自分のできることを工夫し表現する真に『常熱大陸』と言えるだろう。



常熱大陸第2弾


第1弾で紹介した工事現場のクリスマスツリーは、年明けにはなんと、雪だるまに変身していた。
ボディーに使われているものは大量の土嚢だった。年末にツリーでアッと驚かされた工事現場は、さらなる展開になっていた。
なんという人たちだろう。ここまでやるには責任者の協力も不可欠だ。
きっと彼らは、今年もどこかでやっているのではなかろうか。



官洞ギャラリー(韓国,仁川)



韓国仁川の官洞ギャラリーを訪問。
KOBE RING を置いてきた。
この地域は旧日本人居留地であった。
ここを韓国、中国、日本の交流の場にしたいというオーナーの戸田郁子さんがいろんな人の協力で作り上げた手作りのギャラリー。
私にとって来年は韓国年になる。

2015年11月30日



第1回 Jun TAMBA 白熱教室 ~プロローグ~

三年ほど前から作品に色を塗るようになった。これは私にとって大きな変化である。
鉄という素材に出会い、行為を自覚することから再出発し、空間と構成を考え続けてきた私の彫刻がここに来て大きく動き始めた。
「行為は形に収斂する」これは最近私がたどり着いた造形思考を端的に表している言葉である。
私の描く一本の線、一本のカーブが私のこれまでの経験と思考の全てを語っていると考えるようになった。
そう考えると作品が色を持つ事も可能となった。それだけでなく素材やメディアを考えても表現が可能だと考えは拡がっている。
今やっと私は、行為の呪縛から解放されつつあるのかもしれない。



第2回 Jun TAMBA 白熱教室 Less is more 考 -1-

芸術において過剰であることが、ある種の価値を持っていることは認めなければならない。
けれどもそのことが芸術の価値を測る唯一の尺度であるかのような雰囲気を持つ今日のアートの現状は、
公衆におもねる愚行ではないかと 憂慮する。
過剰であることに惑わされていないか。

初日のダンスパフォーマンス。
削ぎ落とした表現が、塚脇彫刻と融合。



第3回 Jun TAMBA 白熱教室 Less is more 考 -2-



More is Bore!

Less is more この言葉は建築家ミースファンデルローエが機能美を追求する姿勢を象徴した言葉である。
しかしその後に続くロバートベンチューリがその言葉に反論し Less is bore と言ったことは有名な逸話である。
しかし私には彼らのどちらもがLessの思想を大切に考えていたと思えてならない。
今の時代はどうであろうか。Moreが氾濫し、過剰な表現やキャラクターやイメージの押し付けがましい表現がまかり通っている。

More is Bore!

過剰であることはたやすい。そして退屈だ!
今私は敢えて主張する。
余分なものを取り去って物事を見つめ直すLessの視座を持たなければならない。



第4回 Jun TAMBA 白熱教室 Less is more 考 -3-


「その作品に風はふいているか」
野外彫刻や画廊での個展でも、作品を見た時に私が思うことの一つに「この作品に風はふいているか」ということがある。
人を驚かせたり、イメージの押しつけであったり、人が分かることにおもねる表現には風はふいていない
。 これらの多くは作品理解に時間と労力のかかる対話を省き、表面的な「分かり」「繋がり」に力点を置いているように感じる。
こういった作品から見え隠れするのは、実はコミュニケーションを短絡させて手早く結果を得ようとする経済学にほかならない。
優れた表現には、見た瞬間に「あっ風がふいている」と私は思うのです。
塚脇作品に、青空が映りこんでいます。



第5回 Jun TAMBA 白熱教室 Less is more 考 -4-


「捨てるだけ捨ててしまって、残ったものを表わせ」
「鉄という素材のいろいろな関わり方の中で、自分にとって必要でないものを取り去ってしまうと、たたくことだけが残った。
あるとき僕は、たたくことで得られるわずかの反りが、鋭い空間の発生と重力を合わせもつ形であることを発見した。
地表からむくむくと起き上がってくる状態のなかに存在する重力と素材と空間との拮抗関係のなかで、イメージが広がる感動を覚えた。
その時ぼくの方法は決定した。」1987年 展覧会カタログ
これが、私が行為を自覚した時であり、案内状に再出発と書いた意味は、学生時代に意識的ではなく自覚していた行為だったからである。



第6回 Jun TAMBA 白熱教室 Less is more 考 -5-


「ロシアと構成主義について」
2010、2012とロシアの彫刻シンポジウムに招待され現地制作に行った。
日本側でも日本ロシア芸術交流シンポジウムの開催や,大学と交流協定を結ぶなど、近年はロシアとの交流を深めつつある。
それはロシアが構成主義という造形芸術の重要な概念を生んだ国であり,
その哲学は巡りめぐって私たち日本人の美術に深く入り込んでいると思うからだ。
私たちが西洋から学んだものは何だったのか,何を自分たちのものとしてきたのか,そして何を発信しようとしているのかを問う時,
構成主義は重要な検討課題であり,そこに21世紀の美術の有り様を見出せるのではないかと、私は考えている。



第7回 Jun TAMBA 白熱教室 Less is More 考 -6-


「The Dance」
「樹木のように地中から空を指向すること、あるいは人間、地上より空間を志向すること」
この文は30年前に自分の作品のテーマを書いたものである。
その時の地上を這うような作品から少しずつ背が高くなっていった。それは、いかに立ち上がるか、立ち上がり方を問題にしていたからである。
しかしこの夏、篠山で発表した作品のタイトルは The Danceと付けた。
それは作品が、地上を移動する連続のフォルム、動きそのものを表わす方向にあるような気がしたからである。そう、あのマチスの「ダンス」のように。



第8回 Jun TAMBA 白熱教室~エピローグ~


「Piano」
あしやシューレを初めて訪ねた時、真っ白な空間にピアノがあった。聞けば建築もピアノをイメージしてデザインされ、音響にも考慮されたとのことだった。
私はピンときた。すぐさま作品のイメージが出来上がった。そしてコンサートだ!と。イメージは「森」だ、
そしてその森の中でピアノが唸る。この時を待っていたかのようにあのキュートな姿がステージの中央に漸み出る。



第9回 Jun TAMBA 白熱教室~Less is More考 番外編~


「抽象から抽象へ」
往年の作家が相応に年を重ねると、再び具象をはじめることがある。その人たちは自然から学び、具象から表現をスタートしたからである。
しかし私は、美術的体験の最初期に構成的抽象から出発、大学でさらに抽象彫刻を学んだので、非常に特殊で純粋培養された人間と言えるかもしれない。
抽象から抽象へ。
私は今、マレーヴィッチの正方形を考え続けている。