秋元忍、「スポーツ用具と身体感覚」、『ひすぽ』 (スポーツ史学会会報)、45、2000年3月、pp.2-3。

 つい数年前まで、ホッケー(フィールドホッケー)のゲームでは白くペイントされたクリケットボールが使用されていた。クリケットボールが日々の練習の場から完全に姿を消し、プラスチック製のボールが使用されるようになったのは、筆者がホッケーに夢中になっていた大学生の頃であった。初めてプラスチック製のボールを打ってみた時の感覚は忘れられない。クリケットボールと、より軽いプラスチック製のボールでは、スティックを通して伝わってくる手の感覚、すなわち手の痺れや痛みが、全く違っていたからである。

 各ボールゲームにはその種目に固有のボールがある。ではホッケーがクリケットボールを流用してきたのはなぜか。クリケットボールを用いたゲームのルーツはテディントンホッケークラブ(1871年設立)にあるとされる。ロンドン近郊で活動していたこのクラブは、元々クリケットクラブであった。クリケットのシーズンオフである冬期の活動として、クラブのメンバー達はホッケーを導入した。そして、このテディントンのゲームの普及を背景に制定された最初の統一ルール(1875年)には、クリケットボールの使用が明記されるようになったのである。

 このルールは存続しなかったが、1886年に再編された統一ルールにも、白くペイントされたクリケットボールが採用された。以降、クリケットボールはホッケーグラウンド上を転がり続けることになる。ただし、すでに19世紀末にはこのクリケットボールの使用を疑問視するホッケー関係者がいたことも事実である。その理由は主に以下の2点であった。1)危険である。2)クリケットボールの選択には「科学的実践」に基づく検討が欠如している。こうした意見を背景に、イングランドのホッケーの統括組織であるホッケーアソシエーションは、1890年、用具メーカーの協力を得て新たなボールを提示した。「グッタペルカで包まれた堅い木」でできた「クリケットボールの半分ほどの重さ」しかないこのボールは、ゲームをより安全にし、またクリケットボールほど飛びすぎないためにハードヒッティングを抑制し、ゲームをより技巧的にするものと期待された。

 しかしこのボールは採用されなかった。それは「あまりにもよく弾みすぎ」たため、ロンドン周辺の代表的なクラブからプレーヤーを集めて行われた「試行試合はそれほど成功したようには見えなかった」という。また1893年のある回想によれば、このボールの欠点は以下の点にあった。このボールは「クリケットボールがそうするようにはスティックを弾か」ず、「バット、またはスティックの適切な場所で、鮮やかに、正しく打たれた時の、クリケッターやホッケープレーヤーによく知られるあの気持ちの良い感覚を欠いていた」という。結局、クリケットボール以上に適したボールは見出されなかったのである。

 裏付けは十分ではないが、筆者は、この感覚こそクリケットボールが流用され続けた理由ではなかったかと考えている。新しいボールが拒まれたのは、実際プレイしてみたプレーヤーの手に気持ちの良い感覚を残すことがなかったためではないか。「グッタペルカで包まれた堅い木」のボールを初めて打ったプレーヤーの手は、プラスチック製ボールを初めて打った筆者の手と、似た感覚を得たのではなかったか。飛躍すれば以下のようにも言えるかもしれない。クリケットボールから得られる独特な感覚の選好が、近代スポーツとしてのホッケーの近代性であった、と。いずれにせよ、近代スポーツ成立期のプレーヤーの身体感覚に興味を持つ筆者にとって、スポーツ用具の歴史は魅力的なテーマである。用具の変化による身体感覚の変化という体験の共通点から、近代スポーツ史研究に切りこめないかと思案している。

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