研究テーマ3.
テラヘルツ電磁波による凝縮相の低振動スペクトル

タンパク質の低振動スペクトルと機能発現の関連

 タンパク質の機能発現にはタンパク構造の大きな変化を伴うものがあり、この構造変化は多くの原子が集団的に運動することにより起こる。タンパク質のこのような運動は50 cm-1以下の低振動数領域に特徴的な振動数を持つことが多い。また、タンパク質が機能を発現する際、タンパク質の中に取りこまれている水分子や周辺の水分子が重要な役割を演じていることが知られている。本研究では、テラヘルツ(THz)時間領域分光法を用いて、異なる水和状態、および温度でバクテリオロドプシン(BR)の低振動スペクトルを測定し、BRの低振動スペクトルが水和、温度により受ける影響を調べ、さらに機能発現との関連について考察した。

 THz時間領域分光法では、THz波の電場の時間依存性を測定し、これをフーリエ変換することにより、電磁場の位相と振幅を同時に得ることができる。これから、試料の屈折率や休講係数などの物理量を求めることができる。高度好塩菌の中のBRは光駆動プロトンポンプ機能を持つタンパク質である。BRは発色団としてレチナールを持ち、光吸収によりレチナールの異性化が起こり、それに続いて一連の反応(プロトン輸送サイクル)が起こる。この反応サイクル中のM中間体でタンパク構造に大きな変化が起こることが報告されている。

 試料作製の際、二つの問題について検討した。一つは、THz領域の電磁波は水分子により強く吸収されるため、水を溶媒として使えない。もう一つの問題は、電磁波はその波長サイズの物体により散乱されるため、THz電磁波(波長:数mm~サブmm)を用いた測定ではそのサイズで均一な試料を作製する必要がある。これらのことを検討し、BR溶液を乾燥させて粉末状にした後、加圧することにより測定用のペレット状試料を作製した。作製した試料を無機塩の飽和水溶液により湿度を調整した容器内に放置し、水和させた(MgCl2:33%, NaBr:58%, NaCl:75%)。水和量は質量を測定することにより決定した。THz波パルスはフェムト秒レーザーパルス(波長:800 nm、パルス幅:100 fs)を光伝導アンテナに集光し発生させた。電磁波の検出も光伝導アンテナとフェムト秒パルスを用いて行なった。

図1.赤丸:テラヘルツ領域におけるBRのRACS。青線:7~26 cm-1での直線フィット(対数表示)
図2.べき数の温度依存性。赤線:乾燥試料、それ以外:水和量の異なる水和試料

山本らはTHz分光により得られた屈折率、吸光係数のスペクトルより次式を用いて、換算吸収断面積(Reduced Absorption Cross Section; RACS)を定義した[1]、
     
今回の測定からBRのRACSを求めたところ、全ての水和状態および温度でRACSの振動数のべき依存性が見られた(図1)。7~26 cm-1の振動数領域で指数aの値を求めたところ、常温では、乾燥試料でa = 1.97となり、この値は水和量の増加とともに小さくなる傾向にある。赤外活性度が波数に依存しないと仮定すると、RACSは振動状態密度に比例する。このモデルと比較すると、BRの低振動ダイナミクスは水和量の増加に伴い非調和性が増加することを示している。水和試料と乾燥試料の差スペクトルとの解析とバルク液体の水のテラヘルツスペクトルの測定結果の比較から、この非調和性の増加は単にBRに水和したバルク的に振舞う水分子の運動によるものではなく、水和によるBRの低振動モードの変化や、BRの近くに存在し運動が著しく制限された水分子によるものだと考えている。また、べき数の温度依存性は、-100℃~0℃の温度領域で乾燥試料は、常温のそれと同じ、ほぼ2に近い値を取る(図2)。このことはこの温度領域で乾燥試料の低振動モードは調和的に振舞っていることを示す。一方、水和試料では-100℃~-40℃では、乾燥試料と同様、aの値はほぼ2であり、ほとんど温度変化を示さない。しかし、-40℃より高温領域では、aの値は2より小さくなり、温度変化に伴う減少を示す。このことは、水和したBRの低振動ダイナミクスは-40℃以上で、温度上昇に伴い非調和性が急激に増加することを示している。一方、非弾性中性子散乱を用いたBRの測定から、230 K付近で水和試料の平均二乗変位が急激に増加する動力学的遷移が起こることが報告されている[2]。今回、THz時間領域分光法により観測されたこの急激な変化も、動力学的遷移であると考えている。

 本研究は、川口新太郎氏(神戸大)、神原大博士(神戸大)、柴田幹大博士(名工大)、神取秀樹教授(名工大)との共同研究である。


参考文献

  1. K. Yamamoto, K. Tominaga, H. Sasakawa, A. Tamura, H. Murakami, H. Ohtake, and N. Sarukura, Biophys. J. 89, L22 (2005).
  2. M. Ferrand, A. J. Dianoux, W. Petry, and G. Zaccai, Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 90, 9668 (1993).
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