ヴィリニュス(リトアニア)
2004年9月5日〜8日

最近、志摩園子先生の『物語 バルト三国の歴史』(中公新書)が出版されました。
バルトへお出かけの方はこれを読んでから行かれることをお勧めします。
また、ヴィリニュスで手に入るものでは、トマス・ヴァンツロヴァ『ヴィリニュスとトカイ−ガイドブック−』(日本語版あり)がお勧めです。

  ウィン空港にて
リトアニアは、他の中欧諸国と共に2004年5月にEU加盟を果たしたので旅券審査はないと早とちりしていました(ウィーンでもヴィリニュスでもありました)。ウィーン空港では、新加盟8カ国用の待合室が用意されていました。
ヴィリニュス到着
やはり街は大聖堂から。
ソ連時代には、大聖堂そのものが閉鎖されたほか、屋根の上の三聖人の像も撤去されていたそうです。
  身廊そのものはシンプルな感じがします。 全部で11のチャペルがありますが、その中でも輝いているのは、聖カジミル・チャペル。バロック様式の説教壇だけでなく、フレスコ画や彫像など、見飽きません。
  ヴィリニュス城はゲディミナス丘の上にあります。右は「上の城」にあるゲディミナス塔。 「下の城」。
と言っても「上の城」のすぐそばですが。
  ゲディミナス塔から見たヴィリニュス旧市街の様子。
  宿泊していたホテルから撮った新市街の様子です。興味深いのは、旧市街から一つ森を隔てた所に新市街が作られているところでしょうか。 市の西にあるTVタワー。1991年1月の“血の日曜日”の時には最も多くの犠牲者を出した所だそうです。
  大聖堂の裏側。下の城博物館は改装中でした。 ヴィリニュス旧市街は教会の街。聖アンナ教会はフランボワイヤン様式(14〜16世紀に発達したゴシック晩期の建築様式)の素晴らしい教会でした。
  夜明けの門という、現在残されている唯一の城門で、このリトアニアの紋章は、ソ連時代にはここでしか見れなかったそうです。(リトアニアの紋章と夜明けの門の異聞については、服部倫卓『不思議の国ベラルーシ』、44−45ページをご覧下さい。) 夜明けの門の旧市街側にある礼拝所。ここにある聖母マリアのイコンはすばらしい。(残念ながら礼拝中だったので、写真は撮れませんでした。)
  聖霊ロシア正教会。 カトリック教会のような祭壇。
  3人の聖人の遺体が保存されています。
  ディジョイ通の突き当たりにある旧市庁舎。14世紀末に建てられ、1785〜99年にかけて改築されたもの。 大統領府。
  ヴィリニュス大学の中庭。大学は16世紀に創設され、中庭は17世紀前半のもの。 幾つかの素晴らしい内装の施されたホールがあり、開放されています。(一番美しい図書館のホールは団体のみだそうで、入れませんでした。)
  本屋さんもそう! 大学敷地内にある聖ヨハネ教会。鐘楼(68m)は旧市街で最も高いもの。
  聖ヨハネ教会の身廊
  旧市街の北東にある聖ペトロ&パウロ教会。17世紀の建築です。 身廊は素晴らしい漆喰彫刻で飾られているのですが、残念ながら修復中でした。
 
  旧市街の北西にある国会議事堂セイマス。1990年3月11日に独立再現決議が行われました。 1991年1月13日にはソ連の武装部隊が国会議事堂を囲んだのですが、数万人の市民がバリケードを築き、議事堂を守ったのでした。
 
  国会議事堂と同じゲディミノ通りにある旧KGB。現在はKGBによってどのように大量虐殺が行われたかを示す博物館になっています。 ゲディミノ通りには虐殺された人々の名前を刻んだプレートがはめ込まれています。
  まずこの独房に立ったままで収容されます。 そして、この狭い部屋に詰め込まれます。
  手足の自由を奪う囚人服を着て尋問を受けたのでした。 ぜひ、オーディオガイド(英語)を聞きながら歩いてください。
  今回のリトアニアで心残りは杉原千畝が働いた旧領事館のある古都カウナスへ行けなかったこと。写真は、ユダヤ博物館の前にある杉原氏にささげられたモニュメント。
 
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