シーゲル&カンター「セルフ・アドボカシー:個人および専門家に見られる変化」(訳:津田英二)
Joanne Florio Siegel & Owen Kantor, Self-Advocacy: Change within the Individual and the Professional, Social Work, Vol.27, No.5, September 1982, pp.451-453

 アメリカでは過去20年、うまく組織化された自己利益グループself-interest group が、個人の権利への意識の高まりと、社会的権力への認知の高まりをもたらすことができるということが目撃されてきた。こうしたグループの成長が、自らの向上と社会変革に向かう欠かすことのできない力となってきている。
 しかし、セルフ・アドボカシー運動に参加することのできなかった、権利を剥奪された人々disenfranchised individualsの中に、発達障害者the developmentally disabledがいた。制約された知性こそが、知的障害者mentally retarded personsを自ら権利擁護をすることから排除しているように見えた。実際、エドガートンは、次のように指摘している。
“知的障害というスティグマほど根元的なスティグマはない。そのように呼ばれた人は、基本的能力をまったく欠いている人として想起されるからである。”1)
 社会は伝統的に、知的障害者を受動的で従属的であり、自らの生活に影響を与える決定に参加することができないものとみなしてきた。知的障害者はしたがって、彼らのための決定を、親、教師、ソーシャルワーカー、権威ある地位にある他人に委ねてきたのである。彼らの実際の制約は、このように他者への依存を増長させるような社会の態度によって増幅してきている。
 ニューヨーク州ブロンクスでは、知的障害のある成人のセルフ・アドボカシー・グループが、専門的な指導に基づいて、知的障害者の発達可能性についての誤解を解いてきている。著者らは、このグループにおいて、思考や感覚が伝統的に配慮されることも尊重されることもなく、依存が当然だと思われている人々が経験した、ものごとを決定するスキル、責任の感覚、自身の向上を説明しようと思う。
 知的障害者が、チャンスさえ与えられたら、自分たちのために主張し行動することができるという可能性が、オレゴン州セーラムで1974年に述べられた2)。これが、ピープル・ファーストと呼ばれる組織の出現であった。知的障害者が自らの権利を擁護できるようになることへの支援に関して、この組織は、知的障害者のもつ制約よりも、メンバーの能力のほうを強調する。(制約は、非常に多くの場合、第一義的な注意をひいている。)メンバーは、個人的・法的権利を主張すること、問題解決の戦略、組織を強化することを学んだ3)。
 このモデルを念頭に置いて、著者ら(地域に根ざした組織に属する2人のソーシャルワーカー)は、ニューヨーク州ブロンクスで知的障害のある成人のためのセルフ・アドボカシー・グループを組織化した。メンバーは、組織が主催する2つのプログラムから募集した。そのプログラムというのは、ひとつはクライエントの自立心を向上させ地域に統合させようとする、軽度と診断された成人のためのプログラムであり、またもうひとつは、最低限の支援付きでの一人暮らしに向けた準備を目的とした参加者が家を管理するhome management技術を学ぶ自立生活プログラムである。

グループの目標
 グループのメンバーが、ものごとの決定や集団での問題解決に参加することに自信がなかったり、経験が不足していたため、(支援者advisorと認識されていた)筆者らは、いくつかの目標を立てた。その目標とは、まずメンバーが自分自身を主張するのを学ぶということであり、グループの一員として役立つこと、そして個人的・集団的関心を積極的に追求するために必要なスキルを獲得するということであった。
 はじめの努力は、メンバー個人が感情や考えを表現し、他者の考えをよく聞いて尊重し、批判を受け入れ、リーダーシップを身につけ、個人の要求とグループの要求を弁別するよう援助するという方向を向いていた。積極的なピア・グループへの介入によって、自由な表現のための広場が提供されたり、社会的に受容されやすい振る舞いの発達が促されることを期待したのである。
 第二の、もっと長い時間をかけて取り組む目標は、より大きな政治的決定の場に彼らの声を届かせることで、いっそうの自立independenceを達成するよう、グループを支援することであった。既存の特別な関心に基づくグループ special interest group や委員会に参加したり、ニューヨークにある他のアドボカシー・グループと協力することで、筆者らのグループが集団的関心を積極的に追求することが可能になったり、そうした力を行使することによってグループが自立心self-relianceを得るだろうという希望をもっていたのである。

専門家との相互作用 Professional Interaction
 支援者らは、知的障害者が実際に制約と、依存的な自己イメージに支配される傾向にある過去の行動パターンとに囚われていることを認識していた。しかし、発達障害者が、より多くの責任を持ち、自分自身の擁護をするためには、自己決定的self-directiveである機会を与えられなければならない。彼らには指導guidanceが必要だが、自分で失敗を犯す自由もまた必要である。
 このような専門家の役割を再定義するという仕事は、明らかに困難なものである。とりわけその役割は性格上、権威主義的であり、知的障害者の発達の可能性を制限する見方に基づいてきているからである。支援者は、自らの役割を権威的なものから、もっと助言者的なものconsultativeにシフトさせなければならないだろう。こういう役割をもとうとすると、柔軟であること、オープンであること、よい判断、そして忍耐が要求された。いつ介入したらよいかということや、どのようにあまりコントロールを行使することなく介入したらよいのかを知ることは、いつも容易であるわけではなかった。
 支援者らの最初の努力は、プログラムの目標を説明することと、共通目的を持っているという感覚を形成することに注がれた。基本的人権、知的障害者の思考に固有の価値、自己決定の重要性、こういったことへの認知は、グループの発展のとても早い段階で、支援者が強調したコンセプトであった。
 次に、支援者らは、メンバーが討議したいと思っているトピックを、グループから引き出そうとした。このグループ討議から進展させた問題issuesには、補足的所得保障、低所得者医療保険、雇用、作業所の条件改善といった経済的問題に関わることがらがあった。支援者らは、こうした問題を解決した人が、他のメンバーを援助するようになるとよいと考えた。
 支援者らは、広く公共的な関心を呼ぶような問題に、機が満ちる前に、グループが深入りしようとする誘惑に抵抗しなければならないことに気づいた。それは、例えば、新しい法律の必要だとか、公共交通料金の割引だとか、作業所での賃金引き上げといった問題である。また、機が満ちる前というのは、こういった問題に取り組む構えをメンバー達が準備できる前にという意味である。専門からのニーズと欲求は、グループの発展段階に応じて、継続的に思慮されねばならなかった。メンバーが相互に関係をもち、相互に支援しあう強固なネットワークをつくりあげることが、最初にしなければならないことであると、支援者らは思い起こさなければならなかった4)。

グループを機能させる
 何回かの会合の後、支援者らはグループの進歩を評価してみることにした。いくつかの障害が、共通に関心のある問題を特定し、優先事項を決定し、専門家らに依存することなく決定するといった、グループの能力を阻害しているように思えた。例えば、メンバーは自分たちの意見をメンバー相互にではなくスタッフに向けて述べる傾向にあった。この特徴的な態度は、知的障害のある成人を伝統的に子どものように扱う他者との関係の中で慣れ親しんできた卑屈な役割のことを考えれば、驚くべきことではなかった。
 また、メンバーのうち何人かは、注意力を発揮することができなかったり、トピックに関連した発言をすることができなかった。他の何人かは、話している人の発言を遮ったりする傾向もあり、複数の会話が同時進行することも稀ではなかった。こういったいくつかの破壊的な態度は、制約された知性の結果としてみなされてきたかもしれないが、支援者らは意識的にこの理由付けを最小限にとどめる選択をした。その代わり、そういった態度は学習されたものであり、仲間どうしでうまくやりとりする能力に対する支援者の期待を変容させれば、変化させることができると信じた。メンバーはこうして、専門家からよりも相互に賛同を得るよう促された。このことによって次に、知的障害者個々人に自己イメージが生まれ、専門家の支援から自立して、個人やグループが決定を下すようになった。
 仲間どうしのやりとりが成功するようになるためのひとつの方法は、メンバーが役員を選挙したり、やりとりやミーティングの運営のための規約をつくることである。選挙のプロセスによって、グループの目的に達する機会が広がるだけでなく、専門家からメンバーへと権限powerが移動する。選挙のプロセスは、決定のためにメンバーを相互に関係させる強制力として働くのである。
 実行委員会を構成する役員選挙は、実際にグループにおける役割分担や責任遂行、リーダーシップ発展の発展を促したのである。委員会は議題を煮詰めるために、ミーティングの前に開かれた。専門家の役割は、徐々に、必要なときに技術的支援や情報提供をするにとどまるようになった。
 グループに働きかける専門家は、自分たちを相談者として利用してもよいが、グループ活動の方向性に責任を持つのはメンバー自身であることを、強調し続けた。例えば、もし援助が必要ならば支援者の一人を利用してもよいという理解のもとで、事務局長は、月例会のお知らせを準備して配るという責任を果たした。
 典型的に他者に依存してきた個人が、自信やアドボカシーの技術を得ていくのを観察できて、勇気づけられた。あるミーティングの間、ずっとメンバーの親が出席して、自分の娘に投票のやり方を教えていたということがあった。支援者は、メンバーの誰かがこの介入に対応するかどうか見届けたいと思った。介入すべきかどうか迷った挙げ句、支援者はグループがこの状況に取り組むという望みをもって静観することにした。グループがこの状況に取り組むことができれば、グループが自分たちの権利や自分たちを守る力powerを認知していることを明示していることになるだろう。
 このミーティングの間は、その親に面と向かってものを言う人は誰もいなかった。しかし、次のミーティングで会長が、前のミーティングに親が出席していたことに問題を感じたと述べた。彼女はさらに、親の介入があるなら次のミーティングに出席しないつもりだと続けた。専門家らは、この状況を会全体で話し合い、ミーティングへの親の出席について方針をみんなで決めるよう、会長に働きかけた。
 グループは、こうした問題を扱うオルタナティヴな方法について話し合った。メンバー間の投票によって合意が形成された。親はひとつのミーティングに限って、参加者としてでなく、傍聴者として出席できる、というものだった。
 2,3ヶ月後、娘とミーティングに出席した同じ親が、再びミーティングにやってきた。グループには、その親の出席を認めないという雰囲気が漂った。ミーティングの開始が宣言された後で、会長は丁重にしかし断固として、その親にグループの方針を伝えた。はじめ、その親は驚き、かなり腹を立てていた。しかし、会長が毅然と対応したために、その親は帰ることに同意した。親が去った後、会長はこの事件で罪悪感を感じたと述べた。それに対して、グループは会長を支持し、会長が正しい行為をとったことを再確認した。彼らは、誰かにミーティングの場を去るよう頼むことが、いかに難しいかということを議論しあった。また彼らは、会長が、会のきまりを行使することによって、グループのために行動したことを再確認した。その親にとって、これはおそらく、知的障害者が権利をもっているという観念に気づくできごとであった。また、セルフ・アドボカシー・グループにとって、それは意義深い勝利であった。
 グループを機能させるために責任を負うということは、メンバーにとって新しいことであり、彼らは他の組織でも直面するような問題を同様に扱い始めなければならなかった。冬の間の低い出席率、メンバーの失業、メンバー間の多様な考えや意見の対立、限られた財源あるいは財源がないという条件の下で将来の活動計画を策定しなければならないこと、といったフラストレーションである。
 これらの問題を扱うことを学ぶと、グループが強くなるばかりでなく、他の状況下で自立的に問題解決するために必要な経験と支援を獲得することになる。このことのよい例に、支援者なしで会を運営できる会長の能力があった。はじめ、会長は自分だけでミーティングをもつことに躊躇して、ミーティングを中止しようと提案した。しかし、専門家らが会長の能力を再確認し、議題になりそうなことについて議論すると、会長はミーティングを行うことに同意した。これは、会長が自信を大きくして、自分の能力を認識したという意味ばかりでなく、グループが自立して機能し、相互に援助し合うことができるという能力を示したという意味でも、画期的なできごとであった。会長は、専門家の出席がなくてもミーティングを運営することができた。このことによって、支援者が不在でもミーティングを続けることができることに気づくことができたのである。

まとめ
 知的障害者のためのセルフ・アドボカシーの設立は、不可能な仕事ではない。成功のために起こらなければならないことは、専門家と障害のある成人双方の態度、機能、役割が変化することである。専門家は権威的で全知全能的な役割を放棄しなければならない。その代わりに、支援的、促進的、助言者的な役割に徹しなければならない。同時に、障害のある成人は、「患者」「子ども」「病人」の役割を喜んで捨て去り、その代わりに成人らしい役割、つまり行為、決定、他者のニーズや意見への応答に対して責任をもつ役割を担わなければならない。ガートナーとリースマンが指摘するように、こうしたグループのもつ潜在的な利点は大きい。
「自助グループは、人々が受動的である必要はないということ、人びとには力powerがあるということを示す。特に次のようなグループではそうである。メンバーが相互に何かをするよう要求するグループ、依存を認めながら自律性と自立を要求するグループ、支援を得ながら行動と作業を要求するグループ、リーダーや専門家中心ではなく、仲間中心のグループ。つまり、相互援助グループのもっとも意義深い性質の一つは、エンパワメントを促し、このように潜在的に反疎外的であるということである。そうしたグループは、メンバーが自分の強さstrengthsや力を感じたり用いたりできるようにし、自分の生活をコントロールできるようにする。」
 しかしながら、知的障害者のためのそういったグループが、即座に動き始めるという期待は非現実的である。グループと支援者が努力しなければならないことの多くは、目新しいことであるだろうし、それゆえ試行錯誤を基本としなければならない。すべての決定と行動が個人の成長と相互の尊重に根ざすように変化させる効果的な力forceをうち立てるために、セルフ・アドボカシー・グループのメンバーと支援者は、進化するプロセスの中で、協働しなければならないのである。