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Comments No.11 津田英二研究室

学習支援・子ども食堂の広がりの意味と将来をめぐって

学習支援・子ども食堂の動きの渦中に1年余り身を置いてきて感じることについて述べてみようと思います。

2月に入って、立て続けに学習支援・子ども食堂の連絡会やら研修会やらに動員されています。あんまり引っ張り回さないでよと思いながらお付き合いしていて、去年の今頃とは異なる雰囲気など、気が付くことがいくつかありました。

去年の今頃は「どうやったら子どもが来るのか」「ターゲットにしているような子どもの参加がなくて困っている」といった意見が次々に出されていました。しかし、今年は「私たちのところには毎回15名くらいの子どもたちが来て……」「どうやら給食以外に食事をしていないのではないかと疑われる子どもが来るようになって……」といった話が次々と聞かれるようになりました。

まずは、1年も実践を続けると、社会的な認知も進んで活動は成長するんだなと感じます。それはそれでよいのですが、他面ここで道を誤ってはいけないなとも感じています。そう思うのは、次のような危惧を伴っているからです。

第一に、「うまくいっている」ところの声が大きくなっただけではないか、と感じるところがあります。うまくいっていれば、「うまくいっているよー」とアピールしたくなるのは人情です。しかし、当然のことながら、時がたつにしたがって、「うまくいっている」ところと、そうでないところとの差が開いていきます。連絡会やら研修会やらに動員されるたびに「うまくいっている」話ばかり聞かされたら、自信がもっともっとなくなってしまう「うまくいっていない」実践も出てきます。「うまくいっていない」ところの劣等感に配慮する必要が増してきていると思います。同時に、「うまくいっている」「うまくいっていない」という評価基準を批判的に検討することが大切であるようにも感じます。

つまり、第二に、「うまくいっている」と評価する価値軸にゆらぎがなくなっていくともったいないな、ということです。学習支援や子ども食堂が注目されている契機に「子どもの貧困」の問題がある以上、人数が集まること、貧困家庭の子どもを救うこと、この2点が「うまくいっている」かどうかの評価指標になっているのは当然です。しかし、この2つの軸に執着すると、実践の大きな成果が他にあることを看過することになるのではないかとも思います。その成果というのは、文化形成にかかわることであり、あるいは地域資源やネットワーク、市民と行政との関係変容というようなことだと考えています。

「うまくいっている」指標となっている、「子どもがたくさん集まる」ということと、「貧困家庭の子どもを救う」ということとは、相互に矛盾する課題を含んでいます。「子どもがたくさん集まること」と追求すると、課題を抱えている子どもが参加しにくくなるリスクが高まります。課題を抱えている子どもに強い焦点を当てると、参加できる子どもの人数に制約をかける必要が生じることが多いでしょう。ということは、バランスをとりながらミッションを追求していくということになります。むしろ、どのくらい人数の子どもたちが集まってくるようにセッティングするか、ということと、どの程度子ども個々人の抱えている問題にアプローチするか、ということのバランスの中で、実践それぞれのミッションが決まっていくということではないかと思います。そこで大切なのは、評価基準にゆらぎがあることです。「どうしたらうまくいくのか」「うまくいくとはどういうことなのか」という2つの問いはセットだと思うのです。

第三に、自治会などの旧来型の地域組織の発言の強さと、「うまくいっている」声の大きさとリンクしているように感じました。このことは、メリットとデメリットの両面の評価をすべきだろうと思います。もちろん地域組織が実践を支えるのは、実践の発展にとって大きな力になります。しかし、例えば「よる・あーち」に参加している子どものうち、特別なニーズをもっている子どもの多くは遠方からやってきます。地縁関係の中には居場所ができにくいという子どもや青年が意外と多いのではないかと思います。つまり、地域組織が活動の中心を担っているところもあれば、地域に根ざしていない団体が活動の担い手になっているところもある、という状況のほうが望ましく、それぞれに異なる役割と課題をもつということになるのではないか、と思うのです。旧来型の地域組織の健闘が、「うまくいっている」活動のドミナントストーリーを構成してしまい、孤独感を抱えながら細々とネットワークを広げつつある活動がディスパワーされてはいけないと感じています。

そんな危惧をもちつつも、これらの活動が発展してきている兆しは喜ばしいことです。

加えて、学習支援・子ども食堂の実践が広がっていることの意義について、少し整理ができてきたということも、実践開始1年余りを経た現在の収穫だろうと思います。たいした整理ではないので恥ずかしいのですが、次のように感じるようになってきました。

一般的にこれまでの子ども対象の各種プログラムは、標準的な子ども像に基づいて企画されているものと、特別なニーズをもっている子どもを対象に企画されているものとの間に隔たりがありました。もちろん、標準的な子どもをターゲットにするプログラムでも、さまざまな子どもたちが参加してきて対応を迫られるということはいくらでもあります。しかし、標準的な子どもの発達自体が取り組むべき価値のある課題なわけですから、特別なニーズをもっている子どもへの対応が後手に回るのも仕方ないところがあります。その分、特別なニーズをもっている子どもを対象とする特別なプログラムも実施されてきている、というのが一般的な状況だったように思います。

学習支援・子ども食堂の実践の広がりがもたらしたのは、特別なニーズのある子どもたちをターゲットとしつつも、特別なニーズのある子どもたちのラベリングの問題、特別なニーズのある子どもの特定の困難などの理由から、標準的な子どもと思われる子どもへも波及するという、優先順位の逆転だと思うのです。

「逆統合保育」というような言葉を聞いたことがあり、大阪の実践現場を見学に行ったこともあります。健常児の中に障害児が混ざるのではなく、障害児の中に健常児が混ざるという発想の実践です。人数の問題はもちろんあるのですが、大切なのはおとなの意識の問題、あるいは子どものどこに焦点を当てるかという問題なのではないかと思います。その発想の仕方が、学習支援・子ども食堂の実践では「当たり前」です。「逆統合保育」的発想をメインストリームにした初めての実践が、学習支援・子ども食堂なのではないか、という感覚です。大胆な仮説にすぎませんが、そんなところに今後も期待を寄せていきたいと思います。